3 素質と資質
絶対に王太子とヒロインの仲を割くようなことはしないぞと誓った日から、セラータは一冊の本と向き合っていた。
美しい庭園の真ん中にある東屋で、丸いテーブルに広げられた本は分厚く、文章と共に絵や記号が書かれている。
「セラータ様。お茶をお持ちしました。休憩をされてはいかがですか?」
「そうね。そろそろ、集中も切れてきたことだし、休憩にしましょう」
本をそっと閉じてテーブルの端に寄せれば、ニーナは紅茶を注いだカップと可愛らしい小さな皿に乗せられたマカロンを並べてくれた。
午後の木漏れ日と鳥囀りは、ティータイムとしても申し分ない。
カップに口を付ければ、ふんわりと紅茶が香った。
落ち着く味の中に、柑橘系の香りが鼻を抜けていく。
いつだってニーナは、セラータが求めるものに先に気がついて用意してくれる。
ほっと息をついて、目の前に広がる庭師が丹精込めて世話をしてくれている薔薇園を眺めた。
色とりどりの薔薇が植えられているが、特に多いのは【絆】の意味を持つオレンジ色の薔薇だ。
辺境の土地柄、なによりも家族や一族といった絆は大切にされている。
ホーソン家の庭師は、現役時代は魔術師として前線で戦っていたが、若いうちに引退して自身の趣味であった薔薇の新種の開発に力を入れていた。
その結果、庭園のオレンジ色の薔薇は種類を増やし、辺境でしか育たない特殊な薔薇も出来上がった。
せっかくの美しさを誇る庭園も、セラータの背中に傷を残したドラゴンのせいで、何箇所か倒れてしまっている。
「オリバー先生。少し休憩したほうがよくありませんか?」
セラータは、強い日差しの中で懸命に魔力を注いで薔薇を修復している庭師のオリバーに声をかけた。
すでに彼は何時間も魔力を消費し続けている。
「ニーナ。オリバー先生に、魔力回復のポーションを持ってきてくれる?」
「かしこまりました」
オリバーは庭師ではあるが、勉強にやる気を出したセラータの先生でもある。
彼を先生にしようと思ったのは、図書室で今後について考えていた時だった。
ふと一冊の本が目に入り、手にして開いて見た。
それは植物図鑑で前世で見知っている植物と同じ物が載っていた。
唯一違ったのは、植物療法に取り入れられていたハーブは雑草ほどの値段で売られているが、調合が難しくレシピが存在しないという点だ。
今や世界はポーションや回復魔法がメインで、植物から抽出された薬を作れるのは魔女だけ。
王都では、忘れられた秘薬や時代遅れの代物と言われている。
前世では趣味としてハーブを育て、活用してきたセラータにとっては興味深くて仕方がなかった。
そこで、今は庭師だが植物魔法の使い手であったオリバーに教えを請うことにした。
家族にオリバーから学びたいと宣言した時には驚かれたし、兄たちに至ってはなぜ植物魔術なのかと不思議がられてしまった。
オリバーは何種類か使える属性の一つとして植物を扱うが、ホーソン家は騎士か聖女の家系である。
『ブライアン様方が驚かれるのは普通の反応ですよ。淑女が植物魔法に興味を持たれるなんてありません。どの属性よりも下だと見られているのですから』
快く引き受けてくれたオリバーは、美しくカットされた氷の輝きを持つ瞳に悲しみを浮かべながら笑ったのが印象的だった。
「セラータお嬢様は、記憶の作業は進んでいますか?」
大変な作業をしていたはずなのに、汗一つかいていないオリバーはセラータの向かい側に座ると、用意されていた小さなポーションを一気に飲み干した。
動きに合わせて、さらりっと揺れた銀色にも見える水色の髪は、長くなっている襟足の部分だけ濃い青が入っている珍しい色合いをしている。
「はい、先生!」
オリバーは最初の授業の時に、まずは植物図鑑に載っている植物の見た目と効能を覚えるように言った。
前世で言えば、ハードカバーの本二冊分ほど厚みがあったが、知っている植物に似たものもあり、記憶するのは容易い。
ありがたいことに、十三歳という年齢なら、少しばかり覚えが良くても驚かれることもなく、特別目立つこともないだろう。
「では、向こうの薬草園で少しテストとしましょうか」
立ち上がって先に歩き出したオリバーの後にセラータも続いて、薔薇園の先にある薬草園へと足を踏み入れた。
華やかな花弁と芳しい香りの薔薇園とは違い、薬草園は地味だが爽やかな香りで溢れている。
セラータにとってはこちらの匂いの方が、なんだか心も落ち着く。
深呼吸をして一歩足を踏み入れると、地味さが嘘のように輝き花が顔を覗かせた。
「おや? 妖精の歓迎を受けたようですね。珍しいことです」
「歓迎⋯⋯ですか?」
「ええ、薬草園に入った時に、何かが変わったと思いませんでしたか?」
「えっと⋯⋯先程までは、葉しかなかったのに花が咲き始め……」
違和感を憶えて視線を下げると、自分の手が目に入った
何も付けていないはずの小指の辺りが、太陽の光を受けて光り輝いている。
「先生……見覚えのない指輪があるのですが」
困惑することしか出来ないセラータに、オリバーは笑みを深めたが、薬草園を見回す顔には不可解さが浮かんでいる。
「驚いた。その指輪は妖精が作り出したものですね。そして花が咲いたのは、妖精たちの歓迎です。妖精たちはあまり人間に対して、こうしたことはしないのですが⋯⋯」
魔術師である彼は、今では見える人間の減ってきた妖精や精霊が見える人物だった。
そんな彼だから、薬草園を見回す瞳には妖精たちが映っているのかもしれない。
残念ながら今のセラータには、きらきらした光が薄っすら見えるな程度で、はっきりとした姿で妖精や精霊は見えない。
その話を両親や兄にしたところ、きらきらすら見えないという返答をもらった。
「やはり、セラータお嬢様はいずれ妖精の姿が見えるようになるかもしれませんね」
「本当ですか!?」
「ええ、ここまでしてくれているのですから」
妖精は自分の気に入った人間の前にしか現れないし、もともと見える目を持っていなければ姿を視認することはできない。
セラータとしては妖精は前世からの憧れだ。できれば見えるようになりたいし、仲良くなりたい。
「それでは、この薬草はなんでしょう?」
オリバーが指し示したのは、薬草園の中でも多くを占めているものだった。
「ミントです。効能は消化促進で、一年中手に入るもっとも認知されている薬草ですね」
「正解。隣はなんですか?」
「カレンデュラです。万能薬に近い効能がありますね。ただ子供を身ごもっている方には注意が必要なものです。その向こう側の区画に植えられているのは、ローズマリーとセージ、タイムが植えられています」
「いいでしょう。しかし、セラータお嬢様は覚えが良いですね。昔から植物に興味があったのですか?」
ぎくりっ、と肩を揺らした。
かつての自分の脳で考えてみても、植物系の魔法に興味があったことはない。
セレーナのような聖女の能力はないため、カシアと同じような道を歩んで女騎士になるのだろうと考えていた。
たとえ、国の騎士になれなくても、領地の騎士のなるのだろうと。
植物についてなんて考えたこともないのが現実だ。
「まあ、深くは追求しないようにしましょう」
セラータが言葉に困っていると、一つため息を零したオリバーは何かを知っているような目をしながらも一歩引いた。
静かな時間が流れる中、視界に広がるミントやローズマリー、カレンデュラがきらきらと輝きを増している。
心地の良い風が吹いて、葉同士が擦れ覚えのある香りが漂ってきた。
(ああ、落ち着くな)
静かで、空気も美味しく、一部の貴族からは忘れられた辺境の地とも言われているホーソン領だが、セラータとしてはとてもいい環境だと思う。
「明日は晴れるようなので、朝食の後で収穫と乾燥の仕方についての授業にしましょう」
リラックスしているセラータの横顔を見ていたオリバーは、空を見上げてぽつりっと零した。
セラータの目にはいつもと変わらない空に見えるが、彼の目はとても貴重なものがみえているのだろう。
「先生の目にはどんな景色が見えているのですか?」
「そうですね⋯⋯なかなか説明は難しいですが」
考えるような素振りを見せたが、何かを納得したかのように頭を振った。
「説明は必要ないでしょう。いずれ⋯⋯あなたにも見えるはずですから、自分の目で確かめた方がいいでしょう」
その言葉は、何かのフラグだったのかもしれない。
次の日のセラータは、ぽつんと色の違う景色を前にそんなことを思っていた。