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深緑のピアス

作者: 八朔

 思えば朝からついてないことばかりだった。履き慣れないヒールの靴が原因で転んで両膝に傷を作り、レストランの予約日を間違えていて入店できず、たまにしか会えない遠距離恋愛中の彼とは、些細なことで喧嘩して仲直りしないままだ。人一人入っているかのように重いキャリーケースを引きずりながら新幹線に乗り込んだ。


 三連休の最終日のため三列シートの真ん中しか空いておらず、その上、通路側の隣の席はお弁当を音を立てながら食べる背広を着た脂の乗った中年の男性だ。食後にビールを飲んでいたと思ったら寝てしまい、時折こちら側に寄りかかってくる。

 終点の駅が近づき今にも停車しようとしているにも関わらず、足を伸ばして大口を開けていびきをかきながら寝ている。


 新幹線が完全に停車して降車のアナウンスが流れ、続々と乗客が降りていく。声を掛けても軽く肩を叩いても、起きる気配がない。

 キャリーケースが重くて持ち上げられないため跨いで出ることもできず、ほとほと困って立ち尽くす。乗客はほとんど自分達だけになってしまい気持ちは焦るし、今日一日の一連の出来事が思い出され、歯を食いしばる。


 寝ている男性の少し汚れた革靴に目を落としながら、なんとかキャリーケースを持ち上げようと意を決したその時、汚れた革靴の隣に、黒い艶やかな靴が並んだ。


 「貸してください。」と聞こえ、顔をあげると金の短髪に黒のキャップを被り、全身黒色の服を纏った若者が立っていて、こちらを見ている。何が起こっているのか分からず、首を傾げていると、「出たいんですよね?」と問われた。


 初対面の人間と真っ直ぐに目を合わせることができる、洗練された彼の出立ちに気圧され、年甲斐もなく頬が紅潮する。人と目を合わせるのが苦手で、「服は無難」がモットーの自分には縁遠いひとだ。


 言葉がでず精一杯で頷くと、素早い身のこなしで手を伸ばし、キャリーケースの持ち手を握り、そのすらっとした体躯からは想像できない軽やかさでキャリーケースを通路に移動させてくれた。屈んだ時に、深緑の装飾が付いたピアスが見えた。

 彼は手早く寝ている男性の肩を揺らし、「着きましたよ!」と声を掛け、起きたかどうかの確認はせずに颯爽と降り口へ向かって歩いて行った。

 

 一瞬の出来事に驚いている間に、みるみる背中は遠ざかって行く。きちんとお礼を言わなくてはと意を決する。

 「あの!ありがとうございます!」

 ピアスの彼は振り返らずに、優雅にその白い手を挙げて呼応してくれた。

 

 三連休明けの仕事に備えてか、足早に降車する人々が大多数の中で、わざわざ立ち止まって助けてくれた彼に久々に胸が高鳴り、目頭が熱くなった。


 恋をした訳ではない。そんな純粋でも夢を見られる歳でもない。だけど、世の中は捨てたものではない、と思った。

 

 突然彼に揺さぶられて、むにゃついている中年男性すらも可愛く思えた。「終点ですよ。」と穏やかに声を掛け、キャリーケースを引いて降り口へ向かった。キャリーケースは、それまでより重く感じなかった。

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