第二幕・嵐の前兆
『コホン………いざ聞け、しかと視よ。妾は極星天皇、ルナ・フィーリア・レーギスである』
昼盛りな青空の下、途轍もなく巨大な女王の姿が現れる。
それは実態を伴わない、立体映像に過ぎない。
しかしこの世界全ての人間が見て取れるほど、規模は大きい。
かつて空を真紅に染め上げて演出し、世界へと向けて演説を繰り広げた、帝王ブラック・ロードに対抗するかの如くだ。
『愚かにも、帝王などと名乗りし俗物よ。先ずは一笑に付してやろう。じゃが………民達を惑わし、罪過を負わせんとする様は捨て置けん』
宝石の様な緋色の瞳が、四海に浮かぶ箱舟達を一つ一つ見渡す。
その煌めく視線は、乗組員達全てに向けた非難の表れ。
映像ながらも、その迫力は確かだった。
『落陽の時は近い。妾の一声で、羽虫の如き其方達など、四海の藻屑と成り果てるであろう。もっとも………妾は至って寛大じゃ。自らを悔い改め、遥か天上へと生涯を捧げると言うのならば………フィーリアの領海、或いは領空の一つとして、存在を許そうぞ』
大胆不敵には、大胆不敵。
降伏勧告には、降伏勧告。
これが極星天皇による、海神帝国及び諸外国への布告である。
斯くしてフィーリア王国と海神帝国アトランティスは、改めて敵対が確定した。
ただし両国の頂点は、先ずは互いに降伏を促している為、直ちに戦火は発生しない。
しかし人々は、痛感している。
現状は、吹き荒ぶ嵐の前静けさに過ぎないと。
早急に身の振り方を決めなければ、全てを失うと。
実際にフィーリア王国の方では、全面戦争への準備が着々と整えられていく。
「此度はマック殿の不幸を焚きつける形となった訳じゃが………構わぬか、ドルガー殿?」
「勿論ですっと。そもそも、連中が先に仕掛けたのが悪いんですからなーっと」
当初の計画では海神帝国に向け、王国の二大巨頭は電光石火の侵攻を行う予定だった。
計画が先達ての北方支部長暗殺未遂事件により、延期を余儀なくされてしまった。
しかし同時に、フィーリア王国内の風向きも変わった。
これまで専守防衛に徹するべきと主張していた、王国の重臣達の意見が一変したのである。
彼等は既に敵方の侵略行為が及んでいると見るや、自らの私兵達を惜しみなく動員。
お陰でフィーリア王国が動かせる陣営は、30万近くにまで膨れ上がった。
また両国が海を隔てている為、統制機関の魔術師達は兵達が水上を移動可能とする秘策を整えている。
そして四海に浮かぶ箱舟に対し、アルバトラ規模の飛空艦が百隻ほど、出撃する目途が立っている。
例え陸、海、空の全てが戦場になろうとも、一歩も退かない徹底抗戦が可能だ。
「…改めて、見事じゃとしか言いようがない。妾の意思と実力主義の名目、その両方が成り立つのは貴殿の尽力に他ならぬ」
「なんのなんの、お気になさらずっと。正直言って、今の儂は楽しくて楽しくて仕様がないんですわーっと」
「くふふ、やはり騒ぐのじゃな。【戦神】と呼ばれ、初代殿と並び称された乱世の血が?」
「恥ずかしながらっと。あの暴君と戦乱ってた以来ですわなーっと。こんなにも血潮が沸き立つのはっと」
「…思えば、長らく我々(フィーリア)は貴殿を追いやったものじゃ。望まぬ余生を過ごさせた事を父上に………否、歴代の王に代わり陳謝する」
「お止しなされっと。これでも最近は、長生きした甲斐もあると思ってたところでねっと。貴女様が気に病むことではありませんっと」
「…くっふふふ。流石の貴殿も、彼奴の事は余程に可愛いと視える」
「ぬっはははははっ、いや本当にっと。降って湧いた様な小童が、現在も手を焼かせますがっと………この歳になると存外に、悪くないですなーっと」
呵々と笑う姿は、正しく好々爺の代物だ。
対するルナもまた、思わず悪戯な笑みを浮かべる。
その姿には如何に女王として君臨しようとも、年相応のあどけなさが残っている。
しかしあと何日かすれば、共に冷徹且つ無慈悲に開戦の火蓋を切る事実に違いはない。
全ては王国が誇る二大巨頭の、心積もり次第だ。
一方で現場の人間は、急変する事態に備える。
特に統制機関の面々は先陣を切る手筈の為、遅れを取らないように緊張感の維持と臨機応変さが求められる。
王国が誇る二大巨頭の気分が、突然に変わってもいいように。
「うっし、今夜は宴だ宴!肉に酒、男に女ぁ!派手に騒ぐぞぉ!」
時節はフィーリアとアトランティス、両国が戦時下を迎えて数日。
カレンデュラ南方支部、その支部長室にて突然の宣言が放たれた。
事の発端は他でもない、南方支部長にして第三部隊長のアクアテイルである。
通常時ならその発言と行動は、誰にも抑制が出来ない。
しかし現在は全ての支部へ本部所属の部隊長が派遣されており、基本的には両輪で運営されている。
因みに南方支部に派遣されたのは、王国警備隊長にして第七部隊長シャルティ・デポン。
豪快な彼女と、細やかな彼は、実は余り相性が良くない。
また魔術の属性や武術の冴え、思想など何から何まで対照的だ。
「…いやキミ、状況を解ってるか?海神帝国との開戦は今夜かもしれないし、こうして話している瞬間かも知れないんだぞ」
「そう固いこと言うなって~ん。もうじき戦争が始まるってんだ~ん。皆で面を合わせて、騒いどきたいじゃねぇか~ん」
「…気持ちは解るが、その声色と動きは止めてくれよ。何と言うか、妙に怖気が立つ…」
「は?オレ様の性的趣向がお気に召さないだ?喧嘩売ってんのかよ、テメェ?」
「売ってないし、買ってる場合でもないだろう。今はお互い慎重にしていなければならないと、何度言わせるんだ?」
「相座らずの真面目くんがよぉ………別にマックの野郎が手抜かったからってよ、オレ様達まで縮こまる理由ねぇだろぉが?」
「何を言ってるんだ、彼ほどの男が不覚を取る相手だぞ?オレ達だって、油断が出来る相手じゃないと思わないか?」
「いや、単にアイツが腑抜けてただけだろ。オレ様の知った事じゃねぇよ」
「…少し言葉が過ぎるぞ、アクア!」
「おっ、何だよ怒ったのか色男?良いぜ、来いよ。テメェのちんけな炎なんざ、直ぐに消し飛ばしてやるぜぇ?」
「ぐぐ………その手には、乗らないぞ。キミの挑発的態度には、以前から懲り懲りだからな!」
「…って、おぉい?何処行くんだよぉ?」
「詰所だよ。第三部隊等と第七部隊達は、これまで接点が薄いだろ?連携面などに問題がないか、最終確認をしておきたいんだ」
「あ、そ。別に好きにしろよ」
「…言っておくが、キミの勝手にはさせないからな。宴は全てが終わってから、存分にやれば良いんだ。その方が大団円って奴だろ?」
「わぁーった!わぁーったよ、もう!」
すっかり不貞腐れたアクアテイルは、見事なふくれっ面を披露する。
これはシャルティが南方支部へ出向してからは、最早お決まりの光景となっていた。
斯くしてシャルティは、やれやれと頭を抱えながら詰所へと向かう。
一方のアクアテイルはシャルティが居なくなるや、支部長室に設けている器具を使い、トレーニングを開始する。
こうして鍛えることが、彼女にとって主な仕事なのだ。
寧ろ自身を鍛えること以外、南方支部における役割が殆どないと言っていい。
実は彼女、部隊長としては特に怠け者なのである。
生来から細かい作業が苦手で、機器類などの扱いも不得手。
自ずと雑務の類は、普段から全て部下達に任せている有り様だ。
それでも彼女が支部長として成立するのは純粋な戦闘能力に加え、明るくて正直な性格が挙げられる。
また鬼人族特有の粗っぽさは否めずとも、非常に面倒見が良い所も彼女の美点だ。
もし誰かが困っていると言うのならば、彼女は決して立場を問わず、しっかりと筋を通して解決に動き出す。
お陰で南方支部の面々は個性的で扱い辛いものの、仁義に厚い者が揃っている。
堅物揃いな北方支部とは、真逆の体制を布いていると言えるだろう。
「このっ、くそ色男っ、ちょっとっ、格好良いからって、調子に乗んじゃ、ねぇ!お前はっ、オレ様のっ、母親か!」
何時になく凄まじい連打が、吊り下げ式サンドバッグへと向けて打ち込まれる。
超重量、衝撃吸収、魔術耐性など属性てんこもりの特注品だが、彼女の拳の前には彼方へ吹き飛ばされない状態がやっとだ。
それでもトレーニングとしての効果は十分で、時間を経るごとに筋肉質の褐色肌から大粒の汗が流れ出す。
同時にシャルティに向けた不満感も、少しずつ薄れて行った。
「…ふーっ!ちっとはすっきりした、か?」
額の汗を拭おうとしたアクアテイルの表情が、鋭く厳しいものに変わった。
そしてそのままゆっくりと振り返ると、既に刃渡り8cm程の小刀が眼前まで迫っていた。
小さくともその鋭い穂先は、人体を傷付けるには十分である。
しかし彼女の肉体は単なる刃で傷つくほど、柔ではない。
間も無く人体と金属の衝突とは到底に思えない音響と共に、小刀の方が粉々に砕け散った。
「…うっははははっ!誰かは知らねぇが、堂々とオレ様の命を狙うなんざ、上等じゃあねぇかよ!」
豪快に笑い飛ばしたアクアテイルは、窓の外に向かって視線を送る。
視線の遥か先には、同じように見据える存在が確かに存在していた。
普段ならこの時点で、喧嘩は成立。
支部長の立場などお構いなしで、飛び出しただろう。
しかし頭の片隅に残る言葉が、彼女を逡巡させた。
―――今はお互い慎重にしていなければならないと、何度言わせるんだ?
『…チッ、よーく解ってらぁ。だけどな?平然と襲撃されておきながら、このまま日和見を決め込むなんて真似、オレ様には出来ねぇよ』
アクアテイルは普段着であるタンクトップとホットパンツの上から、金色の刺繡を伴う水色のコートを羽織る。
そして信頼を置く部下達に対し、野暮用が出来たと通達する。
当然ながら部下達は現状での単独行動は危険だと、挙って同行を願い出た。
しかし彼女はそれを拒否し、自身が戻るまでは第七部隊長への補佐に徹するよう命じる。
とは言え上司に命じられ、はい解りました、とならないのが南方支部の面々だ。
故にアクアテイルにしては珍しく、真面目な口調で皆へ説いた。
先ず自身が現時点で抜けても、もう一人の部隊長さえ安泰ならば南方支部の指揮系統は揺るがない。
寧ろ第三部隊長より第七部隊長の方が、戦略性には富んでおり単純に指揮官として優れている。
一方で自身に加えて部下達まで動くとなれば、統制機関の最優先事項である、海神帝国に対する足並みが揃わなくなる。
例え今回の件を早々に解決したとしても、負傷者が出ればその分だけ、戦争に向けるべき戦力が削られる。
そうなれば南方支部長だけでなく、南方支部全体の失態となってしまうのだ。
「良いな、責任はオレ様が全て取る。だからテメェ等は、来る日に向けて牙を研いでろ」
『…しかし、姐さん…』
「おいおいなんだよ?オレ様が其処等の溝鼠に不覚を取る未来なんて、テメェ等は有り得ると思ってんのかよ?」
『…解りやした。どうか、お気をつけて』
「応、何時も悪いな」
アクアテイルは部下達との通信を切ると、水滴の様に支部長室から姿を消した。
彼女の転移魔術ならば、ほんの数秒で辿り着く。
自身を襲撃した人物の居る、目的地まで。
此処まで読んでいただき感謝<(_ _)>
拙いですが、もし少しでも楽しんでいただけなら幸いです。
良ければ次回以降も拝読して頂ければ幸い。




