総力? 戦
ただ立っているだけでも眩暈のようなものが付き纏う。どうやら、魔界とやらの空気は俺の体には合わないらしい。さっき意識が飛びかけたのも、おそらくはこのせいだ。
いつもなら頭の中がクエスチョンマークとハテナマークでいっぱいになるところだが、今日はその過程は省略。見りゃわかるんだから仕方がない。
禍々しく歪んだ景色に、何色とも形容しきれない霧が充満している。太陽の光はなく、どんよりと重い雲が空一面を覆い尽くしている。何よりも、
「いかにもって感じの、飛んでるしな」
いつぞや、学校の敷地内で魔力に還元しまくった魔法生物のようなものがところ構わず無数に、ふよふよと浮いている。ただし、今日のはいつかみたいな可愛らしさは微塵も兼ね備えない、ただただ生理的な嫌悪感をもよおすデザインをしている。
そこにモモの、とどめの一言。
「魔界の空気だ。なっつかしー。吸ったのいつ以来だろな」
とうとうくるべき時が来たらしい。
「や、やは、はぁはぁ、こ、の、はぁ」
ようやく追いついてきた副会長が、膝に両手をついてぜぇぜぇと肩を揺らしている。とんでもない遅さだが、このタイミングで現れるとは、さすがは勇者ってことか。
「落ち着け。一回深呼吸してからでいいぞ。副会長」
しっかりとこちらを見据えているが、その焦点が合っていないのは明白だ。肩が大きく上下するたびに、制服を彩るフリルがひらひら揺れて、その分現実味を削り取っているようだ。不思議な光景だった。
「この、勇者が現れた、からには、はぁ、魔王は倒されたも、同然、です。覚悟、するですよ。せ、世界の半分、を、はぁ、もらっても、許さんですからね」
なんか微妙なこと知ってるな、この勇者も。
「何だねこれは。シュータロー、説明を要求」
「おわぁ! なんじゃこりゃぁ! 学校が大変なことに。天王寺、貴様のせいか!」
息も絶え絶えな副会長を皮切りに続々と現れた人間凶器は、この期に及んでもちゃんと平常運転だ。俺としては相打ちでダブルノックアウトしててもらってその間に解決、ってのが理想だったんだけど。まぁ駄目だわな。
「世界がぶっ壊れかけてんだとさ。いよいよ魔界とこっちの世界がいっしょくたになっちまいそうなんだ」
端的に説明しておく。というか、これ以上の説明は俺にも無理だ。責任者でも監督でもシーイーオーでもいいから、出てきて説明を要求する。あと謝罪も。
「おい天王寺! お前らこんなことしてたのか! 事と次第によっちゃ」
「なんだね? リベンジかね? 見苦しいよ。敗者は敗者らしくしていたまえ。それよりも、今は事態を鎮静化することが第一だろう」
ぐっと言葉に詰まった木安は、手にしている金属バットの柄を睨みつけている。テープを巻かれたグリップ部分より上が折れてなくなっているので、どうやら勝負は美緒の勝利だったらしい。レベル九十九に勝つなよ、ゲームバランス崩壊するだろ。
かく言う美緒のバールもちょっと歪に曲がっているので、けっこうな死闘だったことが想像できる。しないけどね。
「で、これは一体どうしたことだね? 何やら急激に事態が変化したように思えたが?」
「ああ、それなんだけどな。原因はたぶんあれだ」
まだふらつく頭を抱えながら俺が指差したのは、どんよりと淀んだ霧の向こう。窓も開いていないのに吹きすさぶ風に揺れているのは、マントでも翼でもない。白衣だ。
「うちの顧問がぶちぎれて、そしたらいきなりこうなった」
「要領を得んな」
俺もそう思う。でも、そうとしか言いようがないんだから仕方がない。そう思って、だれか説明できそうな奴を探していると、手ごろなやつの質量を頭上に感じた。
「んとな、あいつの怒りが杏子の魔力に共振したんだと思う。でも、怒りの量が大きすぎて、暴発させるきっかけになったんだよ。それで、曖昧ながら保たれてた境界線が一気に弾けた、んだと思う。多分」
何つーはた迷惑な顧問だ。たかだかプリン一個のために世界を崩壊させやがった。
「で、委員長はどうなったんだよ?」
「杏子ならほら、あそこにいるよ」
二足歩行で立ち上がり、手(というか前足か?)で指したのは、怒りの権化と化して白衣をたなびかせる浜よりもさらに向こう。霧が深すぎて目をこらさないとよく見えないが、そこに確かに、吹水はいた。
しかも、魔力生物や周囲に充満する霧のようなもの、果ては風までもがそこを中心として噴き出しているようだ。
「どーなってんだよ? 吹水のやつ、なんかやばそうな顔してないか?」
睨みつけるようにしている木安につられて俺も目を細める。確かに、呆けているというか、意識が朦朧としているというか、何らかの意志がそこにあるようには見えない。
「たぶん、杏子も自分の魔力の暴走に意識がついていってないんだろう。このままだと、無限に魔力を垂れ流し続ける上に、杏子自身も危ないぞ」
「やべぇだろ、それ」
「まあ、確実に人人界と魔界はくっつくだろうなっと! あぶな」
モモの言葉よりも先に動いたのは、美緒だ。
会話に意識を取られている俺達をよそに、怒り狂った浜は手近な机をひっ捕まえてぶん投げてきやがった。
耳が痛くなるほどの金属音は、周囲の歪みのせいかぐにゃぐにゃした気持ち悪い反響とともに背筋を駆け抜ける。
「浜茜、自ら魔王の地位にでもつくつもりかい?」
バールで机を迎撃する美緒の背中が、今はどこまでも頼もしい
「どうなってんだ浜のやつ。見境なしかよ?」
頭上のうさぎをひっ捕まえて目の前にぶら下げると、日頃のぽてっとした印象が嘘のように、縦長に伸びる。
「たぶん、あれも暴走した魔力の影響だろうな。さっき怒りの感情が原因っつったけど、噴き出した魔力が行き場を失って、そっちに乗っかっちゃってんだよ」
「すまん、もうちょいわかりやすく」
「魔力が過剰に供給されたですから、限られた需要のところで一気に噴き出して、は、か……保険医先生が魔力の受容体のようになっているですね。溢れる力に理性が飛んでしまったですね」
「ざっつらいと」
「おぉ! だてに勇者じゃねぇな、副会長。めちゃくちゃわかった」
ただし、浜が理性なるものを最初から搭載していたかどうかは、甚だ疑問だけどな。
「へへへー、です。褒めてつかわせです」
「てめー、あーちゃん褒めたからって調子乗ってんじゃねぇぞ。変なこと考えたら俺がゆるさねぇからな、天王寺美緒の下僕野郎」
その肩書だけは後ほど断固として固辞したうえで熨斗を付けて返却するとして、今は目の前の魔王と……大魔人? を何とかしないとな。
「じゃぁ、魔王を倒してしまうですね。それが最短ですね」
きりっと眉毛を持ち上げて、ゴスロリ制服が揺れる。自衛隊のポスターに使われそうな、腰に手を当てた凛々しいポーズなのに、締まらないのは間違いなく衣装のせいだ。
それでも勇者の名前はだてではないらしく、浜に立ち向かう光景は妙に絵になる。
「っしゃ! そうとなれば話ははえぇな。おいバカ! 聞こえんだろ! 今から魔王の野郎をぶっつぶすから手伝え!」
「えぇ~、ちょ、俺もそっちの話聞かせてよー。ってかこれ、どーなってんのー?」
そう言えば会長、さっき机の山の向こう側に逃げてたな。出てこないと思ったら、こっちに来られないだけか。ずっとそっちにいてほしい。どうもあいつは好きになれん。
「やかましい! そっちにいんだったら、後ろから奇襲でもなんでも」
「待ちたまえ! うちの委員長君に手出しはさせないよ」
机といすの迎撃に専念し、鉄壁の防御を担っていた美緒が振り返りもせずに怒りをあらわにする。背中しか見せていないのに、そこに立ち上るオーラのようなものの存在感が半端ではない。え? こいつは魔王じゃないよな?
「やっかましい! この期に及んでまだそんなこと言ってんのか!」
そういう木安の言葉を裏付けるように、目に見えていた景色が全く違うものに変化し始めた。それまでは何とか廊下や教室と入った校舎の体裁を保っていたのに、とうとうそれすらもない、謎空間の様相を呈し始めている。スリッパの底にはもう、床の感触すらない。浮いているようなのに、何かに足元をからめとられているような不快さ、とでもいうんだろうか。とにかく肌触りが最悪だ。
学校の廊下とは比べ物にならない広さに引き伸ばされた空間の中、吹水の存在がどんどん遠ざかっているのを感じた。距離が遠ざかるというよりは、もっと違う、手の届かないどこかに行こうとしている、とでも言うんだろうか。
「モモ! 何とか、ならねぇのかよ? 魔界にお帰り願う方法は」
「ここまで来るとねぇなあ。杏子がいなくてももう十分すぎるぐらいの魔力は噴き出しちまったし、あの浜ってのも魔力の拡散しちまってるし。それこそ魔力を全部根こそぎ消しでもしない限り。それか、ほんとに杏子を消してしまうか、だな。望み薄だけど」
淡々とした口ぶりに、改めてこいつが魔神なのだと実感させられる。だからこそ、こいつの言葉が信用できるのが悲しいけどな。この期に及んで俺達に悪意を向けたり、騙す必要なんかないんだもんな。全ては杏子の望んだ結果。願いをかなえた結果でしかない、ってことか。ってか、話をややこしくするなよな、顧問。
もう片方の手に感じる、温かな感触に、すがるような眼を向ける。
「ん~、見つからないのですよぅ。ごめんなのですぅ」
ポシェットから取り出した手帳を何度も何度も往復してはいるが、そのたびにカナメの顔が泣きそうに歪んでいる。悪いことしたな。
「俺が、こないだ使った奇跡の力ってのを全力運転させても、魔界を何とかすることはできないのか?」
一縷の望みにかけてみる。自分が消滅するかもしれない力ってわけだし、リスキーだがそんなこと言ってる場合でもなさそうだ。
奇跡ってんなら何でもありだろう、とは安直な発想だが、俺にはこれが精いっぱいだ。
「厳しいよぅ。世界全部を作り替えちゃうわけだからぁ、必要な神気の量だけでも神界が空っぽになっちゃうよぅ」
俺一人の命どころか、神様の世界一つ空っぽとは恐れ入った。どうやら俺の認識はずいぶんと甘かったらしい。
「そう、か……マジで手詰まりなんかな」
「うぅ、やくたたずだよぅ」
そんなことはない。こうしてちゃんと探してくれただけでも十分だと思う。だから、ゆっくりとカナメの頭をなでてやる。ふわふわとした柔らかい髪の感触が、掌を温める。
「やっぱないのか。何もかもを都合よく解決するご都合主義的な方法は……」
どの方法を考えても、どこかで何かが欠けて落ちる。
まるでチェスや将棋で、切り捨てる駒を選ばせられているように。
「こーなったらだめもとで! あーちゃん、やんぞ!」
「はいです、会計さん、会長さん、行くですよ」
「おう!」「うん」
優柔不断を絵にかいたような俺の葛藤をよそに、生徒会ズの行動は早い。そりゃそうだろう、解決策は既に奴らの中では確立しているのだから。
でも、だけど、その方法は、
「行かせはしない!」
気合い一発、飛び出す二人の前に両手を広げて美緒が立ちはだかる。のみならず、大上段に構えたバールを勢いよく振り下ろす。進路を断ち切るような鋭い一撃に、流石の二人もたたらを踏んで足を止めるしかない。
「彼女はうちの部員でね、世界なんかのために売るわけにはいかないのだよ。それに、これは我が超科学部の貴重な活動なのだよ」
「てめぇ、この期に及んでまだそんなこと」
心情的には俺だってそうだ。前半の方だけだけどな。後半は、まぁ、どうせ拒否したって巻き込まれるんだからあえてコメントはしない。
「どの期に及ぼうとも、我々の信念が揺らぐことはない。君らは黙って指をくわえていたまえ。我が部には神もいるのだからね」
でも、さすがにその理屈は通らないだろう。いくら天王寺美緒とは言え、片方に世界の存亡の乗っかった天秤を、反対側に傾けられるとは思えない。
「おい美緒、さっきのカナメと俺の会話は聞いてなかったのかよ? いくらなんでも気持ちだけじゃどうにもならんことってのは」
「で、君はどうするのだね、シュータロー?」
「は?」
再び背後からの襲撃を迎撃するために、振り返ってバールをフルスイングする美緒の背中に、俺の視線は吸い寄せられる。今こいつ、なんて言った?
「君はどうするのか、と聞いたのだよ」
「どうって。どうもへったくれも、どうにもできないってさっき話したばっかだろ?」
しょんぼりと俺の服の裾を掴むカナメにはちょっと申し訳ないが、そういうことだ。モモの方は当然といえば当然だが、この事態にさして焦っている様子もない。こいつにしてみれば、地元に帰るようなもんだろうからな。
「それは、君の答えではなかろう? 君はそれで満足なのかね?」
「満足も何も、こうなる前に何とかしなきゃいけないってのはわかってたんだから、間に合わなかったってのは、そういうことだろ? 悔しいけど、さっきも言ったけど、気持ちだけじゃどうにもならんことっつーのはあるんだよ」
「その割には、何やら不満そうな顔をしているが?」
当たり前だろ。何言ってんだこいつ?
「そりゃ、うまく行かなかったんだから不満だろ、普通。誰だって世界と一緒に消滅なんかしたくねぇし、委員長だってこんなことは望んでなかっただろうし」
「なら、何とかしたまえよ」
「聞いてなかったのかよ? 世界をとるか委員長をとるか、二つに一つ。それも、二分の一を選んだからって必ず手に入るとは限らんって、聞いたばっかだろ」
自分に言い聞かせるように、敢えて言葉にする。自分に納得させなければいけないから。自分はそう思っているんだと、それが俺の回答だ、と。なのに、
「どちらも取りたまえよ」
「だからわっかんねぇやつだな! もうどうしようも」
目があった。あっちまった。
からかってるんだろうとか、いつもの調子でけしかけているんだろうとか思っていた。
でも、違うらしい。こいつ、だって、マジなんだもんな。
マジで俺の言ってることがわからねぇ、って目で、きょとんとしてやがんの。
だから俺はいつも通り、聞くしかないんだよな。
「マジ、で?」
「マジだ」
もう駄目だって言ったじゃん。魔界から来たやつも言ったし、神様もそんなこと言ったし、見るからにだめっぽい状況だろ。子供の時に見た特撮もので、悪い怪人が出てくるナントカ時空みたいになってんじゃん。今はもう見えないけど、中庭なんか運動部の体力馬鹿どもがぐったりしてたし俺も気分悪くなってたし、勇者様一行だってもう手も足も出なくて駄目もとって言ってたじゃん。レベル九十九の木安でもだぞ。ここまで世界終了の札がロイヤルストレートフラッシュしてるんだから、バッドエンドってのが道理だろ、実際。エンディング画面は血が垂れるようなエフェクトでデロデロデーって。
もう、吹水が帰ってこないルートを選んじまったんだよ。
なのに、
「無理でもなんでも通して、道理なんてものを屈服させてやろうとは思わんのかね?」
なんて言われたら、俺なんかでも頑張るしか、ないだろ。
そこに地面はない。空もない。音も、時の流れも、何もかもがなくなったような静寂の真ん中で、俺は小さく息を吸って考える。止めていた息がため息に生まれ変わる程度の、ほんの短いくせに長い長い思考の果てに、ようやく俺は口を開く。
漏れたのは、ため息じゃなかった。
「これがお前の言ってた青春、かよ?」
うなだれた首が異様に重くて持ちあがらない。見えるのはまだ二カ月に満たない短い付き合いの、スリッパのつま先。床というか、足元はぐにゃぐにゃと眩暈のように歪んで、本当にそこに自分の足がついているのかが疑わしい。
「この上なく青春だよ。燃えないかい? 滅びゆく世界、立ち向かう術を失った仲間」
「ちょ、誰がお前らの仲間だよ! お前ら魔王の手下だろ! っざけんな、俺はあーちゃんだけの味方なんだよ!」
「神ですらなす術はなく、迫りくる最凶最悪恐怖の魔人」
浜のことだな。これは納得。
「失われゆく、愛する人の命」
「おい! だ、だれが、委員長を、愛する、あ、あい」
重かった頭が、恥ずかしさの勢いを借りて跳ね上がる。こきっ、といういやな音がして視界が垂直移動するが、見えたのは美緒のしてやったりな顔だけだった。悔しい。
悔しいが、
「これほどに燃える、青春要素たっぷりのシチュエーション、そうそう当たるものではない、とは思わないかね。シュータロー」
悔しいほど、いい笑顔をしてやがる。そんなもん見たら、こっちも笑うしかねぇだろ。
「それを、青春って言っていいのか?」
ふっと、肩の力が抜けたような気がした。
「当然だよ。無茶と無謀を左右のポケットに入れ、無鉄砲で足を進める。それを青春と言わずして何とするね?」
「マジかよ」
「それが桜の花も頬を染めるような、淡く恥ずかしく不毛な恋のためだとし」
「うぉい! 今なんかひでぇ一言交じってたぞ!」
「ということは、恋をしているのは認めるですね」
思わぬところからの不意打ち。それまで険しい表情で白衣の魔人を睨みつけていた副会長の表情が、楽しそうに緩んでいる。
「んだよー、つっまんねぇの。俺はてっきり、お前は天王寺とできてるもんだと思ってたのによ、んだよそれー普通すぎんだろ」
何という恐ろしいことを。想像するだけでも命が凍りつく。いや、もう半分ほどはその言葉だけで部分冷凍だ。青春という部分が。
「でも、無理だっつってんぞ、この魔界の住人が」
「あぁ、無理だ。普通はもう、ありゃ無理だ」
あっさりとうさぎに言い切られる。人間様の世界の何と脆弱なことよ、なんて打ちひしがれごっこをしている場合ではない。
「聞いたかねシュータロー。つまりは大丈夫なんだよ。我々の勝利だ」
「お前の頭はほんっとにすげぇな。ねじが何本かとんでるってレベルじゃねぇぞ。一本もねじ極まってねぇだろ」
うんうんと、力強く会計がうなずいている。いや、お前もだからな。
「無理だと言われようと、君はにまだ青春の無茶と無謀と無鉄砲があるではないか。そいつらで、その『普通』などという道理をねじ伏せてしまえばいい」
「おい、だから」
俺の反論なんてはなっから存在しないように、美緒はほくそ笑む。ムカつくほどいい笑顔だ。
「我ら超科学部が、『普通』などに甘んじるはずがないのだからね。勝ったようなものだ」
もう、言葉もねぇよ。
言葉もねぇから、俺は口を動かさずに手を動かすだけだ。なんだっけ? ポケットに無茶と無謀を入れて、足が無鉄砲だっけ? 意味わからんけど、じゃぁ今前むいて動いてるこの足は、ムテッポーなわけだな。足が銃刀法違反だな。
「正確には銃砲刀剣類所持等取締法違反です」
「とことん心を読む奴ばっかかよ、俺の周り」
「あーちゃんに心読まれたからって調子乗んなよな」
意味がわからん。わからんけど、
「なんか、青春って感じがするから悔しい。ってか、ムカつく」
「その割に笑っているよ、シュータロー」
ああ、ああ、そうだろうさ。笑わなきゃやってられないからな、こんな無茶苦茶な理屈で鉄砲玉に使われるなんて。あ、それで無鉄砲ね。ってうまくねぇよ。貧乏神だってこんな貧乏くじを引きやしない。何でこんな貧乏くじ引いてんだよ、神様の下僕。
「貧乏くじだよぅ」
「お互いにな」
俺が行くってことはつまりそういうことだ。こいつも難儀なのを下僕に選んだもんだ。「でも、行くっきゃないみたいだぞ。神様」
「うぅ……世界を救う、願いをかなえる、両方やらなくっちゃあならないのが、神様の辛いどころだよぅ」
またどっかで聞いた言い回しだな。ほんと、誰が教えてるんだ。
と、不思議なほどに軽く動く足を進めていると、背後から声がかかった。二つ。
「あなたが失敗した場合、生徒会が全力で魔王を止めるです」
だろうな。わかってるよ。
「シュータロー」
何だこのくそ忙しい時に。お前からの叱咤激励(おもに叱咤)は十分だ。
「神頼み、だよ」
くそ、こいつは何でこうも劇場的な展開が旨いかね。狙ってやってるとしたらまさにこいつこそが悪魔の中の悪魔だが、そうでないなら……やめよう。野暮ったくなる。
「神だのまれしたよ。あとで賽銭よこせ」
「シュウぅ、語彙力が貧困だよぅ」
はいはいすんませんね。でもあいつらとトントンでやり合おうなんて、土台無理な話なんだよ。だから俺に出来るのは、やっぱ鉄砲玉だけなんだよな。
「無茶と、無謀と」
ダークサイドに落ちた浜は、俺みたいな小物にも容赦するつもりはないらしい。充血した目で一睨みすると、かけらも躊躇のない動きで手近な机をぶん投げる。
机の量が無限増殖してる気がするんだが、これも魔力なのか?
霧の海を引き裂くように、高速で飛来する机。でも、避けない。だって俺は、
「むてっぽぉぉぉぉ!」
がぃんっ!
「シュータロー。これは私を信じてくれた、ということでよいのかね?」
「お前が手ぐすね引いて待ってる性格じゃねぇって知ってるだけだよ」
迎撃される机。バールの威力が上がっているのか、机は天板を真っ二つに割られて墜落し、無残な姿をさらす。なんか、斬鉄剣な気分だ。
「言ってくれるね」
「その暴走教師の相手、頼むぞ」
走ろうにも膝が笑っている。さすがに、高速接近する机を目にして動揺しないような肝っ玉の持ち合わせはなかったようだ。改めて美緒のすごさを実感させられる。
大きく息を吸い込んで、俺に残された最後の手段のための準備をする。カウントダウンは三から。二、一、せぇの
「無茶と、無謀と、むてっぽぉぉぉぉぉ!」
腹の底に残っていた、なけなしのやけくそをかき集めて火をつける。出てきたのはなんともアホな言葉だったが、それが逆に良かった。
「おわっ、シュウぅ、いきなりすぎるよぅ!」
カナメの手を握って、俺は走りだした。
足をがむしゃらに動かして、ビビっているのがばれないように奥歯をくいしばって、それでもバレバレの弱気を叫び声でごまかして。
「おぉおぉぉぉぉおおおおおおあぁぁぁぁぁああおぉお」
チラッとだけ浜と目があったが、あんな怖いもんずっと見てなんかいられるか。充血してつり上がった三白眼なんて、見るだけで死ねる。だから見ない。怖いんだよ、根性無しで臆病なんだよ、文句あるか!
走る、走る、とにかく走る。
後ろの方では相変わらず物騒な金属音やら美緒の嬌声やら副会長の歓声(何で歓声なんだ)に会計の罵倒が聞こえているが、それもあっという間に遠くなる。
「ふぅきぃみぃずぅぅぅぅぅ!」
声が途切れると勇気も途切れると言わんばかりに絶叫して、恥とIQの低さを振りまきながらの疾走は、実を言うとちょっとだけ気持ちがよかった。危ない趣味でも覚醒したんじゃないのかというほどに絶叫しながら、とにかく俺は走ったわけだ。
何かから逃げるためじゃない。
何かを捕まえるために。
失わないために、俺は走った。




