第五話 『作戦実行』
スマートフォンの録画機能と録音機能。
それは、異世界から召喚された者の特権でもあると同時に、異世界の人の不意をつくには十分なものだった。
レギペギドの部屋にそれを忍ばせ、部屋にあるものの撮影と独り言を録音する。
やり方自体は単純だ。だが、単純だからこそ危険でもある。
七日間。
レギペギドが言っていた期限まで、残りは六日。
明日を実行日にすれば、この作戦の猶予は六日間ある。
その間に、少なくとも何かしらの情報は引き出せるはずだ。
いいや、引き出せなければ、終わりだ。
そう考えるだけで、胃の奥が重くなる。
作戦を立て終えた俺は、硬いベッドに身を投げた。
マットレスと呼ぶにはあまりにも頼りないそれは、背中の骨を一本一本主張してくる。
寝返りを打つたび、腰にダメージを与えながら俺の睡眠を妨害してくる。
眠れるわけがない。
それでも、目を閉じて、開いて、また閉じて。
夜中に何度も覚醒を繰り返しながら、ようやく意識が途切れた。
――――
次の日になったらしい。
朝日が差し込むことはないこの地下では、時間の感覚は人の行動でしか測れなかった。
鉄格子の向こうから足音が響き、レギペギドが朝食を運んできたのと、他のみんなが起き始めたことから、ようやく今が朝だと実感する。
今日も、パンと牛乳だけ。
パンと牛乳の栄養を摂り、パンで乾いた口を牛乳で濡らすという同じ作業。
そんな作業をしながら、俺は改めて作戦を整理する。
まず、俺がレギペギドを部屋から連れ出す。
トイレに何かが出た、とでも言えばいい。
対応役を自称している以上、無視はできないはずだ。
問題は、その間にどうやってスマートフォンを部屋に忍ばせるか。
扉だ。
あの重く、古びた扉。
開閉するたびに、ギシギシと嫌な音を立てる。
たとえ距離があっても、音は響く。
扉を開けて侵入すれば、たとえトイレまで誘導し、部屋との距離があったとしても確実に気づかれる。
昨日の作戦会議はこの問題をどのように解決するかを話し合うために行ったと言っても過言ではない。
そんな問題を、この世界ならではの方法で解決した。
【飛翔な運動】
それが、悠斗の魔法だった。
対象を選び、自在に動かす。
固体、液体、気体。条件はあるが、理論上は何でも動かせるらしい。
今回は、スマートフォン一つ。
固体で、小さく、軽い。
今回は問題がないようだった。
悠斗は魔術師だった。
どうやら、俺たちの中で三人も魔術師がいるらしい。
そしてここでまた問題が現れた。魔術師の魔法は、すべて上級以上だということだ。
魔術師の魔法はその特別さ故に、魔法使いのように同じ魔法を扱うというケースはかなり少ない。実際に、俺はレギぺギドから魔法のリストをもらったが、悠斗は魔法の使い方のみ教えられただけで、そもそもその魔法がどんなものであるのかすらわからない状態だった。
考えていた通りだ、こういう短期間勝負なときに魔術師の本領は発揮しにくい。
そんなことから作戦は変更された。
三日間。
今日を含めてのその短い期間で俺たちは魔法を上達させることにした。
実行は五日目。
それまでに、確実に成功させられる精度に仕上げる。
――――
五日目の朝。
俺たちは、目に見えて消耗していた。
原因は作戦実行のよる緊張。
などではない。
真なる原因は今生活しているこの環境だった。
薄暗い部屋。
今まで浴びていた太陽も今となっては懐かしくなつほどだ。
もちろん外に出ることも許されない。
食事はパンと牛乳だけ。
おかげで何キロかは痩せているだろう。
特にきつかったのは、プライベート空間がないことと、娯楽がないことだった。高校生にこれらがないことが一番ダメなんじゃないのかと思う。
そんな環境だ。
クラスの中には、精神的にやられて、動けなくなっている者もいた。
壁にもたれ、虚ろな目で天井を見つめるだけ。
そんな環境の三日間。行われたのは、魔法でも訓練でもない。
学力調査だった。
国語と数学。
国語は、日本語と酷似しているが微妙に違う。
比喩表現や言い回しが異なる。
数学は、拍子抜けするほど簡単だった。
四則演算。算数レベル。
おそらくこれらが外の世界で必要とされている学力なのだろう。そんな情報を入手できたことは多少喜ぶべきなのだろう。
だが、流石に限界だった。
この環境でこれ以上生活できなかった。
俺はレギペギドの部屋の前に立った。
作戦、実行だ。
「すみません……トイレに、変なのが出て……」
自分でも驚くほど、声は自然だった。
「わかりました。少し待っていてください」
扉が開く。
その瞬間。
「【飛翔な運動】」
背後で、かすかな声。
スマートフォンが、俺の背中に吸い付くように浮いた。
三日間の練習の成果だ。最初より、はるかに安定している。
レギペギドが部屋から出る。
その死角を縫うように、スマートフォンは静かに滑り込み、部屋の奥へ消えた。
「では、行きましょうか」
トイレには、当然、何もない。
「あれー……?」
「また何かありましたら、呼んでください」
扉が閉まる。
成功だ。
あとはそのスマートフォンを回収するだけ。
バッテリーの残量とスマートフォンがレギぺギドに発見されるという万が一に備えて、回収するのは同日の夜ということに決定されていた。
――――
五日目の夜。
レギぺギドがまだ夕食を運んできていないため、正確には夕方くらいかもしれない。
俺は再び部屋の前に立ち、同じ言葉を発し、同じ行動をとった。
同じことをしたのだ、もちろん成功だ。
トイレから戻るときに、レギぺギドがイラついているようにも見えたが大丈夫だろう。自らこの世界の案内人を自称したんだ、多少の我儘くらいは許して欲しいものだ。
俺は、部屋に戻り、悠斗に話しかけた。
「悠斗、成功したぞ!」
「……」
返事がない。
「悠斗?」
嫌な予感が、胸を締め付ける。
「徹……思ってたより、ヤバい」
「何がだ?」
「情報が......ないんだ」
悠斗は肩を震わせている。
「おいおいまさか、録画ボタンを押し忘れたとか言うんじゃないだろうな」
「ち、違うんだ。そういうことじゃ、ないんだ。そんな問題じゃないんだ」
「何が、いいたいんだ?」
本来であれば、冷静に簡潔に教えてくれるはずの悠斗は回答を渋る。
「とりあえず、そのスマホ、見せてくれよ」
俺は悠斗が右手に持つそのスマートフォンを取って画面を確認した。
「……!」
画面は、真っ暗だった。
割れている。
蜘蛛の巣のように亀裂が入っている。
理解した瞬間、血の気が引いた。
いつから、俺は作戦が成功したと錯覚していたんだろう。
「作戦、失敗だ」
その声と同時に、足音。
鉄格子の前に、影が落ちた。
「十三番。十五番」
レギペギド。ヤツの声だ。
「少し、外でお散歩しましょうか」
そういう彼の顔は、これまで見たどんな表情よりも歪んでいた。
不気味な笑顔ですらない。
ただ、下卑た笑み。
こんな哀れな俺たちを嘲笑しているかのようだった。




