始まり
吹く。
風は勢いよく体中を駆け抜け、黒衣を閃かせ、纏わりつく重い大気を洗い流していく。
しかし、風は急激に向きを変え、逃げていった。
サイレンの音が聞こえる。
同時に耳に付けていた通信機にザザッと雑音がしたかと思うと、女の声が聞こえてきた。
「バイクが8台ほど警察の包囲網を逃れて現在位置の鉄橋方面に移動しているわ。あなたはそのバイク達を追跡のパトカーが来るまで足止め、もしくは停止させて。警察が来たら即、身を隠すか、その場から離れて、良いわね?」
「了解」
風は止み、掻き流されていた月光で照らし出された黒衣の人物は今立っていた鉄橋の骨組みから飛び降り、鉄橋をひた走るバイク集団めがけて落ちていった。
第1話
僕の名前は、市ノ瀬 春斗。
県立天川高校に通う二年生だ。複数ハーレムを作っているアニメの主人公なわけでもないのに「ヘタレっぽい」と外見でキャラを定着させられている僕。
これでも一応、度胸が必須な剣道部所属だ。
これでも一応、早乙女乙女という1人の大切な女性と付き合っていたりする。
だが、恋愛に奥手な僕は付き合い始めてから、彼女と手を一度も繋いでなかったりする。
まあ、恋人関係は徐々に解決していきたいと思っている。
彼女である早乙女乙女は秋の季節に散る紅葉のような赤い眼、整った顔立ち、流れるように綺麗な黒髪は後ろに束ね、教室の窓際に立つ彼女を見た時、僕は凛として敵軍に立ち向かう巴御前の姿を見た様な錯覚に陥った。はっきり言って一目惚れだった。だから今この時がとても幸せだ。
のろけ話になった。
僕は最近、自分が大切なものを守れる力を持っているのだろうかと思う。
自分に自信がない。
校内マラソン大会のタイムも陸上部には追いつかないが、テニス部には勝てる程度の中程度の持久力。瞬発的な運動を基本とする剣道部内にはあまり長距離運動のマラソンを得意とするものがおらず、テニス部に勝てば超人とはいかなくてもすごいと剣道部内では評価された。それはちょっと嬉しくもあったが、中程度では大切な人を守ることはできないと、大きな無力感も同時に感じていた。
「市ノ瀬春斗」
「はい」
「よし、いるな」
出席確認が始まる。
「五三健人」
「世界を背負って立つ男、五三健人は今日も元気に出席していますよ。先生」
「今日も欠席と・・」
「WHAT!?」
「次、いくぞー」
五三健人は、小学校の頃からできるだけ遠くに居て欲しい人物ナンバー1を連続更新中の友達だ。
小学生の頃、五三健人は僕の隣の席にいつも居た。
体育大会の時、大玉転がしに出場していた五三はパートナーともども転倒した。
大玉は僕がいたテントを直撃して僕を含む40人程度が怪我をした。
中学生の頃、五三健人は僕の隣の席にいつも居た。
文化祭の準備の時、いつも記念シンボルとして建てている大やぐらの飾り付け準備をしていた五三はバランスを崩して倒れた。
それが原因でやぐらが崩壊し、やぐらを見物に来た50人程度が怪我をして僕は肋骨3本と利き手を骨折した。五三は奇跡的に下にクッションがあり、無事だった。
不運な友達関係。五三と一緒にいると大小様々な不運が起こった。数え切れないほど起こった。でも、もう慣れた。段々、自分の負う怪我が酷くはなっているが、それ以前に友達であった。五三が直接僕を殴ったりしてるわけではない。
それに五三は歪んだ趣味や思想を持ってはいるが、根は純粋で正直で公正だ。
「よし、中山康一郎」
……。
「中山は欠席か・・。」
?
おかしいな。中山が休むなんて・・。
中山は絵に描いたような健康なマニアだ。
彼は、一度たりとも学校を欠席したことのない人・・・いや、一度だけある。
インチキな健康サプリを通販で買って飲んでしまい、強烈な腹痛でそのまま検査入院。
2週間は入院と言われたが、恐るべき回復力を発揮し、次の日には登校していた。
それを耳にしたクラスメイトは彼を不死者とか再生能力者とか呼んだりした。
だが、一度あることは二度ある。
大方、またいんちきなサプリを買ってしまったかなと自己完結した。
知らなかった。
気づかなかった。
それがこれから続く最悪な出来事の一部であることをまだまだ僕は知らなかった。
天川市 ジョイ・マーケットコンビニエンスストア西天川店
「お客様。店内でたむろされては他のお客様のご迷惑になります。」
店員は言った。
本当は、「出て行け」と言いたいであろう店員は顔全体の筋肉を引き攣らせながら、やんわり注意した。
「あぁん?」
今の今まで仲間と爆笑していたチーマーの男は明らかな怒りの表情にシフトさせながら店員に近づいていった。
「通路のど真ん中ですし、通行の妨げとなりますので……」
店員はなおも言い続けた。
「当店はお客様に喜ばれる商品、サービスを最優先で提供させてもらうのと同時に法令と社会道徳の正義の精神を尊重しておりまして……」
「お客様にそんな生意気なこといっちゃって良いーのかなぁ?」
さらに言う。
「お客様は神様だよ~?」
「神様に意見しちゃう生意気な店員は~」
「再教育しなくちゃね!」
チーマーの男は唐突に店員に向かって拳を振り抜いた……。
回転する。
天井と床が逆転する。
天変地異?
どうなってんだ?
しかし、その1秒未満の拙い思考も空しく固いコンクリート床に叩きつけられる衝撃を受けて気絶した。
CQC。
CQCは、CLOSE QUATERS COMBATの略称である。
人質を取ったテロリストが施設や飛行機内に立て篭もっている場合などに対応することを主眼においた近接格闘術、狭い室内で多数の敵を同時に戦わなければならない状況や、どこから襲われるか判らない状況で真価を発揮し、素手もナイフも銃でも臨機応変に使い分けていく近接距離に置ける総合的な高等格闘術として開発された。
その高等格闘術を使いこなすコンビ二店員は気絶したチーマーの男に謝罪した。
「スミマセン、お客様。あまりに唐突に殴りかかってこられたので……でも正当防衛なので良いですよね?」
自己完結しながら、ウン、ウン、と頷いている店員を唖然として見ていたチーマー達は息を吹き返したように怒声を発した。
「テメェ!よくもたっちゃんを……」
「ブッ殺す!」
「死にさらせや!」
とそれぞれ言うと、ポケットから果物ナイフを取り出し、店員に飛び掛かった。
国道沿いの歩道
「先に述べておこう、市ノ瀬。俺は一度も働いたことはないぞ」
「そう、ニート!ニートだ!市ノ瀬!」
と何か誇らしげに言う五三は僕と一緒にこれから働くアルバイト先に向かっていた。
家庭の都合上、暇があると、アルバイトをしている僕と違って五三は結構裕福な家庭らしく、漫画でみるような大豪邸に住み、リムジンに数々の高級スポーツカーを所持していて、豪邸の至る所に数百万する壺数十点を展示し、更にはメイドさんまでいるという噂まで聞いたことがある。
しかし、普段、特に贅沢してるようには見えない五三。
「アルバイトもしたことないって、やっぱり五三ってお金持ちなのか?」
単純な興味で聞いてみる。
「お金持ちであること事実だ。だが、それを知ってどうする?」
訝しげに聞いてくる五三。
「そうだな~。五三を騙して資産をあるだけ奪って使って豪遊するかな~」
「お前それ本気で言ってるのか?」
「本気で言ってたら、五三と親友になんかになってないよ」
……
「市ノ瀬ぇ~!愛してるぞぉ~」
「止めろ!抱きつくな!こんな所うちの高校の生徒にでも見られたら……そういう関係なのかとか疑われちゃうだろ!」
だが抱きつくのを止めない。
「僕には早乙女が…彼女という存在がいるんだぁ~!」
「諦めるんだな!市ノ瀬!」
「僕、僕は、早乙女と…添い遂げる!」
「フン!言ってくれるじゃないか?市ノ瀬」
どうやら抱きつくのを止めてくれるらしい五三は、僕の肩とトントンと叩きながらゆっくり小さな声で僕に言った。
「で…早乙女とはどこまで進んでるんだ?」
ブッ
「な、何が?」
五三はニタつきながら言う。
「何がって決まってるだろう?市ノ瀬」
ゴクリ。
「なに顔赤くしてんだよ、手ぐらいは繋いだのかって聞いてるんだぜ?」
「なに勘違いしてたんだ?市ノ瀬ぇ~」
嵌められた!
「まぁ、考えていた内容は聞かないでおこう。どうせウブなお前のことだ、たかが知れてるしな」
失礼な……だが的を得ている。
「で…手は繋いだのか?」
「それはまだ…てす」
「はぁ?」
耳に手を当てて聞き返してくる五三。
ワザとだ。
「ま、まだ、手も繋いでません!」
ニタついた顔を更にニタつかせ、五三は言う。
「市ノ瀬、お前はどんだけウブちゃんなんだぁ?付き合ってもうまぁまぁ経ってるんだろ?なら良いじゃないか、手を繋ぐぐらいどうってことないだろう?」
「それはそうなんだけど……」
「だけど?」
「なんか早乙女さんは僕に心開いてくれてないって言うか、信頼しきってもらってないっていうか……」
彼女はそう……いつも……
「お前達ホントに付き合ってるのか?」
「早乙女さんは付き合ってるわって…」
「信頼しきって貰えないのはやっぱり、僕が頼りなく見えるからかな……」
正直、自信がない。
五三は自信満々に市ノ瀬に言った。
「気にするな、お前は十二分に頼りがいのある奴だよ、世界を背負って立つ男、五三健人様が保障してやんよ」
五三……。
「五三ぃ~友達として愛してるぅ~」
僕は五三の胴体にガッチリと抱きついた。
「おま……止めろよ、こんな所、学校の連中にでも見られたら、アッチ系の人なのかと勘違いされるだろうが!」
ガスッ
五三から膝蹴りをもらって正気になる僕。
危なかった。
「男同士、仲が良いのね、異常なほどにだけど……」
その声は……!
「早乙女さん!」
ヤバイところを見られてしまった。
嫌な沈黙。鋭い視線。
空気を察してか、五三がフォローに回った。
「早乙女さん、いや、誤解しないで欲しい。私達は友情を深めるためにスキンシップをだな……」
しかし、早乙女さんの表情は一切変わらない。
更に視線がキツくなる。
ここで男らしさを見せるんだ、僕。
「早乙女さん、ぼ、僕は君一筋だから!」
言った瞬間、五三が驚きの表情をこちらに向けていたが、ニッコリ笑ったかと思うと後ろ手に親指を立てた。
早乙女さんは僕の顔を見ている。
「こんな言い訳を言うところで、男らしさを見せても私は何も感じないわ」
撃沈。
終わった。
「そういえば、早乙女さん、ここと家の方向って逆だよね?なんでこんな所に?」
場を繕うように尋ねる五三。
「インパクトの強い場面を見てしまったせいで忘れていたわ。そうよ、市ノ瀬君、携帯電話貸してくれない?私のは電池が切れていて通話できないのよ」
「なにかあったの?」
落ち込んで落としていた頭を上げながら春斗は尋ねた。
「そこの通りのコンビ二で人が血を出して倒れてるのよ」
!
「そこって……ジョイ・マーケット西天川店だよね?」
「そうだけど……何か知っているような顔をしてるわね?」
当然だ!そこは……
「俺達が働いてるコンビ二だぞ!」
五三が代弁した。
「早乙女さん、僕の携帯で直ぐに警察と救急車を呼んで!」
と言って早乙女に自分の携帯電話を放り投げる。
それを片手で受け取ると早乙女はすぐに携帯電話を開き、番号を押し始めた。
車の往来がない事を確認すると五三と市ノ瀬はコンビ二のある方向へと駆け出した。
当然の結果だった。
チーマー達は体中をボコボコにされて(特に顔は容赦なく)血を出して気絶していた。
彼らが持っていた果物ナイフはプラスチックの柄だけとなり、本来、使うべき部分である刃の部分はへし折られて、現在はコンビ二店員が指の間に挟む形で所持していた。
ジョイ・マーケット西天川店店長 拝・クリストファー・大五郎は、ナイフの刃を燃えないゴミ箱に投げ入れ、クールダウンのために、首を回したり、伸びのポーズを取ったり、関節を曲げたりなどしていた。
ようやく、クールダウンが終わり、このチーマー達をこのまま店舗の前に置いて置く訳にはいかないと思い、頭を掴んで別の場所に運ぼうとした時、2人の学生服を着た少年が走ってきた。
「拝さん!なにしてんですか!」
少年はいきなり叫ぶと、チーマーを掴んでいた手を無理矢理剥がして、チーマー達に手当てを始めた。
「おい!市ノ瀬、これはどうなってんだ?俺の予想ではこれから行くコンビニの店長さんが強盗のチーマー達に襲われて……血を出して倒れてる筈だったのだが……」
「逆に店長さんが、チーマー達をボッコボコにしちゃってんの?」
正論だった。なにも知らない人が見ればその逆転ぶりに混乱するだろう。
だが、その理由を知っている市ノ瀬には今回の事はトラブル以外の何者でもなかった。
「まず、拝さんがなんでチーマーに勝っちゃってるかと言うと……」
忙しそうに手当てをしながら市ノ瀬は言った。
「イギリスの軍隊の中でも屈強って言われてる海兵隊にいた人なんだ」
「余計なこと言うな!市ノ瀬、これから勤めてくれる従業員が怯えて辞めでもしたら、俺の首が飛ぶじゃねえか!」