第二幕・此処は異世界
「おおっとー、誰かと思えばレイラじゃないかっと。儂のお愉しみを邪魔するなんて、イケない娘だなっと?」
「生憎と仕事の時間です。お愉しみの時間は後にして頂きたく」
「こんな老い先短い儂を仕事に駆り立てようなんて、酷い話があるもんだなっと。さては昨夜から話題の少年が目を覚ましたのかなっと?」
「御意に。立ち合いについては手前が務めますので、決して手抜かりがないよう願います」
「やれやれ、それじゃあ不本意ながら初めましてだな少年っと。儂がこの統制機関カレンデュラの最高司令官、ドルガー・ヴォーゼ総帥だぞっと。気軽にドルちゃんと呼んでくれると嬉しいぞっと」
「俺は飛来龍だ。早速で悪いが、アンタみたいな飲んだくれの筋肉だるまに裁判官が務まるとはとても思えねぇんだが?」
「ぬはは、思ってた通り活きが良い少年だなっと。伊達に王宮の警備兵達を何人も医療施設送りにしてないなーっと」
「言っとくが武器を持って仕掛けたのは向こうの方だぜ。だから正当防衛って奴だぞアレは」
「なら王宮侵入についてはどう説明するのかなっと。当時に裏庭を警備していた者達が、確かに証言しているんだぞっと?」
「それは俺の方が聞きてぇよ。変な占い師と話してたらいつの間にかあそこに突っ立ってて、何が起きたのかはさっぱりだ」
「ほほーんっと。つまりその占い師こそが元凶で、お前さんは何も知らない単なる転移魔術の被害者だと言い張る訳かなっと」
「その通り………いやちょっと待て、今なんて言ったよ爺さん。俺には転移魔術がどうとか聞こえたが?」
「別に聞き間違えてないぞっと。しっかし最近多くて困るなぁこの手合いはっと。泥棒とか付き纏いとか、皆して転移魔術の被害者になっちゃうんだからなーっと」
「…ふざけんなよこの酔っ払いがっ、何が転移魔術だっ。そんなファンタジーの話してねぇで、ちゃんと被告人の話を聞けっての!」
「おおっとー、そう来るかーっと………レイラ、コレ本気かなっと?」
「…彼は獣ではあっても、道化ではない。手前の見解は以上です」
「そうかー、参ったなーっと。もしも本気なら、仰天だっと。笑っちゃう位に可哀想な訳だなー、この少年はっと」
この時、統制機関カレンデュラの最高司令官ことドルガーは何気ない気持ちだった。
ただ目前の青年が内包する、喧嘩上等の精神に火が付いてしまった。
先ず見るからに年代物の両袖デスクに対して、渾身の蹴りが入る。
元より頑丈ではないデスクは、忽ちその機能と値打ちを一度に失った。
しかし持ち主であるドルガーからは特にお咎めはない。
また更なる激情の矛先を知りつつ、尚も余裕の態度を保っている。
まるでこの場では何の問題も起きていないと言わんばかりだ。
そんな様子が、いよいよ若き血潮から一切の躊躇を消し去った。
強く握り締められた右拳は容赦なく老骨へと向けられ、そして何の淀みもなく目的を達成する。
仮に現代ならば、後々に青年が老人を暴行したと訴えられても何ら不思議ではない。
ましてやこの場には凄まじい力量を持つ証人、レイラ・ロードスが居る。
彼女なら昨晩と同様、青年の蛮行を阻止するのは容易い。
それが今回に限って動かないのは、思わず呆れてしまったからだ。
統制機関カレンデュラの最高司令官、それは単に権力だけを象徴している訳ではない。
人々から赤鬼の如く映るその威容も、決して虚仮脅しではない。
どんなに酔っても無敵の誉れ。
どんなに老いても最強の座り。
決して揺れない不動の頂き。
問題児と呼ばれ続けた青年もまた、たった一発でその絶大さを存分に思い知るのだった。
「まずまずの膂力だなっと。対人相手で攻勢に迷いもなく、これなら王宮の一般兵士達を次々と吹っ飛ばしたのも納得だぞっと」
「…何なんだよテメェは、真面に食らったのにケロっとしやがって。俺が殴ったのは人間じゃなくて、分厚い岩盤か何かかよ?」
「ぬははっ、そんなに褒めても何も出ないぞっと。まぁ儂ってば、頭だけで山も砕けるがなーっと」
「くははっ………冗談に聞こえねぇのが困ったもんだぜ」
「そんな物憂げな顔しないで、もっと喜べ少年っと。儂はお前さんのこれまでの主張、全て受け入れることにしたんだからなーっと」
「お、おう。何だかよく解らねぇが、急に聞き分けが良いじゃねぇか」
「そりゃあお前さんってば、この世界の出生じゃないだろっと。魔術の有り方を肯定しない奴なんて、この世界じゃお子様でも存在しないからなっと」
「いやだから何でそうなるんだよっ、やっぱり耄碌ジジイか!」
「ぬはは、確かにそうだった方がお前さんは幸せだろうなっと。魔術に何の所縁もないだろう身には、此処はちょいと生き辛い世の中だっと」
「…総帥、本気なのですか。よもやアレだけの事を仕出かしたこの者を、無罪放免にすると?」
「まさかっと。儂とて立場上、王宮の敷地内に無断で侵入した輩を野放しには出来ないさっと。だから少年は新しい訓練生として、カレンデュラの指導下に置く事にするぞっと」
「待てよっ、それって結局は有罪を喰らった囚人が更生プログラム受けるのと同じじゃねぇかよ!」
「素直に受けた方が身の為だぞーっと。お前さんだってその歳で、暗くて汚い独房生活なんて真っ平だろっと?」
「…俺が、そんな脅しに屈する質に見えるのか。なぁ、ドルちゃんよぉ?」
「ぬははっ、そりゃあ見えんが如何するつもりだっと。この場で暴れれば何とかなるって思うほど、間抜けでもないんだろっと?」
200cmを優に越える巨躯が、呵々と笑って見せる。
それだけでも三白眼の瞳は、断崖絶壁が反り立つのを垣間見た。
加えて背後には不敵に笑う紅いウルフカットの女性の姿が在る。
それだけでも既に後頭部へ銃口を突き付けられている状況と変わりない。
わざわざ喧嘩を繰り広げるまでもなかった。
斯くして統制機関カレンデュラに新しい訓練生が誕生する。
更に部隊長兼訓練生担当であるレイラを先導役とした、題して新人歓迎カレンデュラ観光が取り行われる。
先ずは正門から向かって正面に在る、デュランタと呼ばれる七階層の建物からだ。
上から見た形は殆ど正方形、薄紫色の洒落た外装に加えて面積は凡そ2ヘクタールに及んでいる。
此処は機関の窓口とも呼ぶべき場所で、三階層までなら一般人でも自由に出入りが可能だ。
一方で四階層以降は各々の権限が必要となり、最上階では総帥であるドルガーが鎮座している。
続いて正門から向かって右手には、ウンデュラタと呼ばれる赤褐色を基調とする建物が在る。
此処はレイラを始めとする正職員達の個室や医療室など多岐に亘る施設を内包している。
先達て龍が目覚めた医療室も此処に存在しており、デュランタ側とは幾つかの渡り廊下で繋がっている。
また外見に関しては三階建てビルディングに相当するのだが、地下には独房という名の広く入り組んだ空間が形を潜めてもいる。
最後に正門から向かって左手へ向かうと、時計台が特徴的な白色の建物が見て取れる。
その周辺には他にも建物が幾つも点在しており、空から見れば白色の建物を中心に円形状に配列されていると解る。
この区域は全体を通してクレマチスと呼称され、謂わば機関の養成所となっている。
因みに現代での学生寮と呼べる区間も存在し、今も凡そ数百人の訓練生が正職員を目指しながら住居している。
新人歓迎の途上である龍もまた、今後は訓練生としてこのクレマチス所属となる。
「さて、他にも案内したい所もあるが日も暮れて来た。最後に君がこれから住居する場所へ案内するとしよう」
「とか言って、実は独房送りなんてオチじゃねぇだろうな?」
「手前としては、その意見に大賛成だ。猛獣と言うのは、檻に入れて置くのが一番の対策なのだから」
「ちっ、いい加減にその猛獣扱いを………っておい、何だアレは?」
クレマチス内における某所にて、三白眼の視線は釘付けとなる。
其処ではごく有り触れた男性が、指先から炎を出現させていた。
彼の炎は次第に大きさを増し、やがて空中で無数に分裂して爆ぜ散る。
これは何度か繰り返され、その都度に規模や配色等の調整が行われる。
傍から見ればソレは、よくある家庭用の花火で遊んでいるかの様だ。
他にも桶に入っている水を、氷に変えている年配の女性が居る。
また暗室らしき空間で、小柄な男性が作業の為に煌々と光を点している姿なども在る。
何れも効果自体は現代科学で不可能の領域には達していない。
ただ彼等の共通点として、一切の道具を使用していなかった。
「おい、おいおいおい。どうなってんだ、此処はあんな超絶な手品を教えてる所なのか女隊長さんよぉ!」
「そんなに驚かなくとも、彼等の魔術はまだ"発生段階"だ。多少の素養があれば、君でも難なくこなせるようになると思うが」
「…なぁ、冗談だろ。そもそも魔術なんてのはファンタジーな世界限定の話だろうが」
「何を根拠に魔術を限定的に考えているのかがよく解らないな。君も魔術の名称は肯定しているのに、どうしてその有り様に納得が出来ていない?」
「そりゃあ………いや、実は俺の認識が間違ってるのか、これ?」
「手前に聞かれても困るよ。異世界の事は解らないが、少なくとも手前にとって魔術とは至って普通に存在するモノなのだから」
「マジか………くそっ、何だか頭が痛くなってきたぜ。誰かさんのお陰で体の節々も痛ぇし、最悪だ」
「んふふっ、なら今日はしっかりと休むと良い。そして明日からは正式な訓練生として、実りある生活を心がけるんだぞ」
「…まぁ、善処はしてやるぜ。俺もこのまま泣き寝入りするなんて、性に合わないんでなぁ」
「…あぁ、手前も今後の成長を期待しているよヒライリュウ」
最後に火花を一つ散らした所で、新人歓迎カレンデュラ観光は幕引きとなる。
その後はレイラの案内の下、クレマチス内の片隅にある小屋へと行き着いた。
其処は余り手入れが行き届いていないものの、居住に必要な最低限の家具や設備は備わっている。
中でも特徴的なのはカレンデュラ専用の通信機の存在で、壁に設置されている液晶画面を通じて別室と映像や音声のやり取りを可能とする。
これは携帯型も存在しており、訓練生には腕輪型が主に普及している。
ただし新人である龍にはまだ使用権限が与えられていない。
また現代では最新機種の携帯電話も、此処では通信関連が全く機能しない。
その気になればカメラやライト機能に関しては使用可能だが、既に龍の携帯電話は残りの充電が乏しくなっている。
「…悪いな姉貴、どうせ使えねぇんだ。あんなファンタジー連中に、見られて良いモノでもねぇだろ」
身長193cmの図体が繰り出す腕力が、現代では最新機種の携帯電話を容易く真っ二つに圧し折る。
自ずと携帯電話は全機能が停止し、同時に飛来龍の履歴がこの世界から消え去る。
そして鋭い三白眼の瞳は、この世界を静かに見据えた。
知らない景色。
聞いた事のない組織。
魔術と呼ばれる奇跡の存在。
現代とは何もかも異なるこの世界を、その眼光はもう二度と夢や幻とは断じない。
一方で喧嘩上等の精神は、未だ熱く煮え滾っている。
全ての元凶と思わしき街中の預言者。
手痛い敗北を味合わせた紅髪の女隊長。
圧倒的な格の違いを見せ付ける老境の総帥。
本当に飛来龍の異世界物語が始まると言うのなら、この三名を圧倒しなければ完結とは成らない。
しかし現時点で大きな問題が立ち塞がっている事もよく理解している。
街中の預言者には、人を転移させる方法が有る。
紅髪の女隊長には、弓矢で大の男を吹っ飛ばせる手段が有る。
老境の総帥には、岩盤の様な構築をしている肉体が有る。
三種の全てを魔術と判断する材料は無いが、その一言で納得できることばかりなのも確かだった。
「…まぁ、物は試しだ。実は俺は魔術の天才でしたーだなんて、異世界モノなら良くある話だろ」
龍は深呼吸を一つ挿むと、魔術に挑戦する。
手始めに考え付く限りの呪文を詠唱する事にした。
特に炎や水に風などの、いかにも属性が伴いそうな文言を片っ端から試して行った。
何れも至って真剣かつ迫真の声色ではあるのだが、当然ながら何も起こらない。
他にも何処かで聞いた事のある技名なども試しては見たが、これも体力を消費するのみである。
そうこうしている内に夜は更けて行き、そのまま世界は朝を迎えた。
自ずと統制機関の養成所であるクレマチスでは、彼方此方で訓練生達の賑やかな声が広がる。
一方で尚も試行錯誤を続ける龍だったが、やはり成果は上がらない。
やがて時間切れと言わんばかりに軽快なノック音が響くのだった。
此処まで読んでいただき感謝<(_ _)>
拙いですが、もし少しでも楽しんでいただけなら幸いです。
良ければ次回以降も拝読して頂ければ幸い。