第五幕・一画目
「何者だ貴様っ、一体何処から現れたのだ!」
「いやいや、いやいやいやいや、そいつは此方のセリフだろうが。そもそも何だよその恰好は、こんな夜中にコスプレして出回ってんじゃねぇよ!」
「何を訳の分からぬことを言っている!貴様は無断で王宮の裏庭に侵入した、これは大罪だぞ!」
「ふざけんなよっ、何が王宮だ。そんな物がこんな所にある訳がねぇだろ!」
「ふざけているのは何方だっ、貴様の背後に佇むは紛れもなく我等がフィーリア王国の王宮であるぞ!」
「おいおい、揃いも揃って俺を担ごうだなんて舐めた真似………えぇっ?」
他の者より一際に重装備な男が指差した先には、確かに王宮と呼ぶに相応しい絢爛な建物が佇んでいた。
深夜と言う時間帯においても見事に照明されたその威容は、とある有名な世界遺産にも劣らない。
初見なら誰もが圧倒されても仕方がなく、私立ライラック学園屈指の問題児とて例外ではなかった。
一方で西洋風の鎧兜を纏う男達は、この間にも侵入者と思われる目標を捕まえようと画策する。
そしていよいよ決行という矢先、新たに侵入者の称号を得たばかりの問題児が素早く地面を蹴り上げた。
正確には地面に転がっていた小石を蹴っており、一際に重装備な男の兜からはみ出ている鷲鼻を挫いて見せた。
続いて長身から繰り出される強烈なタックルによって突破が成功する。
西洋風の鎧兜を纏う男達は慌てて追走しようとするが、既に対象は暗闇の向こうへと消え失せていた。
もし一連の出来事が単なる喧嘩沙汰だったならば、話はこれにて終了となる。
しかしたった一人の逃走劇から間も無くして、けたたましい警報が辺りに鳴り響いた。
同時に数百人余りの武装者達が、王宮への侵入者捕縛の為に出動した。
彼らは其々の武器と灯りを手に、王宮の敷地内を隈なく捜索して回る。
また敷地外でも続々と徒党が組まれ、鼠一匹の脱出さえ許さない態勢だ。
自ずと今宵の騒動における原因は、広大な王宮の裏手側に設けられている植林地帯への潜伏を余儀なくされた。
其処は立ち並ぶ木々や茂みで非情に鬱蒼としており、長身の者でも十分な隠れ蓑となっている。
一方で問題となるのは以前から植林を住処とする獣や虫の類である。
前者は長躯を前に逃げ出す輩が殆どだが、その際に生じる物音は決して小さくない。
逆に後者は自ら耳障りな音を立てながら、息を潜める様を嘲笑うかの様に取り巻く。
例え命がけの状況下でも、日頃から問題児と呼ばれる青年にとっては耐え難い不協和音ばかりだった。
程なくして募る苛立ちを名目に、両手の一撃が米粒にも満たない小さな息の根を止めに掛かる。
この際に思わず声が乗っていたのかもしれない。
或いは想像以上に両手から快音が鳴っていたのかもしれない。
はたまた勢い余って周囲の茂みを揺らしていたのかもしれない。
何れにせよ事の次第を聴き付けてやって来た者達は、これまで出くわした獣や虫達の比ではなかった。
「居たぞっ、居たぞぉっ。例の侵入者だっ、場所は王宮裏手の植林地帯!」
「よーしよくやった、絶対に逃がすんじゃあないぞ!」
「退け退けっ、この俺がとっ捕まえて手柄にしてやる!」
「はー、こちとらもう少しで交代の時間だったってのにぃ………要らない手間をかけさせるんじゃあなぁい!」
並み居る武装者達は、揃いも揃って一点を目掛ける。
夜中の哨戒任務ばかりに就いている彼等にとって、今宵は日頃の鬱憤を晴らす絶好の機会だったのだ。
ただしこのたった一人の侵入者は、決して一筋縄ではいかなかった。
先ずは夜中の植林地帯における視界の悪さと遮蔽物を利用し、囲まれないように立ち回る。
堅い鎧兜などを装備してない分、動きに関してはこの場の誰よりも軽快だった。
やがて武装者達の方から疲労する者と業を煮やす者とで別れる。
三白眼の瞳はこの機を見逃さず、すかさず反撃に転じて意表を突く。
同時に武装者の一人が持っていた七尺程度の戦棍が、たった一人の侵入者へと味方した。
そしてこれが両陣営にとって分岐点となる。
単なる打撃武器の一つに過ぎなかった筈の戦棍は、主を変えた事で大きく飛躍を遂げた。
その一振りは、人一人を容易く弾き倒す。
その一突きは、人一人を容易く刺し崩す。
全ては持って生まれた天性の膂力と、頑丈で振り回せる得物が織り成す合作だ。
対する武装者達も懸命に立ち向かうのだが、彼等にとっての脅威は何も戦棍だけではない。
途轍もない膂力から繰り出されるのなら、単なる石ころでさえ明確な投擲武器として機能する。
狙いに関しても無数の灯りのお陰で困る余地がない。
何よりもその体力には一筋の切れ目すら見えなかった。
何時しか並み居る武装者達は近寄ってもぐら叩きに遭うか、遠巻きから的当てに成るかの何れかを迫られる。
当然ながら彼等に拒否権など存在せず、時を経る毎に犠牲は後を絶たない。
また犠牲になった後は自慢の装備品までも奪われる。
戦棍に続いて主を変えた品々は、味方への更なる被害へと直結する。
事ここに至って、残る武装者達の間では新たに選択肢が浮かんでいた。
ソレは職務を放棄しての撤退か、職務に準じての玉砕かの二択である。
ここで前者を選んだ者は後に味方から臆病と謗られるのだが、目前の敵はこれを賢明として見送った。
一方で後者を選んだ者は後に味方から勇者と称えられるのだが、目前の敵はこれを蛮行として咎めた。
因みに他と比べて一際に重装備だった鷲鼻の男は、徹底して後者を貫いた一人だった。
「よーし、こんなもんか。悪いな鷲鼻のおっさん、なかなか具合の良い防具が手に入らなくて困ってたんだよ」
「ぐ、おおお………たった一人で、この人数を圧倒するとは………本当に人間かお主は?」
「けっ、テメェ等の弱さを棚に上げてんじゃねぇよ。俺は昔から自分より弱い奴に負けるのが嫌いなだけだ。特に人数差で勝とうなんて思ってる連中は大嫌いなんで、ちょっとマジにはなっちまったがなぁ」
「ならば貴様は我々が千人………いや万人で掛かろうと負けぬと宣うのか?」
「当たり前だ、それが喧嘩ってもんだろ。まぁアンタが俺より少しでも強かったんなら、大人しく捕まってもよかったんだが………その程度じゃなぁ?」
「ぐ、ぬぬ………しかし、このままでは済まさぬぞ………我々は誇り高き王宮護衛兵………決して侵入者に屈したりは…」
戦う前から鷲鼻に青痣を残していた男は、全身にまで青色を広げながら尚も立ち上がろうとする。
幸いその根性は認められたのだが、其処へ振り下ろされる戦棍に容赦はなかった。
斯くして植林地帯においてたった一人の侵入者を止められる者は居なくなる。
更に武器に加えて防具までが備わった事で、侵入者は植林地帯という隠れ蓑に頼る必要がなくなる。
自ずと舞台は移り変わり、脱出劇は第二幕と相成った。
其処から間もなしてく、たった一人の侵入者の許へ新たな武装者達が殺到する。
彼らは万が一の取り逃がしに備え、王宮の敷地外を堅めていた護衛兵達だ。
また植林地帯から逃れた者達から惨状を聞き及び、本来なら非番である者達も加わっていた。
数を合計すれば植林地帯で倒れた者達の二倍近くに相当する。
しかしたった一人の侵入者もまた、その鋭い三白眼をフル稼働した。
目的は脱出劇を成功させる為の最適なルートの構築である。
相手の装備の適否から力量の強弱、連携の有無から距離の遠近に至るまで余すことは無い。
後は全てを総合し、最も微力と判断した一点を全力で突く。
これこそが、百人からなる暴走族グループさえたった一人で打ち倒した男の真骨頂である。
護衛兵側の犠牲者こそ微々たる物だったが、王宮の敷地外へと脱しようとする独走を止められない。
仮に空から現状を見ている者が居たとしたら、勝負にならない大差を垣間見ることになる。
「くそっ、一体何なのだアレは!このままでは本当に逃げられるぞ!」
「乗り物だ、乗り物を手配しろ!何としても手遅れになる前に回り込むしかない!」
「いや待て、向こうを見ろ。どうやら全て余計な心配だったようだぞ」
突如として王宮護衛兵達の大半が歩幅を緩める。
実は王宮への侵入者に対する悪戦苦闘の報を受け、既に別の勢力が防波堤となるべく動き出していた。
ただし護衛兵達と比べると、何れの者も明らかに軽装である。
人数に関しても護衛兵達には遥かに及ばない小隊で、中には一見してか弱そうな女性も混じっている。
それでも護衛兵達は彼等に協力するどころか、巻き込まれるのは御免だと言わんばかりだ。
一方でたった一人の侵入者も、こうした急変にはいち早く気付いていた。
そして防波堤となる勢力が弓矢を主軸としている点と、護衛兵達とは比べ物にならない迫力が備わっている事を理解した。
その上で防具を嵩にした強引な突破の選択肢は有った。
或いは回り道をして小隊との衝突を避ける選択肢も有った。
しかし理屈よりも確かな直感が、決して射程距離に近づいてはならないと告げている。
また体験よりも遥かな既視感が、安易に背中を見せてはいけないと発している。
何せ三白眼の瞳に映し出された光景は、かつて夢にまで見た最悪のゴールラインその物だ。
自ずと193cmの図体は緊急停止し、そのまま不動を決め込む形となる。
結果としてこの判断が、両陣営に異様な膠着状態を齎した。
そもそも小隊側は、侵入者が逃亡を目前として浮足立っている所を確実に仕留める算段だった。
少なくとも侵入者が自分達を視認後、すかさず停止するのは完全に想定外だった。
故に小隊は大の男達を差し置いて陣頭に立つ、紅髪の女性に判断を委ねる事にした。
やがて彼女も思うところが有ったのか、全員に待機を命じると単身で件の侵入者の下へ赴く。
龍もまた紅髪の女性がリーダー格であり、一時的に敵意を治めていることを悟った。
斯くして件の悪夢とはまた別の形で二人は相対を遂げるに至る。
「初めまして、随分と暴れてくれたようだな若人くん。いや寧ろその暴れ振りに敬意を表して、猛獣くんとでも呼ぶべきだろうか?」
「言ってくれるじゃねぇか。俺からしてみれば寄って集って武器を持ち出すアンタたちの方が、よっぽどクレイジーなんだがなぁ?」
「我々からすれば君の行いはそれ程に脅威なんだよ。君とて仕える主の住居に侵入したばかりか、単騎で暴れまわっている者を野放しには出来ないだろう?」
「暴れたくて暴れたんじゃねぇ。それに王宮とやらにも侵入したくて侵入した訳じゃねぇ。どうしても責任を問いてぇなら、街中の預言者にでも言えよ」
「…手前の目の前にいるのはやはり猛獣なのか。どうにも要領を得ないぞ、君の発言は」
「お互い様だろ、俺だってアンタらの存在は要領を得ない。どこのファンタジーから飛び出してきたんだって話だぜ」
「…ふむ、どうやら平行線という訳か。それならば仕方ない、君にはこれから矢の雨を浴びて貰うことになるな」
「お断りだ。針鼠になるのは夢だけで十分だぜ」
「では今すぐに武器を捨てて降伏したまえ。我々が君を容れるとしたら、最早それ以外の余地はない」
「生憎とアンタに許しを請う理由はねぇよ。まぁアンタが俺より強いってんなら、話は別だがな」
「おや、君には手前がか弱く見えていると。それならば手前を手籠めにして、人質として扱ってみたらどうだ?」
「そいつは魅力的な提案だ。だが俺は一人を除いて、喧嘩相手に女を含まねぇことにしてるんで。だからよー、美人の前でも見っとも無く逃げさせて貰うぜ!」
第三幕と言わんばかりに、未だ疲弊を見ない長躯は素早く身を翻して後方へと駆け出した。
行き先には王宮護衛兵達が屯しているものの、少しでも小隊の射程距離から離れることを優先したのだ。
その直後、紅髪の女性の合図により小隊による一斉射撃が敢行される。
明らかに弓矢の射程外から、そして未だ射線上に自分達の隊長が佇んでいるにも拘らずである。
通常ならこのまま針鼠になるのは紅髪の女性に他ならない。
しかし小隊が放った矢の雨は、其々がまるで意志を持ったかのように紅髪の女性を綺麗に避けて行った。
その後は空中で互いに照準を示し合わせ、真っ直ぐに193cmの図体を標的にする。
理屈はどうあれソレは、人の命を容易く奪う代物だ。
対する龍も背後に悪寒を覚え、咄嗟に左側へ気迫のヘッドスライディングを演じて見せる。
結果として矢の雨は紙一重の所で照準が狂い、尽くが地面へと突き刺さった。
ただし小隊の者達は結果に対して全く動じておらず、すかさず第二射の準備を整える。
また王宮護衛兵達の方も出番があるやもと各々の武器を身構える。
更に指揮官である紅髪の女性は、忠告を無視された時点で冷たく徹している。
当然ながら二度目の合図にも一切の躊躇はなかった。
「…あーあ、やっぱり鬼ごっこはお前らの勝ちなんだなぁ…」
矢尻で肌が灼ける。
鮮血が地面を彩る。
脳内に苦悶が駆け巡る。
この後に机やベッドの上で目覚めるという、淡い期待も掻き消える。
かつて見た悪夢は、此処に正夢と相成った。
しかし鋭い三白眼の瞳は未だ輝きを保っている。
今や針鼠と化した長躯も、具合の良い防具のお陰で致命傷は避けている。
そして口角は三日月を象るばかりで、僅かな悲鳴や謝意の可能性を閉ざしている。
正しく生死の境において、持って生まれた才能が躍ろうとしていた。
同時に人が持って然るべき理性が、どす黒い感情で塗り固められる。
或いはソレは憎悪と呼べるかもしれない。
或いはソレは嫉妬と呼べるかもしれない。
ただ時に人は、ソレだけで簡単に鬼へと転じる。
ましてや十八歳の青年は、既に己の内に居る鬼を知っている。
「どうせ、これで最後だ………だから、最後まで付き合えよテメェ等ぁ!」
青年は戻る。
四年前、両親を失った時に戻る。
そんな彼には百名からなる暴走族グループ、コモン・レイヴンのメンバーが視えている。
そしてメンバーの後方で、コモン・レイヴンのリーダーが笑っている姿を捉えている。
だから駆ける、何度でも駆ける。
既に何人もの武装者達を打ち倒した戦棍を伴い、防具に突き刺さった矢尻を厭わず駆け抜ける。
最早ソレは人生を引き換えにして、ただ恐ろしいだけの嵐と化していた。
やがて最初にその暴風域へと飲み込まれたのは、無数の王宮護衛兵達だった。
彼等は誇りに懸けて何とか踏みとどまろうとするが、総じて宙を舞うか地面と接吻かの二択を強いられる。
一方で小隊の者達は、第三射の準備を終えたまま微動だにしない。
目標は変わらず侵入者一人なのだが、今はその周りに味方が多く存在している。
更に殆ど乱戦状態である為、不用意な引き金は味方への誤射に繋がる。
一矢でも人一人の命を奪える自負があるからこそ、小隊の者達は揃って二の足を踏んだ。
何よりも指揮官である紅髪の女性から命令が発せられていない。
小隊の者達が請おうとも、彼女は侵入者に視線を向けるだけで押し黙ったままである。
しかしいよいよ王宮護衛兵達が壊滅しようかという頃、その表情は不敵なモノへと変じた。
そのまま彼女はおもむろに手をかざすや、何もない空間から弓を一つ取り出して見せた。
その弓幹は一部を動物の骨や金属板で補強しており、より破壊力の向上を突き詰めている節がある。
一方で要となる弦は何処にも備えておらず、番えるべき矢さえ見当たらない。
それでも皮手袋を填めたその右手は、確かに存在しない筈の弦を引く動作を起こしていた。
「悪しからず、猛獣くん。どんなに美人でか弱く見えても、手前はこの世界で十指に入る程度には強いのさ」
この場に居る全員が、確かに大気がうねる様な轟音を聞いた。
そしてソレが紅髪の女性が齎した代物だと悟った。
気付けば散々に暴れ回った侵入者が、見事な大の字を描いて気絶している。
本来の主を差し置いて供をしていた、戦棍も防具も粉々に打ち砕かれている。
程なくして厳かに残心の構えを保つ紅髪の女性の姿は、忽ち大きな歓声の的となった。
しかし当の紅髪の女性は誇る事もなく、速やかに拘束具の使用を指示した。
間も無く殆どす巻き状態で捕縛された193cmの身柄は、そのまま大きな担架へと乗せられる。
これを力自慢の数人が搬送し、紅髪の女性も万が一に備えて同行する。
残る一同は負傷者への手助けを行った後、其々が元の持ち場へと戻った。
斯くして世界遺産にも劣らない王宮は元の静寂を取り戻し、そのまま世界は何事もなく朝を迎える。
同時にこの地域で住む人々が、今日と言う一日に精を出し始めた。
其処は昼夜を、そして老若男女を問われることがない。
功労者は必ず報われる。
犯罪者は必ず裁かれる。
故に誰もが己の培った技能を駆使して、思い思いに活躍しようとする。
そして何れの道であろうとも、最後の時は等しく潔い。
彼の国の名はフィーリア王国。
パンゲアにも劣らない超大陸の七割を領地とする、誰もが輝きで照らされる巨大国家である。
此処まで読んでいただき感謝<(_ _)>
拙いですが、もし少しでも楽しんでいただけなら幸いです。
良ければ次回以降も拝読して頂ければ幸い。




