第五幕・問題児と劣等生
『…では、君は賛成という事かなミストレイ』
「ま~ね~、レイラっち的には要観察ってとこなんだけろうけど~」
『困ったな、このままでは隊長十人の意見は真っ二つに別れてしまうぞ』
「い~んじゃな~い。どうせドルガーっちの決める事に逆らう奴いないし~」
『んふふ、確かにその通りだな………さて、通話は此処までにしよう。互いに多忙の身だ』
「それって皮肉~?レイラっちより多忙なの、他に居ないっしょ~」
『んふふ、すまない。少し意地が悪かったかな』
「別に良いけどね~。それじゃ~ヒライっちのこと宜しく~」
隊長二人の通話は此処で終わる。
やがて世界は夜明けを迎え、次の日が始まる。
当日のフィーリア王国の空は、透き通るように晴れやかだった。
そんな目下のクレマチスでは、今朝から多くの訓練生達が一堂に集合していた。
その場所はクレマチスの南部に位置する、謂わば運動場である。
其処にはやや緊張気味のミュウ、明らかに不機嫌そうな龍の姿も在った。
本日は訓練生担当である、レイラ・ロードスの野外授業が行われる手筈となっているからだ。
そして定時を迎えると同時に、記録簿を携えた彼女が姿を現した。
今回は何時ものボディスーツの上から、深紅の外套を羽織っている。
加えてその外套には、胸元にしっかりと狼の横顔を思わせる金の刺繍が施されていた。
「皆、朝早くからご苦労様。本日は予てより告知していたが、一対一で組手を行ってもらう。是非、日頃の鍛錬の成果を発揮して欲しい」
「おーい女隊長ぉ、それより何か食い物を持ってねぇか。結局昨日から何も食ってねぇんだよ」
「む、それは良くないな。とは言え、自己管理が出来ないのはどうかと思うぞヒライリュウ」
「いや金、金がねぇんだよ。朝も食堂に行ったが、俺の手持ちじゃ水しか出してもらえなかったぞ」
「…ああ、済まない。確かに君への支給に関しては、我々もすっかり失念していたな」
「おぉいこらぁっ、俺には最低限の人権もねぇってのかよぉ!?」
「そう怒るな、お詫びに今後は私の名前をアザレアで使って構わないぞ。そうすれば食事に困ることはなくなる」
「そりゃあありがてぇ、それじゃあ早速行ってくるわ」
「残念ながら、授業中にそんな不精は許されない。今回はコレで我慢してくれ」
レイラは何処からかゼリー状の液体が入った容器を取り出し、龍の方へ放り投げた。
ソレは現代の栄養剤に該当する。
しかもレイラが渡したのは、特に強力な代物だった。
龍の場合、恐る恐るの一口でも体調が万全にまで整う。
これで訓練生達の間にハンデは無くなり、改めて一対一の組手が開始した。
今回は純粋な身体能力の測定が目的の為、魔術や武器の使用は禁止。
勝敗に関してはレイラが、何方かが決定打を作ったとみなした時点で終了となる。
「では先ずはミュウ・ハウゼン、そしてアールシティ。君たちから頼むぞ」
「…あははー、やっぱり本気だったんですねー………あの、アールシティさん。お手柔らかにお願いしますね?」
「…ふん。貴女に掛ける情けなど、ワタクシは持ち合わせておりませんわ」
「あはは………ですよねー」
「おーいミュウちゃんよぉ、なーにビビってんだぁ。体格差もねぇんだからよぉ、ビシッと決めていけぇ」
「ヒライリュウの言う通りだぞ、ミュウ。手前は勝ち目のない理不尽なオーダーを組んでいるつもりはない」
「…レイラ様、早く開始の合図を。ワタクシはもう整っていますわ」
「おっと、では改めて………対戦開始!」
凛々しい声がクレマチスの広場に響き渡る。
そして程なく二人の決着は付いた。
アールシティの鋭い打突が炸裂すると、ミュウはあっさりと地面に倒れ伏す。
実はアールシティは教員達から、将来的に正規員昇格のお墨付きが入る程に総合評価が高い。
またクラウンブレイドに整えた金髪と氷の様な視線から、訓練生の間でも"冷嬢"と呼ばれ恐れられている。
そんな彼女からすれば勝利は当然の結果であり、ミュウからすれば最初から罰ゲームも同然だ。
しかしレイラは暫くしても二人の勝敗を明言しない。
これがアールシティの癇に障った。
彼女はすかさず戦意を湧き立たせ、更なる追撃を敢行する。
一方でもう終わったと思っていたミュウは、咄嗟に身動きもままならない。
もしそのまま経過したならば、ミュウは保健室へ搬送されアールシティはその悪評を更に伸ばす。
だからこそ外野からいち早く、193cmの図体が二人の未来を阻んだ。
「おい、もう良いだろ女隊長。意地悪してねぇで、とっとと止めろってんだ」
「そんなつもりはないんだが………とはいえ、ミュウに戦意がないのなら仕方ない。不本意ながらこれで決着としよう」
「だ、そうだぜぇR指定ちゃんよぉ。これでアンタも納得だろ?」
「…ふんっ、不埒な犯罪者が気安くワタクシの名を呼ばないでくださいまし!」
「くははっ、イメージ通りのキャラで助かるぜぇ。そら、何時までも呆けんてんじゃねぇぞミュウちゃん」
「あ………はい。ありがとう、ございます…」
ミュウは龍に手を貸してもらいながら観戦側へと回る。
アールシティも愛用のハンカチで両手を拭いつつ、二人とは逆側に待機する。
以降は片や申し訳なさで縮こまり、片や不機嫌を全面に押し出していた。
一方で他の組手は着々と進行し、訓練生達は勝者と敗者に別れる。
そして終盤には龍の名前も呼ばれた。
対する相手はスキンヘッドが特徴的な、ゴーレスと言う名の男だった。
彼は訓練生の中では魔術的な成績に乏しい反面、こと武術においては高い成績を収めている。
体格に関しては龍よりも一回り大きく、特に筋肉量は遥かに凌駕している。
お陰で彼の上半身は制服を着ているというよりも、殆ど羽織っているだけの状態だ。
下半身もボクサーが履くような短パンのみで、全身から過酷な鍛錬が浮き彫りになっている。
しかし鋭い三白眼の視線は、向き合った当初からゴーレスの額にのみ集中していた。
「んががっ………おまん、なしてオレっちの顔をじろじろと見てるんだべ?」
「けっ、誰がテメェみてぇな野郎の面なんざ拝むかよ。俺が視てんのは、テメェの額の尖った瘤二つだ」
「瘤じゃねぇべっ、これは角だべっ。オレっちは世界最強の種族、鬼人族なんだべっ!」
「鬼人族、かぁ………マジでそういうのが居るんだな。まぁ魔術がある世界ってんなら、別に何が居ても可笑しくはねぇんだろうけどよぉ…」
「なんだべっ、ごちゃごちゃとうるせぇ奴だべっ。レイラの姉御、さっさと始めてくれだべよ。こいたぁぶっ飛ばして、オレっちは飯にするんだべ」
「んふふ、そうだな。正直言って、手前もこの組み合わせを楽しみにしていた………では、開始だ!」
これまで同様、凛々しい声色が二人の対戦開始を宣言する。
初っ端はゴーレスが動き、その剛腕を活かしたラリアットを繰り出した。
対する龍はその場でしゃがみ込む様な姿勢を取って回避、すかさず無防備となっているゴーレスの腹部を拳で突き上げた。
途端に外野からは歓声が起こったが、ゴーレスも咄嗟に腹筋を固める事で致命的なダメージは避けていた。
その後は両者の顔つきが打って変わる。
互いに相手への認識を改めるには、十分な攻防だったのだ。
やがて真剣な面持ちから静かに構えると、ゴーレスは一呼吸の間に突進を仕掛ける。
宛ら現代レスリングのタックルを思わせる豪快な様相だ。
しかし龍は最初から格闘技をするつもりはない。
その手には予め拾い上げた、広場全体に存在する砂利が乗っている。
そして向かってくるゴーレスに対して、ここぞとばかりにぶちまけた。
「んががががーっ、目ぇっ、目ぇ入ったんだべぇっ!」
宛ら飛礫の様に襲い掛かった砂利は、見事にゴーレスの顔面を直撃した。
鬼人族と言えども、眼球への異物混入に対する反応は変わらなかった。
そしてこの瞬間を、鋭い三白眼の瞳は逃さない。
先ずは蹴りによる股間への金的だ。
ゴーレスも男性、この特有の激痛には悶絶するしかない。
続けて今度は固い膝が繰り出される。
顔の鼻の付近、人体の急所としても名高い部位を狙った一撃だ。
しかもゴーレスが股間を抑え頭を下げていた為、完璧な角度で入った。
自ずと大量の鼻血と共に、ゴーレスの激痛は上書きされる。
しかし世界最強と自負した男はまだ倒れない。
故に龍は鳩尾に顎と、格闘技において大事とされる人体の正中線を狙い続ける。
ただソレは鍛錬や技術に裏打ちされたものではない。
この世界で猛獣とまで称された本能が、何時もと変わらない喧嘩をさせているだけだった。
「…そこまでだヒライリュウっ、もう勝負は決した!」
判定は下った。
しかし青年は止まらない。
相手の体が、まだ倒れていない。
相手の心が、まだ折れていない。
即ちこの喧嘩は、まだ決していない。
「おぉぉぉっらぁぁぁっ!」
ソレは唯一の、声色の乗った攻撃だった。
利き手で顔面を鷲掴みにし、そのまま地面へと捻じ伏せる。
本来なら相手の腕を対象とするべき捻り技を、相手の頭部で成立させたのだ。
斯くしてゴーレスは倒れ、そのまま起き上がることはなかった。
其処へ数人の訓練生が慌てて駆け寄り、未だ攻撃姿勢を解こうとしない龍を強引に退ける。
そして彼等は応急手当と称し、淡い光を伴う掌でひたすらゴーレスの身体に触れ続けた。
ソレは龍が借りた魔術の教本にも載っている、治癒魔術の一種である。
もっとも、訓練生達の出力では数人掛かりでも重傷を治すのは難しい。
間も無く担架が持ち込まれ、ゴーレスは保健室で最善の治療を受ける事が決まった。
一方の龍はすっかり興が冷めてしまい、そのまま観戦側へと戻ろうとする。
しかしその足取りは、背後から強い力で阻まれてしまった。
「…ヒライリュウ。よもや自分の仕出かした事態が呑み込めていないとでも?」
「おーおー、怖ぇ怖ぇ。あの夜を思い出すなぁ、女隊長さんよぉ?」
「はぐらかすな。君は手前の判定を無視し、対戦を続行した………納得のいく理由を述べてもらうぞ?」
「…訴えていた。あの野郎はまだやれると、眼で俺に訴え続けていた。だから俺も続けた………これで満足かよ?」
「…成程、よく理解したよヒライリュウ」
龍の答えに対し、レイラは暖かく微笑んだ。
ただ其処におぞましいモノが詰まっていると、鋭い三白眼の瞳は直ぐに理解した。
そして次の瞬間、193cmの図体は宙を一回転して地面へと叩き伏せられる。
ソレは例えどんな高名な武術家でも、受け身を取る事すら許さない。
単なる腕力だけでは説明が付かない、魔術を駆使した投げ技だ。
居合わせた訓練生一同は、思わず悲鳴を上げる。
冷嬢ことアールシティでさえ、自ずと息を呑んだ。
今まで消え入りそうだったミュウも、すかさず血相を変えてその場へと駆け出した。
それだけの衝撃と威力を、空へ轟くような大音響が示していたのだ。
「これで手打ちだヒライリュウ。個人として君の心意気は尊重しても良いのだが、命令無視は上官としてご法度なのでね」
「レレレ、レイラさんっ。リリリ、リュウさんがっ、し、し、死んじゃったらどうするんですかぁ!」
「んふふ、確かにそれは困るな。それではミュウ、彼の処置は君に一任するとしよう」
「ええーっ、ワタシ一人でですかーっ!?」
「出来ない、とは言わせないぞ。クローケアの体罰を受けたヒライリュウを、一人で運んで介抱したのは誰だ?」
「うっ、それはそうなんですけどー…」
「…ミュウ、これは君への罰でもある。何度でも言うが、手前は理不尽な対戦は組んでいない………分かったね?」
「…はい、すいませんでした」
「では、丁度切りもいい。本日の授業はこれまで。各自休憩を取り、次の授業に向かう様に!」
レイラの宣言が入ると、訓練生達は大きな声で答え解散する。
一方でミュウは気合を入れ直し、193cmの図体の運送を開始する。
人生二度目となる体験は、以前よりほんの少しスムーズだった。
その後、保健室では龍とゴーレス二人の治療が並行して行われる。
しかし龍は治療の途中で起き上がると、ミュウの制止も聞かず保健室を立ち去った。
何処へ行くのか、という問いにも答えはない。
なのでミュウは仕方なく、何も言わずに193cmの背中を追う事にした。
そうして手始めに食堂アザレアにて昼食の調達。
続いてクレマチスの中心、時計台が特徴の第一講堂を訪問。
まだ誰も姿を見せず閑散とする中、真っすぐ最前席にて着席。
そのままアザレアにて調達した、現代で言う所のサンドイッチを食べながらの待機と相成った。
「…リュウさん、行儀悪いですよー。もし机とか汚したら、それこそまたクローケア先生から雷です」
「知るかよ。俺は此処のルールを守るのは構わねぇが、マナーまで守る義理はねぇんでな」
「…って言うかリュウさん、ワタシの案内なしで此処に来ましたけどー………もしかして次の授業が此処で始まるって、知ってたんですか?」
「それも知らねぇ。ただ、次の授業は此処で良いだろ。あのガリガリ先公の授業なら、魔術に触れる機会が多そうだからなぁ」
「…あの、リュウさん。どうしてそんなに魔術を使えるようになりたいんです?」
「前も言っただろ、でないと話にならねぇからだ。魔術なしじゃ、碌に喧嘩も出来ねぇと思い知らされてっからよぉ」
「喧嘩って………そうまでしてやりたいモノ、ですか?」
「やらなきゃならねぇモノ、だな。俺は気に入らねぇことがあったら、基本それで白黒付けると決めてるからよ」
「でも、それじゃあ誰かを傷付けるじゃないですか。自分だっていっぱい傷付くし………社会や法律だって、きっと許してくれません」
「…そうだな、法律は守っちゃくれねぇよ。例えどんなに公正だろうと、決して個人を守っちゃくれねぇんだ」
「…リュウさん?」
「…なんでもねぇ。それより俺も聞きてぇんだが………お前、何時までそのキャラやるんだ?」
「ふえっ?」
「惚けんなって。一体どこまで、やりたくもねぇ断トツの劣等生ムーブを続けるのかって聞いてんだよ」
「…えーと。リュウさんってば多分、買い被ってますよ。ワタシ、別にそんな腹黒とかじゃないですからー」
「…まぁ、話したくねぇならそれで良い。そろそろ他の連中も来そうだしなぁ」
龍の言葉通り、閑散としていた第一講堂に少しずつ訓練生が訪れる。
定時にはまだ早いが、彼等は特に勤勉な優等生達だ。
普段から早出をしては、授業が始まるまで静かに予習や復習をして過ごしている。
しかし今回は予期せぬ先客二人に、眉をひそめる者も少なくなかった。
彼等にとって二人は所詮、問題だらけの新人と断トツの劣等生である。
栄えある機関の一員として、どうしても邪魔者と言う認識は拭えない。
そして勿論、決して言葉にはしていなかった。
もしそんな彼等に悪があるとしたら、鋭い三白眼の瞳に留まってしまった一点に尽きる。
「はい駄目ーっ、駄目ですよリュウさーん!」
「うおぉっ、何しやがんだっ。まだ何もしてねぇだろうが!」
「まだっ、の時点で駄目ですーっ。そういうのは良くないって話したばかりでしょー!」
150cmに満たない少女が、果敢に193cmの図体へと挑戦する。
正確にはその場から動けないよう、制止している。
実際にあと数秒遅れていたら、龍は優等生達に向かって動き出していた。
そして口だけでなく、手を出す予定も有った。
ただし未然に妨害されたことで、すっかり興が冷める。
一方で優等生側は当初から事を荒立てるつもりはないので、その場は穏便に収まった。
そうこうする内に他の訓練生達も集まり、第一講堂の席は徐々に満たされていく。
やがて時刻が定時を迎えると、普段と同じローブを纏ったクローケアが姿を現した。
此処まで読んでいただき感謝<(_ _)>
拙いですが、もし少しでも楽しんでいただけなら幸いです。
良ければ次回以降も拝読して頂ければ幸い。




