来訪者-3
「依頼はとても簡単なものだ。ある書類を取ってきてほしい。はっきり言えば盗み出してほしい。あなたの殺人罪にもう1つ、窃盗罪が加わるがちょっと増えたってかまわないだろう? 実はこの書類がどこにあるのかわかっていない。まずは探すところから始めてほしい。書類がどこにあるか分かっていればよかったのだが、残念ながら見つけだすことはできなかった。どこかに隠しているのは間違いないが、その隠し場所すらワタシには見つけられない。だが、それは考え方を変えれば隠し場所を絞ることができるということだ。ワタシに見つけられないところなど、この地球上には数か所しかない」
「そして、不自然にもここ最近、ワタシにも見つけられない隠し場所が人為的に作られている。今から85年前、1925年のことだ。渋沢栄一という男のために青淵文庫と呼ばれている建物が作られた。ここには彼が収集した本を納める予定だったらしいが、納める前に人間同士の愚かな戦争によって焼失した。本を納められなくなった建物は応接室代わりにされたという。……このように歴史的な調べもついている。地図にも載っている。住所も分かっている。なのにだ! ワタシにはその場所がわからない。何を言っているかわからないだろうが、ワタシにもよくわからないのだ。人間ごと気が作った建物がワタシを妨害するのだ」
長身の黒人はいちおう冷静を保ちながら話していたつもりだろうが、隠しきれないイラつきがオーラのように空気を変えていくのが分かる。さっきより一段と息苦しくなった。恐怖による脂汗で取材用のマスクが肌にぴったりと張り付いている。顔とマスクが一体化していくようだ。そして足が震えるほどの恐怖を感じている。逃げだしたいが逃げることができないという状況を初めて体感した。
「だから、まず最初に青淵文庫を調べてほしい。ワタシが思うにそこが一番怪しいのだ。もし、ワタシの望む物がなかったとしても、どうしてワタシにわからないのかという答えが見つかるだろうし、どちらにせよ、あなたには調べてもらいたい場所ではある。それに、そこ以外は人間のあなたには行くには難しい場所になるだろうし」
「しかしながら青淵文庫もワタシを妨害する場所だ。あなたの身に危険があるかもしれない。これを渡しておこう。役に立つ」
ロングコートのポケットから河原に転がっていそうな、500円玉ほどの大きさの平べったい黒い石を取り出した。黒曜石とは違い、黒インクに浸したのではないかというほど真っ黒だった。
この黒い石を見た時からだった。私は気分が悪くなった。目眩と共に黒い霧が発生したかと思わせるように視界が塞がり初め、男の言葉も聞き取りにくくなり、気を確かにしようと何度も瞬きをしたり、首を振ったつもりだった。それもできていなかったと思うが、しばらくすると黒い霧も晴れていった。その時は長身の黒人が部屋を出ていく背中しか見えなかった。だが、それもハッキリとしたものではなく上下左右に歪んだ映像だった。
ハッキリと気を取り戻したのは夜21時だった。ちゃんと動けるようになったし、恐怖感もなくなり、いつも通りに戻った。あの男との取材の約束が14時で、それからずっとバカみたいにリビングに立ち続けていたらしい。汗でぐっしょり濡れたマスクを、脱皮するかのようになんとか脱いだ。マスクを置いたテーブルの上にあの黒い石が残っていた時は、私は情けなくも腰を抜かした。
なんとか思い返せば、あの長身の黒人はこの黒い石が役に立つと置いて行った。私に恐怖感を与えるこの石が何の役に立つものかと思ったものだが、その時は本当に役に立つ時が来るとは思いもしなかった。