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壊れた私とこの世界と

作者: 若宮 澪

闇深いのでちょっとだけ注意

 結局のところ、人というのは自分が大事だ。自分のために自分が生きる、息を吸って食べ物を食べて人に迷惑をかけて人と遊んで。

 全部、自分のためだ。自分が楽しいから、自分が嬉しいから、自分がしてみたいから。そんな理由だけで人は長い人生を生きていける。


 でも、私にとっては─。


 ドアノブを回して、雑念を追い払う。いや、追い払ってもいないか。頭の中ではずっと位置を占めたまま、決して離れやしない。


 「ただいま」

 「おかえり」


 いつも通りの日常、いつも通りの日々。

 学校に行って、帰って。友達とちょっと話して、それで遊んで。電話をかけたりメールでやり取りしたり。


 「お姉ちゃん?」


 私の弟が、そう尋ねてくる。

 私にとっては3歳年下の弟。ずっと世話を焼いてきて、向こうもちょっと迷惑しているかもしれない。ごめんね。


 「辛いことでもあった?」

 「まっさかーッ! そんなわけ無いじゃん、いつもどおり楽しかったよ」


 つい最近までは両親と弟とで四人暮らししていた。でも、私が大学に進学したことで別の県に行くことになり、弟もその近くの高校に入学してしまったこと、そして両親はあまり県を離れたくないことから、今は弟と私とで二人暮らしだ。

 やや狭いリビング部屋、そこにおいてある椅子に座る。


 「疲れたーっ!」


 ふう、とため息をつく。

 思えばこうしてため息をつくのもいつの間にやら癖になっているらしい。酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す、無駄な行為。


 「……、お姉ちゃん、本当に大丈夫?」

 「へいきへいき、なんでそんなに心配してくるの?」


 弟が、男の子らしくもない可愛らしい顔を私に向けてくる。長い髪がふわっ、と揺れて、少しだけ見惚れてしまう。


 「……、ここ最近、なんか変だよ?」

 「そうかな? 別に変じゃないと思うけどなあ……」


 理由はわかっている。

 県を離れてしまったせいで、高校以来の友達とは別れてしまった。大学では、高校のような方法では友達を作れない。

 席が近くにあったから、何度も話しているうちに仲良くなった─高校まではこれでもよかった。でも、大学では自分から探しに行かなければならない。


 もとから、そこまで友達というものに執着していたわけではない。だから、特定の授業でいつも座る席が近い子だったり、同じ学科の子と連絡先を交換したりはしたけど、それ以上の関係には発展しない。

 日中間顔を合わせているから話す機会がたくさんあった昔とは違う。そして、サークルなんてものにもとから興味のなかった私にとって、友達の関係にまで発展することは、一生ない。


 これまでは自分の溜め込んだストレスを、多少なりとも話すことで発散できていた。今となっては、それさえもできない。

 ここの所、多分ストレスが溜まっているのだろう。その自覚はある。でも、解消なんてできないだろう。


 だって、する気もないのだから。


 「お姉ちゃん?」

 「? どうしたの?」


 弟の顔を覗き込む。

 ふと、この子と一緒なら死んでもいいかな、と思ってしまった。








 「じゃあね!」

 「うん、ばいばい!」


 大学からの帰り道、知人と別れる。

 席が近かった子だけど、やっぱり友達関係には発展しない。


 一人、夜の帰り道を歩く。

 電灯が眩しい。光が作り出した私の影、それを心底憎たらしく思った。


 「知ってるよ」


 特に今に不満はない。

 多分、適当に生きて、適当に死んでいける。ただ、それだけだ。


 やりたいことはある。

 昔からずっとしてきたもの─小説の投稿だ。何かを書いている間は、自分がどれだけ空虚な人間なのかを認識せずに済むから。


 最近まで、私は小説を書くのが楽しいから書いているのだと思っていた。でも、多分違う。本当は、書かないと無性に自分が怖くなるからだ。

 中学から、いや小学校の頃から、もっと前からかもしれない。私は、自分の事が怖い。


 人前では、その人にとってよく思われるように振る舞っている。意識してない、本当に無意識のうちにそうしてしまう。

 それで、そんな虚飾に満ちた自分に気付かされた時、自分が嫌になる。死ねばいいのにって思う。人前の自分と自分の本当の姿は違うもの。

 無意識にやっている分、意識的にやっている人よりも更にたちが悪い。


 そして、そんなことを思っている自分のことを無意識にかっこいいって思ってるんだろうなあと思うと、本当に消えたくなる。

 でも、そんな事はできない。

 それは、両親を裏切る行為だから。ここまで真っ当に育ててきてくれた両親にとって、自殺は最悪の仇だろう。


 そして、そんなことを思って結局死ねる勇気もない自分を腹立たしく思う。

 何処までも続く負の無限ループ。私は、本当は壊れた人間なんだって認識してしまう。それが嫌だからずっと仮面を被って逃げて。そして、そんな自分が嫌になる。


 嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。


 前から車が走ってくる。

 眼の前に飛び出せば、楽になれるのかな?


 帰り道にドラッグストアを見かける。

 オーバードーズしたら、楽に死ねるかな?


 駅のホームに電車が駆け込んでくる。

 そこに飛び出せば、一思いに死ねるのかな?


 そんなアイデアだけは沢山思いつくのに、結局実行する勇気がない。苦しいのに、もう嫌なのに、それでも逃げる勇気がなくて。


 「お姉ちゃん……」


 ドアノブを回して、家に入る。

 そこにいたのは、いつもよりも遥かに真剣な顔をした弟だ。


 「……、ねえ、お姉ちゃん。これは何?」


 スマホの画面を見せてくる。

 そこにあったのは、最近私が投稿した小説だった。自殺する少女の話。


 「? 私の小説だけど?」


 あっけんからんと、私は答える。別にやましいことなんてないのだから。


 「……、お姉ちゃん、本当に大丈夫なの?」

 「? どうして?」

 「今までの作風もそうだったけど、段々、人の闇が濃くなってきてる気がするけど」

 「心情描写がうまくなったと褒めておくれ!」


 ドアを締めて、私はそう言った。


 「……、ごまかさないでよ」

 「ごまかすって、何を?」


 ああ、本当に最低だ。

 偽りの感情を表に出して、本心を隠す。弟にさえ、言えないことがある。嫌だ。


 「……、お姉ちゃん。お姉ちゃんは自分のことをどう思ってるの?」








 「それじゃ、またね!」

 「うん、さよなら〜」


 知人と別れて、帰路につく。

 昨日の弟の言葉が、ひたすら私の頭の中で反響している。


 「私は、私のことを、ね……」


 正直に言って、別に本当に心の底から嫌いって言うわけじゃないと思う。本当に嫌いだったら、多分もう自殺してるから。

 だから、心の底のどこかで、私は私のことが好きなのだろう。


 ……、いや、違うかも。


 そもそも、なんで私は今、別の県にいるのか?

 そりゃ、こっちの方が偏差値が高かったっていうのもある。でも、一番の理由は、そこに友達がいなかったからじゃないだろうか?

 別の県に行けば、友達はみんないなくなる。私は、友達から逃げたかったのかもしれない。


 それも違う。

 だって、今私は、友達と話したいと思っているから。じゃあ、どうして逃げたの?


 ……、そっか。


 私の関係は、いつも六年以上持続しない。

 小学校から中学に上がった時、高校に上がった時。そのたびに、私は事実上、友達との縁を切っている。それは多分、私が自分と向き合いたくないからだ。


 友達は、みんな私の過去を知っている。

 でも、私は過去なんて見たくない。それと同時に、未来なんて遠すぎる。私にとっては今だけが重要で、過去も未来も必要ない。

 だから、自分の過去を彷彿させる友達とは、縁を切ってしまう。


 くだらない理由かもしれない。

 でも、私にとっては無意識のうちに堪え難い負担になっていたのだと思う。


 「……、馬鹿みたい」


 そう、私は独白する。

 もとから私は壊れていた、ただそれだけだ。昔からずっと、私は壊れていた。

 それで、今度もまた、繰り返す。


 ……、もう、嫌だ。

 心の底から、逃げ出したかった。


 ドアノブをひねる。


 「ねえ、私と一緒に死ぬ気ある?」


 玄関に来ていた弟に、私はそう言った。







 「……、本当に付き合ってくれるなんて、思ってなかったような気がする」


 私は、そう弟に言った。

 でも、多分心の何処かでは、弟なら乗ってくれると思っていた気もしている。それは多分、弟を私にとって都合のいい人と見ている自分がいたからだろう。

 そう思うと、改めて自分の醜さに気付かされる。やっぱり、私は、最低だ。


 「だって、そうでもしないと、お姉ちゃんは本心を()()()()でしょ?」

 「言わない、じゃなくて?」

 「()()()()。だって、お姉ちゃん、多分どっかで自分のこと縛ってるから」

 「? どういうこと?」


 弟の言葉を待ちながら、私は道を歩く。

 向かっているのはホテルだ。家の中で死体が腐っていくのは、流石に嫌だった。ホテルなら、翌日までには死んだ私達を見つけてくれるだろうし。


 「お姉ちゃんは、お父さんとお母さんのことどう思ってるの?」

 「めちゃくちゃ感謝してるけど?」

 「まあ、そうなるよね。じゃあ、もっと直接的に聞くよ。お姉ちゃんにとって、お父さんとお母さんは、死んではいけないっていう重石になってるんじゃない?」


 心臓が、唐突に心拍数を上げた。

 だって、全く否定できなかったから。でも、いつものように適当に流そうと─なぜか、しなかった。


 「……、そう、だよ」


 ホテルにつく。

 チェックインを済まして、ホテルの部屋に入る。荷物はたった二つ、人を刺し殺せるナイフが二本。


 ベッドに二人で腰を下ろす。


 「……、お姉ちゃんにとって、お父さんとお母さんは、重石だった。でも、だからこそ今日まで生きようって思えていた。

  環境が変わって、その重石も体感できなくなって。だから、遂に押し負けて、死にたいっていう欲求が打ち勝った」

 「……、図星。でも、なんかむかつく」

 「それはよかった。だって、これまでお姉ちゃん、そんな事も言ったことなかったから」


 そうだろうか?

 確かに、あまり恨み言は言わなかった気がする。私が言うのも気が引けたし。


 「お姉ちゃん、自分は仮初の存在だっていう意識はあった?」

 「仮初かりそめ……。んまあ、ちょっと否定できないかも」


 私は壊れている。多分、それは本当のことだ。でも、壊れていないように無意識で演技している。

 壊れている自分と壊れていない自分、その間を彷徨っている感覚は、確かにあった。ちょうど光のスペクトルみたいに、壊れている自分と壊れていない自分を両極とした、連続的な「自分」が存在していて、その間を常に彷徨っている。


 どの色が「私」なのか、答えを出せないまま彷徨うだけ。


 「仮面を被ってる自覚は?」

 「それもあった気がする」


 少なくとも、誰かの前では被っていた自覚がある。それに気付かされた時、自己嫌悪におそわれる。


 「じゃあ、お姉ちゃんは被りたくて被っていた?」

 「……、多分、それは違うと思う」


 無意識のうちに被ってしまうというような、そんな感じだ。意識的にかぶろうとしたことは、そんなにない。


 「そっか……、じゃあ、最後に二つ、質問させて」

 「いいよ?」

 「じゃあ一つ目、その無意識から自分を壊したいって思ったことある?」


 一切の逡巡もなく答える。


 「ずっと、そう思ってた。ひょっとしたら、生まれたときから」

 「……、辛かったでしょ?」

 「いや別に? もう慣れちゃったから」


 多分、これは心の底からの本心だ。

 最初は感じていたはずの違和感も、いつの間にやら慣れて、擦り切れてしまっていた。時々感じることはあったけど、それを辛いと思っていたかというと、どちらかといえば。


 「むしろ、心地よかったよ」


 私が壊れる瞬間を想像するのは、とても心地が良かった。一度、男達に散々に痛めつけられて、監禁されていて、殺されそうになっていて、っていう場面を想像したことがある。その瞬間だけは本心から生きたいって思えるんじゃないだろうか、いやいや壊れていてもうどうしようもなくなっているかもしれない。


 どっちにしても、凄く、心地が良かった。


 好きなだけ壊れられる。

 好きなだけ生きたいって思える。


 そう想像するのが、どれだけ心地よかったことだろうか。


 「……、そっか。じゃあ、本当に最後の質問」

 「どうぞ」

 「お姉ちゃんは、ボクになら壊されてもいいって思える?」


 答えはもう決まっている。


 「イエス」


 ナイフを取り出す。

 ベッドに乗っかって、お互いにナイフを向け合う。


 「私からもいい?」

 「どうしたの?」

 「……、私に殺されるので、いいの?」


 その声に対して、弟は、いっそ晴れ晴れとした表情を浮かべる。


 「どうして、ボクがお姉ちゃんにこんな話ができたのか分かる?」

 「……、もしかして、あなた自身も死にたいって思ってたの?」

 「生まれたときからずっと、お姉ちゃんがボクのことを誘ってくれるのを待ってたんだと思う。ボクは、お姉ちゃんに殺されるために生まれてきた」


 そこに浮かんでいるのは、儚いのに晴れ晴れとした、壊れた人─私みたいな人しか浮かべられない表情だった。


 「ボクは、お姉ちゃんのことを都合よく見てた。ボクのことをいつか殺してくれないかなって、ずっと思ってた。ごめんね」

 「私も、あなたに本当は、ずっと殺されたかったんだと思う。私もあなたのことを都合よく見てた、ごめんね」


 晴れやかな笑い声。

 そして、それも落ち着いた時。小声で弟が、いくよ、といった。


 私はナイフを弟に突き出し、弟は私にナイフを突き出した。


 お腹に走る激痛に、初めて本心から恐怖を覚える。でもそれ以上に、歓喜した。

 これで、死ねるのだから。


 私は、弟を押し倒す。


 「最後にしたいこと、していい?」

 「ボクもしていい?」


 ドクドクと、血が流れていく。

 白いシーツが赤色で染まっていく。


 弟と私、目が合う。

 思えば、多分この瞬間にしか、私にはできないことだったのだろう。誰かといっしょになる覚悟のない私にとって、その行為は、死ぬことよりも堪え難いことだったから。


 でも、それが死ぬまでのほんの一瞬ならば。

 まさに今しかないのなら。


 それなら、たったそれだけの時間なら、他人(あなた)のことを愛することができるから。


 唇を近づける。


 「私、あなたに殺されてよかった」


 ずっと側にいた人に殺されて、だからこんなに安心して逝けるのだから。


 「ボク、お姉ちゃんに殺されてよかった」


 にぃ、と弟が笑う。

 息が感じられる近い距離を詰めるのに、永遠とも思える一瞬の時間が流れる。


 そして私達は、唇を合わせた。

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