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来訪者-5

 いつもと変わらない風呂場が、なぜだか落ち着く空間になっていた。震える手で書斎に逃げ込んだ時も、黒い石の異常な存在をひしひしと感じ、平静を保つのに異常な時間がかかってしまったが、ここは不思議にもリラックスすることができた。例えそれが無防備な全裸だとしてもだ。シャンプーや石鹸の匂いが心を落ちつかせる効果があったのかもしれない、と考察する余裕も生まれていた。いまだにリビングに黒い石があるというのに。

 頭を洗いながら、気を張り続けた数時間の出来事を思い出す。


 長身の黒人が黒い石を出してから私の意識は朦朧とした。結局、最後は立ったまま気絶してしまったのだが、その間に黒人が何を伝えようとしていたのか思い出すことができない。ただ、黒い石が役に立つという言葉だけは耳にしっかり残っている。

 黒い石がどのように役に立つのかわからないが黒人の依頼をこなさなければ、私は普通の人間として過ごすことができなくなってしまうだろう。そこまで思い出した時には、温かいシャワーが頭にかかっているというのに全身に鳥肌が立っていた。書斎では黒人が宇宙人であるという結論を出したが、平静を取り戻した風呂場でもやはり変わらなかった。普通の人間が一人の人間をここまで脅迫することができるはずがない。


 思い返しても黒人は取材の際に身元を明らかにするために免許証を提示してきたが、そこに書いてあったはずの名前はもうわからなかった。得体の知れない黒人のことを思い出すのは止め、もう前進するしかない。湯船に肩まで浸かり、体はすっかりほぐれ、本来の自分を取り戻していた。

 私は作家だからわかる。このような不測の事態が起きて、訳のわからないアイテムを謎の人物から与えられたものは主人公になる。この現実が物語ならば私が主人公だが、この謎の運命に戸惑いながらも勇気と知恵を絞り、前進する。もしもラノベならば、主人公という立場を嫌がりながらも結局はその運命を受け入れ、ひょうひょうとしているというのが一般的であろうか。


 だが、実際に体験した私はどうだろう、ただの恐怖しかなかった。人生で一度も味わったことのない体が震えるほどの恐怖はそう簡単に立ち直れるものではない。体験したからわかる。14時から深夜0時までかかり、やっと正気を取り戻したところだ。あのまま、黒い石の前で立ちつくしていたら発狂していたことだろう。

 改めて現実世界と小説世界は全く違う。読み手に体の芯まで恐怖を染めてやろうというに言葉には限界がある。私はこれを言葉にすることができそうにない。これからファンタジーを書くのは止めようか、もう筆を折るべきかと、恐怖から逃れた風呂場で結論を出しかけた時だった。


 風呂に浸かっている私の背後から、私の顔をまるでボールを取るかのようにそっと両手が包んだ。飛び上るほど驚いたはずなのだが腰を抜かしたのか、動けなかった。

 その感触は確かに人の両手であり、こめかみ辺りに親指、唇は薬指と小指に挟まれている。首を左右に振ることもできず、湯船の中で全身に鳥肌が立ち、お湯は感じられなくなった。せっかく恐怖を乗り越えたというのに新たな恐怖に、何故か無性に腹が立ち、私は浴槽に手をかけて一気に立ち上がった。顔にあった両手の感触は消え、背後を振り返ってもそこはただの壁であり、人が立つことのできるスペースなどない。


 この場合、幽霊がいたというのが一般的な意見かもしれないが、幽霊の存在は認めない。もしも幽霊がいるのであれば、この地球上は太古からの幽霊が埋め尽くしているはずだ。大勢の人間が戦争や病気で死んだこともある。にもかかわらず、幽霊を簡単に見ることができず、見えるという人間は限られている。それとも幽霊にもなにか都合があるというのか、そんないい加減な存在を認めるわけにはいかない。

 風呂場で一般的に心霊現象というのか、こんな体験をするのは引っ越してきて数年経つが初めてのことだった。あの黒人の存在のように人間ではなく幽霊以外の何かがいたと認識するしかないのかもしれない。


急いで風呂場から出た時、鏡に映った私の顔には両手の跡が痣のようにくっきりと残っていた。

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