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私に乙女ゲームは向いていないので、早めに主要人物から外れさせていただきます!  作者: 大神ルナ


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7/7

7 名付けは責任が伴います


 ぱちんっという音を立てながら、セラータは夏の庭園で初夏を彩るラベンダーを摘んでいた。

 妖精であるフェリーズには、どんな切り方をしようが、ラベンダーを司る妖精がいくらでも修復出来ると言われていたが、そこは前世のトラウマが邪魔をしてできそうになかった。

 かつてのセラータの実家は、母親が趣味でハーブガーデンを作っており、ラベンダーの収穫を手伝ったさいに切る場所が悪かったのか枯らせてしまったのだ。

 怒られはしなかったが、悲しそうな母の顔が今でも思い出せる。

 できれば、妖精にもがっかりされたくはない。

 慎重に見極めながら休憩を挟みつつ、収穫を続けた。

 スカートが触れる度に香りが立ち上り、セラータは深呼吸をしては、ほっと息をついた。

 ここ数日間は、少しだけ大変だったのだ。

 キングウェイから領地に帰れば、両親だけではなくブライアンとセトも揃って待っていた。

 もちろん、セラータが連れ帰る奴隷を見極めるためである。

 誰もセラータとカシアを疑っている訳では無いが、どんな者が伯爵家の一員になるのか、気になるのは当然だ。

 すべての説明は、いい買い物だと笑ったカシアが引き受けてくれた。

 その説明の過程で、種族が竜人だと聞いた家族は息を呑んだ。

 父であるアーベントと母セリーナは、見目の良さに惚れ惚れとし、ブライアンは申し分ない従者で護衛になると頷き、セトは目を輝かせて鱗を見ていた。

 正直、セトの目は研究者としての輝きであり、少しだけ青年は後ずさりしていた。

 竜人やドラゴンから出る素材は、目にすることが珍しく、研究者である錬金術師の間では憧れであり、幻と言われている。

 概ね、好意的に迎えられた青年なのだが、セラータは雇い主として契約するために名付けを行わなければならないのだが、未だに名前が決められていない。

 本人がもともと持っている名前でもいいのだが、彼は頑なに名前を言いたがらず、新しい名前を望んでいた。

 だが、名前という重要なものを無責任につけることはできない。

 ありがたいことに、伯爵家に相応しくするための教育期間があるため、名前については猶予期間をもらうことができた。


「はー、名前⋯⋯何にしよう」


 セラータとしては、名前は一生ものだからきちんと意味のあるものにしてやりたいのだ。


「なんだ、ペットでも飼ったのか?」


「なっ! んぐっ」


 突然、頭上からしてきた声に、セラータが見上げればフェリーズはしゃがんで収穫をしている彼女の後ろに立って、上から覗き込むような姿勢で話しかけてきたかと思えば、驚きで開けた口の中に木苺を放り込んできた。

 妖精の指輪のおかげで、薬草園に入って思い描くだけで妖精の庭園に入ることができたが、今日はフェリーズがいないなと思っていたのだ。

 甘酸っぱさを噛み締めながら軽く睨むが、どこ吹く風だ。

 

「もうっ、フェリーズ様!」


「久しいな。人間界への干渉は、いい顔をされないからな。外で何があったかを知ることは難しい。何かあったのか?」


「あ、新しい使用人が増えたくらいでしょうか」


「それだけか? 名前を何にしようかと悩んでいただろ。だから、ペットでも飼ったのかと思ったのだが」


 言えるわけがない。妖精であるフェリーズ対策だなんて。

 どうしようかと悩んでいると、彼は美しい顔を歪ませた。


「セラータ⋯⋯何を身に着けている? 妖精が忌避するような感覚があるな」


「えっ? 前と身に着けている物は変わらないと⋯⋯あっ!」


 一つ覚えがあるのは、カシアから贈られたナイフだ。

 小型のナイフで刃と持ち手の境目に金属の飾りが付いている物で、美しい作りから貴族女性に好まれるという逸品だ。

 これが原因だろうかと思いながら腰につけてある革製の小さなポシェットから取り出すと、フェリーズは後ろへと飛び退いた。

 

「今すぐにしまえっ!」


 強い声に驚きながら、ナイフをポシェットに戻すと、フェリーズはようやく肩の力を抜いた。

 フェリーズにはナイフの柄だけで、ほぼ見えていなかっただろうに、どうしてあんな反応をしたのかが気になる。


「どうしたのですか?」


「アレをどこで手に入れた? なぜ、あのような物を持っている」


 ものすごく責めるような物言いに、セラータは不思議に思いながらも素直に話すことにした。


「小旅行でキングウェイに行った際に、街で強い視線を感じると言った私に、身を守るためにとお兄様が買ってくれたのです」


 セラータには選ぶ基準が分からなかったため、カシアが良い品だと言った物を買ったまでだ。

 

「そのナイフに、妖精避けの効果が付与され、妖精が嫌う鉄で細工が作られているのも、知らなかったんだな?」


「えっ! そんな効果が⋯⋯」


 だからか、前までは見えていた庭園のきらきらとした光が見えないなとセラータは感じていた。

 てっきり、妖精は奔放だから、別の場所に行っているんだとばかり思っていた。

 

「今日は、もう帰ってくれ。そのナイフがある以上、この庭園は枯れ果ててしまう。身を守るナイフが必要なら、わたしが用意してやる。妖精と仲違いする気がないのなら、次からはそのナイフは置いてきてくれ」


「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ」


 血の気が引く思いをしながら、自然と震えてしまう声で謝罪を口にすれば、フェリーズは表情を和らげた。

 

「知らなかったのは、お前の様子を見ていれば分かる。次の来訪も歓迎するから気にするな」


 そんな言葉を最後に、夏の庭園は消えていた。

 手元に残されたカゴいっぱいのラベンダーだけが、夏の庭園にいたという証のようだ。

 きちんと、カシアに聞くべきだった。

 この世界のナイフが、前世のようにただのナイフである訳がない。

 造り手は、錬金術師かドワーフといった能力のある者たちなのだから。

 かごを手に屋敷に戻ると、すぐにニーナとオリバーが走り寄ってきた。

 

「どうしたのですか? いつもよりだいぶ早いお戻りですが」


 かごをニーナに手渡していると、オリバーが不思議そうな顔で尋ねてきた。

 

「少しお叱りを受けました。私の理解不足です」


「お叱り? あの妖精にですか?」


「ええ、何も知らずにこれを持ち込んでしまったのです」


 そっとポシェットからナイフを取り出しオリバーに手渡せば、思った通り渋い顔をした。


「これは⋯⋯妖精が嫌いますね」


「ですが、これはセラータお嬢様のためを思って、カシア様が贈られた品ですよ」


「だとしても、これを妖精の国に持ち込んでは、いい顔をしないでしょう。弱き隣人を殺してしまうかもしれませんし」


「オリバー先生が見ても、そういう結論になるのですね」

 

 しょんぼりとした気分で、今日はこれ以上、何もする気が起きなくなってしまった。

 無知は一番の罪だ。


「カシア様もお嬢様を守りたいという思いから、これを選ばれたのでしょう。ただ、このナイフは妖精に婚約者を奪われた魔術師が、妖精を憎んで作り出した物です」


 あまりにも重い話に、セラータは顔を引き攣らせながら体ごと引いてしまった。

 この品物は、もはや立派な呪物なのではと思ってしまう。

 

「それでも、知らなかったのだからと、今日は帰るように言われましたが、次も歓迎してくれるようなので安心しています」


 オリバーから返されたナイフを受け取ろうと手を出したのだが、渡そうとしていたオリバーが目を見張っていた。

 

「珍しいですね。妖精は、一度のミスすら許さず、その後は一切の関係すら断つと言われている程なのですよ? あなたが知り合った妖精は、ローゼの様子から見ても⋯⋯王族相当でしょう。花の妖精の中でも高位の彼女ですら萎縮するのですから」


「オリバー先生の契約妖精は、たしか」


「薔薇の妖精です。植物の中でも、一番称賛を浴び、求められることから生まれた妖精なので、高位であまり膝を折らないのですが、彼の気配には恐れにも似た感情を見せたのです。初めてのことでした」

 

 胸に手を当てて、オリバーが小さく息を吐き出すと、きらきらとした光が大きな人の形をとっていく。

 なんだろうかと思っていると、光は消えていき、黄色の薔薇を彷彿とさせるドレスを着た一人の女性が立っていた。 

 薄桃色の髪をハーフアップにし、伏し目がちだった目が上がり、陽の光を受けて宝石のように輝く若草色の瞳がセラータを捉えた。

 すぐに逸らされ、彼女はドレスをつまむと優雅にお辞儀をした。

 その拍子に、背中の透明でありながら、真紅の煌めきのある不思議な色合いの羽根が僅かに垣間見える。


「ローゼ!?」


 セラータが口を開くよりも早く、彼女の隣に立っていたオリバーが名前を口にした。

 

(この方が、薔薇の妖精。とっても可憐だわ)


 フェリーズ以外で初めて目にした妖精の姿に、セラータのときめきは止まらない。

 美しいものは、見た者の心を洗う。

 もっと頻繁に姿を見せてくれてもいいのに、そう思ったが貴重だからこそより価値があるのかもしれないと思い、出そうになっていた言葉は呑み込んだ。


「あなたが他者に姿を見せるとは、思いませんでした」


「オリバー様、見えない人間の前に姿を現すなんて無意味でしょう? ですが、セラータ様は妖精を見る目をお持ちな上に、あのお方に選ばれた方です。あの方の守護する方がいる場所は⋯⋯あの方の領域ともいえます。その場所に出入りしながら、姿を見せないだなんて失礼に値するでしょう」


 オリバーが手を差し出せば、淑女と同じように手を取り近くまで歩み寄ってきた。

 ローゼを目の前にして、セラータは完璧なカーテシーで答えた。


「初めてお目にかかります、ローゼ様。オリバー先生にご教示いただいている、セラータです」


「どうか、わたくしのことはローゼとお呼びください」


「ですが、契約者でもない者が名を呼ぶのは、失礼なことでは」


「いいのです。わたくしに敬称をつけて呼んでは、あの方からわたくしが罰を与えられてしまいます」


 恐らくは、彼女が言っているのは、フェリーズのことだろう。

 たしかに、今日の彼の圧を考えれば、罰という言葉がぞくりとするほどの危険さを感じさせた。

 そうだとしてもだと、セラータが悩んでいると、オリバーが片手を上げた。

 

「ローゼもこう言っていますし、彼女の望むように呼んでいただけませんか?」


「うっ⋯⋯、分かりました。オリバー先生」


 契約者であるオリバーにまで重ねて言われては、さすがのセラータもこれ以上は拒みきれなくてローゼに向き直った。

 

「では、ローゼ。これからもよろしくお願いしますね」


 表情を引き締めてそう言えば、ローゼはにっこりと微笑んだ。

 あまりにも美しい存在の花が綻ぶような笑みに、セラータはきゅんっと胸が掴まれた。

 フェリーズからもたらされた付加価値だとしても、こうして妖精を目にできるのは最高のご褒美ではないか。

 

「何か困ったことがおありのときには、どうぞお呼び下さい。お力になりましょう」


 深く腰を折ると、ローゼは光の中へと消えていった。

 

「いやぁ、驚きました。かつて妖精を見る目を持つ者の前にすら、姿を現そうとしなかったローゼが⋯⋯」


「ですが、私を認めてくださったわけではなく、フェリーズと親しいからという理由でしょう」


 家臣が主の顔を立てて膝を折るのと一緒で、セラータ自身が認められたわけではない。

 気軽に名前を口にするべきではないだろう。

 セラータは、そのことを心に刻んで、自分の無知さをそのままにして同じ轍を踏まないように、自室に戻る前に図書室へ寄ることにした。

 辺境の地であるホーソン領は、娯楽がほとんどない。

 特別、厳しい季節があるわけではないが、魔物のいる森や渓谷に囲まれていることもあり、外で長い時間を過ごすという習慣が少ないのだ。

 そのため、自ずと多くなる室内で出来ることを充実させるべく、家の中に多くの資金を費やす傾向があり、普通の民ですらなかなか大きな家や店を持ち、世間が思うよりも豊かな生活をしている。

 魔物の被害が大きく、農業には適していないが、港町を出発してから五日、王都まで長い道のりを前にした最初の街がホーソン領のグドルだ。

 そのため、大きな宿があり、充実した食堂や酒場もある。

 一番の売りが、腕利きの冒険者のいる冒険者協会があることだ。

 辺境の街は、弱くては生きられない。

 故に、男女ともども戦うことが出来、年老いた者すら戦力になる。

 実は、国の騎士の大半は、グドル出身者だったりするのだ。

 魔力の強い土地柄、自然と魔力の高い者が多く、平民だとしても学院に通う資格を持っているからか、辺境の地だからと諦めるような人間がいないのも、セラータにとっては誇らしい。

 色々な条件が揃い、どの家にも小さな書斎や本のスペースがあるが、ホーソン家の図書室はなかなかの規模である。

 小さな街の図書館ほどの大きさに、ラヴィーチの歴史や他国の歴史、魔法や薬草学、光魔法と闇魔法について、魔物の図鑑など、多種多様に揃えられているのだから、妖精についての本もあるだろう。

 昼近くで強い日差しを窓越しに浴びながら廊下を進んでいくと、屋敷の中央部の僅かに下がった位置にある図書室に辿り着いた。

 扉を開けば、図書室に入ったとき特有の古い本の香りが鼻を掠めていく。

 一歩足を踏み入れば、壁に取り付けられているランタンに魔術の炎が灯った。

 昼間でも直射日光の当たらない位置にあるからか、廊下よりも暗かった室内が本を読むのに適した明るさに調整され、まるで図書室の中にも妖精がいるような雰囲気になる。

 もしかしたら、実際に見えないだけでいるのかもしれない。

 手前の本棚からタイトルに目を通しながら、自分が今必要としている本を探していく。


(手前の棚は⋯⋯)


 指先でなぞりながら、どんな順番や種類ごとに並んでいるのかを把握しながら進んでいると、入口付近の棚には甘いタイトルの本ばかりが並んでいることに気がついて、本を探す手が止まってしまった。


「『溶け合うほどに愛し合う』、『月光に抱かれて』、『騎士と逢瀬を重ねて』⋯⋯これはお母様のロマンス小説かしら」


 一冊の本を手にしながら、恋愛小説は難易度が高いなと思い、本棚に戻そうと思ったところで、横から伸ばされた手に攫われていった。


「ずいぶんと情熱的な本を読むんだな」

  

 あまりホーソン領では聞かない若い男の声に、セラータは驚きを隠しきれない顔で隣を見上げた。

 

「あなたは⋯⋯」


「どうした? 自分で買った男の顔も忘れたのか?」


 忘れるはずもない。

 ただ、しばらくは従者としての教育を受けるからと、会うことを禁じられているだけだ。


「忘れるはずがないでしょう。あなたは、私が考えに考えて、買うと決めた人なのですから」


 見下ろす金色の瞳を見据えれば、青年は唇の端をわずかに持ち上げて笑った。

 普段のセラータなら、そんな馬鹿にしたような笑い方なんて腹が立つのに、目の前の青年にされても、ただ彼らしい笑い方だと思うだけだ。

 

「あなたは、従者としての学びのために私との接触が禁止されていたはずでは?」


「ああ、そのことか。別に抜け出してきた訳じゃない。正当な理由があって、きちんと許可を得て外出している」


「なら、理由を聞いても?」


 彼の手から本を取り返して本棚に戻し、彼にこれ以上からかわれないようにセリーナの本棚から離れて向き合った。

 

「オレは以前の名前を使う気がない。なのに、お前は主人でありながら、オレの名前すら決めていないだろ?」


「ですが、もとの大切な名前があるのでしょう? 最初の贈り物として親にもらったはずです」


 どんな種族であろうと、親からの最初にもらうのが名前だ。

 国によっては、精霊や妖精から贈られるギフトである。

 

「そんな御大層な意味のあるものじゃない。オレたちの種族にとっては⋯⋯主から贈られる名前にこそ意味が生まれる」


「うっ⋯⋯」


 そんな風に、種族特有のことを言われてしまえば、セラータも強く否定や拒絶はできなかった。

 特に竜人は、人間とは距離をおいていて、なおかつ空に浮く天空の国には竜人の助けが無ければ訪れることもできない。

 竜人族に関する詳しい書物も少なく、長年秘密にされていて、魔術師たちの探究心を刺激し続けている。

 

「さあ、名前をくれよ」


「⋯⋯ちょっ、ちょっと待って」


 いきなり言われても困る。

 名前は適当に決めていいものではない。

 まだなにか言いたげな彼を、片手を上げるという形で黙らせ、セラータはどうにかいい名前を考えようとした。

 前世から、セラータは名付けというものが苦手だった。

 某モンスターとの冒険モノのゲームでも、仲間にするたびに名付けに時間を取られた。もちろん、モンスターにもともとの呼び名があるのだから、そのままストーリーを続ければいいのに、下手くそなくせして変に意地になって名前をつけ直していた。

 苦い思い出を考えながら、どんな名前にしようかとセラータは青年に視線を向けた。

 炎を彷彿とさせる赤だけではなくオレンジ色も混じる髪に、冷たさと熱さを兼ね備えた金色の瞳。

 肌すら温かみのある色をしている。

 かつて、名付けのために参考にしていた本を思い出すと、ひとつの言葉が脳裏に浮かんできた。

 

「⋯⋯『ソル』」


 口から零れ出た言葉に、目の前の青年は瞳を煌めかせた。

 前世では異国の言葉で太陽を意味している。

 かなり安直ではあったが、彼の反応を見る限りは問題ないのだろう。

 ほっと、胸を撫で下ろし、役目は終えたぞと安心していたセラータは、目の端で捉えた銀色の輝きに、ぎくりとした。

 視線を戻せば、青年は取り出した小型ナイフで自身の手首の内側にその先端を滑らせ、何かを描いていた。

 どう見たってペンではないし、インクもない。

 描かれた先から、ぷくりと膨れ上がった血が滴り落ちていく。

 

「なっ! 何をしているの!」


 悲鳴にも似た声を上げたセラータとは違い、青年は顔色一つ変えることなく手を動かしている。

 だが、床には明らかに血が点々と落ちていく。

 

(止血をしないと! なにか布を)


 おろおろと布を探しに行こうとすれば、手首を掴まれた。


「何をしている?」


「それは、こっちの台詞なんですけど! は、早く血を止めて魔法医を⋯⋯いえ、あなたは竜人なのだから魔獣医のほうがいいかしら」


「どちらも必要ない。そんなことはいいから、手を貸せ」


「わ、私に治癒魔法は使えないわよ!」


「そうじゃない。いいから、落ち着いて左手を貸せ」


 青年の落ち着きように幾分落ち着きを取り戻したセラータは、大人しく左手を差し出した。

 何をするのだろうかと黙って見守っていると、左手の指先にナイフの先端を押し付けられる。

 切られたというよりも、針の先で突かれた程度の痛みだったが、なんの忠告もなくされた行為に、文句を言いたくなった。だが、目の前の彼の顔は真剣そのもので、言おうとした言葉を呑み込んだ。

 彼が何かを呟くと、痛々しい傷跡の手首が光り始めた。

 言葉は、セラータが使っている言語とは異なっており、何一つ理解できないが二人の間に魔力が渦巻いていくのは分かる。

 

「我が名は〈ソル〉とする」


 唯一、理解できる言葉が出たところで、指先に力を入れられるとセラータの血が彼の手首に一滴落ちた。

 増幅した魔力は、一瞬の間に収縮して消え、手首や床の血までも綺麗に消えていた。

 

「よし。これでいい。オレの名を呼んでくれ」


 いまいち何が起きたのか分からないでいるセラータに、青年は笑顔でそう言った。

 さっきまでの皮肉めいた笑みではなく、歓喜にも近い顔で言われて眩しさを覚える。


「なら⋯⋯ソル」


「ああ⋯⋯これがそうなのか。どうりで他の奴らが自慢げに話すわけだ」


 胸に手を当て、なにかに感じ入るように深く息を吐く様子は、セラータの胸の奥にまで温かさを感じさせた。

 不思議な感覚だ。

 

「セラータ。何かあれば、名を呼べ。どこに居ようと駆けつける」


「なんだかよくわからないけど⋯⋯これからよろしくね、ソル」


「ところで、お前はここで何を探しているんだ?」


「えっと⋯⋯植物魔法と植物を使った薬の作り方とかの指南書みたいなものを探しているの。一緒に探してくれる?」


「それは構わないが、なんでまたそんなモノを? 植物魔法ならあるだろうが⋯⋯」


 ぶつぶつと呟きながらも、ソルは歩き出した。

 時々、止まってはなぜか匂いを辿るような仕草を見せる。

 なぜだろうかという好奇心から、セラータも空気を嗅いでみるが、書物の匂いしか感じられなかった。

 けれど、ソルの歩みに迷いはなく、無駄に本棚の間に入ってタイトルを見るなんてことをせず、図書室の中でも奥の方へと入っていく。

 膨大な量の本の中を歩きながら、ソルがいなければ何時間も一冊の本を探す羽目になっていたのかと思うとげんなりしてきた。

 そもそも、セラータ一人だった場合は、見つけられたかすら怪しい。

 

「これだな」


 一番日の当たらない場所にある本棚の前で立ち止まったソルは、腕を伸ばしてセラータでは届かない位置にある一冊の本を取り出して差し出した。

 図書室の中で、もっとも古そうな雰囲気を出している本には「植物魔法の初歩」と記されていた。

 中身をめくってみると、 本当に初歩というタイトルが正しい内容が書かれている。

 魔法の使い方、種の成長促進の魔法、土の浄化魔法なんかが載っていた。

 

「よく分かったわね。こんなにたくさんの本があるのに」


「魔法の指南書には、独特の香りがある」


「香り?」


 どんな匂いがするのだろうかと本に鼻を近づけて、香りを吸い込んでみるが、やっぱりなんの香りも感じられない。

 古い紙の香りだけだ。

 

「強い魔力を持つ者だけが感じ取れるからな。お前には無理だろう」


「そういうものなの?」


「ああ、所詮は人間だからな。お前たち人間で感じ取れる奴がいるとしたら、それは賢者か大魔法使いと言われる者くらいだろうな」


「ふーん、なら仕方がないわね。その調子で、もう一冊のほうも見つけてくれる?」


 植物薬の本も、すぐにでも見つけてくれるだろうと楽しみにしていたのに、ソルは難しい顔でセラータを見つめてくる。

 その意味が分からず首を傾げてみると、彼は片手で髪を乱雑に掻いた。

 

「お前が求める本はない」


「そう……ここにないのなら、王都の図書館に行くしかないわね。その時には、一緒に来て探してくれる?」


「……王都にもない」


「えっ! ならどこに行けば手に入るの?」


 王都の図書館には、国の全ての書物があると言われている。

 高価で手にできない本も、貸出はしていなくても、図書館内でなら読むことができ、足繁く通う人もいるくらいだ。

 そんな場所にもないとすれば、本自体が存在しない可能性もある。

 それか──。


「まさか、王族しか入れない王宮図書館!」


「違う! 植物薬を作れるのは、魔女だけだ」


 その一言で、全ての説明が出来ると言わんばかりの言い方に、セラータは不満そうな顔をした。


「だからなんなの?」


「本当に知らないのか……」


 ソルは愕然という言葉が似合う表情で声を絞り出すと、セラータの目を真っ直ぐ見つめた。


「いいか? 植物薬は魔女にしか作れないから本なんてもの……存在しない。その秘術は、魔女から魔女へ口頭と修練で語り継がれる」


「なら、どう学べば」


「魔女に弟子入りすればいい」


 簡単に言ってのけるが、そんな簡単な問題じゃない。

 魔女は数が少なく、一つの国に一人いるだけでも貴重だ。

 たとえ住んでいる国に居たとしても、魔女はめったに姿を現さない。

 どんな人なのか、名前はなんなのか、全てが謎に包まれている。

 国王ですら、魔女に対して王命を発動する事はできない。

 彼女は、国のシステムからは外れているのだ。


「国の誰も知らない魔女をどうやって見つけるの?」


「ああ、そういえば人間嫌いだったな。オレは、一応あいつと接点があるから、どこにいるか知っているぞ? まあ、人外者なら誰もが知ってるとは思うがな」


「だから、フェリーズ様も知っていたのね」


 フェリーズの口から魔女というワードが簡単に出たのも頷ける。


「フェリーズ……だから、この鼻につく妖精の香りがするのか」


 苦々しそうに呟かれ、どんな匂いだと腕の辺りの服の匂いを嗅いでみた。

 自分はそんなに嗅覚が鈍感ではないのだが、特に何の香りも感じられない。

 強いてするのは、夏の庭園のラベンダーの香りぐらいだった。


「人間は、この手の匂いが分からなくていいな。こっちは、縄張りを荒らされたような不快感を抱くっていうのに」


 肩で寄りかかっていたソルは、本棚から体を離すと歩き出した。

 彼を見送りがてら、一緒に付いていくと扉の前で振り返った。


「魔女のところへは、オレが案内してやるから、数日待て」


「えっ……いいの?」


「かまわない。だが、オレが一緒に行くからといって、魔女がお前を弟子にするとは限らないからな? 行くだけ、無駄ということもありえるということは、頭の片隅にだけは入れておけ」


「そうだとしても、何もしないよりはいいもの。ありがとう」


「調整がついたら、連絡する」


 図書室を出て、歩き去っていくソルを見送ると、セラータは近くのベルを鳴らした。







 

 

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