3.学園にて友人と
「婚約解消おめでとう。ルティ」
ここはガレシア王国、王都イルスレーンにある王立ヴィルトール学園。
朝、学園の生徒がまだ登校してくるには早い時間帯、ルティーナは婚約解消のあらましを事前に伝えた友人から祝われた。
「ありがとう、メル」
婚約を解消されて、おめでとうと祝われるのは若干おかしい気もするが、ようやくと思うと感慨深い。
「惜しむらくは、それがあなたからではなく、あの男からというのは納得いかないわ」
「仕方がないわ。そのあたりは相手のほうが一枚上手だっただけの話よ」
まなじりを吊り上げ、いかにも憤慨してますという雰囲気を崩さない友人に、ルティーナは苦笑しながら返した。
メルティリア・ストーレイル侯爵令嬢。ルティーナの友人だ。淡い空色のストレートの髪に、濃い新緑色の瞳をした美女で、目じりが少しだけきつめなのが印象的だ。
「それに、婚約解消後に刻印誓約書を作ったの。もう、私にも家族にも簡単には干渉できないわ」
もう元婚約者に、その家族にも搾取されることはない。できない、と言っても過言ではない。それは調停員の方が証言してくれた。
あの日、刻印誓約書の約定がすべて決まり、確認も十全に行われたのち、刻印誓約書は鳥に変化し飛んでいった。
国王陛下への直通の重要書類だから当然だ。
それを元婚約者は呆然と見送っていたが、もう覆すことは不可能。
「刻印誓約書を作ったのね……。それなら安心だわ。あれは陛下が一方に不利益や損を被らないために作ったものだし、国王陛下と調停員の方しか使えないものだもの」
そう、国王陛下と公証人しか使えないから、実質、重要書類扱いを刻印誓約書はもっている。
「これで、ようやく自由だわ……」
婚約して約八年。辛酸をなめ続けきたアトレ伯爵家は、ルティーナが婚約を解消したその日、屋敷全体がお祝い騒ぎだった。
久しぶりに家族みんなで心から笑い合えた。
「よかったわ」
ルティーナの心からの穏やかな表情に、メルティリアも微笑んだ。
「それにしてもあの男は、ルティのことなにも知らないのね」
突如話を変え呆れたように言い出した友人に、ルティーナは少々意地の悪い顔をする。
「言ってないし、教えてもないからね」
元婚約者にはなにも言わなかった。
婚約をしていても、報告をしなければならない決まり事もなければ、義務も、ついでに信頼も存在していなかったのだから。
メルティリアはふと視線を動かし周りを確認すると、手に持っていた扇を広げ、ルティーナに顔を寄せて声を潜め、ささやくように話し出した。
「ねぇ、今度の休息日に行くのでしょう?」
そんな友人に、同じく声を潜めながら答える。
「その予定よ」
「大変ねぇ……。たまには、わたくしともお出かけしてほしいわ」
「これが終われば行けると思うわ。スタンピードを抑えただけで、さすがにダンジョンの中までは探索できなかったのよ。魔物のランクも高かったし、探索も頼まれてるから」
「そう……、ルティが強いのは知っているけど、たとえSランクの冒険者でもくれぐれも気をつけるのよ」
「ありがとう。気をつけるわ」
友人の言葉にルティーナは笑った。
メルティリアは、ルティーナがSランク冒険者だと知っている数少ない友人の一人だ。
メルティリアの心配がルティーナには少しくすぐったかったが、同時に自分のことを心配してくれる友人に感謝した。
無事な姿で帰ってこようと心に刻む。
その時、予鈴の鐘が鳴り響いた。
「あら、もうこんな時間。じゃあ、またね」
「ええ、また」
メルティリアと別れ、ルティーナは授業の準備を始める。
今思えば、怒号の休日だった。
冒険者ギルドに金策対策をしに行ったら、スタンピードが起きたから行ってくれと言われ現場まで急行し、次の日には婚約解消。
特に婚約解消なんて緊張もひとしおだった。
のんびりできる日が来るのはいつになることやら……と、ルティーナは遠い目をしてしまった。
♢ ♢ ♢
ルティーナが冒険者になったのは、元婚約者と婚約してから三年目のことだった。
将来、アトレ家に婿入りするための持参金の前金だと言いはり、遠慮なく使っていく元婚約者とその実家。
アトレ伯爵家は新しい家族も増えたのに、このままでは資産は底を突くだろう……と。
お金の工面を思案したのち、一番手っ取り早いのは冒険者になって金策対策することだった。
冒険者は実力重視。
実力さえあれば、年齢も関係がない。ルティーナは「これだ!」と判断した。
幸い、魔力も高く、魔法の腕にも自信があった。が、その代わり学園では本当の実力を出さないことに決めた。
理由は、いつ、誰がルティーナとSランク冒険者【氷華の魔女】を結びつけるか油断できず、それこそ婚約者だったジュリオルやグリドート侯爵家に知られるわけにはいかなかった。
そこでとった方法は、学園で使用する属性魔法を、本来はメインで使う主属性と、サブで使う反属性を逆にして魔法を使うことだ。
さらに魔力を弱めて使えば、一般の学生とさして変わらない平均的な実力となる。
その代わり冒険者活動では、そのまま本来の実力で魔法を使用している。
これだけでも十分に効果はあるのだろう。
実際、こうして誰にも(一部知っている人間は除く)バレることなく学園生活を送れている。
この世界の魔法は想像力がものをいう。
魔力が高くても、制御や集中力が半端だったり想像力が足りなければ失敗する。
魔法には属性魔法の他に、無属性魔法と特殊魔法の基本三種類が存在していて、その中で属性魔法のみが自身の適正属性を変えられた。
属性魔法には無属性魔法と特殊魔法と違い、属性の比率が明確に存在しており、メインで使える適正属性を主属性、サブで使える適正属性を反属性と呼ぶ。
なぜ副属性ではなく反属性と呼ぶのか、それは主属性とはほぼ対となる属性が副属性になるので、反属性と呼ばれるようになった。
もちろん、主属性と反属性と呼ばれる属性以外にも使えるが、適性は低いので魔法の威力は大幅に落ち、初級も初級の魔法しか使用はできない。つまり、ほぼ使えないということだ。
ルティーナは主属性に氷、反属性に植物。
この二つが適正だと知ったとき彼女は、創造力は無限大だと大いに喜んだ。
属性の比率自体は、六歳の頃に教会で判明する。
国への報告義務はあるが、わざわざ周りの人間に周知する必要性はない。もちろん、大々的にいう人間もいるが。
学園に入学したルティーナは、魔法がある授業では主属性を植物、反属性を氷として魔法を使うことにした。
魔力のコントロールには自信があったし、学校では補習にならない程度に頑張ればいい。その代わり、冒険者業では大判振る舞いをしようと。
冒険者になって五年。Sランクになって二年。
怒号の日々だった。
その終わりの一つが婚約解消だ。
(もう隠す必要はないんだけど……)
ルティーナは窓ガラスに映る自分を見る。
そこには、少しきつめに後ろにまとめた髪に、分厚い眼鏡をした自分。
一言で表せば地味。もう一言、付け加えるならば野暮ったい。
だが、婚約中はこれでよかった。婚約者の関心を引きたくなかったから。
婚約解消した今なら……。
(あ……)
窓の外では魔法を使った模擬戦をやっていた。
タイの色からして上級生で間違いないだろう。
暗い紺色の髪の男が対戦相手に、雷撃の魔法を食らわせたところだった。黒い電光が走る。
(おお、さすが黒銀さん)
もはや学生では相手にすらならないだろう。実力差がありすぎる。
むしろ、対戦相手のほうがかわいそうだ。そう思ってしまうほどに。
黒銀。本名はアルゼス・レイズバーン。レイズバーン公爵家の嫡男だ。
公爵家の嫡男が、なぜ冒険者に? という疑問は、学生では相手にならないことと、騎士では実力が十分に発揮できないこと、冒険者のほうが気が楽だと……本人談である。
あれだけの実力、公爵家も鼻が高いだろう。そう思って見ていると、試合終了の合図が鳴った。
勝者はアルゼス。
近くで見学していたであろう女子生徒達が、一斉にアルゼスに向かっていくのが見えた。
(ああ……)
ルティーナは思わず遠い目をしてしまった。
彼はモテる。
公爵家の嫡男で、Sランクの冒険者で、頭も良く、容姿端麗。しかも、婚約者はまだいない。
こんな最高級物件、世の女性が放っておくはずがない。
(あ、結界張った)
女性を避けるために結界を張るのは彼くらいだろう。ルティーナは思わず笑った。
(あれ?)
一瞬、アルゼスがルティーナのいる方を見た気がした。
見ているのを気付かれた?
(気のせいかな?)
自分以外にも見ている人はいるはずだ。
気のせいだと思うことにした。