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帝国士官冒険者となりて異世界を歩く  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
俺が大陸から異世界に流れる事までの話
13/82

昭和十七年三月二十四日 東京 神堂家 離れ

「あまり帰りたくも無い家ではあるが」


 口に出して、俺は屋敷の裏口から家に入る。

 帰る事は伝えていたので、女中のお民さんが出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ。

 坊ちゃま。

 良くぞご無事で」


 涙をぬぐって帰還を喜ぶ割烹着姿の老婦人を前に、少しだけ気分の晴れた俺はこの家で最初のありきたりな言葉を口にしたのだった。


「ただいま」


 俺の爺さんが秋月の乱に参加して御家は断絶し、名を変えて東京にて暮らしていたのは話したと思う。

 その後、名を変えた爺さんは婿養子という形で神堂という今の苗字になったのだが、この神堂家は商家として日清・日露・第一次世界大戦と飛躍する。

 で、成功したら欲も出る訳で、爺さんは若い妾を囲って本妻と派手に喧嘩したらしい。

 その若い妾というのが俺の母であり、吉原でも一・二を争う花魁だったとは、母を知るお民さんの言葉である。

 母は俺を産んだ後に体を崩してそのまま亡くなり、爺さんは俺を本家相続に関わらせないことを条件に俺を引き取って育てたという訳だ。

 だが、その爺さんが亡くなると当然居心地が悪くなる訳で。

 餓鬼の頭でこの家から出て食って行ける手段で、まっとうなものが軍隊しかなかった。

 その選択は、当時本妻が生きていて俺の事を嫌っていたこの家にとっても悪くなかったらしく、陸軍幼年学校から士官学校にいたるまで費用を全部負担してくれたのだけはありがたかった。

 学校での成績は可も無く不可もなくで、こうして戦地を経験し現在に至る。

 離れに作られた俺の部屋にさして多くない荷物を置いて、畳に寝転がる。


「ご飯のほうはどうなさいますか?」

「せっかくだから頂くよ」


 離れは本家と繋がっておらず、全てここで生活ができるように色々なものが揃っている。

 元々は本家筋の旦那が妾を囲うための屋敷だったので、建物そのものはかなり古い。

 起き上がって玄関に使って靴を履く。


「爺さんの仏壇に参ってくるよ」 

「わかりました。

 それまでに食事を作っておきますね」


 お民さんに声をかけて、離れから広い庭を横切り、本宅に入る。

 日清・日露戦争で大きくなった神堂家は第一次世界大戦で一気に飛躍した。

 成金である。

 本宅もそのころに改築されたのだが洋館の華やかな佇まいとは裏腹に、空気はあまり良くは無い。


「あまり、家業がおもわしくない様子で……」


 という、お民さんの嘆きを思い出す。

 第一次大戦後からこの国は本当についていなかった。

 大戦需要の喪失とブロック経済化で需要がなくなった生産力は行き場を失い、金解禁の失敗や昭和金融恐慌で多くの会社が倒産に追い込まれた。

 更に天災が追い討ちをかける。

 甚大な被害を関東に与えた関東大震災は言うまでも無く、冷害からくる大凶作で東北の農民は娘を身売りに出し、豊作になればなったで台湾や朝鮮半島の植民地米の価格に負けて豊作貧乏になる始末。

 だからこそ、商人も農民も軍に期待したのだった。

 何も生まない消費行為だからこそ、農民は兵隊さんに食べてもらう為の米を作り、商人は兵隊さんに使って貰うための武器を作り、食えなくなった農家の次男坊や三男坊、水飲み百姓や小作人達は食えるからこそ兵隊になったのである。

 その支払いを国家が払いきれるならば問題が無かったのだが、その支払いの為に新たな植民地を欲したのが大陸での長期に渡る戦争である。 

 その戦争も足抜けという勝ったか負けたか分からない微妙な言い回しでの終わり方。

 そんな事を考えながら、本宅玄関にて執事に取り次いでもらって中に入る。

 奥にある和風の間に作られた仏壇に手を合わせていたら、後ろから声がかけられた。


「帰ってきたのか」

「帰ってきました。兄さん」


 神堂武彦。

 表向きは俺の兄という立場だが、爺さんと本妻の息子の子という関係である。

 そんな立ち居地だからか、本家で唯一話ができる人間でもある。

 帝大卒で今は家業を手伝っているが、顔色の悪さで家業がおもわしくない事をなんとなく悟ってしまう。


「大陸はどうだった?」

「悪くも無かったし、良くも無かった。

 そんな所ですよ。

 そっちは?」


 振った話に兄さんはため息をついた。


「あまり良く無い。

 軍向けの荷をどう捌くか頭を悩めている所だ」


 戦争が終わった事で、軍向けの発注にキャンセルがかかっているのだ。

 とはいえ、キャンセルが出たからと言って製造のラインは簡単に止まらない訳で、ある程度の品物ができてしまう。

 まぁ、これはそれほど問題ではないが、大問題なのが消費者としての軍があてにできなくなった事だ。

 そして、多くの企業は軍が消費する事を前提に設備や生産計画を整えている訳で、兄よろしく頭を抱えている人間は多く居る事だろう。

 欧州向けの輸出があるのではというが、その為の原資が不足しているのだ。


「隣の賭場がいいからって、木札をそのまま持って行く訳にはいかないだろう?」

「で、換金してみたら思っていた以上にもうからなくて、遊ぶ為に金を借りなければならないと」


 二人して苦笑する。

 互いに疎遠だったこともあって、決して仲良くもなかったが嫌うことも無かった。


「親父殿は銀行参りだが、銀行は手を引きたがっている。

 散々お国の為にと尽くしたが、やつらは情も無いからな。

 で、お前はいつ退役するんだ?」


 不意に振られた俺の話に、俺も悟らざるを得ない。


「俺あての嫁の話か?」

「あたりだ。

 一応兄弟という事になっているからな。お前は。

 で、親父あたりが銀行に縁がある娘とくっつけたがっている。

 俺はお前が手伝ってくれると助かる」


 兄は既に財閥と縁のある嫁をもらっている。

 ここで銀行とも仲良くなって融資を引き出す腹だろう。


「断ってくれ。

 俺は昇進して、また戦地に送られる予定だ」


「ソ連か?」


 商売人の顔で兄が尋ねる。

 対ソ戦となると欧州大戦に直接絡むから商売のチャンスと捉えているのだろう。

 まさか異世界に行くなんて現状言える訳も無い。


「そのあたりは軍機に触れるので、それで察してくれ」

「親父あたりなら、怒鳴りつけるんだろうがな」


 この家が俺に行った仕打ちを知っているからこそ、兄も強くいえない。

 そんな仲だった。


「出世したので、少し中央に顔がきく。

 今まで育ててもらった恩もあるし、軍向けの荷だけはなんとかするよ」


「助かる。

 で、お前はそのまま帰らずか。

 いいのか?」


 爺さんという前例も居るので、俺がそのまま死亡扱いで別の地で生きる事を兄は悟る。

 俺は笑って兄の質問に答えた。


「ああ。

 この家は俺の帰る場所ではない。

 帰ってそれを思い知ったよ。

 俺の離れは、兄さんが妾を囲う時にでも使ってくれ」 


 多分もう合う事はないだろうから、子供の頃敵意を向けた本妻や邪魔者扱いした養父と違い、疎遠ながらも俺と付き合ってくれたこの兄に別れの言葉を告げる。

 兄は肩をすくめて、俺の手を握って言葉を笑った。


「お前を見て、妾など囲うものか。

 女とはもっと綺麗に遊ぶさ」



「ヴァハ特務大尉に繋いでほしい。

 ええ。

 少し尋ねたいことがありまして。

 うちの本家の経済状況は把握しておりますか?

 なら話は早い。

 感づいたら英・独双方から狙われかねません。

 今ある軍向けの品物をそっちで引き取ってもらえたらと……」


 離れに戻って食事後、ヴァハ特務大尉に電話をかける。

 事を話して荷を一括で引き取ってもらったが、ヴァハ特務大尉の判断は俺より更に一歩踏み込んだ即金払いだった。

 つまり、俺が帝都にいる間だけの付き合いで、その後までは知らないという意味であると同時に、資金繰りで苦しむ本家にとって、即金払いがどれぐらいの慈雨になるか分かりきっての判断である。


 翌日、離れに現金を持ってきてくれたのはマダムだった。


「マダムが持ってきてくれたのか」

「ええ。

 ヴァハちゃん忙しいからって。

 ここが辰馬くんのおうち?」


 お茶を持ってきたお民さんがしろしろ見ながら奥に下がるのを見て、マダムが楽しそうに笑う。


「あの人、私の事辰馬くんのいい人って思っているのかしら?」


 この旅の途中から、マダムは俺のことを辰馬くんと呼ぶようになって、なんだかくすぐったい。

 羊羹を美味しくいただいていたマダムが、皮のスーツケースをテーブルの上に置いた。


「はい。

 ヴァハちゃんから頼まれたものよ」


 中を開けると札束がぎっしりと詰まっており、本家が抱えていた軍需品の受け取り書類が入っていた。

 ちなみに、受け取り先が神祇院になっているが、気づいてもそこから先へは探れないだろう。

 スーツケースの中から札束を一つ抜いてからスーツケースを閉じてお民さんを呼ぶ。


「お民さん。

 これ、本家の兄さんの所に持っていって。

 あと、これは今まで世話になったお礼」


「坊ちゃま!

 こんなに受け取れません!」


「いいんだ。

 さあ、行った。行った」


 俺が出てゆくのを悟ったのだろう。

 お民さんも真剣な顔で、スーツケースを持った。


「すぐ戻ってきますからね!

 待っていてくださいよ!」


「……あの人、札束テーブルの上に置いたまんま行っちゃったわよ」


 若々しく本宅に駆けていったお民さんとテーブルに置かれた札束を見て、マダムが面白そうに微笑む。


「あの人、俺のお袋と同じ花魁だったらしい。

 お袋が死んで俺を育てるのを嫌がった本妻の為に、爺さんがお袋と仲良かったお民さんに土下座して足抜けさせて育ててくれた、俺のお袋代わりさ」


 マダムにお民さんとお袋が現役だった頃の写真を見せる。

 マダムが息を呑むぐらい、写真の中の二人は華やかで色っぽかった。

 お民さんが居なかったら俺はきっといなかったのだろう。

 だからこそ、ちゃんと別れる前にお民さんに挨拶をしておきたかったのだった。


「お母さんの名前って何て言うの?」


 マダムの声に俺は、写真でしか見た事が無い母の名前を呼んだ。


「お妙。

 『大正浪漫なにするものぞ あっちは吉原の女でありんす』と成金どもに大見得をきった、大正高尾太夫が俺のお袋の名前さ」

大正期にはいると吉原文化が希薄化してほとんど無くなっているのだけど、そこは創作と言う事で。


なお、爺さんから辰馬に直でつなげたのは事前に剣客商売を読んでいたからだったり。

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