黒幕? もしかして
「な、見られただろう」
「鼻血が、止ばりばせん」
しかも、何で俺の鼻血を俺が掃除させられてんだ?
「まあ意気込みはわかったんだが、何故私なんだ? 他に教員がいないにしても、私には言いにこんだろう、普通」
ご自分のことがよくわかっていらっしゃるようだが、だからと言ってメリケンサックでカウンターはひでぇぞ。いくらなんでも。
「見ての通り、我々の目標は彼女を立派な魔王として育成することです」
うん。どこをどう見ても、見ての通りににはつながらないな。
「そこで、魔王を地でいく存在ならば顧問としては申し分ないと考えたのです」
「さらっと失礼だぞ、天王寺」
「というわけで、お願いします」
物言いはいつものソレだが、俺達としゃべっているときにはない真摯さが垣間見える。こいつはこいつで本気なんだろうな。自分の目標ってこともあるだろうけど、吹水のことを考えているのも事実なんだろう。さもなければ、ここまではしないはずだ、こいつの性格なら。だったら、
「俺からぼ、おでがいしばす。ぜひ、超科学部どこぼんでぃ」
鼻にポッチを詰めているせいでちゃんと発音できない。うわぁ、情けねぇ。
「しかしなぁ、魔王だ魔法だと俄かには信じがたいな。何でもやってみることは大事だろうけど、さすがに部としての体裁を保つのであればそれなりに筋の通った活動趣旨が必要だろう」
痛いところを突かれる。たしかに、そもそも魔法という概念そのものが世界の常識にないところに、魔王ときたもんだ。お遊び仲良しサークルの電波満載活動にしか見えない。そうなれば、部活としての認定そのものが難しいだろう。いくら科学部が前身の実験活動といっても、限度がある。
その上で少なくとも、目の前の人物だけは納得させなければならない。難易度高いな。
「なーなー、うち思うんだけどさ、魔王の魔力であの科学部とかいう連中をぶっ飛ばした方が早くないか? なんかめんどくさくなってきたよ」
「黙れウサギ。あのな、それだと解決にならんとさっきも」
「いやぁ~~ん、かっわいぃぃ~ん」
「「「え?」」」
誰の口からともなく漏れた音は、例外なく目の前の光景が異常事態であることを告げている。ナイアガラや美緒でさえもがそうなんだから、間違いないだろう。
「きゃう~、しゃべるうさたん、うさた~ん。もういい、魔法でいい魔王でもいい、うさたんがしゃべるんなら先生何でも許しちゃ~う、きゃる~ん」
「ちょ、放せよな。くるし、くるしい! 抱くな! モコモコすんな、くすぐったい!」
「いやぁん、も~も~あかねちんモフモフだいしゅき、しゅき~ん。魔法さいこ~ん」
誰からともなくその光景から目をそらす。そうしてやるのが優しさなんだと。
「ちょっと、助けろよな。シュー、杏子!」
がんばれうさぎ、お前の存在でこの人が魔法の存在を肯定するんだ。耐えろ。
いつもの自分に重ねながら、人身御供ならぬウサ身御供と化したモモを見つめておく。犠牲になったやつの姿を目に焼き付けておくのが、せめてもの礼儀ってもんだろう。
「ときに、魔王というのが出来上がってしまうのはどうなんだ? 私の知る限りで、魔王が現れると大体世界は滅びないか? ゲームなんかだとたいていそうだろう」
たっぷり十分は喋るウサギを堪能した後に、そんなキリッとした顔してももう遅い。あんたの胸元でぐったりと疲れ切っているモモがその証拠だからな。
しかし、あのでれでれの後とは思えない、ズバリ鋭いご質問。俺もそれは気になるところなんだが、誰か明確に応えられるんだろうか?
「だいじょーぶじゃねぇの? 魔王から世界滅びろオーラが垂れ流しなわけでもないだろうしさ。ま、魔王になった影響で精神的な変化が現れちゃったら話は別だけどよ」
うさぎ、投げやりすぎる説明だぞ。
「というわけで、安全です」
「は、はい。頑張って、いい魔王になりますから」
「なんとすれば美緒様の魔法で魔界に送ってしまえばよろしゅうございます。人界に危険はございません」
なんだかもう、収拾がつかなくなってるんだが……いい魔王って何だよ。
「ふん……半信半疑ではあるが、面白そうだな。私に立ち向かってくる生徒なんて今まで一人もいなかったしな、その意気に免じてハンコを押してやろう」
うそつけ、喋るうさぎにやられただけのくせに。
「ありがとう、魔人」
「急にハンコを押したくなくなってきたぞ」
「美緒、余計なことを言うな」
とか何とか言いながら、部活動申請用紙の顧問の欄にきっちり署名捺印をくれるんだから、ありがたい。あとはこれを生徒会に提出すれば万事オッケーってわけだ。
いや、もっと大きな問題を据え置きにしているのはわかってるんだ。あるだろ、現実から目をそらすために、目の前の小さなことに集中するって。テスト前の部屋掃除みたいなもんだよ。
「でもまぁ、これで一段落ついたわけだな。よかったな、委員長」
「う、うん。あ、ありが、とう。これで私も、もっともっと強く、なれる。」
必死に言葉を探しながらの、オドオドとした態度はまだまだ魔王には程遠いが、俺としてはこのまんまでいいんじゃないかと思う。っていうか、これ以上俺の周りに魔王的な奴が増えていくと、命にかかわる。美緒とナイアガラだけでも十分だったのに、顧問まで魔王だ。おかんは……考えないようにしよう。
「あ、あと、ね。さっきの、あれ」
あれって、どれだ? 何を言われるのか気が気ではない。まさか、数々の変態的所業に愛想を尽かされてしまったのだろうか まずい、それはまずい!
「い、いや、さっきのあれはなんていうか、その」
「ぼ、僕のために、先生に飛びかかっていった、の。びっくりしたけど、嬉しかった」
やばい、上目づかいに何かドキドキしてるぞ。静まれ、静まれ俺のリビドー!
「ん」
こういうときは必要以上に喋るとぼろが出る。にしても何だ、今のは。確かにおどおどした感じが可愛いとは思うが、この距離がこんなにやばいとは想定外だ。
「ん、ああ。俺もびっくりだ」
俺の意志じゃないんでほんとにびっくりだったけどな。まだ心臓バクバク言ってる。しかもたぶん、このバクバクはその驚きだけじゃない。
「イラっとくるほど青春してるとこ申し訳ないんだが、あと一つ気になることがある」
メリケンサックをもてあそびながら話す白衣の養護教師。新手の戦闘漫画に出てきそうな光景だが、反対側の手がずっとうさぎを撫でているせいで当初ほどの恐さはない。
「魔王ということは、やっぱアレも出てくるんじゃないのか?」
「アレ、と言うと?」
「あれだよ、ほら、RPGなんかだと必ず魔王とセットで出てくる」
ああ、そう言われれば考えなかったわけじゃないけど、確かにそうだよな。普通ワンセットだよな。アレ。でもな、敢えて言わなかったんだよ。
「勇者だね! 私としたことがうっかりしていた。そうだ、勇者を倒してこその魔王だ」
あ~ぁ、こうなるのわかってたから黙ってたのに。火がついちゃったやつがいるよ。どうすんだよめんどくさいな。
もちろんこの直後に発せられた勅命が、俺を平穏な日常からさらに遠ざけたんだが、そんなもんはもう返ってこないと思った方がいいってことか? どうなんだ、神様?
「おい! どういうことだ、言われたとおりにやったのに部室が返ってこなかったぞ」
「おかしいじゃないか、また部室で好き勝手できる上にあの天王寺に一泡吹かせられるって話だっただろ? 話が違う」
「まぁ予想外だったけど、どうするの? 科学部の活動、部室ないとできないよね?」
放課後の空き教室。グラウンドから聞こえる運動部の掛け声は、どこか別の世界の音のようだ。埃っぽさと生乾きの雑巾のにおいが鼻をつく。
一か所に集まった新科学部三人組は、机を取り囲むようにして声を荒らげている。その声の向けられた先に、一人の男子生徒が鬱陶しそうに眉をひそめて座っている。
「おい、聞いてるのか?」
その一言に、それまで無言を貫いてきた男子生徒のこめかみがひきつるように痙攣する。かれこれ十五分、下手に出るのにも限界があるといった風体だ。
「聞いてるからこんな顔してるんだろ? 自分たちの役に立たないっぷりを棚に上げて俺に文句言うって、どんだけ使えないんだよ」
人睨みで三人を閉口させる眼光の鋭さは、美緒やナイアガラにも引けを取らない。
さらに男は眉間のしわを深めながら続けるが、その口ぶりに遠慮会釈はない。それどころか、相手を切りつける刃物のような残虐ささえうかがえる。顔立ちはどこか柔和な雰囲気をまとっているので、そのギャップが口ぶりのえげつなさを際立たせている。
「も~、俺だって暇じゃないんだからな、勘弁してくれよな~」
気さくな言葉の中に、露骨なほどの棘。しかも向けられた本人でなければ気づけないような巧妙さで隠されたそれは、ピンポイントで相手の心を抉る。しかも、無意識に。
「とりあえず、もういいから適当に部室探しなよ。もう俺はどうこう言わないし。ごめんね、あれこれ口出しして」
「いや、そんな」
「なに? まだなんかある?」
実に朗らかな笑顔。教科書や予備校のポスターあたりに採用されそうな百点満点の笑みだが、その内実を知る者には刃物を首筋に突き付けられているに等しい。
「あ、いや、そういうことじゃなくってね」
「も~、織手君なら大丈夫かなて思ったのに、痛いなぁ。やっぱ天王寺は難攻不落かぁ」
「そんな、なんていうか、その」
「ま、仕方ないって。俺だってビビるもん、あんな怖い人」
「でもね」そう言って男、続ける。
「そうも言ってられないんだよねー。世界のためなんだってさ」
ふざけた物言いのくせに、男の眼はその瞬間だけは、笑っていなかった。
「世界って何だよ。マジで救うのかよ、副会長~」
小馬鹿にしたような口調とは裏腹に、その眼光には気弱そうな色彩がゆらゆらと揺らめいて、やらされている感がたっぷりあふれ出ている。
生徒会長、桑戸仁。
誰もがある程度の尊敬と、「あそこにいるのが自分じゃなくて良かった」という思いを込めて、こう呼ぶ。
副会長の犬、と。




