第一部 嵐を呼ぶ少女(7)紅茶ゼリーと絹織物とラマンチャ。
半魚魔神の返り血で視界を奪われたアナ。孵卵器から生まれ出るゼリー状の魔神に攻撃が通じないセバスチャン。絶体絶命のピンチにラマンチャは積み荷の茶葉と反物で魔神を攻撃する。
海洋アドベンチャー嵐を呼ぶお姫。佳境です!
(7)紅茶ゼリーと絹織物とラマンチャ。
ラマンチャはイルカ頭の先生が退船したのを確認すると飛ぶような速度で船倉に戻った。
さっきの半魚魔神とアナが一対一で戦っている。
「くそ、爺さんどうしたんだよ!?」
ラマンチャは辺りを見回すと、鉄扉の奥からゼリー状のもう一匹の魔神が生まれて来るのを発見した。
一匹でもヤバいのに、魔神が出てきたら終わりだ。
セバスチャンはゼリー魔神と格闘している。
徐々に実体化する其れは切れども手ごたえがなく、いくら爺さんが強いと言えど、人の手に負えるとは思えない。
アナは? と見ると、目が見えていない様子で、魔神の鉾を躱すのが精いっぱいだった。
荒れ狂う魔神の鉾は絹の反物を、茶葉を、箱ごと粉砕し木箱の破片をアナにぶちまけていた。
点ではなく面の攻撃に切り替えたのだ。
見えないなりに何かが飛んでくるのがわかる。
横殴りの雹のように襲い掛かる木片にアナは短い悲鳴を上げた。
なんとか成らねえのかよ。
ラマンチャは思考を巡らせた。
爺さんの剣はゼリーを切り裂けない、アナは目の見えぬまま孤軍奮闘している。そして牽制に使っていた魔導銃は腰に下がったままだ。
「アナ!!」
ラマンチャは叫ぶと積み荷の上を走りながらアナに合図した。
破壊された積み荷から茶缶をひっつかむと魔神に投げつける。
「ラマンチャ!危ない!下がって!」
「アナ、少し待ってて!」
そう言うとさらにもう一缶、茶缶を魔神に投げつける。
茶缶で注意を引きながら魔神の背後に回った。
ラマンチャが稼いだほんの数秒。
ほんの数秒だがアナにとって値千銀だった。
「ラマンチャ!ありがとう!」
アナはすぐさま目を拭い、視界を確保する。
僥倖である。
ラマンチャに気を取られた隙に魔道銃を抜く。
魔力をワンチャージするには十分だった。
尚もラマンチャは茶缶をもって走った。
行き先はゼリー魔神。
脚の一部は実体化している。
「爺さん、どいて!」
ラマンチャは盛大に茶葉をゼリー魔神にぶちまける。
「ラマンチャ、でかした!どんどんくれ!」とセバスチャンが言うと、ラマンチャは得意げに笑いながら周りにある茶缶をドンドン放った。
老人と子供のバケツリレーが始まる。
ラマンチャが投げる、セバスチャンがかける。
セバスチャンは大いに笑い、ラマンチャを褒めた。
そんなことで魔神が倒せるのかと思うが、意外や意外、効果てきめんだった。
ゼリー状に渦巻く体に茶葉が取り込まれていく。茶葉は水分を吸い、不純物として魔神の体内を対流した。
ゼリーとゼリーの間に挟まる不純物に魔神は形を保てなくなる。
指が、腕が、その自重に耐えかねて溶け崩れ落ちる。
「ようやった!」
ゼリー状の魔神を吐き出してきたピスケースの孵卵器は不純物を詰まらせて物凄い音を出し始めた。
剣で叩こうが爆薬をぶち込もうがビクともしなかった魔導器が高級茶葉で誤作動を起こす。
こうなっては悪魔の英知も形無しだった。
「爺さん、なんかヤベエ音してっぞ? オレ、壊しちゃったか?」
学者先生が見たら卒倒しそうだ。
「どうせ壊す予定だった、丁度良い」
「爺さん、アナを助けに行かないと」
そういってラマンチャは近くの反物を手に飛び出した。
セバスチャンにはラマンチャがしようとしていること直ぐに理解できた。「あ奴、育てると面白いモノになりそうじゃ」
思考の瞬発力がいい。
そう笑いながらセバスチャンも反物を掴んで駆ける。
ラマンチャは反物を次々と魔神に投げつけながら積み荷の上を駆け抜ける、アナを援護する。
豪華絢爛な錦の反物が次々と宙を舞う。
何かのショーにしては随分と金がかかったショーだ。
多分、この反物を1本買うのにラマンチャの稼ぎでは二百年ぐらいかかる。生活費を抜くと千年ローンでも買えないかもしれない。
その高価な反物が大廉売されて宙を舞っていた。
アナもラマンチャの攻撃に参加した。三方から舞うシルクの爆撃。
「ラマンチャー!」アナは飛んできた反物をキャッチすると魔神の周りを走る。
もはや死の気配は消え失せた。
幻想的な絹のショーにアナは思わず笑いだした。
「ラマンチャ、あなたすごいわ! あはははは」
「アナ! アナ! 行くぞそれ! あはははは」
ラマンチャは上から、アナは下から、セバスチャンは背後から。
力の限り反物を投げつける。
ラマンチャはついでに茶葉も振りまいた。
滑る魚の顔に茶葉が張り付いて不快そうに顔を拭った。
「爺さん、そろそろ!」ラマンチャが叫ぶ。
舞台装置は整った。
セバスチャンが頷くとラマンチャは反物を持って走った。
アナも反物を拾い上げて走る。
セバスチャンも走る。
魔神の足元を転がるように抜けたアナは腰から二丁の魔導銃を抜いた。
魔神は反物が巨体に巻き付き身動きが取れない。
三又矛を振り回して暴れるも残念ながら三又矛には突き刺す能力はあっても、反物を切る能力はない。
暴れようとも二重三重に張り付いた反物が余計に動きを封じるのだった。
合流したアナはセバスチャンに叫ぶ。
「セバスチャン、こいつ生き物じゃない!」
「ええ、お嬢様、恐らくこいつには臓物や生きていくための器官がありませぬ」
「どこを狙えばいい?」アナはセバスチャンに問いかける。
違和感の正体はそれだった。
腹に風穴を開けても、腎臓の部分を刺し貫いても。心臓を串刺しにしても死なない。
魔法で生まれたゴーレムのような存在なのか。
この半魚魔神には人間と同じ急所は存在しなかった。
「おそらく何処かに核がありまする」
セバスチャンは目を凝らして魔神を観察したが外側にそれらしきものは見当たらない。
「核? ですわね?」
やはりそれらしきものは見当たらない。
「アナ、あの青い光!」とラマンチャ。
「あ、あれを使うのですね?」
躊躇っている暇はない。
魔神が拘束されてる今しか勝機はなかった。
アナはうん! と頷くと胸からペンダントを取り出した。
「ラマンチャ!耳を塞いでくださらない?」
「ええ?どうして?」
「いいから早く!」と大きな声でラマンチャに懇願した。
顔がかあっと耳まで赤くなる。
それを見てラマンチャは慌てて耳を塞いで大声を上げた。
「わわわわわわわわーーーーーーーっ!これで聞こえないだろアナ!わああああああああああああ!!!」
「ありがとうラマンチャああああ!」
そう言うとアナはペンダントを握りしめて目を瞑った。
顔が紅くなり頬が火照る。
「ホント、聞いてたらぶち殺しますわよ?」
思い切り息を吸い込みありったけの声量で叫ぶ。
「うああああああああああああああああああああっ!」
「行きますわよ! コンチクショウ!」すうううううううっ!
「プリンセスぅーーー・ホーリーパワぁああああああ!!!」
青白い光が閃光となって広がり、それに呼応して魔神の身体から黒い光が飛び出す。
握ったペンダントから黒い触手があふれ出すが構うものか!
それを握りつぶすように祈りを込め叫ぶ。
強い、強い光が触手を無理やり押え込む。
首や少女の白い腹部を這いまわっていた触手が聖なる光に弾け飛び、蒸発する。
「お嬢様、首の後ろです!」
光に呼応して苦しそうにあふれ出る黒い精霊たち。
アナは素早く銃に持ち替えると狙いを定めて最後の弾丸を発射した。
「魚さん、起してごめんなさいね」
魔導の弾丸は二本の光の束になり半魚魔神の頸を貫き吹き飛ばした。
首無し魔神はよろよろとよろめくと歌舞伎役者のような艶やかな錦を纏って倒れた。
後ろで魔導器が唸りを上げる。
「そうだ忘れてましたわ、魔導器!」
「アナ!なんかヤバい音がする!」
「いったん逃げますぞお嬢様!」
三人は飛び出すように船倉を出た。
後ろから尋常じゃない唸りが聞こえてくる。
明らかに爆発する予兆だ。
「うわああああああ、デニぃいいいい! お前まだ甲板にいんのか!?」
その声にデニが振り向く。
「ラマンチャああああ! 助けて! 手伝って! 船長が!」
海老頭の水兵長が必死に引き剝がそうとするが瀕死にも関わら操舵輪から離れない。
何度か引きはがしたのだが、その都度、水兵長を蹴り、暴れ、操舵輪に戻ってしまうのだった。
「アナ! ラマンチャ! 何とかしてよお!」
半泣きのデニがヴォーティーの顎髭をひっつかんで引っ張る。
ぶちぶちと毛根から音がするほど引っ張るが船長は離れない。
海老が頭を、デニが髭を、魚介水兵が足を引っ張ってもヴォーティーは頑として離れなかった。
「うああああああ、離せ! 離せ! 私はロウィーナと運命を共にすると誓ったのだ!」
船長がデニを振りほどく。しかしデニも負けなかった。
「離せ小僧! 命令だ水兵長! こいつを引き離せ!」
「そんなこと言ってねえで、逃げましょう!」
「私は逃げぬ、逃げられぬ!」
「アナ!助けて!」ラマンチャも一緒に引っ張った。
「ああもう!」とデニは力の限り髭をひっぱった。
髭がブチブチと抜けていく。
髭が先か、手が離れるのが先か!
「ヴォーティー船長! あんたここで死んじゃだめだ、あんたは俺たち孤児の恩人だ! 頼むよ船長!」
デニが泣きながらしがみつく。
駆け付けたアナが船長に問いかける。
「ヴォーティーガン大尉! 目的を遂げず船と心中する気ですか? それは矜持ではなく、意地でもありませんわ!」
「離せ! お前には関係ない!」船長は操舵輪をきつく抱きしめた。
その様子は船長としての矜持とはかけ離れていた。
愛しい女を守るような。
アナはその様子に何かを悟ると船長に向けて叫んだ。
「貴方が本当に救うのはタエトでも王都でもない! そうでしょう?」
アナは船長に微笑むと、魔導銃で操舵輪を打ち砕いた。
操舵輪ごと運ばれる船長を横目にアナは叫んだ。
「総員退艦! 撤退ですわ!」
空に向かって魔導銃を撃ち、叫んだ。
うわああああと悲鳴を上げて、甲板に居た魚介水兵たちが我先にタラップをおりる。
デニもラマンチャも海老水兵長も髭なし船長を引きずって駆け下りた。
アナとセバスチャンがタラップを降りた瞬間、船倉から爆発が巻き起こる。魔導器がメルトダウンしたのだ。
轟音と共に船首が吹き飛ぶ。
魔導器があった真上だ。
分厚い鉄の隔壁のお陰で船首だけが吹き飛んだのだ。
きらめく女神像がついたの船首はほぼ真上に上がって埠頭に着地、バウンド、滑るように疾駆し、イシュタル兵舎を突き破って、中庭に生えるオリーブの木をなぎ倒して止まった。
「うああああああ、ロウィーーナあああああ!」
ヴォーティーは半狂乱になって船首を追いかけた。
イシュタル兵舎では、船首像の突撃に幸いけが人は出なかったが、突然現れたヴォーティー船長を止めようとした兵士数名が打撲による怪我を負った。
後に兵舎を襲った凶悪犯としてヴォーティー船長には懸賞金が賭けられそうになるが、大袋に入った金貨を総督に抱かせ事なきを得たとか。
事が終わって隠れ家に戻る頃にはとっぷりと日が暮れていた。
「流石に疲れましたわ」とアナが肩甲骨を回す。
アドレナリンが引いて無理に動かした筋肉が悲鳴を上げている。
無理もない、半魚魔神との激闘の後だ。
魔人に跳ね飛ばされ打ち身になっている箇所も痛みを思い出す。
「お風呂入りたい…やっぱりタエト人はお風呂よね」
「確かに、でもこの辺だと公衆の沐浴場しかないぜ?」
ラマンチャも一気に水を飲むと大きく息を吐いた。
「また、たらいのお風呂か、ゆっくり浸かりたいなー」
手を組んでぎゅっと前に突き出すと大きく伸びをする。
「んで、アナはこれからどうするの?」
ラマンチャはアナに尋ねた。
お別れを予見して急に別れがたくなる。
たった二日間だったけれどなんというか戦友のような気持だった。
「んっと、そうねお腹すいちゃったから船乗りの胃袋亭でパスタが食べたいわ」
そういう事を聞いているんじゃないんだけどな…と思ったがラマンチャは切り替えて答えた。
「げ、あそこ魚介水兵にめちゃくちゃにされたんじゃ?」
「もう営業再開してるみたいだよ? ラマンチャ」とデニ。
あの襲撃後、魚介水兵達が律義にテーブルを片付けていた事を知らない。
「実は、あそこのペスカトーレ食べたくてこの街に寄ったのよね」
唇に人差し指をあてて思いに耽る。
「あれ? なんか旅の目的、不純じゃない?」
ラマンチャはぷっと噴き出しながら言った。
「あそこで食べるならアクアパッツァもうまいぜ」
「ええと、お魚の姿煮よねそれ、なんかそれは…ね」
可愛らしく舌を出して首をすくめる。
「お魚そのままの料理は当分いいかな」
「そりゃそうだ」とラマンチャとデニが笑った。
「そういや、アナ、なんか口調が変わってない?」
「ふふ、ラマンチャに気を使ってもしょうがないでしょ?」
と悪戯っぽく笑う。
「どういう意味だよ」
「そういう意味よ」とケラケラと年相応の顔をして笑った。
「ホーリープリンセスじゃなかったのかよ」
と言いかけてラマンチャは口を押える。
「ああ、ラマンチャ! やっぱり聞いてましたわね?」
と腰のモノに手をかける。
「うわあ、アナ、本気はやめて、それなんかヤバいやつ! あはは」
「忘れて! 忘れなさいよ!」
「だってデカい声で叫んだら聞こえるだろ、嫌でも!」
「言う事ないじゃない! 忘れて!」
「わああ、まったまった!」
「師匠の故郷に伝わる雪女の民話、教えて差し上げますわ」
「それ何故かオチわかるんだけど!」
「ぶち殺しますよ!」
ラマンチャを追いかけるアナの耳は真っ赤に染まり、いつまでも笑っていた。
ようやく年相応のドルシアーナの表情が書けて嬉しいです。
使命を帯びて背伸びした少女ってグッときますね。
僕だけかな?あはは。