転移魔法を強要させられた上に婚約破棄されました。だけど私の元に宮廷魔術師が現れたんです
「レムリ・アンシード公爵令嬢、君との婚約を破棄させてもらう」
「そんな……」
王室広間に呼び出された後、ノヴェル王太子が私に言いました。
私は、とても複雑な心境でした。
正直、私はノヴェル王太子のことが好きではありません。人生を添い遂げる男性としては考えられないほど最低な人だからです。
それを抜きにしても、これは酷い仕打ちです。
私は、この国のためを思って職務を全うしていたというのに。
「だが安心してくれ。僕の王太子妃はすでに決まってるんだ」
「どういうことでしょ――」
「あら、お姉さま。お久しぶりでございますわ」
扉を開けて現れたのは、私の義理の妹であるエリアスでした。
私の母は、私が幼いころに病でなくなっています。
母の亡くなった数年後、父はさる貴族であるカルニ子爵と再婚。カルニ子爵は私の義妹となる女の子、エリアスを連れてきたのです。
それからというもの、父が変わってしまいました。
父は私のことを疎ましく扱うようになり、エリアスだけを可愛がるようになったのです。もちろん、カルニ子爵もそうです。
私の髪が亡くなった母を彷彿とさせる赤毛であったからでしょう、彼女はその髪色を染めろと、強い口調で、何度も何度も強要してきました。
頑なに拒否したことで諦めてくれましたが、あの時のことを思い出すだけで、今でも身体が震えてしまいます。
エリアスは私と違って長く綺麗な黒髪。端正な顔立ちで、年齢は十五。他貴族の間でも小柄で可愛いと評判です。
対して私は十七歳、そして――素朴な顔。
エリアスは綺麗なドレスを身にまとい、颯爽と私の前を横切っていきます。
「エリアス……どういうことですか、ノヴェル王太子」
私とノヴェル王太子は、幼い頃から結婚が決まっていました。
それには理由があります。
私は生まれながらにして、人を遠くに転移させる魔法を使うことができました。それは同年代の貴族たちと比べても、圧倒的な魔法だったのです。
私自身、少しおそろしく感じてしまっていたほどです。
私の暮らすこのオストラバ王国では、類稀な魔法の才能を持ち合わせていた貴族令嬢は、魔法を次代に残すために王太子と結婚する決まりになっています。
もちろん、授かった子が魔法を習得できるとは限りませんが、上位魔法は遺伝する可能性が高いと立証されています。
そして、私もその運命の一人として生まれ、王太子妃となる予定でした。
幼い頃からそう言われ、王太子妃教育を施されてきたのです
そんなおり、ノヴェル王太子の父でもある、リンクス王はご病気により先日なくなられてしまいました
これを受けて、ノヴェル王太子は正式な王位継承の儀を行うと、彼は王に私が王太子妃となる予定だったのです。
「君の転移魔法は確かに素晴らしい。――いや、素晴らしかった」
「だけど、転移魔法の使えないお姉さまに、価値なんてありませんわ」
そう、私は転移魔法が使えなくなりました。「国民のため、我が国のために頼む」とノヴェル王太子は、何度もその言葉を私に投げかけ、王太子妃なるものとして、戦争で勝利を得るために魔法の使用をお願いしてきました。
休みはほとんど与えられず、転移魔法で何度も兵士を敵地に運びました。
強力な魔法ということもあり負担が重くのしかかってきていましたが、王国のためだと思い頑張ってきたのです。
しかしある日、私は転移魔法が使えなくなりました。
宮廷医に看てもらいましたが、高等魔法の連続使用は相当な負担がかかるとのことでした。
しかし、魔法そのものが使えなくなることは聞いたことがないとのこと。
「僕はずっとエリアスと一緒になりたかったんだよ。この美しい黒い髪、宝石のような瞳、ようやく間近で触れることが出来る。レムリ、君のその小汚い赤髪とは大違いだ。それに君と違い、エリアスの笑顔は心が安らかになる」
「あら、ノヴェル王太子の笑顔には敵いませんわ。お姉さまが転移魔法を授かっていたせいで、私とノヴェル王太子は叶わぬ恋だった。何度も寂しい想いをしていたのよ……運命が私たちを引き裂いていた。だけど――これが真実の愛よ」
そうしてあろうことか、二人は私の目の前で口づけを交わしました。婚前での行為は、オストラバ王国で認められていません。これは、私への当てつけなのです。
私はノヴェル王太子のことを好きではありません。性格がとても残酷で、酷い仕打ちを受けさせられた貴族を大勢知っているからです。それにしても、ここまで性格が悪いとは。
「君と婚約破棄したことはすでに貴族たちは知ってる。ただし、婚前の関係から、君を追い出すことができるのは一週間後だ。その翌日にでも、私は正式な王位継承の儀を行う。最後にこの城の見納めでもしておくといい」
「あら、一週間も猶予があるのですか、レムリお姉さま良かったですわね!」
私は逃げるように王室広間を飛び出しました。エリアスの高笑いが背後で響き渡ります。悔しくてたまりません。
しかし、転移魔法を使えなくなった私の居場所がないのは事実です。
実家に戻ることは許されないでしょう、となると私は――
「どうしてこんな……」
気が付いたら私は涙を流しながら、街中で茫然と立っていました。
転移魔法を王国のために使うようになってからは、自室と魔法室の行き来しか許されていませんでした。
なので、街へ来たのは随分と久しぶりです。
しかしながら、たとえ許されていたとしても私は街へ繰り出そうとは思っていませんでした。
なぜなら――。
「あれ、レムリ公爵令嬢じゃねえか? おっかねえ、血を見るのが好きなんだとよ」
「兵士が嫌がっていても無理やり転移させるらしい」
「ノヴェル王太子は優しくて立派だっていうのに、あんな真逆な相手が王太子妃だとは同情するぜ」
街の人々が、私の姿を見ながらヒソヒソと話しをしています。
私は王国のだと思い頑張っていたのですが、結果として残虐な令嬢として名を馳せてしまっていたのです。
なぜなら、私の転移魔法は戦場においてこの上なく凄まじいものでした。
敵国がどれだけ防御線を張っていたとしても、私には関係ありません。地図さえあれば、私はどこにでも兵士を転移させることが出来たのですから。
しかし、いくら私でも大人数は不可能です。一個小隊、六名ほどが一度で転移できる限界でした。
軍の中でも、私の体調を気遣ってくれる方はいましたが、ノヴェル王太子は私自らやりたいと申し出ろと命令されました。
まだ王太子妃でもない私が、それを断れるはずがありません。
今思えば、毅然とした態度を取るべきでした。
しかし、もう何もかも遅いのです――。
「綺麗……」
街の北の端、そこには今は使われていない展望台があります。老朽化が進んでいて、後日取り壊しされる予定になっていました。
幼い頃、亡くなった母が私をよくここに連れて来てくれていたのです。
私は、最後にこの景色を見たくなりました。
「来世は――幸せになれるかな」
ボロボロの壁に足を掛け、私は柵の上に立って両手を広げました。
空は青く、綺麗な街並みがとても美しいです。少なくとも、私はこの街のために戦っていました。この街は私の誇りです。
なぜなら、転移魔法のおかげでこの国は戦争における損失がほとんどなく、裕福で安全な国として認知されるようになったからです。
報われない人生でしたが、天国にいる母だけ褒めてくれるような気がしていました。
そして、私は飛び降りました。
もの凄い速度で、地面が近づいてきます。
まるで空を飛んでいるみたいで、風が気持ちいい――しかし、私の身体は空中で停止しました。そして、そのまま緩やかに降りていきます
「これは……」
鳥の羽根のように、私はふわふわと地面に着地しました。見たこともないほど強力な光魔法が、身体中に付与されていたのです。
あまりの出来事に、目も口もぽかんと開いてしまいました。
「この国では、美女が降って来るのか」
唖然としている私に手を差し伸べてくれたのは、蒼い瞳をした男性でした。
背は高く、顔立ちは女性に間違えそうなほど整っています。金に輝く髪はくしゃっとしてやわらかそうで、扱っている光魔法も輝いていました。
にもかかわらず全身は真っ黒なコートで覆われています。
けれども、私は死ぬ覚悟がありました。ですが、この方は無能な私を生き永らえさせたのです。
「あなたが……この光魔法を……」
「ああ、事故だと思ったが、その様子だと――身投げか」
私の表情で気づいてしまったのか、彼は冷たく言い放ちました。
次第に、自己中心的な考えだとは思いますが、大変腹が立ってきました。
私は楽になりたかったのです。今頃、天国で母に褒めてもらえているはずだったのに。
私は差し出された手を掴まずに、一人で立ち上がりました。
この国では、と言うからには彼はオストラバ王国の人ではないのでしょう。
「そうです。私は死にたかったんです。無能ですから」
助けてもらったのにもかかわらず、私は冷たい態度を取ってしまいました。
「君みたいな美女が身投げしないといけないってことは、ずいぶん噂と違うな」
「……噂って?」
「誰もが幸せで、安全で、貧困のない素晴らしいオストラバ王国って話だ」
「それは本当です。――私以外は」
思わず、本音を漏らしてしまいました。彼からすれば、わけのわからない女性のたわごととして聞き流されることでしょう。
「……そうか。君が転移魔法を使うレムリ・アンシード公爵令嬢――か、極悪非道と聞いていたが、これも噂とは違うみたいだな」
「なぜ、私がそうだとわかったんですか」
私は驚愕しました。自国の方であれば、私の素顔を知っている人は多いです。
ですが、他国に出向いたことがない私の顔はあまり知られていないはず。
「どうしてだと思う?」
「わかりません」
私が答えると、彼はとても嬉しそうに笑みを浮かべました。憎たらしいほど、素敵な笑顔です。
「だったら城に案内してくれないか?」
「城? あなたは一体誰なんでしょうか?」
「俺の名前はアズライト・ヴィズアード。こういうもんさ」
彼は一枚の書状を見せました。
◆ ◇ ◆ ◇
オストラバ城――王座の間。
あろうことか、私は死を覚悟したのにもかかわらず舞い戻って来てしまいました。
ノヴェル王太子は、アズライト様が差し出された一枚の紙をお読みになっています。
隣には、エアリスが我が物顔で立っていました。
貴族の方々も整列してらっしゃいます。
アズライト様がお越しになったことで、せわしなく集合したようです。
中には私のことを慕ってくれていた人もいますが、今は話し掛けることすら許されてはいないようでした。
ただ、申し訳ないと言った表情で会釈をするだけです。
「あなたが、かの有名な無欲の魔術師、アズライト・ウィズアート様ですか。失礼かもしれませんが、もっとお年を召した方だと思っていた。ラズリー王国の宮廷魔術師ともなれば、白い髭を蓄えているのかと」
ノヴェル王太子が、少しだけ冗談交じりに言いました。失礼な言い方ではありますが、彼はいつもこうなのです。
ラズリー王国といえば、このオストラバ王国とは比べ物にならないほど強国で、魔王を倒した勇者のご出身だとも聞いています。
魔法、魔術の才能に溢れた人が多く、四季折々の素晴らしい国だという噂です。
私の転移魔法のおかげもあって、オストラバは安全な国と認められ、ラズリー王国の同盟国として認定されました。
アズライト様は、この国の防衛魔法を強固にするためにはるばるとラズリー王国から来て頂いたのです。
私も少しだけ名前を聞いたことがありました。
「よく言われます。ですが、ラズリー王国は頭が柔らかいんですよ。こんな若造の私でも、実力があれば白い髭を蓄えたおじさんになる前に良い地位につけます」
それに対し、アズライト様は不敵な笑みを浮かべました。年齢は二十より少し上でしょうか。
お互いに少しだけ威圧しているかのようでした。
「いや、逆に安心です。あなたのような素晴らしい才能を持つ方が来てくれたことを歓迎します。生憎、私は魔法の才能に恵まれなかったんですよ。その代わり、剣の腕には少々自信がありますが」
「あら、ご謙遜なさって! 私は知っていますわ。ノヴェル王太子が戦場に出れば世界を征服できるほどの腕前だと言われていることを!」
「冗談はやめてくれ、エリアス」
私の前にもかかわらず、二人はとても親し気にしていました。どうでもいいことですが、その態度には腹が立ちます。しかし、どうしようもありません。
「で、レムリ公爵令嬢。なぜ君はアズライト様と一緒に?」
鋭い目つきで、ノヴェル王太子は私に視線を向けました。
とても、蔑んだ目をしています。
私がどう返せばいいのかと迷っていると、アズライト様が話しはじめました。
「私が道に迷っていたら城まで案内してくれたんですよ。レムリ公爵令嬢はとても素晴らしいお方ですね。さすが、オストラバ王国に仕えるお方かと」
「そ、そうですか。それは良かったです」
ノヴェル王太子は、少しだけ不満そうでした。
「それと、防御魔法をかけるにあたって、街を調べる必要があるんですが」
アズライト様は私を見ながらウィンクをしました。身投げをしたことを言わずにいてくれたのです。
「であれば、エリアス。彼女は私の王太子妃となる女性でね、まだ城や宮廷には慣れていないですが、街には詳しいのです。良いか? エリアス」
「ノヴェル王太子、もちろんですわ。私にお任せください」
エリアスはとびきりの笑顔でアズライト様に顔を向け、姿勢を正し、お辞儀をしました。
しかし、アズライト様は私を見ています。
「出来ればレムリ公爵令嬢にお願いしたい。ここへ来る途中、面白い話を聞いてね、続きが知りたくてたまらないんですよ」
何を思ったのか、アズライト様は私を名指ししました。
面白い話なんて、私はしていないのです。
そういえば、転移魔法が使えなくなったことを伝え忘れていました。
アズライト様はその話を期待しているんでしょう。そうとわかれば、無能な私のことなんて必要がないはずです。
それを知ってなのか、エリアスがクスリと笑いました。
「アズライト様、改めてご紹介させていただきます。エリアス公爵令嬢と申します。それと、レムリ様はもう転移魔法が使えぬのです。私の義理の姉であり、これまで国を守ってくれた素晴らしい義理の姉なのですが――」
「わかっています。その上で、レムリ公爵令嬢にお願いしているのです」
アズライト様は、エリアスの言葉を遮って言い放ちました。これには、エリアスも唖然としています。
ノヴェル王太子といえども、ラズリー王国の宮廷魔術師である、アズライト様を無下にできるわけがありません。
見たこともないほど動揺して、構いませんが……と一言だけ返しました。
「それは良かった。ではレムリ様、お願いできますでしょうか?」
私は転移魔法が使えないただの無能です。
しかしながら、アズライト様はそんなことを一切気にしていないかのように、再び私に手を差しだしてくださいました。青い瞳がより一層輝いているかのように思えます。
「――喜んで、アズライト様」
私は深々とお辞儀した後、アズライト様の手を掴みました。
エリアスとノヴェル王太子は気に食わないような顔をしています。少しだけ、私の気が晴れました。
しかしなぜ、アズライト様が私に優しくしてくれるのかはわかりません。
王座の間から少し離れて、私はアズライト様に問いかけました。
「どうして……私が身投げしたことを言わないでくださったんですか?」
「言ってほしくないんだろ? それぐらいわかるさ」
「それはそうですが……。それに、私は転移魔法が使えないということも……」
「ああ、初めて会ったときに”視えたよ”」
「視えた……?」
わけがわかりません。私は理由が知りたくて、アズライト様に質問を続けます。
「視えたとはなんですか」
「俺は生まれたときから右目だけが見えなくてな。その代わり魔力の流れが視える。それがさっきの答えだ。転移魔法は特殊だからね、その残りが視えたってわけだ。といっても、魔法そのものが使えなくなるのは俺も聞いたことがないな」
「アズライト様ですらわからないですか……」
やっぱり、もう元には戻らないのでしょう。
私は、とても悲しい気持ちになってしまいました。
「まあ、心配することはない。魔法の構造を詳しく説明できるやつなんていない。また使えるようになる可能性は十分にある」
「そうなんですか!?」
私は、目を輝かせてアズライト様の両手を握ってしまいました。なんとはしたないことでしょう、驚いて、すぐに離れました。
「す、すみません……」
「いや、構わない。それより、俺は怒ってるんだ」
「怒ってる……?」
「連続で魔法を使用させられたんだろう。君の色は疲弊しきっている。その表情も、とても悲しげだ」
アズライト様は、私の前髪をかき分けました。赤髪でだらしなく伸び切った前髪です。とても申し訳なくなりました。
「顔を出しているほうが綺麗だよ。さて、街を案内してもらえますか レムリ様」
「わかりました。どこからがいいでしょうか? オストラバの正門は北になりますが、防衛施設となりますと、南のほうが」
「そうだな、まずは――――――でお願いしたい」
「ええ!? 嘘ですよね?」
「大真面目だよ」
アズライト様は、憎たらしいほど素敵な笑顔をしました。
「これがオストラバ王国名物のアイスクリィムです! 溶けないうちに美味しくお召し上がりください!」
笑顔の素敵なお姉さんが、私たち冷たくて甘いアイスクリィムなるものを手渡してくれました。
アズライト様の最初のお願いは、甘い物が食べたいということでした。とんでもないお願いです。
アイスクリィムはオストラバでとっても有名です。私も知っていましたが、食べるのは初めてです。
なぜなら、十歳で宮廷に出向かされてから、七年間も街に出る事を許されてはいなかったからです。
「黄色と赤の二種類か、だったら、レムリ様は赤をどうぞ」
アズライト様は、赤色のアイスクリィムを渡してくれました。
「どうして私だと赤なんですか?」
「君の魔力は綺麗な赤色だ。髪と同じだよ」
「そうなんですか……」
綺麗な赤色、私は知りませんでした。なんだか、心が嬉しい気持ちになります。
「美味しい……」
一口食べると、思わず笑顔になりました。視線を横に向けると、アズライト様も嬉しそうにしています。
「凄いな、こんなにおいしいのか。これは噂通りだ。そういえば、レムリ様、いやレムリって呼んでいいか? なんだか煩わしい。俺のこともアズライトと呼んでくれ」
「そ、そんな!? 私のことはレムリで構いませんが、ラズリー王国の宮廷魔術師のアズライト様を呼び捨てだなんて……」
「だったら、君の命を助けたお礼としてそうしてくれ。そのくらい、いいだろ?」
アズライト様は、またもや憎たらしい笑顔をしました。そう言われれば、私は断ることができません。
「わかりました……アズライト」
アイスクリィムを食べながら歩くなんて、とてもはしたないことです。
だけども、とっても楽しいです。しかし、街人の方々がヒソヒソと私たちを見ながら話しています。
もしかすると、私が堂々と不貞行為を行っていると思われているのでしょう。
きっと、彼らはまだ私が王太子妃になると思っているからです。
「気になるのか?」
「少し……」
「彼らが何を言っているのかはわからないが、レムリはレムリだ。俺もラズリー王国では同じようにヒソヒソと話されることがある。どうせすぐに収まる」
「そういうものですか……」
そういえば、私は気になってしまいました。ノヴェル王太子は、アズライト様のことを無欲の宮廷魔術師と呼んでいました。
一体、どういう意味なんでしょうか。
「アズ……ライト、聞いていいですか?」
「ん?」
「無欲の宮廷魔術師って、どういう意味なんでしょうか? すみません、失礼でしたら聞き流してもらっても……」
「ああ、実は俺、強欲の塊なんだけど、それだと恰好が悪いだろ。真逆の名前を広めようと思って自分で頑張ってるんだ。ついさっきも、エリアス様を断って君を指名しただろ」
しかし、嘘か本当かわからない答えでした。
けれども、アズライト様は屈託のない笑みを浮かべます。とっても、憎たらしいです。
アイスクリィムを食べ終わった後、私は再度問いかけます。
「美味しかったですね。さて、本題に入りましょう。防御魔法ということでしたが、どこを案内すればいいのでしょうか? 北門? それとも、監視塔でよろしいですか?」
「ああ、あれは嘘だ。せっかくオストラバに来たんだ。観光がしたくてね。防御魔法をするのに街へ繰り出す必要なんてない」
「嘘……なのですか?」
「嘘」
私は、思わず笑ってしまいました。ここまで堂々と嘘を付くお方は初めてです。ついさっき身投げしようとしたことをすっかり忘れてしまうほどです。
なんだか、元気が出てきました。
「わかりました。レムリ・アンシード、オストラバ王国を存分に案内させていただきます!」
「いいね、そっちのほうがいい。それが、本当の君なんだね」
それから私たちは、オストラバ王国の街を存分に楽しみました。
美味しい物を食べたり、おもちゃの弓で、おもちゃの人形を討ったり、夢なんじゃないかと思うほど楽しい時間でした。
楽しすぎて、すっかりと日が暮れてしまいました。
「日が暮れてしまったな。ありがとう、レムリがこのオストラバ王国を愛していることがわかったよ」
「え? どういうことですか? って、すみません。なんだか、質問ばかりしてしまって」
「いや、いい。この街のことを話しているときの君はとても楽しそうだった。それがよくわかった」
「そう……ですね」
アズライト様の言う通りでした。私はこの街、このオストラバが大好きです。
それなのに、私は一週間後に去ることになるでしょう。
実家には戻れませんし、街での評判が悪い私に働き口なんてありません。
ましてやこんな私が冒険者になんて到底なれるわけもありませんから。国外に出ればすぐに野垂れ死んでしまうでしょう。
けれども、最後に楽しい思い出ができました。
「……帰りましょうか」
「そうだね、レムリ。早く戻らないと勘繰られてしまう」
「はい! あ、確かこのあたりに裏道があったはずです! 近道です!」
私は元気いっぱいに、路地を案内しました。幼いころは、こういう暗がりを通って近道していました。
しかし、
「よお、いい夜だなあ」
「色男さん、金持ってるか?」
「なんだ、ひょろっちぃカップルだなあ」
屈強そうな三人組の男が、私たちの前に立ち塞がりました。すっかり忘れていましたが、ここは観光客が多い地区です。
オストラバ王国の治安は保たれていますが、荒くれ者が寝泊りしていたりするので、あまり近づかないようにと母に言われていたのを思い出しました。
どうやら、私の顔を見ても誰だかわからないようです。兵士はこのあたりにいませんし、アズライト様に何かあってはいけません。
私は震える身体を押し殺して、毅然とした態度を取ります。
「私はレムリ・アンシード公爵令嬢、この方はラズリー王国の宮廷魔術師、アズライト・ウィズアート様です。その態度を改めなさい!」
「ああ? 誰だよ? そんなことで、この俺様がびびるとおもってんのか?」
しかし、火に油を注いでしまったようでした。三人組は手にしていた酒瓶を地面に放り投げます。その割れた音が響き、私はびくっと動いてしまいました。
「なんだあ? 嬢ちゃん。びびってんのか? 安心しなよ。そのひょろっちい男より、俺のが優しいぜ。――おい」
「へっ、兄貴はすぐ壊しますけどねえ」
「この前の女なんて、ひーひーいってましたぜ」
そこで、アズライト様が少し前に出ました。
見間違いかもしれませんが、笑みを浮かべていたような気がします。
「いいねえ、この俺に突っかかって来るヤツは随分久しぶりだ」
どうしてでしょうか、口調がほんの少し荒々しくなっているように思えます。
「何だとこのガキっ!」
男の一人が、アズライト様に右拳を振りかぶりました。私は怖くて目をつぶってしまいましたが、次に目を開けると、男の一人が地面に倒れていました。
「てめぇ……なにしやがった?」
「殴り返しただけさ。お前らじゃ視えなかったのか」
「ふざけやがって!」
アズライト様は、不敵な笑みを浮かべてらっしゃいました。
そして、黒いコートを放り投げると、私の目ではとても追いつかないほどの動きで、二人の男を倒しました。
何が起きたのかさっぱりわかりませんが、地面で鼻血を出していらっしゃいます。
ラズリー王国の宮廷魔術師は魔法を使わなくても強いのでしょうか。
「いいから、とっと失せな。これでもかなり手加減してるんだ」
「ちきしょう、話しがちげえじゃねえか!」
「きゃああああああああああ」
私の首に冷たいものが当たりました。後ろから現れた別の男に体を掴まれてしまったのです。
三人組ではなく、四人組だったようです。
視線を落とすとキラリと光る刃が見えました。
「いっちょあがり。おい、優男。殺しはしねえよ、気が済むまで殴らせろ」
「……好きにしな」
アズライト様は、両手を広げました。私の身を案じて、自らの体を差し出したのです。
そんな、そんなことをさせるわけにはいきません。
アズライト様は、このオストラバ王国の大切な客人です。私の命の恩人です。
一週間後には尽きてしまうこの命と天秤にかけるまでもありません!
「アズライト様、すみませんっ」
私はぐっと首を下に向け、わざとナイフの刃がめり込むようにしました。
首から、赤い血が滴り落ちます。私の髪と同じで赤いです。
アズライト様を守って死ぬなら、本望です。
「おい、やめろ――!」
しかし、男はなぜかたじろぎました。後ずさりして、私は前のめりに膝をつきます。
「レムリ!」
アズライト様が駆け寄ってくださると、すぐに首に暖かい光を感じました。
これは、治癒魔法です。世界でも珍しいとされているので、私は見たことがありませんでした。
傷はすぐに治り、血が元に戻っていきます。なんて、なんて素晴らしい魔法なんでしょう。私の転移魔法とは大違いです。
「大丈夫か?」
「はい、すみません。私のせいで危険な目に……」
「謝らなくていい。心配するな、傷痕は残らない。それよりも――」
アズライト様は立ち上がると、右手を前に出しました。
手の甲には、瞳と同じ青い紋章が浮かび上がります。とても綺麗ですが、もの凄い魔力です。体が震えあがるほど、おそろしさも感じます。
「ダメです! アズライト様!」
「殺しはしない。だが、女性に傷をつけた落とし前はつけてもらう。一日くらい寝てろ」
すると、アズライト様の手から魔法が飛び出しました。ナイフを持っていた男に青い光が直撃すると、勢いよく吹き飛びました。地面に倒れると、ピクリともしません。
仲間が駆け寄って声を掛けますが、気絶しているみたいでした。
「ちきしょう! 担いで逃げるぞ!」
「ったく、バケモンじゃねえか!」
逃げる男たちの後ろ姿を見ながら、アズライト様は訝し気な顔をしておられます。
確かに、彼らの言動はどこか変です。それに、私よりもアズライト様を狙っているような気がしました。
「あいつらなんだったんだろうなって、この国で勝手な魔術は禁止されてるんだった……レムリ、黙っといてくれ……」
アズライト様は、本当に素敵な笑顔をしています。
この方が王太子であれば、私は幸せだったに違いありません。
それから私たちは、急いで城に戻りました。夜も遅かったので、アズライト様を客室にご案内し、私も自室に戻りました。
今日ほどつらかった日はありませんが、今日ほど幸せを感じた日もありませんでした。
翌朝、私の部屋の扉がコンコンとノックされました。変です。
誰も来る予定はないのです。
「どなた――アズライト様!? どうしたのですか?」
「様か、また戻ってるな。まあでも、城ではそのほうがいいか、昨日、気になることがあってな、街へ行きたいんだ」
「構いませんが、どうして私を……」
「俺は極度の方向音痴でね。それに、助手がほしいんだ」
「助手……ですか?」
まったく、憎たらしい笑顔です。私は急いで身支度を済ませると、アズライト様と街へ繰り出しました。
「ここ……ですか?」
そこは、オストラバ王国の中でも貧困層とされている地区でした。とはいえ、他国と比べるとそれほどでもないはずです。
「ちらっと話しを聞いてな。確か、あの家だ」
アズライト様は一つの家の前で止まると、ドアをノックしました。木製で、立派な家ですが、少しだけ老朽化しているみたいです。
外壁が所々、穴が開いてしまっていますから。
「はい。ええと、あなた達は?」
昨日、私たちにアイスクリィムを渡してくれたお姉さんでした。
制服姿ではなく、オストラバ王国では一般的なお洋服に身を包んでいました。
「覚えてないか? 病気の弟がいるってチラっと聞いたんでな、様子を見に来たんだ」
「……ああ! 思い出しました。それに……レムリ様……」
お姉さまは、少しだけ嫌な目をしました。私のことに気づいたのでしょう。
昨日は前髪を上げていたので、気づかれていなかったみたいです。
私は、ここへ来るべきではなかったのかもしれません。
しかし、アズライト様は気にせずに続けます。
「上がってもいいか? 弟の体調を看たい。俺は治癒魔術を扱えるんだ」
「あ、え、あ、はい! いいのでしょうか? どうぞ、レムリ様も」
お姉さまは私たちを自宅に招き入れてくれました。お花がいっぱい飾ってあって、良い匂いがします。
室内も所々に穴が開いてあるので、直してあげたくもなりますが。
「で、体調が悪くなったのはいつからだ?」
「先月です。風邪だと言われているんですが、なかなか治らなくて……」
奥の部屋で、十歳ほどの男の子が横になっていました。とても辛そうに唸っています。額には、濡れタオルが置いてありました。
「ちょっと”視てみる”か」
そう言うと、アズライト様は目に魔力を込めたようです。ほんの少しだけ、私にも感じました。
アイスクリィムのお姉さまは不思議そうに見ています。私を見るたびに、少し不安を感じているようでした。
アズライト様の正体がラズリー王国の宮廷魔術師だと知ればびっくりするでしょう。
「風邪じゃないな。これは、魔力の乱れだ。この年齢だとたまにあるんだ」
「乱れ……ですか?」
「ああ、レムリ……様、ちょっと来てくれ」
「え?」
アズライト様に手を引っ張られ、私はベットの横に立ちました。
「この子の魔力は君と同じ赤色だ。手を握ってあげてくれないか、俺の魔力を流し込むことはできないが、君を経由することで元に戻るはずだ」
「え、でも……」
私はお姉さまに視線を向けました。こんな私が、弟さんの手を握るなんてきっと嫌なはずです。
「……レムリ様、お願いできますか?」
しかし、お姉さまは頭を下げてくれました。私はなんて思い違いをしていたんでしょう。家族のためなら、そんな些細なことは関係がないはずです。
「もちろんです。お力になれるのであれば、私は何でもします」
そして、私は弟さんの手を握りました。もう片方の手で、アズライト様の手を握ります。
「心配しないでいい、すぐに終わる」
すると、アズライト様の体が白く光り輝きました。そして――私の身体に流れ込みます。
「イメージだ。魔法はイメージの世界なんだ。自分の魔力をこの子に移し替えるように、そっと優しくイメージすればいい。レムリ、何も難しいことはない。君ならできる」
アズライト様が励ましてくれます。私は目を瞑りながら、言葉通りにイメージしました。
そうすると、不思議な事が起きました。私の身体の魔力が、弟さんに流れていくのがわかるのです。とても不思議な感覚なのです。
それから数秒後、すべてが終わったような気がして目を開けると、アズライト様は笑顔でした。
「よし、これで大丈夫だ。すぐに熱も治まると思うが、食事をちゃんと食べさせてあげてくれ、そうだな。アイスクリィムとか喜ぶんじゃないか」
「ありがとうございます!! ええとお代は……」
「いらないよ。それより、お礼はレムリ様に頼む。俺は何もしてないからな」
「え? 私は何も……」
「レムリ様、ありがとうございます! 本当に……ありがとうございます!」
お姉さまは、私の手を強く握ってくれました。暖かい手です。
私は嬉しくてたまりませんでした。
それから私たちは、近くでお食事を取るために移動しました。
お姉さまは大変喜んでいて、私も心がぽかぽかしました。
「アズライト、ありがとうございました」
「どうして俺がお礼を言われるんだ? 何もしてない、それどころか、無理やり助手にさせたからな」
「いいえ、私は感謝しています。私は……転移魔法がなければ役立たずだと思っていました。ですが、こんな私にもまだ出来ることがあるのだと、わかったのです」
「そうか……なら良かった。だけど、俺なんて昔は魔法が使えなかったからな。いや、今でもか」
「魔法が……使えなかった? ラズリー王国の宮廷魔術師なのに?」
すると、アズライト様は大きな声で笑いました。とても、とても大きな声です。
私はわけがわからなくて、ぽかんとしてしまいました。
「すまんすまん、君を笑ったわけじゃないんだ。あの頃の自分を思い出してしまったんだよ」
「思い出す?」
「ああ、ラズリー王国が魔法や魔術で有名なのは知ってるだろ?」
「もちろんです」
「今はもう亡くなってしまったが、俺の父は最高の魔法使いだった。にもかかわらず、息子の俺は魔力が一切なかった。今でも魔法は使えないしな。そのせいで散々いじめられたし、苦労したよ」
「そんなことがあったのですか……だけど、それだと変です。アズライトは魔法を使えるじゃありませんか」
「今はな。だけど、気づいたんだ。魔力がないからって諦める必要はないってな。俺のは魔法じゃない、魔術だ」
アズライト様は、手の甲を見せてくださいました。昨晩、男たちをやっつけたときに光輝いていた紋章です。
「これは俺が編み出した術式だ。魔法が使えなくても魔法が使えるようになる。俺専用のな」
「凄い……そんなものがあるのですか!? まるで魔法です! あ、すみません……」
「いや、そうなんだよ。魔法ってのは奇跡なんだ。だけど、魔術は違う。努力次第で生み出すことができる、素晴らしいものだ。俺と違って、レムリは生まれながらにして奇跡を授かっていた。その力で、多くの人を幸せにしたんだろう。だから、使えなくなったとしても悲観的になる必要なんてない。これから、何にだってなれるんだよ」
「何にでもなれる……」
アズライト様と一緒にいると、私の元気が溢れてきます。本当に素晴らしいお方です。できることならば、ずっとお傍にいたいと思うほどです。
それから数時間後、私たちは簡単な食事を済ませて、城へ戻ろうとしていたときです。
「あ、あんた! そ、それにレムリ様……聞きました。お願いがあるんです」
突然、男性が声をかけてくると、私たちにお願いをしてきました
どうやら、アイスクリィムのお姉さまが隣人に話したことで、すぐに噂が広まったようです。
「もう大丈夫ですよ」
「ありがとうございます! アズライト様! レムリ様!」
そのお願いは、娘さんの顔の火傷を治してほしいとのことでした。
とても酷い痕でしたが、アズライト様は綺麗に治してあげたのです。隣で見ていて、誇らしい気持ちになりました。凄いです!
しかし、その噂を聞いて、一人、また一人とお願いが舞い込んできました。
それでもアズライト様は、嫌な顔一つせずに笑顔でわかりましたと治療していきました。
治癒魔法、アズライト様は治癒魔術だと思いますが、扱える人は非常に稀なのです。
それに、本来であれば高額な費用がかかってしまいます。だけど、アズライト様は一銭も頂きません。
わかりました。これが、無欲の魔術師、アズライト・ウィズアート様なのです!
アイスクリィムのお姉さまの家をお借りして、私たちは何人もの方を癒しました。
といっても、私は大したことをしておりません。
しかし、こんな私でも簡単な治療が出来ると知りました。転移魔法は使えませんが、アズライト様の魔力をお借りすることで、同系統の魔力の方であれば力になれるみたいです。
本当に……幸せな気持ちでいっぱいでした。
時間が経ち日が暮れたので、私たちは城へ戻ることにしました。
大切な客人であるアズライト様にこんなことをさせていることが貴族たちにバレれば、国民の方々が罪を背負う可能性があります。なので、黙っておくようにとアズライト様は言っていました。
明日もアズライト様は皆を看てあげるそうなので、私も着いて行きますと約束しています!。
「お疲れ様。凄かったね」
「はい、大勢の方が来てくれました。アズライトの魔術は素晴らしいです!」
「違う、君のことだよ」
「私ですか? 何もしていませんが……」
アズライト様は、首を横に振りました。わけがわかりません。
「君は公爵令嬢と言う身分でありながら、分け隔てない心を持ってる。それに私も気づいていたが、彼らは最初、君をあまり良い目で見てないだろう。治療が終わって手の平返しをされても、君は喜んでそれを受け入れる。そんなこと、誰にでもできるわけじゃない」
「そんな……私はただ、この国の方々を愛しているのです。それに、役に立っていることが分かって嬉しかったのです」
その翌日も、アズライト様は大勢の方を治療しました。
「アズライト様、ありがとうございます。それに――レムリ様。私は勘違いしていました。あなたは大変すばらしいお方です。皆も、そう言っています」
「俺……勘違いしてました。レムリ様、転移魔法が使えなくなったと聞きました。どうか、無理なさらずに……」
「レムリ様、何かあれば私で良ければ言ってください。何でも、本当に何でもします」
アズライト様だけではなく、国民の方々は私にも感謝の言葉を述べてくれました。
こんなに嬉しいことはありません。最後の日まで、私はアズライト様と大勢の方を治療しました。
そして、七日目――。
アズライト様が、ラズリー王国にお帰りになる日です。同時に、私が城を追放される日でもありました。最後にアズライト様は、強固な防御魔法をオストラバ王国に掛けてくださいました。
凄まじい光魔法が国全体に広がったときは、国民の歓声上がったほどです。
私としても、最高の一週間を過ごすことが出来ました。
改めてお礼を言いたかったのですが、アズライト様はお忙しいみたいでした。
オストラバ王国の宮廷魔術師たちに注意事項や、魔物対策の説明をしているそうです。
私は、特にやることがありませんでした。
自室に引きこもり、この幸せな七日間を思い返すだけです。
しかし夜になっても、私の部屋には誰も訪れませんでした。
ここから出ていけと、誰かに言われるはずだったのですが――そのとき、扉が開きました。
「レムリ様!」
「アクア……まさかあなたに出て行けと頼むなんて、最後まであの二人は私の精神を追いつめたいのね……。だけど、アクアと久しぶりに会えて嬉しい」
アクアは、私の専属のメイドでした。とても可愛らしい声と三つ編みが似合う女性です。
けれども、色々とあってから随分と会えていなかったのです。
「レムリ様、違います……。ノヴェル王太子が、最後にレムリ様にお披露目会に出ろと……また、アズライト・ヴィズアード様もご出席されてから帰国するそうです」
「なんですって……」
すっかり忘れていましたが、今日は婚姻前のお披露目会でした。ですが、王太子妃は私ではありません。そのことは王国内で認知されていますが、各国の権力者、地方の領主様にはまだ知られていないはず。
それをお伝えするのでしょう。ということは、私の父と義母も招待されているに違いありません。
それを最後に見届けろと……。
「しかしレムリ様、私はお伝えに来ただけではありません」
「どういうことですか? アクア」
「こんなところ、今すぐ逃げ出しましょう! 私はずっと腹が立っていました。転移魔法の連続使用を強要させ、レムリ様のご負担を考えずに何度も……あろうことか、魔法が使えなくなったからといって、あのエリアス様を王太子妃にだなんて! こんな国、二人で捨ててやりましょう!」
私は驚きました。アクアは、十歳でここへ来た私に心から優しく接してくださいました。
公爵家生まれでありながら私は至らない点が多く、足りない作法のすべてをアクアから学んだのです。
王国内での食事の作法、お辞儀の角度、夜中に小腹が空いたときのコックへのご機嫌の取り方など、上げるとキリがないのです。
それだけに、申し訳ないのです。ましてや、一緒に逃げるだなんて。
「アクア、お気持ちは嬉しいのだけど、それはダメよ。あなたはここに残るの。それに、私は逃げない」
「もしかして……出られるおつもりですか!?」
「私のドレスを持ってきてもらえる?」
「そんな……公の場で、ノヴェル王太子はレムリ様を辱めようとしているだけですよ! レムリ様はなんの落ち度もございません! そんなこと、私が許しませぬ!」
私は、嬉しくて嬉しくて、涙を流しながらアクアを抱きしめました。
そして、この一週間の出来事を包み隠さず話しました。
身投げしようとしたこと、アズライト様に助けてもらったこと、心の想いもすべて……。
アクアは最後までじっくりと話しを聞いてくださり、応援すると言ってくれました。
「ありがとう、アクア。私の心の内を話せるのは、あなただけだわ」
「とんでもございません。私は何もできませんでしたから……」
アクアは、ずっと私を気遣ってくれていたのです。転移魔法を今すぐにでも辞めさせてくださいと、クビを覚悟でノヴェル王太子に言いました。ただのメイドがそんなことを許されるはずがありません。
それ以来、私とは会えなくなってしまっていたのです。
しかし、私がハッキリと転移魔法は使いたくないとノヴェル王太子に断らなかったのが一番の原因です。
すべては私の責任なのです。
「ありがとう。だけど、私は最後までレムリ・アンシード公爵令嬢としての責務を果たします」
「レムリ様……わかりました。私がレムリ様の魅力を最大限に引き出します。皆に見せつけてやりましょう! それに、アズライト様に見てもらいたいです。レムリ様がどれだけ可愛いのかを!」
「ええ、頼んだわ。アクア」
そして――夜。
オストラバ城の広間では、一段と美しい装飾がなされていました。
婚前パーティということもあり、色とりどりの花が飾られ、選りすぐりの料理人によるご馳走が並べてあります。
皆が笑顔で楽しくしている中、私は一人寂しくお酒を頂いていました。普段は嗜みませんが、今は強くありたいのです。
アクアは、私の赤髪をかき上げて、綺麗なメイクをしてくださいました。
普段は恥ずかしさもあって、お顔をあげることはありませんが、アズライト様も褒めてくださいました。今は自信で満ち溢れています。
「あれ……レムリ様か?」
「そう……みたいだな。あれほど綺麗だとは知らなかった」
私が王太子妃ではなくなったという事を知らぬ方もいらっしゃったようですが、誰かがすぐに告げ口しています。
私は最後まで、レムリ・アンシードとして、誇り高く去ろうと決意しているのです。
「レムリ。お前も来ていたのか」
「お久しぶりです。お父さま、お母さま」
父の隣には、義母のカルニ子爵の姿もありますが、挨拶すら返してはくれません。
「転移魔法が使えなくなったらしいな。おかげで、エリアスが王太子妃になるとは最高じゃないか」
エリアスの話題が出たことで、義母が嬉しそうに話しはじめます。
「そうですね、あなた。エリアスは賢い子です。それにとっても綺麗です。レムリ、エリアスのメイドの一人になれるかお願いしてはどう?」
「それはいい! 俺たちで頼んでみるか」
二人はとても嬉しそうに高笑いしました。言い返すことも出来ずに、私は唇を噛んで耐えました。どうしてここまで蔑むのでしょうか、私はそこまでの罪を犯したのですか。
アズライト様をお見掛けしましたが、ひっきりなしに誰かに声をかけられていましたので、とてもお話できる状態ではありません。
しかしながら、私は毅然とした態度でここにいます。怯えたり、卑屈な気持ちは表には出していません。最後まで、私は――
「それでは皆さま、少しよろしいでしょうか?」
ノヴェル王太子が、その場の注目を集めました。隣にはエリアスが立っています。
見たこともないほど美しいドレスを身にまとっていました。私が一度も見たことがないほどです。
「それと、レムリ・アンシード公爵令嬢、こちらへ来てもらえますか?」
そして、ノヴェル王太子は私をなぜか呼びつけました。ワイングラスを置いて、私は歩いていきます。
「私はレムリ・アンシード公爵令嬢を王太子妃にお迎えする予定でした。しかし、レムリ様は転移魔法が使えなくなってしまったのです。どれだけ調べても原因は不明、それでも私はレムリ様をお迎えする気持ちがありました。しかしながら、レムリ様は自分に王太子妃の資格がないと辞退したのです。私としても、残念で仕方がありません。けれどもレムリ様は、王太子妃は妹のエリアスが相応しいと進言してくれたのです。気高く賢く、才能に溢れているエリアスが王太子妃に相応しいと! まさにその通り、エリアスはこの美しい美貌と類稀な才能を持っています。彼女こそ、我がオストラバ王国の王太子妃に相応しいと感服しました。よって、私はエリアスを王太子妃にお迎えします! そして明日、私は正式な王位継承の儀を行います!」
私は、思わず倒れそうになりました。一切、そんなことは言っておりません。
エリアスを王太子妃に紹介だなんて、ありえません。辞退もしていません。
これは、ノヴェル王太子の虚言でございます。ですが、ここで私が何か言ったところで哀れな女性になることでしょう。
醜い姿を晒すか、黙って素晴らしい姉を演じるか、ということです。
そこで、エリアスが前に出ました。
「お褒めに預かり光栄でございますわ、ノヴェル王太子。レムリ様は私の義理の姉で素晴らしい才能を持っていましたが、残念でなりません……。私は義理の姉の意思を継ぎ、この国をより一層素晴らしい王国にしたいと思っております。魔法の才能には恵まれませんでしたが、この王国を誰よりも愛してます。どうが私たち姉妹の覚悟を信じてもらえないでしょうか」
エリアスは、私に一礼をしました。広間は拍手喝采です。
誰もが笑顔で、とくに両親の二人は嬉しそうにしていました。
ここまでされて私は黙っておく必要があるのかと思ってしまいます。
すべてをぶちまけて台無しにするのもいいでしょう。
ですが、それはしません。
私の元にアクアが来たのは理由があります。
アクアは、私と一緒に逃げようと言ってくださいましたが、そんなことは出来ないのです。
なぜなら彼女の両親はご病気により亡くなってしまっていて、年の離れた小さな弟妹を一人で養っています。
つまり、私が余計なことをいえばアクアは間違いなく職を失います。
それを知った上で、わざわざ私の元にアクアを使いに出したのでしょう。
アクアはこの場にいて、静かに私を見てくれています。
こんな私をここまで育てあげてくれたアクアに、泥を被せることは絶対にいたしません。
「ありがとう、エリアス。素晴らしいよ。そして、レムリ・アンシード公爵令嬢からも一言お願いします」
そして、ノヴェル王太子は私に何か話せと目配せをしました。
アズライト様は、静かに見守ってくれています。
アクアのことを考えると、私は無下には出来ません。更にノヴェル王太子は、私に小声で話しかけてきました。
「君は賢い。わかるだろう? アクアが見ているぞ、ほら」
「何を話せと……」
「こう言うんだ――――とな」
とんでもない事でした。ありえないことです。
エリアスは私を見ながら笑顔です。すでに知っているのでしょう。
私は悔しい、悔しいです。けれども、逆らうことが出来ないのです。
「……私は、エリアスと一緒にいたいと思っています。王太子妃には叶いませんでしたが、エリアスのお付きとなり、二人を支えたいと思っています。どうか、その願いを叶えてくださいませんでしょうか」
あろうことか、ノヴェル王太子は私にエリアスの下につけといいました。国外追放をするのではなく、二人で私を飼い殺しにしようと考えたのでしょう。
これはとんでもない屈辱です。婚約破棄された上に、あのエリアスを支えろと?
そう思えば、両親もこのことを知っていたのでしょう。だからこそ、あのエリアスのメイドになればいいという発言が出たのです。
しかし、私はこれで良かったのかもと思ってしまいました。
一週間前、私は死ぬ覚悟でした。ですが、こんな私でも人のためになれるとアズライト様が教えてくださいました。
生きてさえいれば、まだこの身体は誰かのためになれるのでしょう。
ならば、この国で生きていくことも悪くありません。たとえエリアスの身の回りのお世話をすることになったとしても、我慢すればいいのです。
そして……拍手喝采が起きました。アクアは涙を流しながら、毅然とした態度で私を見てくれています。その手は動いていません。
アクアだけは、私の覚悟をわかってくれています。目を反らさずに、真っ直ぐな瞳で見てくれています。
私は彼女のためにも、まだこの国で私を必要としてくださっている方のためにも、頑張りたいのです――
「ちょっといいかな?」
そんな中、アズライト様が言いました。少々不躾な態度なので、周囲が騒然としてしまいました。一体、何を言うのでしょうか……。
「どうしましたか? アズライト様」
ノヴェル王太子が、笑顔で尋ねました。何が起きるのか、私にもさっぱりわかりません。
「レムリ様の転移魔法は天から与えられた才能です。魔法ってのはそう簡単に失うわけがないんですよ。いずれ元に戻ると私は断言します。となれば、その話は早計なんじゃないかなと思ってね」
その言葉で、周囲が騒めきはじめました。一介の魔術師が言ったのではありません。
ラズリー王国の宮廷魔術師の発言です。それもかの有名な、アズライト・ヴィズアード様が言ったのです。
それを虚言だとノヴェル王太子が否定できるわけがありません。しかし、私は複雑な心境です。
もし転移魔法が元に戻ったとしても、今さら王太子妃になりたいとは思ってはいません。
けれども、私の存在意義でもあった転移魔法が元に戻ってほしいとも願っています。
複雑で、歪で、どうしようもない感情です。
どう返すのか、周囲の目はノヴェル王太子に向けられました。
エリアスでさえ、困惑しているのが見てわかります。
「それは良い事を聞きました。ですが、エリアスを王太子妃に迎えることは二人が同意してくれたのです。転移魔法が再び使えるようになれば、レムリ様はこの国を裏方で支える素晴らしい人物となってくださるでしょう! 助言、誠にありがとうございます」
しかし、ノヴェル王太子はそれをうまくかわしました。といっても、王国の掟は絶対なはずでした。けれども、それを言及出来る人はいません。
結局のところ、ノヴェル王太子はエリアスと婚約したいだけなのですから。
「それと、もう一ついいかな?」
「まだ……何かあるのですか?」
「転移魔法は高等魔法です。それを連続で使用させていたのは変ですよね。オストラバ王国の軍がずさんだとしか思えない」
「それはレムリ様立っての願いで――」
「私はこの国の防衛を強固にするためここへ来ました。しかし、もう一つ理由がります。いえ、こっちが本当の理由ですね。なぜそんな無謀な行為をしていたのか、それを突き止めに来たんですよ。てっきり私は、ここの宮廷魔術師の能力不足だと思っていたんですが、話してみるとそうではなかった。調べていくうちに、わかったんですよ」
より一層、アズライト様の口調が強くなっていきます。これには、ノヴェル王太子も態度をあらわにしました。周囲は動揺し、がやがやと激しさが増します。
「何がいいたいんですか」
「なぜ私が一週間もオストラバに滞在したと思いますか?」
「我がオストラバ王国の防御を強固にするためでしょう」
「ノヴェル王太子、そして、エリアス様はわかっているはずだ」
「何の話ですか。いい加減してください。それに、今はこんな話をする場ではありません。興が削がれてしまった。お開きにしましょう」
ノヴェル王太子は話を切り上げようとした、しかし、アズライト様は遮ります。
「転移魔法を連続で使用させれば、確かに負担は凄まじい。しかし、あなたはそれが目的ではなかった。ただの理由付けだったのです。いやはや、ずる賢い手でびっくりしましたよ」
「どういうこと……ですか……」
思わず、私は声を漏らしてしまいました。
「何を言っているんですか? 何度も言いますが、レムリ様はこの国を守るために自ら転移魔法を使用し続けました。あなたが言っている発言は、レムリ様への冒涜です!」
「ほう、まだいいますか」
「ええ、それを公の場で虚偽なさるとは!」
そのとき――扉が開きました。現れたのは、オストラバ王国の宮廷魔術師の面々と私たちを襲った男四人組です。
そして、最後に現れたのは驚くべき人物でした。
「ノヴェル王太子、話は遠隔魔術でアズライトから聞いておるぞ」
「ロック・クラフト国王様……どうしてここに」
ノヴェル王太子が足を震わせた後、すぐに頭を垂れました。
周囲も同じようにします。もちろん、私も急ぎました。
ロック・クラフト国王様は、ラズリー王国の王です。更に言えば、二十の国を束ねている真王でもあります。
白い髭を蓄え、五十代とは思えないほど逞しい体つきをしていました。
逸話は無限のようにあり、機嫌を損なうことがあれば、どんな国でさえ滅びてしまうと言われているほどです。
厳格なお方としても有名で、さらに自国から出ることがほとんどないと噂されていました。
そんなお方がなぜオストラバまで――。
「ワシの足を運ばせたことがどういう意味か、わかってるか」
「わ、わ、わ、わわたしは、な、なにも」
「ふん、まともに話すこともできぬか。お前ら、話すがよい」
そして、オストラバの宮廷魔術師たちが話しはじめました。
ノヴェル王太子は、私に転移魔法の連続使用を指示していました。しかし、それはただの隠れ蓑だったということです。
ノヴェル王太子は、オストラバの宮廷魔術師の面々を卑怯な手で脅し、私の魔力を制限する闇魔法をかけていたとのこでした。さらに――
「俺たちは……エリアス様にお金をもらって、アズライトをボコボコにしろと言われました」
「俺もです……」
あの四人組は、エリアスに雇われたとのことでした。街への案内を断わられたことで、エリアスのプライドが傷ついていたのでしょう。復讐のため、アズライト様を痛めつけようと依頼したのです。
そしてそれは――エリアスが両親に頼んでお願いしてもらったとのことでした。
「ということだ。ノヴェル王太子、エリアス・アンシード。そして、その両親もな」
ロック・クラフト国王様が言いました。
「わわわわ、私はそんなことをしていません……お姉さまのことが大好きで……」
「ぼ、僕ではありません! いえ、このエリアスが全て仕組んだのです!」
「な!? 何を言っているの! あなたが転移魔法を酷使すれば魔法が使えなくなって、私を王太子妃にしてあげるっていったんでしょ! 闇魔法なんて、そこまで知らなかったわ!」
「ふざけたことをいうな! そんな嘘を! このノヴェル様になんて口を利く! この野郎!」
「なんですって! こんなことになって、まだそんなことを――」
あろうことか、二人は言い合いをはじめました。とても醜い、最低な罵り合いです。そのとき、
「黙れ!!!!!!!!!!!!!!!!」
ロック・クラフト国王様が一喝すると、広間全体が震えあがりました。
その覇気はすさまじく、誰もが息を止めたのかと思うほど静かになりました。
ノヴェル王太子は尻餅をつき、エリアスも膝をついて涙を流しています。
「この国の管理は、お前に任せることはできぬ。よって、このオストラバはこのラズリー王国の統治とする」
ノヴェル王太子は、ぶるぶると身体を震わせました。勝てるわけがないのです。そんなのは、この場にいる誰だってわかっています。
「そして、エリアスとその両親、お前たちは貴族の風上にも置けぬ。市民からやり直せ!」
「そそそそ、そんな!? 私はノヴェル王太子に騙されてしまっただけで、罪はありません! 悪いのはすべてこの――」
「もうやめなさい! エリアス!!!」
義母のカルニ子爵が駆け寄り、エリアスの頬を叩きました。これ以上怒らせてしまうと、市民になるどころか、国外追放になるかもしれないと思ったのでしょう。最悪の場合、死罪すらありえるかもしれません。
私はずっと言葉が出ませんでした。
目の前で起きていることが、信じられないのです。
「終わったな。ヤツらをひっ捕らえろ」
そして、ロック・クラフト国王様が指示を出しました。オストラバの兵士が、エアリスと両親、ノヴェル王太子の身柄を拘束しようと動きます。
「そして、レムリ・アンシード」
「は、はい」
「いや、アズライト。お前から言うんだったな。すまんすまん」
「そりゃそうですよ。勝手に俺の出番を奪わないでください」
アズライト様は、とても親し気にロック・クラフト国王様と話していました。ありえない光景に、私はびっくりしています。宮廷魔術師の地位は高いですが、国王様と親密に話せるような間柄ではないからなのです。
「レムリ・アンシード様」
アズライト様は、私の前に立ちました。
「はい」
私は、驚いて何がなんだかわかりません。けれども、アズライト様の綺麗な青い瞳に見惚れてしまっています。
「私はこの国へ来てからというもの、国民を想うあなたの真摯な姿勢に感激を受けました。あなたはとても素晴らしい人です。そして、とても綺麗だ。お会いしてまだ僅かな期間ではありますが、結婚を前提にお付き合いしていただけませんでしょうか」
思わず、心臓が止まってしまいました。こんなことが、こんな夢のようなことがあるのでしょうか。
アズライト様は、私に何度も手を差し伸べてくれました。初めはそれが腹立たしかったのです。
けれども、今は嬉しくてたまりません。
こんな私に、今も手を差し伸べてくれています。こんな幸せが、あっていいのでしょうか――
すると、小さな拍手が響きました。
アクアがたった一人で、笑顔で拍手をしてくれています。
私の後押ししてくれています。
私は、自分の幸せを願っても……いいと。
「――喜んで、アズライト・ヴィズアード様」
しかし、私がアズライト様の手を取ろうとした瞬間、後ろに思い切り引っ張られてしまいました。
ノヴェル王太子が、私の体を掴んだのです。右手には、オストラバの兵士から奪ったのか、剣を持っています。
「お前が、お前だ、お前のせいだ。僕はもう終わりだ! ハハハハハハ!」
「ノヴェル王太子……あなたはもう終わったのです」
「黙れレムリ! お前が、全部お前のせいだ!」
ノヴェル王太子の目は正気ではありませんでした。
「馬鹿者が、命を取らねば――」
「国王、俺に任せてください」
アズライト様が、ロック・クラフト国王様を制止して前に出ます。
「おい、近づくな! こいつがどうなってもいいのか!?」
「状況を考えろ。この場から逃げきれると思うか?」
そう言い終わると、アズライト様は右手をノヴェル王太子に向けました。しかし、手の甲に魔力が集まりません。青く光らないのです。
「ははははは! バカが! 今この城は魔法が使えないんだよ! 宮廷魔術師だと? お前なんて魔法がなければ赤子同然だろうが!」
ハッと思い出しました。オストラバでは、貴族たちが集まるパーティや大事な儀式の際、安全を期して魔法や魔術を詠唱できないように、魔法不可領域を展開しておくのです。
「そうか、なら試してみるか?」
「なに?」
アズライト様は、ロック・クラフト国王様から剣を受け取ります。
私は知っています。アズライト様は魔術の才能だけではないと。
「舐めやがって……僕は王国剣術大会でも優勝した腕前でさらに――」
「喋るな。お前の声は虫唾が走る」
アズライト様が、わざとノヴェル王太子を煽っているのがわかりました。私を助けようと気を反らしているのです。
「黙れ、黙れ、黙れ! 魔法の才能だけで成り上がった雑魚が――」
「――喋るなと言っただろうが」
次の瞬間、アズライト様がその場から消えました。目にも留まらぬ速さで移動したのか、ノヴェル王太子の目前に移動しています。そして、ノヴェル王太子の悲鳴が響き渡りました。
ノヴェル王太子の剣が、血と共に宙を舞い、そのまま地面に倒れ込みのたうち回りました。
「ぼ、僕の腕がうでがあああああああああああ」
「ボンクラが世話をかけよって」
すぐにロック・クラフト国王様が近づいて、ノヴェル王太子を取り押さえました。
「レムリ! 大丈夫か!?」
すると、アズライト様が心配そうに私を抱きしめてくださいました。
ついさっき命を落とすかもしれなかったというのに、嬉しさのあまり私の顔が赤くなってしまいます。
「だ、大丈夫です! 私はアズライト様のことを信じてましたから」
「もう、二度と危険な目には合わせたりしない。――レムリ、好きだ」
「私も大好きです。アズライト様」
そして――私の耳元で、
「ほら、俺は強欲だって言ったろ」
その通り、アズライト様は無欲ではありませんでした。とっても、憎たらしい笑顔でした。
◆ ◇ ◆ ◇
それから数日後、ノヴェル王太子は多くの罪を犯したことで重罪が課せられるとのことでした。幸いにも王族だったということで死罪だけは免れるとのことですが、生涯投獄される可能性が高いとのことです。
そして、アンシード家。
エリアスは、私が闇魔法をかけられていたことは知らなかったようです。といっても、アズライト様を危険な目に遭わせようとしたことについては間違いありません。
これにより、アンシード家は爵位を剥奪されました。もちろん、私も同じです。
しかしながら、手続き上、仕方のないことなのです。
けれども、良いのです。私の隣には、こんな素敵な未来の旦那様がいらっしゃるのですから。
「いいのか? オストラバ王国で王妃になることもできたんだが」
アズライト様が、申し訳なさそうに私に尋ねました。今は豪華な馬車に乗っています。進路先はラズリー王国です。
さらにアズライト様は、私の魔力が戻るように治療もしてくださいました。
数日か数週間後、私はまた転移魔法が使えるとのことです。今は本当に嬉しいのです。
「それも考えました。ですが、私はあなたの国を見てみたいのです。今までの私は、他人の幸せばかりを願ってきました。けれども、私もアズライトを見習って強欲な生き方をしてみたいのです!」
「はっ、俺と同じ強欲か、いいじゃないか。それにラズリー王国は素晴らしいところだ。ちょうど、今は桜が綺麗で、気温も良いんだ。気に入ってくれると思う」
「楽しみです!――ねえ、アクア!」
「はい! レムリ様!」
「もう、レムリでいいのに」
「そんなわけにはいきません! 私はずっと、レムリ様のメイドなのですから!」
そう、アズライト様はアクアも連れていくことを許してくれました。アクアの弟妹は別の馬車に乗っていますが、全員一緒にラズリー王国へ行きます。
なんと、ロック・クラフト国王様がアクアに家と仕事をプレゼントしてくれるそうです。それもアズライト様が頼んだそうです。ありえないです。
無欲なんて、誰が付けた名のでしょうか。強欲の塊なのです。
そして数時間後、小さな港町に降り立ちました。馬を少しだけ休ませるそうです。
アクアは弟と妹にせがまれて少しだけ観光してくるといって、馬車を後にしました。
「レムリ」
「は、はい」
今は、アズライト様と私の二人きりです。ドキドキです。こうしてゆっくりお顔を見つめると、改めて恰好いいと思ってしまいます。
「やっぱり、こっちのがいいな。レムリの顔がよく見える」
ゆっくりとお顔を近づけて、私の前髪をかき上げてくれました。出国するときに急いでいたので、前髪が下したままだったのです。
「は、恥ずかしいです……」
そして、静かに私の唇を見つめています。アズライト様の瞳が、今から何をするのか物語ってしまっています。ゆっくりと、私のお顔に近づいてきます。
「だ、ダメです! 婚前での口づけはオストラバでは認められ――」
「ラズリー王国にそんな掟はないよ」
アズライト様の唇と、私の唇が触れてしまいました。柔らかくて、ほのかにいい香りがして、お顔が非常に熱くなってしまいました。
「本当に……強欲なお方です……」
「ああ、レムリは知ってるだろ?」
アズライト様は、憎たらしい笑顔をしました。
私はもう誰かに振り回されたり、人のために生きることはしません。これからはアズライト様と共に人生を歩んでいきます。
彼と一緒なら――どんな未来も幸せになるとわかっていますから。
それからアズライト様は珍しい魔法具店があったと兵士に言われ、ちょっと見てくる! と、子供のような無邪気な笑顔で駆けていきました。
なんというか、ちょっぴり寂しいです。しかし、一人で待つのは危険だと護衛を頼んでいきました。なんと――ロック・クラフト国王様にです。
私はロック・クラフト国王様と同じ馬車の中にいます。
静かにしていても、とんでもない威圧感があります。何か本を読んでらっしゃいますが、とても内容が気になります。やっぱり、戦争のお話でしょうか。
「そうビクビクするな。何もせんよ」
「す、すみません……あの、聞いていいですか?」
「何でも」
私は、何を読んでいるのか尋ねようと思いました。けれども、直前で思い立ちました。ロック・クラフト国王様なら、本当の意味を知っていると思ったからです。
「アズライト様は、どうして無欲と言われているんですが? 私が見ていると……その悪い意味ではないですが、色々なことに熱心ですし、強い意思を持っています。とても無欲だとは思えず……」
「ああ」
すると、ロック・クラフト国王様は本を置きました。私の瞳を見つめます。
「あいつはまだ言ってないのか」
「え? 何をですか?」
「二百年間、この世界を苦しめていた魔王を知ってるだろう」
「もちろん、知っています。数年前、勇者様に倒されるまで、この世界は苦しんでいましたから」
そして、ロック・クラフト国王様は嬉しそうに笑みを浮かべました。
「その魔王を倒したのはあいつだ。アズライト・ヴィズアードだよ。にもかかわらず、あいつは凱旋パレードはおろか、世界中の褒美の受け取りをも拒否した。それこそ、目がくらむような大金や見たことがない魔法具も、何もかもだ。ワシに唯一お願いしたのは、出来るだけ名前を広めないでほしいとな。じゃが、そう簡単に人の口止めは出来ぬ。それで付いた二つ名が――」
「無欲ですか……」
なんということでしょう、私の婚約者は――この世界を救った勇者様だったのです。
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こんなに長文にもかかわらず、最後まで見て頂きありがとうございました!
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