第四幕・異世界トラベル
「まったく、児戯な童共ならまだ可愛げがあるってのに………年寄りの前で何時までも青臭い事やってんじゃないよ若僧共が」
「おーおー、こいつは驚きだぜ。まさかこのアパートに、こんなにも怖ーい山姥が居座ってたなんてなぁ」
「随分と失礼な坊やだね、あたいはこのアパートの管理人さ。もし坊や達がこのアパートの平穏を乱す輩だってんなら即刻叩き出すよ?」
「ま、待ってください小母様。不慮の騒ぎを起こした点は謝罪します。そして私達は友人である黒崎信を訪ねてきたのであって、決して怪しい者ではありません」
「ほほー、それは本当かい。あの坊やの周りには、坊やの能力や人気に肖ろうとするコバンザメ共しか居ないと思ってたが?」
「くっははっ、そいつは間違ってねぇかもな。だがアイツの周りにはコバンザメを始め、怖ーい山姥が居たりもする訳だ。だったら俺達みたいなに青臭い連れが一人二人はいてもおかしくねぇだろ」
「中々に言うじゃないか大きな坊や。確かに何時もの連中とは違うようだが………生憎、お目当ての坊やはもう出てったよ」
「…ちょっと待て婆さん。そいつは信が何処かに出掛けてるとかじゃなくて、此処から退居したってニュアンスで良いのか?」
「そうさ、ちょうど一昨日だったかね。友達なら何か聞いてるんじゃないのかい?」
「…いいえ、それは初耳です」
「そうかい、まぁ確かにあたいとしても急な話だったよ。とは言えあの坊やは類稀な麒麟児だ、こんな辺鄙に何時までも留まる訳はなかったのさ」
「それは、そうかもしれませんが………やはり何か事件にでも………いやまさか、これも何かの計画?」
「あー、アイツの場合は何とも言えねぇな。おい婆さんよ、此処を退居するまでに何かアイツに変わった所はなかったかよ」
「変わった所か。そう言えば、ここ最近は随分と上機嫌だったよ。訳を聞いたら、遂に本丸へ突入するべく候とか言ってたねぇ」
「本丸?それは一体どういう意味ですか?」
「さぁてねぇ、其処までは聞いてないよ。ただ、随分と浮かれていたってのだけは確かだ」
「おいおい婆さん、アイツは何時だって浮かれてるぞ。しかも些細な事で周りを振り回す、トラブルメーカーなんだ」
「ついでに言えば、一度こうだと決めたら最後まで突っ走る。お馬鹿、と言う言葉がお似合いです」
「いっひっひっひっ。改めて驚いたよ、あの坊やにもちゃんと理解者がいたんだねぇ。ただそれだけに、今回はちと心配だねぇ」
「…何が心配なんだよ婆さん。アンタだって付き合い長いんなら、アイツに心配は要らねぇってのは解ってるだろ?」
「そうさ、あの子は独りで何でも出来てしまう質だ。だけれどそういう子は、思わぬ所で躓いちまう。常人なら擦り傷で済む所が、とんでもない致命傷にだってなる」
「…才子、才に倒れる。小母様はそう仰りたいのですか?」
「あの坊やは例外だと思うが、ねぇ………まぁ、精々気を付けてやんなよ坊や達。得てして天才が早死するとしたら、結局は孤独から起こるもんだからねぇ」
アパートの管理人の言葉は、紛れもない老婆心からである。
最初から世代の違う若者二人を相手に、真に受けてもらう気などない。
ただ先程まで鬼気迫っていた二人を宥められたなら、それで十分だった。
しかし次の瞬間、その二人は怒涛の勢いで駆け抜ける。
管理人である老婆が慌てて振り返った際には、その後ろ姿を捉える事すら出来ない。
宛ら稲妻と暴風が同時発生したかの有り様だ。
更にその勢力は付近の住人達まで巻き込んで行く事になる。
「あのもしっ、少しお時間宜しいですかおば様方!」
片や礼儀を弁えつつも、其処彼処で出くわした相手に質問を捲し立てる。
「おい其処の爺さん婆さん、秒で俺の質問に答えろ」
片や単刀直入な物言いで、出くわした相手に有無だけを求める。
これが互い違いに押し寄せては、全く同じ目的を有して回っている訳である。
間も無く付近の住人達は混乱を極め、交番から警官達が出動する事態となった。
この際に一方は懇々と事情説明し、一方は人探しの一点張りで事なきを得る。
双方の強い焦燥感だけは、誰の目にも明らかだったのだ。
其処からは警官達も協力して回るのだが、それでも二人が望んでいる答えには届かない。
やがて時刻が学生の立場からすれば深夜徘徊を問われる時分を迎えた。
こうなると他でもない警官達の説得もあって、人騒がせな二人は仕方なく最寄りの駅から同じ電車に乗り込む。
ただし二人が行き着く先は、実は共通していない。
また別れ際になっても、赤の他人が如く言葉は残さない。
何故なら電車に乗った時点で、二人は其々が別口で動き出している。
その一方でとあるSNSグループでは、奇しくもほぼ同時刻にメッセージが残された。
『あんまり、真剣になんなよ』
『決して、無茶はしないように』
このやり取りは未だ行方知れずである黒崎信の捜索劇、その第二幕の合図となった。
先ず明日香の方は現在の住まいである私立ライラック学園の女子寮へ戻り、生徒会用のSNSを使った緊急連絡を取る。
そして黒崎信の不登校問題を立ち上げ、明日以降の生徒会の議題とした。
その上で本人は密かに寮長と面会、事情を説明して門限以降の活動許可を貰おうとする。
通常なら決して認められない所だが、実は明日香の親元である寿々奈家はかつての飛来家に勝るとも劣らない良家なのである。
私立ライラック学園に対しても多額の投資をしており、理事長との関係も深い。
寮長も内情は弁えており、仕方なく寿々奈家で急変が起こったという体で深夜の外出許可を出すのだった。
斯くして明日香は一応の変装として帽子とマスクを身に付けると、コンビニなどの24時間営業の店を当てにする。
因みに対話を円滑にする為、自身を探偵業と偽った。
一方で龍の方は夜中を我が物顔で闊歩する、俗に言うチンピラや暴走族と呼ばれる荒くれ者達に的を絞っていた。
私立ライラック学園屈指の問題児の存在は、こうした界隈でこそ良く名前が通っていると踏んだのだ。
しかし龍にとって誤算だったのは、彼等の殆どが全く友好的ではなかったという点である。
中には名声を上げようと、或いは積年の恨みを晴らそうと躍起になる輩も少なくなかった。
対する龍としても穏便に済ませる気はなく、向かってくる者は片っ端から返り討ちにする。
また単純に協力しようとしない者に関しても、気に入らないと称して容赦なく餌食とする。
ソレは宛ら百鬼夜行にも等しく、夜が深まるに連れて犠牲者は後を絶たない。
やがてこれから走りに出ようとしていた、とある暴走族グループも同じような結末を辿ろうとしていた。
「あーあー、お気に入りの服が汚れちまったぜ。おいお前等、どう責任を取ってくれるんだぁ?」
「し、知るかよ………オレ達は何もしてねぇのに………この、イカレ野郎、がっ!」
「減らず口を叩いてんじゃねぇよ、夜中に騒ぐしか能のない連中が。他人様に迷惑かける様な暇があるんなら、俺を助けるくらい簡単な筈だろ?」
「誰がっ………テメェは、オレ等のチーム内じゃブラックリストに載ってんだよっ…!」
「オレ達だけじゃねぇ………飛来龍、テメェは走り屋の間じゃ、名前を出すことすらタブーだっ…!」
「何で未だに刑務所にぶち込まれてねぇんだよ………アレだけの傷害事件を起こしとい、て」
とある暴走族グループの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
彼等は正しく逆鱗に触れたのだ。
仮に今から心変わりしたとしても、何もかもが遅い。
程なくしてアレだけの傷害事件における、新たな犠牲者として彼等も追加される。
そしてこの傷害事件は過去も含めて洗われることはない。
全ては飛来家の前当主こと、龍と夏季の両親が亡くなった四年前の事件に起因する。
当時は閏日に生まれた龍が、十四歳のみなし誕生日を後日に控えていた。
また夏季も希望の大学に特色入試で合格し、晴れて私立ライラック学園の卒業を間近にしていた。
飛来家はすっかりお祝いムードで、思い出作りに例年以上の盛大なパーティーが行われる手筈となった。
特に龍と夏季の両親は非常に意気込んでいて、使用人達を余所に自分達だけで買い物へと向かったのである。
そして子供達を喜ばせようと奮発したその帰り道、とある交差点を渡っていた所で車に撥ねられた。
因みに相手はとある政治家の息子で、彼の信号無視が引き金だった。
その後は目撃者の報せで直ぐに病院に搬送されたものの、間もなく二人は息を引き取る。
折り悪く主を守れなかった使用人達は、後悔に苛まれた。
いつも明るく振舞っていた夏季は、誰よりも嗚咽を漏らした。
まだあどけなさが残っていた龍は、怒りに打ち震えた。
やがて飛来家の総意を持って、政治家側に対して民事裁判を起こすに至るのだった。
「…おいっ、何だよ!何だよその眼はこらぁ!」
これは当時の裁判中に起こった出来事である。
十四歳になって間もない龍が、裁判中に傍聴席から突如として飛び出したのだ。
慌てて使用人達が押し留めたものの、裁判は一時中断となる。
後に夏季が理由を問い詰めると、曰く政治家の息子の眼が笑っていたとの事だった。
実際に政治家の息子は傍目からも反省している節がなかった。
そもそもこの政治家の息子、実はコモン・レイヴンと呼ばれる凡そ百名から成る暴走族グループのリーダーという背景があった。
加えて過去にコモン・レイヴンのメンバーが、飛来家所縁の者と一悶着を起こしていたという事実が調査の末に浮上した。
少なくともコモン・レイヴン側にとって、飛来家とは目障りな存在だったのだ。
対する飛来家も龍を筆頭に、反省の色がない政治家の息子に対して強い敵愾心を抱いた。
斯くして飛来家と政治家側の裁判は、一向に和解をみない泥沼状態と化して行く。
それでも殺人罪に相当する材料は揃わず、最終的に裁判官は過失致死罪として政治家側へ賠償金を命じるに至った。
ただし金額は多くの前例と比べても遥かに高額で、原告である飛来家は間違いなく勝訴したと言える。
実際に夏季を始め、使用人達も結果に対しては概ね納得していた。
故にこそ、たった一人の抜け駆けに気付くことが出来なかった。
「なぁリーダーさんよ、俺は別に金が欲しかったんじゃねぇんだよ。裁判で勝ちたかった訳でもねぇんだよ。俺が求めてたのは、もっと別の所にあるんだよ!」
斯くして飛来家が勝訴で幕を下ろした裁判から僅か数日後、政治家の息子が率いるコモン・レイヴンに事件が起きる。
僅か一夜の内にメンバー全員が、一人残らず病院送りとなったのだ。
特にリーダーである政治家の息子は身体面よりも、精神面で大きな失調を来した。
程なくしてコモン・レイヴンは解散となり、彼らが夜を走りの舞台にすることはなくなる。
巷では騒音問題が解決したと喜ばれる一方で、その経緯については様々な憶測を呼んだ。
元より名家である飛来家と政治家による裁判沙汰は、市民から多くの注目を集めていたのである。
とある地方紙も話題性が十分と見て、当時には多くの記者を宛がった。
しかし肝心の元コモン・レイヴンのメンバーは、解散騒動について何も語ろうとしなかった。
また少し前まで法廷で熾烈に争っていた両家も、裁判後の取材には全く応じなかった。
それでもとある有力な記者Aは、真相への道筋を諦めなかった。
やがて彼は十四歳になって間もない少年と出会う。
其処はとある病院の屋上で、少年は入院中だった。
そして記者Aは仕事の都合上、少年の正体をよく知っていた。
一方で少年も直ぐに記者Aの素性を見抜いた。
そんな両者の話題は無難な世間話を経て、自ずと解散したコモン・レイヴン関連へと移ったのである。
「…なぁ、もしかして君は全て知っているのかい?コモン・レイヴンのメンバーが全員病院送りになった、あの事件の全てを?」
「くっはははっ。そりゃあ知ってるが、話した所で誰も信じねぇだろうぜ。アンタだって信じられねぇだろ、俺の事なんてよぉ?」
「…そう、だね。ははは、はは…」
記者Aは心底から震えていた。
あどけないと思っていた小年に潜む、一つの可能性を理解してしまった。
その後の記者Aは突如として真相究明を断念し、同時に稼業からも引退する。
やがてコモン・レイヴンの解散騒動は過去と成り果て、今では世間話としても滅多に上がらない。
一方で奇しくも事件の全容に立ち会った二名が存在する。
これは出会った時点では三者三様なだけに過ぎなかった同級生が、六年にも亘る付き合いとなる大きな切っ掛けだった。
以降は互いの内の誰かが窮地に陥った際、残る者は全身全霊を持って援けに入る。
私立ライラック学園の問題児の場合は今この時の様に、たった一人で夜を罷り通る。
そしてまた一つ、三白眼の視界が人影を捉えるに至った。
ただソレはまるでこの瞬間を待ち侘びていたかの如く、人気のない夜の帳を自ら進み出る。
正体は身長160cm余りの黒いローブを纏った女性だった。
その顔立ちはフードのお陰で隠れているものの、僅かに艶やかな唇と白い柔肌が見て取れる。
また手の平には透き通る様な水晶玉を携え、手首には黒い数珠を巻いている。
他にも妖しく煌めく装飾品の数々から、宛ら中世における悪しき魔女と呼ぶに相応しい。
少なくとも直に対面した龍は、明らかな異様を感じ取って即座に臨戦態勢を取るのだった。
「こんばんは、見知らぬ逞しい人。こんな誰も居ない静かな夜に出くわすなんて、まるで運命。アダムとイヴとやらも、こんな形だったのかしら」
「…何者だよアンタ、随分と不気味な格好をしやがって。実は殺し屋なんですー、ってオチは勘弁だぜ?」
「どうかそう警戒をなさらないで。この身は寂れた夜で生業に臨む、しがない占い師よ」
「そりゃ生憎だ、何せ俺はとっても急いでるからよ。のんびり占いなんかやってる暇はねぇんだ」
「あらそれは本当に残念。行方知らずとなった御友人を探すのならと、此方もお節介を焼いてみたのだけれど…」
「あー………そういう所は流石に占い師って訳か。だったらこの際だ、アイツの居場所とかも解ったりするのか女占い師さんよぉ?」
「勿論ですとも。ただ貴方の御友人は、もう既にこの世界には存在していないのだけれど」
「どういう意味だよ。まさか、もうあの世に居ますなんて言い出すんじゃねぇだろうな!」
「心配しなくても、貴方だって直ぐに後を追えるわ。凛々しくも健気な小娘共々、ね」
「何を………言ってやがる?」
「幸運に………いいえ、とても幸福に思いなさい。巷で噂の、街中の預言者に見初められたことを」
言葉の終わり際、丁寧を保っていた占い師の口元が三日月の如く歪んだ。
続いて彼女が持つ水晶玉から昼夜を逆転させる程の眩い光が迸る。
対する龍は咄嗟に目を庇ったものの、とても身動きが取れる状態ではない。
間も無くガラスが割れる様な音が辺りに木霊する。
忽ち世界は色彩を失い、在るべき原形を歪ませる。
全ての認識は狂い、天地が曖昧となる。
挙句には世界全体をも吞み込もうとする様な、膨大な異質が顕わとなる。
とても人間が対処できる状況ではなく、人一倍の図体とて成り行きに任せる他になかった。
やがてこれまでとは打って変わる静寂と吹き通しの良い夜風が辺りに流れる。
ひたすらに耐えていた龍も、一先ずは状況を確認するべく眼を開く事にした。
そうして広がった視界は予想よりも明確で、当たり前の想像からは遥かに逸脱していた。
先ず近くで佇んでいた筈の建物達が跡形もなく消え失せている。
また地面においては何時の間にか硬いコンクリートに代わって柔らかな草原が敷かれている。
更には謎の占い師に代わって、周囲には数人の男達の姿が佇んでいる。
何れも出で立ちは西洋風の鎧兜を纏い、武器として一般的な構造の槍を携えている。
極め付けは槍特有の鋭い穂先が、悉く飛来龍と言う人間に対して向けられているという点だった。
此処まで読んでいただき感謝<(_ _)>
拙いですが、もし少しでも楽しんでいただけなら幸いです。
良ければ次回以降も拝読して頂ければ幸い。