進展? 魔王軍
「これで、十匹目、と」
体育倉庫の裏手。ほぼ朽ち果てたサッカーゴールのネットに絡まるようにして身動きが取れなくなっているそいつをつまみあげる。そいつが「何なのか」と尋ねられると、俺は即答で「何だろうね」と答える。だってわかんねぇんだもん、こんな生き物。ってか、これ本当に生き物なのか?
「これなにぃ?」
「なんだろうな」
はい、宣言通りの会話、ってわけだ。
にしても、カナメの疑問ももっともだ。なんせ、二足歩行するネズミに蝙蝠の羽が生えている、としか言いようがないんだからな。
「んじゃ、よろしくな」
「あ、うん」
その「何か」を吹水に放ってよこすと、そいつはさしたる抵抗も見せずに吹水の掌の上に着地し、そのまますぅっと姿を消してしまう。あとに残るのは、指の隙間からこぼれるようにして落ちる淡いピンクの光、魔力だけだ。
俺の指先にはじわじわとしびれるような感触が残されているが、俺の体を構成する神気と、吹水の作りだした魔力がぶつかっているからだ。魔力と神気というのは相反するエネルギーらしく、お互いをぶつけると対消滅してしまうとのことだ。その辺はなんとなく、納得できる気がする。RPGの光と闇の属性みたいなもんだな。
「何回見ても不思議だよな。ちゃんとつまめるのにな」
言って指先をこすり合わせるように動かしてみると、まだそこには生き物の体独特の温度や体毛の感触がふんわりと残っている。
「あんまりおっきぃのとぶつかると、シュウの存在自体が消えちゃうんだよぅ」
さらりと恐ろしいことを言わないでください。
「使い魔、なんだって。ぼ、僕の、魔力に引かれて、魔力そのものが形に、なるって」
だから、吹水の指先一つでそいつは魔力へと還元されてしまう、ということらしい。
しかも、そいつらのイメージが妙にほわほわとかわいらしくなるのは、吹水の中にある生物のイメージが影響しているらしいというのだから、手に負えない。先ほどのやつも、ネズミというよりハムスターに近い感じだ。魔族をあんなにかわいく作られてもな。
もとが魔力なので、魔力の見える者にしか見えないのが救いだった。こんなもんが誰かれ構わず見えたら、大騒ぎ間違いなしだろう。
「こんな小物追っかけてる場合じゃない気もするけど」
「でも、美緒が来るまで待ってろ、って」
美緒は今この場所にはいない。なんて平和なんだ。これほどの平和がいまだかつてあっただろうか。まぁ、あったっちゃあったが、最近の記憶の中にはない。
ただ、いないからといって心が平穏を保っているかといわれるとそれもまたそういうわけではない。何せ今、美緒のやつは戦闘まっただ中だろうからな。
敵の名を、生徒会会計という。
実に事務的な話だが、美緒が科学部ではなく「超科学部」なる組織を立ち上げた際に、生徒会としては新組織の発足という体裁になったのだという。それはつまり、科学部としての実績を引き継いだ組織ではなく、全くまっさらな組織だということだ。
まあ素晴らしい。真っ白なキャンバスに七色の絵の具で夢という名の俺達だけの物語を描こう、なんて夢いっぱい希望いっぱいの甘酸っぱい話ではない。
予算。
この二文字が大きくのしかっかってくるわけである。腐っても科学部は長年の歴史を持つそれなりの部活動であり、それなりの予算は確保されていた。しかし、超科学部は何の実績もないうえにポッと出の一年生だけの部活動だ。となれば、予算の審査は相当に厳しくなると考えるのが妥当だ。そのために、さすがの美緒も予算会議への出席を余儀なくされている、というわけだ。
「あいつ、すげぇよな。金属バット持って乗り込んで来たもんな」
三十分ほど前の話である。突然部室の扉が開いたかと思うと、そこに現れたのはえらく小柄な女子生徒。それこそカナメと比べても遜色のないコンパクトボディは、やはり制服のサイズがないのか、だぼだぼのカーディガンを着ていたのが印象的だ。
そのちびっこがいきなり、金属バットを振りかざしながらぼそりと呟いた。
「天王寺美緒、部費横領とはいい度胸だ」
「私の部に宣戦布告とはいい度胸だね。木安春」
そして幕を開ける、第一回物騒な棒きれ王者決定トーナメント決勝戦。金属バットvsバールの火ぶたが切って落とされたわけだが、教室に響き渡る、金属同士がぶつかる衝撃音というのは思い出しても悪寒が走る。
「すごかった、ねぇ」
「あぁ」
すごいなんてもんじゃない。怒号の合間に響く金属音。それを食らいつくすように口を開いて言いたいことを言い合う両者。纏めればたったの二行「科学部時代の部費を返納しろ。新たな部として部費を申請しろ」で終わる話なのに、何故か延々五分以上も互いの武器を叩きつけ合った。たぶん、底知れない私怨があるんだろうが、首を突っ込むような馬鹿はやらない。俺だって成長するんだ。
というわけで、魔女探しは一時中断。俺達は校内をぶらつきながら細かい魔力生命をつまみ上げては魔力に返すという、地道な作業に没頭しているわけだ。モモ曰く、たぶん大丈夫だけど念のため、だそうだ。魔王の魔力ってのはそれほど影響力があるとかなんとか。いよいよ魔界じみてきたぞ。
「ぶちょうは、大変、だね」
今なお絶賛魔力生産中の吹水が、眼鏡にピンク色の光を灯して話している。その間にもまた一匹。今度はまんまハムスターだけどちょっと尻尾が長いかな、という生き物が吹水につまみ上げられて光になる。十一匹。
「もうちょっと僕が、魔力を制御できれば、あんまり生まれないらしいんだ。ごめんね」
申し訳なさそうに言う。
「ま、しゃーねぇって。魔王になってまだ何日もたってねぇんだし、慣れればいいさ」
「う、うん。あり、がと」
魔王になって、か。しかし、お願いすれば魔王に慣れてしまう世界だったなんてちょっと驚きだ。ナイアガラではないが、この世にチートがあるなんて複雑な気分だ。
とはいうが、こっちはこっちで一向に人間に戻る手段を探せそうにもないし、かといって神の使いとして何かができるかといえば、ただ死なないだけという消極的な能力だ。
「でも、たとえばなんだけどよ、魔物の類って委員長がやってるみたいに魔力に還すんじゃなくって、戦ってやっつけても魔力に戻るのか?」
「あ、え? どう、なんだろう?」
「たぶん、消滅すると思うぅ」
意外なところからの回答だが、まぁカナメが知っててもおかしくはないか。
試してみるように、俺は手近にふわふわと綿毛のように浮かぶ魔力の粒を手にとって指先で強めにつまんでみると、はじけて消えた。キラキラと光る粒子がゆっくりと薄れて消えていく様に、なんとなく見とれてしまう。
「そういうこと、だよぅ」
「ふーん……体が魔力でできてるから、やっつけると消滅、か……そういや、俺の体もそうだってナイアガラが言ってたな。神気、だっけ? が空っぽになると消えるんだろ」
「うん。でもシュウは大丈夫だよぅ。あたしがちゃんと補充するよぅ」
「そりゃどーも。こりゃますます人間離れだな」
「も、もし、僕の力でもいいなら、ぼ、僕が補充」
「ん?」
「なな、な、なんでも、ない」
なんだろな? 神様と魔王から心配される不死身の肉体ってのは。
「ちょっとトイレ。先帰って……はもらえないな。カナメ、ちょっと待っててくれ」
コクンと首を振るカナメ。ふにふにと魔力の粒を指先で弄ぶのがら楽しいらしい。
「にしても、トイレ一つ行くにもカナメとの距離考えるって、やっぱ不便だよな」
もう慣れてはきたが、ふとした瞬間に感じる不便さが自分の立場を再確認させる。
カナメと吹水を残した俺は手近な扉から校舎に入って、最寄りのトイレを探索。昼下がりの廊下の冷気に強まった尿意を全力で抑え込む。なかなかのイマージェンシーだ。
「それじゃもうちょっとウロウロして、我らが部長様の帰りを部室で待つか……ん?」
というわけにもいかなさそうだな。さて、どうするかな。
面倒な選択はしたくないんだけど……はてさて、どうしたものかね。
とはいっても、目の前に現れた『尿意とは別のイマージェンシー』は、どうやら俺の人生をからめ捕る気満々のご様子だ。
考えながら歩くっていうのはどうにも性に合わない。だから考えずに歩く。そうすれば目の前の事態を解決する神の啓示が空から降ってくるとでも思っているように。
なさそうだな。神様すぐそこにいるもんな。
「はぁ……まぁ、第一発見者が俺なのが、せめてもの救い、か」
とりあえず、トイレだけ済ませよう。ちょっとぐらい現実逃避してもいいだろ。




