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3 お願い

 秋の定期演奏会は、前からチャイコフスキーの交響曲第五番に決まっていました。

 チャイ5の第二楽章のホルンソロが吹きたくて、白砂先輩に無理を言って、1stにしてもらいました。


 古典的な四楽章制の交響曲です。ただし、第三楽章ではスケルツォの代わりにワルツが採用されています。演奏時間は40~50分程度です。

 第二楽章ではホルンがクラリネットの低音と親密な言葉を交わした後、オーボエにメロディを渡します。クラとオーボエの人に頼んで練習したときは、最初の音を外さないかドキドキしましたが、ミスはしませんでした。この曲は、私的にはバーンスタインの指揮のCDが好みでした。


「1st吹くの?」


 栄太くんが尋ねてきました。


「うん。格好良いから、頼んで1stにしてもらったんだ。……ねえ、栄太くん」

「何かな?」

「チャイ5が成功したら、また、お願い聞いてくれるかな?」


 いつものおねだり攻撃です。是非、栄太くんに演奏して欲しい曲があるのです。


「まあ……。構わないけど」


 栄太くんは、また約束してくれました。やっぱり優しいです。

 私は家でも猛練習しました。ご近所迷惑なので消音装置を使っています。でも、この機械を使うと、息苦しいし、勝手も違います。私は夜の河原へ行って練習しました。夜道を心配して、栄太くんも付き合ってくれました。


「今度は何のお願いの為に、張り切っているのかな?」

「ふふ。秘密」


 河原からの帰り道は、また栄太くんが手を繋いできました。過保護だなあと思いました。


 ♦ ♦ ♦


 定期演奏会の本番の日が来ました。

 さすがに緊張します。音を外したら、どうしたら良いでしょう。

 着ている白ブラウスの胸元を握りしめ、相棒のホルンもぎゅっと脇に挟みました。

 一曲目と二曲目は、無事に終わりました。

 問題は休憩後のチャイ5です。


「公子ちゃん、頑張って!」


 栄太くんが笑顔で励ましてくれました。少し気持ちが軽くなりました。

 チャイコフスキーの交響曲第五番。まず、クラリネットから始まります。やっぱり私の心臓が煩いです。落ち着きましょう。

 いよいよ問題の第二楽章です。弦楽から静かに始まります。しっかり指揮者さんを見て、「翳りと憧れを含んだ、息長く甘美な歌」を心がけて吹きました。音を外さずに演奏出来ました。

 後は夢中で吹きました。クライマックスは力強いです。最後まで頑張りました。

 沢山拍手をもらいました。特に私は何度も立って、お辞儀しました。定期演奏会が成功して良かったです。


 学校内の打ち上げの席では、皆に褒められました。白砂先輩も1stを譲って正解だったと言ってくれました。一年生がソロを奪ってしまって申し訳なかったので、そう言ってもらえるとありがたいです。

 打ち上げも終盤の頃になって、栄太くんが私の側へ来てくれました。


「ソロ成功おめでとう。それで……お願いって何?」

「うん。お願いはね、バッハの無伴奏フルートパルティータの第一楽章を演奏して欲しいんだ」


 栄太くんは黙り込みました。ちょっと選曲がまずかったでしょうか。


「……わかった。バッハの無伴奏ね。もしオレがミスしなかったら……今度は公子ちゃんにお願いを聞いてもらおうかな」


 私はきょとんとしました。


「お願い? 無伴奏ホルン曲吹く?」

「そういうお願いじゃないよ。馬鹿公子ちゃん」


 頭を小突かれてしまいました。何のお願いでしょう……?


 ♦ ♦ ♦


 翌日。部活休みの音楽室で、栄太くんはバッハを演奏してくれました。

 ──すごいです。昨日いきなりリクエストしたのに、きっちり吹いてくれます。ほとんど息継ぎが無い曲なのに、すらすらと演奏しています。息継ぎの音も微かです。

 童顔の人が真剣な顔で吹いているのも格好良いです。

 Allemandeの曲が終わると、私は大きく拍手しました。私の為の素晴らしい独演会でした。

 ミスなんて一個もありませんでした。


「やっぱ、この曲結構難しいな。ミスしなくて良かったよ」


 謙遜しています。難しそうに吹いているようには見えなかったです。


「すっごく上手だったよ。私のお願い聞いてくれて、ありがとね」


 私が賞賛すると、栄太くんは微笑みました。


「じゃあ、ミスしなかったオレからのお願い」

「? 私に出来ることならば」


 私は首を傾げました。授業態度を改めなさいと言われたら、どうしましょう。相変わらず、理数系は眠った振りです。


「公子ちゃん。……オレと、付き合って」


 …………言われた日本語が、理解出来ませんでした。文系は、まだ、ましのはずですが…………。


「……へ?」


 多分私は、相当間抜けな表情をしています。

 栄太くんは、先程バッハを演奏していたときよりも真剣な顔です。


「だから、オレと付き合ってって言ってるの。好きなんだよ、公子ちゃんのこと」


 フルートを近くの机の上に置いて、私をふわりと抱きしめました。

 私より、十五センチ高い身長。童顔なのに身体は固くて、男の人っぽいです。

 私の頭の中は大混乱中です。栄太くんが、私のことを好き……?


「す、好きって、付き合うって、もしかして、男女、交際……?」


 ずっと栄太くんには、憧れていました。でもお付き合いなんて、考えたことがなかったです。


「そうだよ、男女交際。この鈍感娘。公子ちゃんだってオレのことが好きなはずでしょ。じゃないと、無理して同じ高校なんて入ろうと思わないよ」


 好きなはず……。栄太くんのことが?


「じ、時間を頂戴! 心の整理が出来るまで!」


 私は答えを保留にしました。


 ♦ ♦ ♦


 一週間、私は考え続けました。

 栄太くんのこと。憧れのお兄ちゃんで、優しくて、いつもお願いを聞いてくれて、コンサートにも一緒に行ったり……。

 手を繋がれても、別に不快ではなかったです。いつも笑顔が天使のようです。

 でも、お付き合い……。私は考え込みました。

 部活中も栄太くんは時折私を見つめてきます。私は心臓が高鳴ってしまいます。

 休憩中、そっと白砂先輩に話しかけました。


「白砂先輩……。例えば先輩が、思いがけない人にお付き合いをしてって言われたら、どう思いますか?」


 美人な白砂先輩です。私よりもずっと人生経験豊富でしょう。


「何かしら、突然。五十嵐さんは誰かに付き合ってって言われたの?」


 唐突な質問に、白砂先輩は不思議顔です。


「はあ、まあ……」


 私は曖昧に返事をしました。


「そうねえ。思いがけない人からの告白ねえ……。その人次第だけれど。嫌いじゃなければ、思い切って付き合ってみるのも手だとは思うわ」


 別れるとき面倒だけれどね、と白砂先輩は付け加えました。

 嫌いでは……ありません。むしろ、好意を持っています。先輩の助言通り、付き合ってみるのも良いのでしょうか。


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