第七十七話
(間話―破綻③)
・イザルナ視点
「何か言うことがあってお呼びになったのですか?」
「いえ…別に…」
「そうなのですね。」
しばらくの沈黙。
気まずいだろうか。
それはそうだ。
やることがあるだろうに、急に意味もなく呼ばれて困惑するに決まっている。
何か、目的を探さないとこの人はどこかへ行ってしまうかもしれない。
「お嬢様。」
「?」
「目が泳いでいますよ。どうなさいました?」
「いえ…」
「よく見ると目の下にクマができていますね。」
「そう?」
「ええ。大変ですよ。膝枕でもして差し上げましょうか?なんて」
「お願い。」
「え?」
「お願いするわ。」
「え?ま、まあ良いですけど…この服装は汚れていますから、着替えてきますね。」
「そのままで良いの。」
「…そう、おっしゃるのなら。」
ベッドへと移動し膝枕をしてもらう。
暖かくて、安心する。
「やっぱり添い寝が良い。」
「え?え!?」
「ダメ…?」
「良いですが、それこそ服装を改めないと…ベッドが汚れてしまいますよ。」
「良いから。」
「か、かしこまりました。」
オルメンドにしがみ付くように寝る。
まだいつものルーティーンまで時間がある。
寝ても問題ない。
毎日誰かに抱きしめられている。
好きでもない異性と初対面の異性と強引で傲慢な異性と。
そのどれにも当てはまらない彼女の体温はとても裕福だと感じた。
今まで自分がしてきたことを恥ずかしく感じるほどに。
自然と涙があふれてきた。
自分の感情を久しぶりに見た気がした。
ベッドとオルメンドの服をびちゃびちゃに濡らす。
それを感じ取ったオルメンドが頭に手を置いて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
発言もしない。同情もしない。憐れんだりしない。
そんな空間は初めてで、ずっとこうしていたいと感じる。
いつぶりだろうか。こんなにも気を許せる相手と肌を合わせるのは。
いつぶりだろうか。母にももらえなかった愛情を感じることができたのは。
いつぶりだろうか。素直に誰かに甘えるのは。
どれもこれも久しぶりだ。
なぜ、涙を流すのか。どうして、抱きしめている腕が足りないと思うのか。何をそんなに怯えているのか。
すべての疑問と共に夢の世界へと歩いていく。
「…さま。お嬢様。」
「ん。」
「起きて下さい。お勤めのお時間です。」
オルメンドから離れないようにずっと強く抱きしめる。
「お嬢様。遅れてしまいますよ。それに、お風呂にも入った方が良いです。」
「ん…。」
「もう。一緒にお風呂に行きますよ。」
「うん…。」
オルメンドにだっこされて運ばれる。
そのまま風呂に入り、馬車まで歩いていく。
オルメンドとは風呂で別れた。
とぼとぼ歩いていく。
いつもより足取りが重い。単純に行きたくないんだ。
動けなくなるくらいに体が重い。とうとう止まってしまった。
「お嬢様!」
御者の男が走って来る。
「お嬢様。お時間が迫っております。急いでいただけますか?」
「…や。」
「どうしました?」
「…いや。」
「ええっと…」
初めてのことだった。
ここで拒否するなんてことは。でも、今まで以上に嫌だった。
何かを失う気がしたから。
せっかくもらった何かを落としてしまいそうだったから。
「そう申されましても…私には、どうすることも…」
「どうした。」
「坊ちゃん。」
体が硬直し、震えだす。
この世で嫌いな人物を目の前に抵抗を露わにする。
レオニス・アルドリア。私の兄だ。
「お嬢様が、その、なんと言うか、、」
「歯切れが悪いな。大丈夫だ。安心しろ。お前のせいじゃない。」
「ありがとうございます。」
「妹が迷惑をかけたな。」
「い、いえ、とんでもございません。我々御者は時間通りに行動するだけですので。」
「良い心構えだ。流石だな、ダルモンド。イザルナ、あまり我儘を言って困らすな。周りはお前ほど暇じゃない。飯事に付き合っている余裕はないんだ。理解しろ。」
「い、いや。」
「あ?」
「い、行きたくない。」
「はぁ。立派に育ったな。久しぶりの会話だと言うのに…ルシェル。薬持ってるか?」
「はい。こちらに。」
「飲ませとけ。」
「御意。」
顔を掴まれ、口に無理やり何かをねじ込まれる。
そのまま飲み込んでしまった。
「っ!」
「よくやった。助かったよ。」
「とんでもございません。」
「イザルナ、役割を全うしろ。産まれた段階でお前に拒否権はない。それが存在理由なのに、自分で否定するとは犬よりも悲しい生き方だな。犬らしく、尻尾を振れば良いものを。ダルモンド妹を任せたぞ。」
「は、はい!」
体が熱い。焼けるようだ。
何を飲まされたんだ…。
薬と言っていたが、一体どんな作用がある物なんだ…。
視界にもやがかかったように周囲を正確に捉えることができない。
先ほどの御者がとても魅力的に見える。
今まで見たことのない男性のように。
今すぐに押し倒したい衝動に襲われる。
「ルシェル。イザルナを馬車の中に入れろ。面倒だ。」
「かしこまりました。」
腕を掴まれ、振り回すように馬車の中に投げられる。
強い衝撃が背中を走り、激痛を感じる。でも、それ以上にルシェルが魅力的に見える。
「出してくれ。ダルモンド。」
「行ってまいります。」
馬車は音を奏でながら走っていく。
屋敷に着くころには汗だくだった。
暑いわけではないのに。
「よくぞいらっしゃいました。イザルナ様。」
「御託は良いの。」
「そうですか。では中へどうぞ。」
「食事も後回しにしてもらえる?」
「ええ。結構ですが…そうですね。後でよろしいですな。」
気色悪く感じるはずなのに、この貴族の男と交わることを望んでいる自分が居る。
その衝動を抑えることができない。
まるで、目の前に人参が置かれた馬のように。
部屋に入ってすぐに、貴族の男に抱き着いた。
先ほどのオルメンドのように。なぜか、それが心地いいと感じる。
欲望に支配された自分に嫌悪感を覚える間もなく、発散された。
行為が終わったのは翌朝のことだった。




