王都門前
王都へと続く街道は、朝から重たい空気に包まれていた。
高くそびえる城壁の前、巨大な門へと伸びる行列は、まるで一匹の生き物のように、のろのろと蠢いている。
その列の中ほど。
ひときわ汚れたフードを深く被った二人の旅人がいた。
「……しんどい。腹減った。足痛い。眠い。あと臭い。主にオレが」
列が一歩進むたび、ぶつぶつと文句を垂れ流す男――カイ。
その隣で、同じくフードを目深に被った少女――チエは、黙って前を見つめている。
列は進まない。
検問は厳しく、人々の苛立ちは溜まる一方だった。
その時だった。
「おい、道を開けろ!」
荒々しい声と共に、数人の一団が列を割って進んでくる。
鮮やかな赤を基調とした装備。
誇らしげに掲げられた槍。
「――七煌だ!」
誰かがそう叫んだ瞬間、空気が変わった。
人々はざわめき、そして一斉に道を空ける。
畏敬と期待、そして憧れの混じった視線が、その一団に注がれていた。
「赤の七煌……英雄様だ……」 「やっぱり違うなぁ……」
口々に漏れる称賛の声。
カイはそれを見て、片眉を上げる。
「……アホやなぁ。並ぶのが嫌なだけの連中やろ、あれ」
呆れたように鼻で笑うが――
ふと横を見ると。
チエは、フードの奥で目を輝かせていた。
「……あれが、赤の……」
その声は、かすかに震えている。
「ちょ、待て待て。まさか信じとるんか?」
「だって……赤の七煌やろ? 伝説の……」
カイは頭を抱えた。
「アンタはどこまでお子ちゃまやねん……」
、カイは、キラキラした目で赤の七煌を見送るチエを、横目でじっと眺めてから――
わざとらしく腰を落とし、声色を変えた。
「わぁ〜、すごいでちゅねぇ〜。あれが七煌でちゅよ〜。英雄しゃまでちゅよ〜?」
「……なにその喋り方」
「いやぁ、伝説信じて目ぇ輝かせてる子には、このくらいが丁度ええかな思てな?」
チエのこめかみが、ぴくりと動く。
カイはお構いなしに続ける。
「赤の煌槍っちゅうたらやなぁ、元は戦場荒らしの傭兵や。
敵も味方もまとめて突っ込んで、結果だけ見た連中が英雄扱いしよる」
「……」
「派手に突いて、派手に死体積み上げて、“あの槍が戦争を終わらせた”やて。
実際は戦場が焼け野原になっただけやけどなぁ」
「……うっさい」
「お、図星や?ほら見てみ、あいつらの槍。紋様も重さも、伝承と全然ちゃうやろ?」
チエは拳を握りしめ、ぐっと睨み上げる。
「……うっさいわ!!」
カイはニヤニヤしながら、さらに一歩踏み込んだ。
「ま、でも分かるで?他の七煌に憧れる気持ち。
“蒼”と違うて、皆に拍手される存在やもんなぁ?」
――ピタッ。
チエの足が止まる。
フードの奥から、低い声。
「……うっさい言うとるやろ」
「へ?」
チエは、ゆっくりと顔を近づけた。
「ここでな」
カイの耳元で、囁く。
「あんたの名前、バラしたろか?」
――次の瞬間。
「すみませんでしたぁぁぁぁぁ!!!!!」
ドンッ!!
王都門前の石畳に、勢いよく土下座するカイ。
「オレが悪かったです!
調子乗りました!
七煌信仰も尊重します!
子供扱いしたんも全部ウソです!!」
周囲の視線が一斉に集まるが、カイは気にしない。
「お願いですからそれだけは勘弁してください!!」
チエは腕を組み、フンッと鼻を鳴らす。
「……分かっとるやん」
「はい……」
「ほな、続き教え。赤の煌槍の“ほんまの話”」
カイは、顔を上げて苦笑いする。
「……へいへい。やっぱアンタにゃかなわんわ」
土下座から立ち上がったカイは、パンパンと服の土を払った。
「……冗談はさておきや」
チエはフードを深く被ったまま、無言で列の先を見ている。
カイは声を潜め、チエの耳元にだけ届く距離で囁いた。
「ほんまのあんたは
チカトワ・エルターユ・ミモーリやろ?」
チエの指先が、ぴくりと動く。
「“チエ”は略称やろ?
せやけどな――エルターユは、表に出たらアカン名やたったな」
カイは周囲を見回す。
「民衆は知らん。七煌が“血族”やなんて、誰一人な」
チエは小さく息を吐いた。カイは続ける
「悠久の昔に滅びたエルターユ皇国。
七煌は、そこの血を引く者だけが継げた英雄伝説として語られとるんは、都合よく削られた“結果”だけや」
その時――
門の前方で、人垣が割れた。
赤を基調とした装束の一団が進み出て、
先頭の男が大仰に胸を張る。
「我こそは――
赤の七煌・煌槍の継承者!」
その名乗りに、周囲がどよめく。
「七煌だ……!」
「英雄が現れた……!」
歓声と期待が広がる中――
チエは、静かに目を細めた。
「……ふーん」
その声は低く、冷えていた。
カイが気づいて、チエの顔を覗き込む。
「……あ?」
チエは、名乗った男から一瞬も視線を外さず、呟く。
「あいつら……名乗り、言うてもうてるな(笑)」
カイの眉が、わずかに上がり続ける。
「七煌はなぁ…皆名前も素性も隠して生きとる。言えるわけないやろ?」
カイの言葉にチエのこめかみに、じわりと血管が浮き出しながら聞いている。
「せやのに七煌いうとる…しゃらくさいな(笑)」
カイは、遠くで得意顔をしている赤装束の男を見て、
乾いた笑いを漏らした。
「……あー……なるほど」
チエは一歩、前に出かけて――
寸前で、踏みとどまる。
「……カイ」
「ん?」
「アレ、切ってもええか?」
その一言に、
カイは深く息を吸い――空を仰いだ。
「……へ?」
チエの拳が、静かに握られる。
「ほな…あいつらどないしたろかの〜?」
フードの奥で、
チエの目が、鋭く光った。
「まぁ……どうするも何も…」
カイはオロオロしていると、チエは小さく、しかしはっきりと。
「切ったらぁ!腹立つ!」
その瞬間、
カイは確信した。
――あ、これ、また街一個終わるわ。
チエが一歩、前に出ようとした瞬間――
背後から、がしっと腕を掴まれた。
「待て待て待て待て待てぇぇぇ!!」
「……離せや、カイ」
低く唸るチエに、カイは必死の形相で首を横に振る。
「アカン!今はアカン!!
ここで暴れたら全部終わりや!!」
チエが振り返る。
「終わるって、何がや」
カイは食い気味に指を立てる。
「飯!
ベッド!
酒!!」
さらにもう一本、震える指を追加する。
「……娼婦!!!」
チエの眉が、ぴくりと動いた。
「……知らんがな」
「知らんちゃうわ!!
ええか!?よー聞け!!」
カイはチエの両肩を掴み、真正面から訴えかける。
「今ここでアンタが前に出たらな、
門は閉まる、衛兵は飛んでくる、
最悪“蒼の光痕”や言われて――」
親指で森の方を指す。
「また野宿や」
チエの脳裏に、
焚き火、干し肉、硬い地面、夜露――
あの村から続いた生活がよぎる。
「……」
「狩りして、血抜きして、焼いて、
寝るんは石の上やぞ?」
畳みかける。
「風呂も無し!
酒も無し!!
柔らかいベッドも無し!!!」
チエの拳が、わずかに緩む。
「……それで?」
カイは、ここぞとばかりに声を落とす。
「王都やで?」
「ちゃんとした宿があって、
温かい飯があって、
樽の酒があって――」
一瞬、ニヤッとする。
「……大人の遊びも、な?」
チエは露骨に顔を背けた。
「きっしょ」
「今そこ突っ込むとこちゃう!!」
カイは半泣きで続ける。
「頼むから今日は我慢してくれ!!
明日や!明日ならどうとでもなる!!」
「今日だけは“一般人”でいさせてくれ!!」
チエはしばらく黙り込み、
門の前で得意満面のニセ七煌を睨んでいたが――
ふぅ、と一つ息を吐いた。
「……五分」
「え?」
「五分だけや」
チエは低く言う。
「五分であいつらなんとかせい、そしたら止めたる」
カイは一瞬きょとんとして――
次の瞬間、全力で頭を下げた。
「ありがとうございますぅぅぅ!!
ほんまありがとうございますぅぅぅ!!」
「……調子乗んな」
「乗る!!アンタが我慢してくれたら、今日は祝杯や!!」
チエは鼻で笑い、
再びフードを深く被った。
――こうして、
王都の門前での静かな修羅場は、
かろうじて回避されたのだった。
列がすすみニセ七煌に近づいたカイは、誰にも聞こえぬほどの小さな声で呪文を紡いだ。
「――《スリップ》」
次の瞬間だった。
台の上で得意げに胸を張っていた赤の七煌(を名乗る男)が、
まるで足元の地面そのものに裏切られたかのように、
ずるりと前のめりに滑り――
「ぶぎゃっ!?」
無様な声とともに、台の下へと転げ落ちた。
一瞬の静寂。
そして、爆発するようなざわめき。
「な、なんだ!?」 「大丈夫か!?」 「七煌様!?」
人垣が一気に膨れ上がり、怒号と困惑が渦を巻く。
その喧騒の端を、
まるで最初からそこに存在しなかったかのように――
チエとカイは、自然に、するりとすり抜けた。
門番の視線も、民衆の関心も、すべては転げ落ちた“英雄”に向いている。
二人は並んで、王都の門をくぐる。
石造りのアーチを抜けた瞬間、
外とは別世界のような雑踏と匂い、音が押し寄せてきた。
カイは肩をすくめ、小声でつぶやく。
「……ラッキーやな」
その隣で、
深くフードを被ったままのチエが――
ほんの一瞬、くすりと笑った。
それだけで十分やった。
二人は言葉を交わさぬまま、
足早に、人の流れの中へと溶けていく。
やがて、門から少し離れた、
内側に設けられた詰所の二階。
小さな窓辺に、一人の男が立っていた。
鋭すぎず、緩すぎない目。
騎士の正装を纏いながらも、どこか風のように掴みどころのない雰囲気。
――ブロンコ・リーニャルダ伯爵。
第三王国騎士団長。
彼は、雑踏に消えていく二つの影を見送り、
楽しげとも、警戒ともつかぬ表情で口元を緩めた。
「あらら……」
低く、誰にも聞こえぬ声で。
「……めっけた」
その唇が、静かに吊り上がる。




