4.「婚約解消おめでとう」
ルティーナの住むガレシア王国は、リヴァーデイル大陸の東部と北部の間に位置する大国の一つだ。
海は近くになく、東部は森林樹海が多く、北部は雪山や山岳地帯と、わりと極端に分かれていて、王都は王国の中心に位置しており、王都の周囲を貴族の領地が囲むように配置されている。
もちろん、ガレシア王国の近隣には隣国が複数存在しているが、国同士が国土や資源を巡り戦争をするということはめったにない。
それこそ、かれこれ約二百年ほど戦争は起こってない。
理由はダンジョンだ。
――約二百年程前。
とある国が国土拡大と豊かな資源のためと、他国へ戦争を仕掛けようと、ダンジョンの魔物討伐を怠ったことから始まった。
他国に戦争を仕掛けるころにはダンジョンから魔物が溢れだし、各地でスタンピードが起こり、はてに近隣諸国から冒険者の応援が入るほど被害が甚大になった。
あわや、大陸から国が一つ消え去るところだった。
後に、世界中の王達が集う国際会議で【他国への戦争禁止】が大陸で初めて約定された。
当時のことは歴史に記されており、同じ過ちを繰り返さないよう今でも伝えられている。
そして今でもダンジョンの研究は続いているが、芳しい成果が上がってないのが現状だ。
ダンジョンの出現条件は解明されておらず、不定期に現れ、消える。
だが、ダンジョンの中には役立つ物や素材、ダンジョンでしか手に入れることができない宝具は人々の関心を集めた。ついでに、観光スポットのような役割をはたしてしまっている状態だ。
間違いなく国にはプラスになっているので、深く追求するものは少ない。
♢ ♢ ♢
ルティーナは、婚約解消したこれからのことを家族と相談した。
結果、表向きはこれまでどおり金銭に余裕がない状態を維持。裏では着実に戻していくことに決めた。
元婚約者の実家、グリドート侯爵家とは完全に縁切りしたとはいえ、長年の習慣から油断はできなかったからだ。
金策方法としてはダンジョンが一番儲かるので、ルティーナはこのままSランクの冒険者としてこっそり稼ぐことにした。
Sランクでこっそりというのは表現がおかしい気もするが、冒険者をやっていてSランクだと知っているのは、両親と友人、ギルドマスターとその奥さん、そしてあと数人。
そしてこの日ルティーナは、スタンピードを起こした新規ダンジョンの内部探索と魔物討伐に行くために冒険者ギルドに来ていた。
ギルドカードには事前にダンジョン探索の依頼の通知が届いており、彼女は喜んで承諾した。
「こんにちは」
受付にいるギルド職員に声をかければ、そこにいたのかと目を大きくされた。そこはプロの職員。すぐに順応し対応する。
「お疲れ様です。こちらにカードの提示と魔力をお願いします」
「はい」
ギルドカードは本人証明書のようなものだ。ランクや冒険者ギルドからの直通依頼など、様々な機能が付いている。
中でも、魔力を用いた偽装防止は本人確認に大いに役に立っている。
「――はい、確認いたしました。では今回の発見されたダンジョンの依頼内容を確認させていただきます。今回のダンジョンはAランク認定されました。【氷華の魔女】様の任務は、内部探索と魔物討伐を重点に探索を行っていただきたく思います」
「うん、了解」
「ただ……、今回発見されたダンジョンは、スタンピードが起きたことからランクが高いと判断され、すでにダンジョン内部には騎士団が先発隊として先行しております」
面倒な――ルティーナはフードの下で思わず顔をしかめた。
決して国を守る騎士が嫌いなわけではないが、ダンジョン関係だと話は変わってくる。先に見つけただの、先に討伐しただの、宝を見つけただの、騎士と揉めることはままあるのだ。
今回はダンジョンを見つけられなかった冒険者ギルドの過失。
騎士団が先行するのは仕方がないと割り切った。
「騎士団はもう戻ってる?」
できれば鉢合わせたくないなと思いつつ、ルティーナは職員に聞いた。
「申し訳ございません……。まだ、戻ってきておらず……」
なんとも苦い顔をする職員に、長引いているのだなと推測する。
「分かったわ。訓練場にいるから、行けるようになったら教えてほしいんだけど……いいかな?」
「分かりました」
「ありがとう」
受付から離れ、ルティーナは冒険者ギルドに併設されている訓練場に足を運んだ。
訓練場は、魔法や戦闘の訓練や練習をするために建てられた建物で、特殊な結界が張られており、周りに被害が及ばないようにされている。
(こんな時間帯に、ここに来る人はいないよね……)
時間は正午。予想通り訓練場は閑散としており、食事に向かった者がほとんどだろう。
新しいダンジョンが出たということで、いつも以上にギルド内は騒がしかったが……訓練場は静かなものだ。
訓練場の端にあるベンチに座り、一度フードが取れてないか確認した。
(よしよし)
この白いフードコートはダンジョンの戦利品の宝具だ。
白という色合いから目立つかと思いきや、このフードコートには弱だが隠密機能と認識阻害が付与されていた。
おかげで、魔力の低い人や弱い魔物に認識されることはほぼ不可能。だが、魔力の高い人にはあまり効果はない。
でも、正体を極力隠したいルティーナには大変ありがたい物に違いなく、以降は愛用している。
(さて、魔力のコントロールを始めますか)
手のひらを上に向け、小さな小さな氷の粒を出す。氷の粒は徐々に形を変えていき、結晶の姿になった。結晶は踊るように多様な姿へ変えていく。
キラキラと手のひらの上で繰り広げられる氷の幻想は、思わず魅入りたくなるような美しさを醸し出していた。
「綺麗だな」
「っ!?」
思わず手のひらの上に繰り広がる氷の幻想を落としそうなった。
声がした方に顔を向ければ、そこには黒銀――アルゼスが覗き込んでいた。
「く、黒銀さん……。来てたんですね……」
「ああ、ここにいると聞いてな。ずいぶんと集中していたな」
「はい、久しぶりに魔力の細かい調節をしてました」
魔力の制御や調節などの練習は、一人でのんびりやるのが好きなので、他の人がいる状態で練習を続行する気になれず、ルティーナは氷に消した。
「もう終わりか?」
「え」
いつの間に来たのかアルゼスは、彼女の隣に座って氷の幻想を見ていたようだった。
いつからいたのか、まるで気配がしなかったぞと、同じSランクなのに実力の差が思い知らされると内心思いながら、ルティーナは話を変えた。
「黒銀さんは、ダンジョンに行けるようになったから呼びに来たんですか?」
「違うぞ」
違うんだ。そしてなぜ隣に座っているのだ。
ルティーナは心の内で動揺した。
なぜなら、彼は女性を寄せつけないことで有名だからだ。学園でも、わざわざ結界を張ってまで近くに寄らせないようにしているのを見たぐらいだ。
ルティーナはフードを目元が隠れるくらい深くかぶっているが、声は変えていない。中身は女なのだ。それはアルゼスも知っているはず。
「じゃあ、どうしてですか?」
「どうしてだと思う?」
質問に質問で返され、ルティーナは答えに窮してしまった。
「んー……、分かりません」
「そうか」
分からないと返したルティーナに、アルゼスは深く追求することはなく柔らかく笑った。
(おお、珍しいものを見た)
彼が笑う姿は稀だ。めったに見ることはないと言ってもいい。そんな人が柔らかく笑うところを見て、なんだか特した気分になったルティーナだった。
「【氷華の魔女】様、【黒銀の騎士】様、いらっしゃいますか? ダンジョンへの探索が可能となりました。いつでも行くことができます」
しばらくすると、訓練場の扉を開けて顔を出したギルド職員がダンジョンの探索が可能になったことを連絡しにきた。
「ありがとう」
礼を伝えれば、そこにいたのかと驚かれた顔をされ、礼をして去っていった。
「さてと、行きますか」
立ち上がり、訓練場の出入り口へと向かおうとルティ―ナは歩き出した。
「氷華」
ふいにアルゼスに呼びかけられ立ち止まる。
「なあに?」
顔だけ振り返れば、予想外に近くにアルゼスがいて少し驚く。そんな彼が、ゆっくりとした動作でルティーナの耳元に口を寄せ、ささやくように言った。
――婚約解消おめでとう
と。