第四幕・異変
「うわぁぁぁぁ、助けてくれぇ!」
「こ、こっち来ないでよぉ!」
悲痛な叫びが、フィーリア王国城下の全体で飛び交う。
祝日を謳歌していた彼らの下には、無数の黒い影が襲い掛かっていた。
影達は決して一言も発さず、行為に躊躇もなく、対象に見境もない。
辛うじて人の形をしているだけの、ただの暴力そのものである。
しかし統制機関の面々や、王宮の守りを担う兵士たちは毅然と対抗する。
また一部の勇敢な国民達も、第一段階の魔術を駆使して抵抗している。
それでもかつてない窮地に苛まれ、混乱状態は避けられないでいた。
「ゴーレスさん!」
「任せるだべ!」
合図と同時に素早い射撃と剛腕の一撃が炸裂する。
この連携によりフィーリア王国城下、その南西部の街並みにおける黒い影が一掃された。
しかし黒い影達は空に霧散したかと思えば、次々に何処からか投入されて行く。
それでも出現まで多少の時間差が生じる分、統制機関の手で国民達を安全圏へと誘導する事は出来ていた。
故に少しでも多く黒い影の標的となり、持久戦に徹すること。
それがミュウが率いる第ゼロ部隊、城下担当組の役割だった。
「くっ、本当に限がないってこいつ等!もう何十体倒したのか覚えてないよ!」
「んががっ、上等だべっ。御国の一大事ってぇんだから、こげな雑魚の集まり、なんぼでも相手してやるだべ!」
「確かに、って言いたいけどさっ…うらぁ!」
「ちぇすとおっ!…こうも多忙となるとっ、流石に甘味の一つは頂戴したいところ!」
城下担当組は引き続き南西部の街並みに留まり、ゴーレスを筆頭にクリスとキャリープレイグが奮闘を続ける。
一方で指揮官であるミュウも、後方から的確な援護射撃を続ける。
先達て様々な品を買い溜めした事から装備は整っており、僅か四人ながらも持久戦の模様は順調だった。
しかし他の三人と比べてミュウの顔色からは、時間の経過と共に明らかな焦燥感が募る。
『こんな大規模な魔術、普通は長く続かない。続いたとして、その痕跡が見つからない筈がない。なのに、どうして?』
ミュウはあえて言葉にしないが、現状は途轍もない異常事態なのだ。
黒い影達の襲撃は、ほぼ確実に何者かの魔術に因るものである。
規模からして最低でも第二段階、下手をすれば第三段階の魔術師も有り得る。
しかしそれ程に強力な存在が、未だ発見の報告すらない。
第ゼロ部隊は勿論のこと、シード機体や第七部隊も総出だ。
加えてレイラを始めとする部隊長達も、迅速に動いている筈だ。
それでも尚、統制機関側が後手を踏んでいるのである。
「…っ!?皆さん、後退がって!」
「んがっ!」「はいよぉ!」「承知!」
ミュウの指示を受け、前衛の三人組は示し合わせながら一斉に後退した。
そして一同に気付かされる。
何時の間にか自分達三人が戦闘していた真上に、謎の魔方陣が形成されていたのだ。
それから間も無く、天空から魔法陣に向かって光の柱が降り注ぐ。
その余波は付近の黒い影達を一掃し、退いた前衛三人組にさえ防御態勢を取らせる程の威力を示した。
「…おいおい、随分と荒っぽいなアンタの転移魔術は。その場に誰か居たら、粉々に吹っ飛んでねぇか?」
「急を要したのじゃ。余り贅沢を言っては居られんじゃろうが」
「リ、リュウさん!?それに………お、王女様ぁ!?」
「おう、ミュウじゃねぇか。それに、三馬鹿も一緒か」
「誰が馬鹿だべぇ!?」「誰が馬鹿かぁ!?」「誰が馬鹿ですとぉ!?」
「…くっふふふっ、何とも可愛らしい………そうか、其方達が第ゼロ部隊じゃな。丁度良い、先ずは城下の状況を説明せよ」
「は、はい。実は…」
ミュウは端的に現状を龍とルナに説明する。
その上で自身が感じていた、状況の悪さについても伝えた。
これに対して、龍は酷く白けた表情になる。
宛ら目の前で終電を逃し、最後の気力を無駄にした会社員の如しだ。
一方のルナは、真剣に考え込むような素振りを見せる。
しかし時折、梟の様に何度も小首を傾げても見せる。
「…あ、あのぉ?お二人ともー、あんまり悠長に…」
「してる場合じゃないわよっ、部隊長補佐ぁ!」
怒号にも等しいキャリープレイグの声色に、ミュウは我に返る。
先ほど二人が転移した際に一掃した、黒い影達が再びこの場に結集し始めていたのだ。
自ずとミュウを始めとする城下担当組は、再び対応に追われる。
しかし龍とルナは相変わらず、周囲で暴れている黒い影の存在には目も暮れない。
「…おい、何時まで考え込んでんだ王女様。こいつは御国の一大事なんだろ?なら、とっとと済ませろよな」
「…ふむ。ならばヒライリュウよ、先ずは其方の見解が聞きたい。果たしてこの騒動の主が、何を狙っているのかを」
「んなもん、アンタに決まってるだろうが。でなきゃわざわざ警備が厳しくなってる、アンタの生誕祭に合わせるか?」
「…やはり、そう帰結するのじゃな。しかし、妾を狙ってまで得たいモノとは何じゃ?金品か?それとも名声か?或いは彼の道化者の様に、妾の愛か?」
「…どれも違うと予測ぜ。全く関係の無ぇだろう、一般人を平気で巻き込んでんだ。間違いなくキレてるぜ、犯人はよぉ………アンタを苦しめたくて苦しめたくて、仕方がねぇってなぁ」
「…合点は、行かぬ。されど、その様な思想を抱く輩が居るのじゃな。この由緒あるフィーリアに…」
「くははっ。流石の王女様も、誰かに憎まれるのは悲しいかよ?」
「否。実に不愉快、それだけじゃ」
宝玉の様な緋色の瞳に、烈火の様な輝きが灯る。
そして自ら魔封器を脱ぎ捨てたルナは、ゆっくりと天に向かって片手を掲げた。
同時に一条の光が、虚空へと昇る。
ソレは怒りと共に、天上からもたらされる粛清。
多くの国民を守る為という、大儀があってこそ許される段階。
やがて光は一定の高度に達したところで、一挙に膨張。
夜と言う事象に抗うほど、フィーリア王国城下全体を豊かに照らした。
「うわぁぁぁぁ………あ?」
「ひぃぃぃぃ………って、あれ?」
「ど、どうなってるんだ?」
今まで恐怖に逃げ惑っていた国民達が、呆けた様に静まり返る。
幾ら見渡せども、自分達を襲っていた黒い影達の存在が見当たらないのだ。
更には火事を始めとする、黒い影達によりもたらされた被害までも綺麗に消し飛ばされている。
これには各地で転戦していた第七部隊の面々も驚き、直ぐに彼らは探知魔術を展開した。
そして城下における黒い影達が一斉に消失し、全く復活する素振りがない事を認識した。
また聡い者は、程なくして城下全体を包むように防護魔術が施されていると知る。
防護魔術は第二段階までの魔術ならば、簡単に無効化するほどに強力だった。
「…凄い。噂には聞いてたけど、これ程だったなんて…」
全てを目の当たりにしたミュウ、及び城下担当組は思わず唖然とする。
カレンデュラに所属している時点で、否が応でも理解が出来るのだ。
城下全体にまで蔓延っていた、黒い影達のみを一瞬で消し去る粛清魔術。
そして一瞬の内に城下全体にまで行き渡る、強力な防護魔術。
何れもその規模の大きさから、第三段階・発展は確定する。
またその完璧さは、五大属性の全てに精通して漸く成立する。
魔術の才覚を最も重んじるこの世界においては、正しく天上の存在に他ならなかった。
「…さて、王宮へ戻るぞヒライリュウ。疾く進言せねばならぬからな………この様な愚かな企てを図った者への、断罪を」
「くっはははっ!了解だ、最後まできっちりと護衛してやるよ」
ルナは宛ら凱旋の様に、堂々と徒歩で王宮へ戻る。
例え幾千の刺客が現れようとも、その姿勢が揺らぐ事はないだろう。
先程まで怯えていた国民達も、その勇姿に思わず歓喜の声を巻き上げた。
また王宮の中でも、王女の無事に対して給仕や重臣達の喜ぶ声で溢れ返る。
ただし王女に近寄ることだけは、護衛中である龍が決して許さない。
目まぐるしく動く鋭い三白眼の瞳が、言葉なくとも警告している。
「…ただいま戻りました。ご無事で何よりです、父上」
自らを天上と称して憚らないルナが、恭しく頭を垂れる。
相手は勿論、父であり国王であるサンタ・フィーリア・レーギス。
彼は近辺に護衛を伴いながら、自身を象徴する玉座にて座していた。
「おおっ、おおっ!無事で何よりぞいっ、愛しの娘よ!余はもう心配で心配で、仕方がなかったぞい!」
対するサンタもまた、娘の姿を見るや満面の笑顔で王座から立ち上がる。
そして豊満な体格に似合わず、軽快な足取りで娘の許へ向かう。
その両腕は愛しの娘を優しく抱きしめようと、既に大きく開かれていた。
しかしそのふくよかな胸元に飛び込んだのは、彼が思った通りではなかった。
「それで誤魔化してるつもりかよ?舐めんなよ、テメェ?」
その場にいる一同が、騒然となった。
ルナの許へと向かったサンタを、龍が妨害したのである。
しかも魔封剣を抜き、遠慮のない一閃を叩き込んだ。
この威力で国王は玉座の方まで吹っ飛ばされてしまい、そのまま大の字で倒れる。
同時に頭を垂れたいたルナの表情が歪んだ。
更に唇を尖らせ肩が小刻みに震えている。
しかし何れも、龍の蛮行が理由ではない。
「…ヒライリュウよ、確信があったのじゃな?」
「ああ、姿も声も完璧だったけどよ。あの野郎の視線は、父親が娘に向けて良い視線じゃねぇよ」
「…済まぬ、手間を取らせた。妾自身、違和感は十分に感じていたというのに…」
「構わねぇよ。ちょっと変だなって程度で、実の父親を攻撃できる方が、よっぽどおかしいだろ」
「…くふふ、然りじゃな」
龍の言い分に、少しだけルナの表情が綻ぶ。
しかし直ぐに凛とした面持ちへと戻ると、床に転がるサンタの姿を見据える。
その視線からは既に父親の姿はおろか、国王すら視ていない。
「正体を現すが良い、賊徒よ。よもや国王に変身したままならば、妾が温情を施すとでも?」
「…ケヒ………ケヒヒヒヒヒ!」
甲高い笑い声が響き渡る。
それは勿論、国王サンタの代物ではない。
年恰好は十代半ば。
宛ら蒼炎が揺らめいているかのような、奇抜な青髪。
黒い革で出来たへそ出しタンクトップに短パンと、愛玩動物に用いるような鎖付きの首輪。
何処か泣き黒子にも見える、左目の下にある髑髏のマーク。
もし現代ならパンク・ファッションと呼称されるだろう装いの、少女と見紛うほど麗しき少年である。
「露見、初見。とっても劇的って奴だナ」
「…処する前に聞こう。何者じゃ、其方は?」
「ゼルはゼル。王族の始末、頭領から請け負った。でも失敗した………ケヒヒ、後でゴメンナサイしないとナ」
「帰れるつもりでいるのかよ、テメェ?」
「ケヒ?」
ゼルと名乗った少年が、ほんの僅かに目線を切った瞬間だった。
既に龍が、彼の目前にまで迫っていた。
異世界で一層に培われたその躍動は、既に猛獣その物と呼んで差し支えない。
そしてその天性による腕力により、再び魔封剣が少年に向けて繰り出される。
「…ちっ!」
思わず龍から舌打ちが零れる。
人体を軽く吹っ飛ばすような一撃は、今回は盛大な空振りに終わった。
ただし空振りの理由は回避されたのではなく、魔封剣が直撃すると同時に少年の肉体が霧散したからだ。
その有り様は先ほどまで城下で猛威を振るっていた、黒い影達の散り様と遜色がない。
「偽者の偽物って訳かよ………おい王女様!」
「言われずとも探知っておる!じゃが、これは…」
「…何を見たか知らねぇが、今はうだうだ考えてる場合じゃねぇだろ!偽者が平然と王宮で居座ってたんなら、アンタの親父の身柄は一刻を争うかもしれねぇ!」
「…解っておるわ!ヒライリュウ、これより其方を転移させる!必ず父上を、国王を奪還せよ!」
「応っ………って、俺一人でか?アンタはどうするんだよ?」
「…妾は動けぬ!妾が王宮より遠く離れれば、城下に施した防護魔術の効果が薄れる!故に、国王の身柄は其方に託す!」
「…くっ、はははははっ!良いぜ、そう言うことなら任せとけよ!」
「…恐らく敵は、部隊長殿達にも劣らぬ程の手練れじゃ。それでも、良いな?」
「問題ねぇだろ。アンタは俺の事を、信じてるんだろうがぁ?」
龍は不敵な笑顔を浮かべつつ、真っ向からルナに問いかける。
対するルナも不敵に笑って見せると、龍の足元に魔法陣を展開する。
程なくして光の柱が迸ると共に、龍は単身で敵地へと赴くのだった。




