覚醒? 魔界の王
「今、なんつった?」
「よく聞こえなかったが、重大発表だったように思うよ」
というわけでリクエスト。ワンモアタイムだ。
「あ、あのね。昨日からね、魔法、使えるように、なった」
「へぇ」
うん。今日の卵焼きはいつになく美味だ。あの鬼のようなおかんも伊達や酔狂で喫茶店経営をしているわけではない。若いころは手当たりしだい料理で道場破りをやったとかいってたが、あの女ならあり得る話だ。
「シュウぅー、卵焼き落としたぁ」
「あのな、何でもかんでも落としたもんを俺に食わせるな。大丈夫だ、三秒ルールだ」
「はい」
はいはい、結局食うのは俺ですよ。
「何故そんな大事なことを昼休みまで黙っていたのかね! 授業なんかに出ている場合ではない。シュータロー、我々は午後から休講だ!」
んな訳あるか、大学じゃあるまいし。高校生の自主休講なんて、それこそ俺の場合は命の危機に直結だからパスだ。否定の意味合いを込めて無言の視線をくれてやる。
「み、美緒、声おっきいよ」
「カナメ君、来たまえ。部室でラムネを飲もう」
「うん」
「おらぁ! なにこずるいことやってんだてめぇ!」
しかもラムネごときに釣られてのこのこついて行かないでくれよな、神様。何故だかこいつは人間の世界の駄菓子やらジャンクフードやらが好きらしい。先日など、一銭焼きを与えたらとび跳ねて喜んだんだから、安上がりだよな。
「何を言っているんだね。私はカナメ君を誘っただけだよ。それとも君は、彼女とひと時も離れたくないような劣情を胸に秘めているのかね?」
「ひゅーひゅー、お熱いさー。唐揚げもーらい」
「てめぇ、何どさくさでラス一食ってんだ! だいたいなぁ……うっ」
何だこの背筋に直接ブリザードを吹き付けられたような寒気は。体よりも、むしろ魂の方が凍りつくような冷たさは初めての体験だったが、直後にその正体が判明する。
殺意。
窓ガラスの向こう、廊下を挟んだはるか彼方からこちらに向けられているのは、間違いなくナイアガラの視線。視力ではなく、体が神気になったせいでやたらと気配の類に敏感になった俺が感じるようになった、ありがたくないものの一つだ。
「こ、この話題は封印しよう。精神衛生上よろしくない」
「何さ? シューがカナメちゃんにぞっこんってのはもう」
「だから! うあぁ、内臓を抉るこの不快な感触はあぁぁぁ」
「せ、千古君は、そうなの? カナメちゃんみたいな子が、こ、好み?」
『うぉ! 何だこの殺意のオーラ。自分に向けられてるんじゃないのに、こっちまで鳥肌立ってるぞ』
うさぎのくせに鳥肌たつのかよ。
「ともかくだ! くすぶっている時間が一秒でも惜しい! 急がないか!」
とんでもない量の弁当を恐るべき勢いでかっ込む姿は、テレビで見る大食いチャンピオンそのものだ。あの細い体のどこにそんだけの飯が入るのか、納得いかない。四次元胃袋を搭載しているとしか考えられない。広辞苑サイズの弁当箱って、おかしいだろ。
「さあ、早く部室で」
「あ、ちょっと美緒。僕まだご飯が途中で」
「そんなものは部室で食いたまえ。魔法が先だよ、魔王君!」
かわいそうに。左手でギリギリランチパックを一つ捕まえられたようだが、残された蒸しパンとパックの牛乳が不憫だ。あとで届けてやろう。っていうか、結局部室行かなきゃなんだよな、はぁ。
「なんていうか、お前ら、毎日が全力さね」
俺の唐揚げを咀嚼する根隅のほっぺたを無意味にぐにぐにと押してやるが、男同士でほっぺたを触るという異常なまでのむなしい行為にすぐに心が折れた。
「ギリギリ、とも言うけどな」
残りの弁当をかっ込みながら、ようやく訪れた束の間の平穏を噛みしめる。美緒がいないだけで教室は春風のような穏やかな空気に包まれ、光の粒子さえふわふわと宙を舞っているようだ。というか、ん? なんかきらきらしたものが本当に舞ってないか?
「どうしたさ?」
「どうしたって、お前。これ、見えないのか?」
「これって、何がさ?」
「何が、って……え? めちゃキラキラして……え?」
きょとんとしている根隅。マジで見えないのか? 蛍みたいな光の粒が、こんなにも教室に充満してるっていうのに。何なら理科の教科書に出てくる天の川みたいになってる場所まであるっていうのに。
「何言ってるさ? とうとうシュウまで脳内お花畑になったさ?」
確認のためにカナメを見ると、カナメはしっかりと光の粒子を目で追っている。が、どうやら見えているのは俺達二人だけのようで、クラスの他のやつらはまるで見えていないらしい。それこそ会話をしている二人の間を光が横切ってもピクリとも反応しない。
しかも、よく見るとその光は人の体をすり抜けるようにして飛んでいる。
ためしに指先でつまんでみると、ほわっとした綿毛のような感触とともにはじけて消滅してしまう。どうやら魔法的神的魔王的な物質だろうことが、想像された
「カナメ、聞いていいか。これ、何だかわかるか?」
面白生物を見るような眼で俺を見ている根隅はさておいて、俺はカナメに尋ねてみる。
「ん。神気みたいなものかなぁ? でも、ちょっと違う気もするぅ。ねぇ、知ってるぅ?」
『あ~? あぁ。こりゃ魔力だよ、魔力。うちらの力の源だけど、すげぇなこの量。こんだけあればどんな魔法でも使いたい放題だな』
鞄からひょっこり顔を出したウサギは、クンクンと鼻を鳴らしているばかりか、時折口を開いてパクリと宙に舞う光の粒子を食べては舌なめずりをしている。
『食うのかよ』
『お前らだって餌食って体力補給するだろ? こうやって直接食っても補給できるんだよ。にしても、こんなにも具現化した魔力がそこらじゅうに飛んでるなんて初めて見た』
『人間の世界では、ってことか?』
それにしてはあまりにもうさぎが物珍しそうだと思っていると案の定、
『うちらの世界でもこんな状態そうそうないよ。それこそ天の恵み状態だ』
魔界だか地獄だか知らんが、天の恵みっていう表現が適切だとは思えないが、まぁそうなんだろう。どうにも最近、悪魔が身近で困る。
『たぶん、杏子だろうな』
「委員長が?」
「のわ、どうしたさいきなり? お花畑のみならず脳内彼女と会話まで始めたさ?」
やべ、うっかり声に出しちまった。
「あー、いや、おう! カナメ、食い終わったか? そしたらこのパンと、おわぁなんてこったカバンまで忘れてるじゃないかー、ひどいなぁ美緒のやつもー」
ごく自然にリカバリー。忘れ物を哀れな吹水に届けてやる体裁を整えて、しかも鞄にいるうさぎまで回収するファインプレー。俺、グッジョブ。
めっちゃ憐れみの目で根隅に見られるなんて屈辱以外の何でもない。しかし、ここで話しているといつまた口に出しちまうかもわからん。めんどくせぇな、テレパシー。
「しゅうぅ、演技下手ぁ」
「うっせぇ、とにかく脱出すりゃなんだっていいんだよ」
『え? アレ演技だったのか? てっきり気が狂ったふりかとぉキャァァァァ』
全力で鞄をぶん回す。縦横斜めにふっとんで無重力体験でもしやがれ、うさ公。あぁあぁ、どうせ俺は演技下手ですよ。中学の文化祭で全てのセリフをカットされた男だよ。
『ふぁ、ふぁう、ふぁう、星が、ほしがまわるぅるるるぅ』
よし。悪魔撃退。じゃなかった。
「んで、さっきの話だけどよ、委員長とふわふわぴかぴかの魔力とどう関係があんだ?」
勢いで教室を飛び出し、あてもなく廊下を歩きながら鞄のなかのうさぎに尋ねる。
『ふぅえぇぇ~。な、かんけいって、そりゃだって杏子はまおーなんだからまりょくぐらいふりまくにきまって、ふえぇぇぇ、まわるぅ』
「あ、それでなんだぁ。杏子のにおいだぁ、これ」
匂いなんかすんのか? くんかくんか……あ、いや、通りすがりの女子が俺をものすっごい変なもん見る目で見て、いや、違う、俺はそういう趣味ではなくああああ……
「シュウぅ、どうかしたのぉ?」
「いや、忘れてくれ。今俺は大事な何かをたくさん失った」
「ふぬ?」
だろうな。お前にゃわからんよ。お子様で、なおかつ神様なんて言う純粋な心の持ち主には、穢れ始めた思春期男子のリビドーなんて。
にしても何が悲しいって、あてもなく歩いてるはずなのに、俺の脚は吸い寄せられるように部室に向かうんだな。まぁ、吹水の荷物を持って行ってやるんだから当たり前なんだが、それにしてもあまりにも自然に足が向いたのは悲しかった。天王寺美緒政権の恐怖政治の影響なのは間違いない。
「ふわぁ」「おぉっ!」
扉を開けた瞬間に、目の前を何かが横切った。あわや直撃コースのそれを霞めるような紙一重で交わしたが、鼻っ面を捕らえたほのかな熱に顔をしかめる。何か、トカゲみたいな鳥みたいな生き物にも見えたが、はっきりとは分からない。。
「で、お前らは何をやっとるんだ?」
第一声がため息とともにこぼれる。いや、ため息だけにならなかったのは、褒めるべきところだぞ、これ。
「何って、決まっているではないか。魔法が使えるというのだからやるべきは一つ、魔物の生成だよ」
「ナイアガラの希望としてはドラゴンが見とうございます。架空の生物もえー、でございます」
まず、部室を開けるととんでもない量のピンク粒子が狭い室内にぎゅうぎゅう詰めになっていた。扉を開けたとたんに勢いよく噴き出すような魔力を部屋に溜めるな。
しかも、魔物を作るだと?
「あ、え、千古君は違うのが、いい? 私、どんなのがいいのか、わからなくって」
部屋の真ん中では、その魔力を粘土のようにこねながら何かを作っている魔王の姿。興味津津にそれを覗き込んでは、邪悪なアドバイスをする悪魔のごとき存在二人にはもう何を言うべくもないが、手にした資料だけは奪い去っておいた。
「あぁ、それがないと具体的なドラゴンのイメージが伝えられないではないか」
「伝えんでいーわ! お前らは何だ? 世界を混沌の海に沈めたいのか?」
ゲームの攻略本の、モンスターのグラフィックが掲載されたページを閉じる。なんで本の後ろの方の、凶悪なモンスターばっかのページ開いてんだよ。
「でも、魔王はとにかく世界を征服するものだって、美緒に言われて、そう言われれば、そう、かなって」
「そう、かなって……じゃないよもー。委員長ものせられるなよな。基本的にこいつらの言うことは聞き流さなきゃ」
「いい度胸だなシュータロー」
「じゃぁお前の言うとおりにドラゴンだかキマイラだかが出来上がった暁には何するつもりだったんだよ?」
「決まり切ったことを。まずは一色市を混乱の渦に巻き込み、次は政府にけしかけ」
「というわけだ。いい魔王になるんならこれはダメだろ?」
「うん……」
シュンとする吹水が、ある程度形になりかけていたピンクの光から手を離すと、ふわふわと宙に舞って霧のように散ってしまう。とりあえず世界の危機は去ったと思いたい。
世界の命運がこんな薄汚い小部屋にかかっているなんて、正直解せない。
「にしてもすごいな、杏子。昨日の今日でこんなに濃度と純度の高い魔力が溢れるなんて、魔王の才能あったのかも」
鞄からぴょこんと飛びだしたモモが、嬉しそうに魔力の粒に頭を押しつけたり、前足でつついたりしている。そのたびに光の粒がはじけて、キラキラと星のように散ってゆく。たしかに、純度はわからないが濃度はすごそうだ。目に見えるんだもんな。
「そう、かな? でも、昨日のは失敗しちゃって、どこかに行っちゃったし」
ん?
「あとはこの調子で制御の訓練と、魔力のキャパシティを大きくしていけば魔王としては申し分なしだな」
「うん。何だか、実感があるって、嬉しい」
「でも、ちょっとここまでの才能は想定がいすぎるっつーか、その」
モモが何やらもごもごと口ごもっているが、結局何を言うでもなかった。何だったんだろうな? 聞きたいような、聞きたくないような。
「さすがだね。我が部自慢の魔王だけはあるね、委員長君」
「あー、ちょっとよろしいか?」
おずおずと、給食費を盗んだのは僕です、ぐらいの申し訳なさを纏わせた右手を挙げると、実にめんどくさそうなナイアガラの視線に貫かれる。そういう目はコスプレしながらすると迫力が半減するぞ。今日はシンプルにワニのコスプレですね。ドラゴンが見たいって言ってたけど、そこにかかってるんだろうか?
「仰ってみてください。場合によっては許可いたします」
逆だろ普通。そのワニの尻尾はどういう理屈で動いてんだよ。お前、尻尾はえとらんかっただろ。
「さっき、昨日のは失敗してどっか行った、とか聞こえたけど空耳だよな」
「何を言っているんだね、委員長君はちゃんとそう言っていたではないか」
「で、さっきは何やらモンスターのようなものを作ろうとしてなかったか?」
「まったくもって節穴でございますね(びたーんびたーん)魔物の精製以外の何にお見えになったのでございますか?」
ワニの口の部分から顔を出しているので、見ようによってはワニに食われているように見えなくもないが、できればほんとに食われてくれないかな。願望を形にするべく、とりあえず口を閉じてひもで縛っておいた。
「もちろん、探し出してる、よな?」
きょろきょろして、今初めて気がつきましたみたいな視線をぐるりと巡らせているご様子だが、マジですか? 誰に助けを求めても、この場所にまともな助けを提供できるような業者はありません。むしろ青少年の健全な育成からは程遠いやつの巣窟です。とくに、そこで楽しそうに魔力の粒をつついている金髪ロングの女なんかはもってのほかだぞ。何だその、額に貼った紙切れは。キョンシーごっこか? 古いな。
「見たまえ。この魔法陣を額に貼ると魔力が見えるのだよ」
そうですか。魔力になっちまえ。
「つまり、まだ野放し、と」
返事はないが、その慌てっぷりは首を縦に振られるよりわかりやすい。
「ちなみに、何を作ったのか、教えてくれるか?」
気が進まないがやむを得ない。あー、胃が痛くなりそうだ。
「えと……」
もじもじ、もじもじ。いや、恥じらう姿がそれらしいのはわかるし、眼鏡の奥でうるんだ瞳も女の子っぽいのだが、今は魔王様らしくしてくれ。
「ま……ま、じょ」
「へぇ」
「初めてにしては上出来だったよな。ちょいイメージと違って物理攻撃重視だったけど」
「へぇ」
魔女ってモンスターだったんだ。っていう以外に俺に何か期待しているとしたら大間違いだ。魔女が放し飼いになっている町に魔王と神様がいて、神様の下僕の俺以外は例外なく非常識の極北を極めたようなやつらばっかりだ。何が言える? 強いて言うなら、
「何やっとんじゃー!」
「ひうぅ、ご、ごめん、なさい」
「だいたいなぁ! ぁぶっ」
胃がねじ切れるかと思うような衝撃が脳天まで突き抜けて、意識がそのまま頭のてっぺんから離脱する。部室を俯瞰する不思議な経験は、何だか心地よかった。
ああ、俺、ワニにボディブロー食らったんだ。道理で重いわけだよ。
「シュウタロー。人間だれしも失敗はつきものだ。大事なのはリカバリ」
「ぞ、ぞれは、ぎぃだ」
ごふっ。血反吐でもはくかと思ったら、出たのはただの咳だけ。くそう、吐血すればさすがにこの集団から抜けられ……ねぇわな。
「どっかで聞いたセリフだが、なら何でリカーバーに入ってないんだ」
「入っていたではないか。今度こそ委員長君の思い描いた通りの魔女を」
「そっちじゃねぇよ! リカバーの方向が直角に間違ってるよ! 違うだろ普通!」
「まったく、何が不満だというのだね? 君はこの超科学部の活動を加速させたいのか減速させたいのかどっちだね?」
「停止しろよ停止!」
「「えぇ~」」
神様と魔王がそろって「えぇ~」って言うな。
「カナメ、お前は言っちゃダメだろ。特に」
「でも、そうしたら杏子は立派な魔王になれないんじゃないのぉ?」
魔王が大成するのはもはや神様公認ってことなのか? まあそこは今更だからもう目をつぶる。というかつぶっててもはっきり見えるぐらい我らが超科学部は大魔王を作り上げる気満々だが、だからと言ってこの世をモンスターの跳梁跋扈する魔界に変えるわけにはいかんだろ。
むーむーもごもご。
ワニが何か言いたそうだけど、うるさい。
「その魔女は勝手に消滅したりしないのか?」
「たぶんしねぇな。きっかけこそ魔力による精製とはいえ、与えられたのは命だ。魔力を使いきりでもしない限りは消滅しないよ。今のあんたみたいにな」
うさぎの鼻がツイッと俺に向けられる。
今の俺のように、ってのはぐさりと来るものがあったが、今はそんなことを言ってる場合じゃないと心を奮い立たせる。あぁ、俺の命……やっぱ奮い立たねぇ。
「って、てことは、今もその辺を逃げ回ってるってことか」
「たぶんな。突然生成されてびっくりしたんだろ、慌てて飛び出して行っちまった」
笑い話じゃないんだが、まぁ魔神のこいつに言っても実感なさそうだ。同類の生き物の存在そのものに疑問を持てって言ってるようなもんだもんな。
「しかし、まずくないか?」
「確かに一理あるな」
おぉ、思いもよらないところから良識たっぷりの声が上がった。美緒、お前にそんなまともな思考回路が搭載されているなんて想像もしなかった俺を許してくれ。
「魔女を一刻も早く捕まえ、我らのしもべとするべきだったな。その点に思い至らなかったとは、少々気がはやっていたということか。自重せねばな」
はい。想像どおりでした。やっぱり、搭載されてませんでした。それでも、
「とりあえず、探した後のことは後んなってから考えよう。そうしよう。うん」
こんなにも未来を夢見ない高校生に、俺はいつからなったんだろうな。ごめんな、中学んときの俺。夢も希望もなくしたかもしれん。最初からあったかどうか怪しいが。




