第一部 嵐を呼ぶ少女(6)学者エドアールとピスケースの孵卵器
いよいよ始まりました第一章クライマックスシリーズ第二戦。
ロリっ子お嬢様のガチ格闘。書いてて楽しいです。
お嬢様口調のドルシアーナ徐々に地が出てきました。
嵐のように暴れるお姫様バトルものなんでしょうか? 海洋冒険の筈なんだけど。
まあ楽しく書いてるので良しとしましょうか。
(6)学者エドアールとピスケースの孵卵器
セバスチャンと合流したアナは船の現状を確認した。
「魔導器はあり、稼働の段階は不明…、もろとも爆破したい所ですわね」
セバスチャンはアナにスケッチした魔導器を見せる。
おそらく汎用の増幅器か何かだろうとアナは解析した。過去に似た魔導器をいくつか見たことがある。
「欲望の種子に近づけてはいけないタイプですわね」
魚介水兵達は欲望の種子の影響であることは間違いなかったが、種子を破壊し浄化しても水兵達が元に戻らないのが気にかかる。
「お嬢様、お嬢様にも影響があるのでは?」
セバスチャンはそう言ってアナの右手を手に取る。
「失礼いたしますお嬢様」と皮手袋を優しく脱がすとまた悪い癖をと嘆いた。
黒みがかった紫色の痣のようなものが掌に広がる。
欲望の種子を抑え込んだ時の名残だ。
「あまり無茶をしないでくださいませ」と手袋を嵌めなおした。
「デニさんと約束しましたので。それに大尉の力は必要ですからね…」
当初は回収するだけという手筈だったが恩人の恩人を斬り殺すわけにはいかなかった。とセバスチャンに言い訳する。
「お嬢様は昔から人が良すぎます、御身を第一に考えていただかないと」
セバスチャンは理性より情という、このお姫様の人間臭い部分は嫌いではなかった。
しかし、いつかは非情にならないといけない時が来る。
その時、この子はいずれかを選択しなくてはならない。
セバスチャンは選択が、結果がどうなろうと身に替えてもこの心優しきお嬢様を護衛すると誓った。
ドルシアーナ姫として成さねばならない使命があった。
たとえそれが少女の全てを飲み込もうとも。
カーラ・ロウィーナ号の甲板は爆発の割に被害はなかった。
セバスチャンが言うには火薬は閉塞した空間がなんとかかんとか。
要するに派手に爆発したように見せたという事だ。
アナは船内に残った魚介水兵達の懐きように驚きつつも、一人ひとり労って笑顔で協力に感謝した。
「お姫様、わしらのような者をお気遣いくださいまして」
「ありがとうございますだ」
呪いを解いて人間に戻してくださる。
ヴォーティーに憑りついていた種子の強制力から解放された魚介水兵達はアナを取り囲んで口々に礼を言った。
しかし本番はこれからだ。
「学者のエドアールという方はどこにいらっしゃいますか?」
パロの学者エドアールは船倉ではなく士官用の個室にいた。
「こんにちは」とノックをすると沈んだ声が返ってきた。
個室に居たのは机に俯せになりこの世を呪う魚介頭だった。
頭は案の定、魚だった。甲殻類になる人と、軟体動物になる人、なにか法則があるのかしら? と思いつつも気の毒なほど落ち込むエドアードに声をかけるのを少し躊躇った。
魚の種類は…なんだろう…イルカ?
「こんにちは」ともう一度声をかける。
「初めまして、エドアール様、私は…ええとアナと申します」
そう自己紹介してスカートを摘まむ仕草をした。
後ろに控えるセバスチャンも一礼する。
「あ、ええ、はい?」っと生返事が驚きに替わる。
「あ、人間?」
人間がこの船に? 驚きを隠せない。
しかも少女…いや美少女だ。
お付きの老人は護衛か執事?
急に慌てて無い筈の頭髪を撫でつける仕草をすると立ち上がって挨拶した。
「エドアール・F・エスクローと申します。パロの学者です」
姓を名乗る所を見ると貴族の筋なのだろう。
仕立ての良いシャツに良い質の革靴。それに洗濯されたソックス。
身なりも待遇も悪くないようだ。
エドアールはアナを頭のてっぺんからつま先まで一通り眺めると、アナの視線に気が付いて「これは失礼」と素直に詫びた。
分析癖のある学者らしい仕草で、なにやら頭を回転させている。
多少、返り血を洗い流したものの、全身ずぶ濡れ。
仕立ても生地も良いブラウスと青く汚れた乗馬ズボンに編上げのロングブーツ。少女には似つかわしくない細身のサーベルとパロでもあまり見ない単筒が二丁。平民はやらない編上げ髪を後ろに縛り、黒い鋲がついたレザーの皮手袋。まったく正体が知れない少女だった。
姓を名乗らないから平民なのか?いやまて、立ち振る舞いは貴族の令嬢。
お付きの老人も物腰からも身分は低くなさそうだ。
訳あり? タエト地方の発音。
エドアールの頭の中で全てが整った。
「アナ姫様、なにとぞご無礼をお許しください」
と自分より身分が高い方への非礼を詫び、跪いた。
「ええと、エドアール様、どうぞ面を上げてください、私にはそんなに大層な身分はございませんのよ?」
と少し苦笑混じりに微笑んだ。
所作が完全に貴族で、タエトの生き残りと言えば探していたドルシアーナ公爵令嬢しか思い浮かばない。
「ええと失礼、もし間違っていたらすみません、ドルシアーナ公爵令嬢様では?」
単刀直入に聞く。
もしそうだとしたらテンペスト公が持ち出したと言われている魔導器の情報を何か知らないか。エドアールは胸が躍った。
この状況で自分を訪ねるとしたら魔導器がらみで間違いないだろう。
外は少し騒がしかったが船長が連れてきたのだろうか?
もしそうだとして魔導器がらみでタエトの生き残りの貴族が動くとしたらテンペスト公の関係者しかいないだろう。
エドアールの頭の中は目まぐるしく回転していた。
「ふふふ、エドアール様、本業は学者ではなくて? 探偵さんもされるのかしら」
詮索するなという事か。
「それは失礼いたしました…それでは、レディー・アナご用件は?」
とりあえず表向きはどこかの訳あり令嬢という事に落ち着けた。
エドアールは踊る胸を必死に抑えてアナを見た。
「船倉にある貴方の荷物について」
エドアールは喜びのあまり頭から超音波を出して目を見開いた。
エコー・ザ・ドルフィンヘッド、歓喜の舞だ。
やっぱりだ!やっぱりそうだ!
あっはははは。飛び上がってくるくる回りそうだ。
いかんいかん。
「ピスケースの孵卵器…の事ですね?」
嬉しさと笑いをこらえて努めて勿体ぶった。
エドアールは古代魔導器の考古学者であり、古代魔法語の翻訳者でもあった。聖騎士エルオンドの時代、高度に栄えていた魔法文明は騎士と呼ばれる狂戦士達に駆逐された。
ラファロックに与する魔術師たちが最大の障害だったからだ。
エルオンドは魔法を無効化する五振りの『宝剣』と呼ばれる神具を使い、英知の塔で行われていた魔導学会を襲撃した。
転移の術や防御、感知、空間の魔法を無効化して一方的に殺戮したと伝えられている。
世間では悪の魔法使い達を神から授かった護符で封じたというが、ご丁寧に魔法に関する膨大な書を焚書してから去った。
魔法関係者からするとまさに蛮族の行いだった。
『本を焼くものはいずれ人間を焼く』という言葉を知らぬのかと魔法史上の大惨事に学生だったエドアールは憤怒した覚えがる。
人々は圧政から救われたとされているのも勝者の歴史に過ぎない。
確かに税の徴収は軽くなったが支配構造がすげ変わっただけで魔法衰退により人々の暮らしは不便になったとも言える。
エドアールは、焚書された魔術研究所の写本やら、外典、何に使われたのかわからない魔導器をかき集めて研究をする学者の一人だった。
専門はタエト王国の持つ魔導技術の間諜。
職業柄、敵国エルオンドの魔導院にも顔を出す。
竜人戦争以来、人類間の戦争は休戦となり表向きは聖騎士王の末裔同士、仲良くしましょうという事になったからだ。
表向きは。
「ピスケースの孵卵器ってなんですの?」
アナは今からぶち壊す魔導器の名前を聞いた。
エドアールがどこまで知っているのか、いろいろ聞いておきたい。
状態から言ってできれば早く壊しておきたいが、情報を得る事を優先した。
アナは表向き、タエトの魔導研究院で復活させた『失われし技術』で魔導器を復活させたいと申し出た。
エドアールは孵卵器の研究に行き詰まっていたためこれに喜び快諾した。
タエトの失われし技術! もうその単語だけでパン一斤はいける。
「ええ、その名前だけで大まかには魔道具の増幅器としかわかっていないんですよ」
しれっと歯抜けの情報を話す。
あわよくば自分の知らない情報を聞き出したいのはエドアールも一緒だった。
すべて曝け出して研究を一気に進めたい衝動に駆られるが、まだこのお嬢様を信頼する段階ではない。
「これはおそらくラファロック朝より前の失望の時代のものでしょうね」
少し興奮気味に話す。
「どうしてお解りになりますの?」
首を傾げた仕草が可愛らしい。
「古代エルフ語で書かれた封印が施してありました。この術式形態からすると、封印の術者が生まれたのは楽園の時代まで遡るかもしれません」
「まあ、古代エルフ語が読めますのね、タエトでも数人しか解読できないという…エドアール様は優秀でいらっしゃいますのね」
思わず手を取られてエドアールは赤くなった。
「いやあ、それほどでも…」
エドワールの研究は、なかなか成果の出ない研究で褒められた記憶が殆どない。
丁度、若いころに竜人戦争勃発し急に予算が回ってきた仕事だった。
古代の魔導器を解析しこの戦争に役立てろという事だ。
結局、成果を出す前に勇者様が竜人たちを召喚するジェネレータの魔導器をぶち壊して戦争が終結し、予算は縮小された…。
「素晴らしいですわ!」と笑顔で言われると本当に心の底から喜びがわいてくる。
結局、戦争終結までに研究が間に合わず、予算を削られ、役立たず、金食い虫と言われてきたのだ。
この少女の笑顔に研究者として救われる思いだった。
初対面で、しかも年の差はあれど求婚したいぐらいだった。
自分の頭がイルカでなければ。
「エルフは長命ですから、術者を特定するのは時代によって派生する魔導数式の公式と術者の筆跡によるんです。公式が発見されると魔導術式が簡略されたり効率化されるため、それ以降使われなくなることが多くてですね、この数式、ところどころ古い公式も使われているのでかなり年を経たエルフ、術式の大きさから大魔術師級の術者が関わってるのではないかと思います」
少し早口で説明する。顔に「褒めて」と書いてある。
「流石ですのね」「知りませんでしたわ?」「素晴らしいですわ」「折角出来ましたのに、その方は見る目がありませんわ」「そうなんですわね!」と気持ち良く相槌を入れられ、感心され、評価されてすっかり舞い上がってしまう。
エドアールの心臓は早鐘のように鳴り響いた。
アナはこれから彼の研究をぶっ壊すことに罪悪感を覚えながら心の中でごめんなさいと繰り返した。
結局のところ、エドアールのうんちくはあまり役に立たなさそうだった。
なぜならこれらを作った年代も作成者も既に分かっているからだ。
失望の時代、冥王シュオールをそそのかし、神々の戦争を誘発した悪魔。
そいつが世界にばら撒いた災厄なのだ。
しかし本当の使い道や悪魔の目的は解っていない。
タエトの魔導院はそれを研究していた。
「僕の研究ではあの増幅器を使って大規模な術式展開を圧縮、展開できるような技術に応用できないかと思っているんですよ」
そういって少しはにかみながら頭をかいた。
「海賊に捕まっちゃってこんな頭になってしまいましたがね」
その着想は当たっている。
この増幅器は魔導器と魔導器を連結し術式を圧縮して一定空間に濃密でいて且つ巨大な術式を空間に発生させるための部品なのだ。
タエトの大魔術師であるレオナルド・エイドルが解読した古文書によれば、無限ともいえる力を引き出す事が出来る。タエト王は古文書を一般には禁書とし、王立魔導院の高位権限者にしか閲覧できない最重要機密としていた。
この学者さん、世が世なら暗殺されるレベルの所まで研究を進めているのかもしれない。
少し考えこんでいたアナに自分ばかり話過ぎたのか?と反省したエドアールは「とりあえず何か食べませんか?」と士官用の食堂に誘った。
アナは早速にも孵卵器の状態を確かめたかったが警戒されては面倒だし、もう少し情報を引き出したかったのもあって誘われる事にした。
お連れ様もと言うのでラマンチャとデニも呼ぶ。
「ここのコックは一流でね。イルカになってもこれだけは楽しみなんだ」と笑った。
カプリコルヌの捕虜と言うのに士官扱いなのね。
アナはこの学者さんがかなり重要な何かを握っていると確信した。
「おおおお、海賊船の船内ってこうなってんだ!」
興奮したデニがきょろきょろしながらラマンチャの袖を引く。
「なんだよもう、落ち着けって」
そういうラマンチャも憧れの船に乗れて軽く興奮していた。
タエトの騎士になってそれで旗艦ロシナンテに乗るんだ。
子供のころ陸の騎士と海の士官をごっちゃにしていた。
確かに騎士は勲位であるので戦艦乗りにも騎士はいる。
ラマンチャは重装甲の騎士が海にもいると思っていたのだ、今思うと恥ずかしい。
「今日はお嬢さんたちがこんなに来てくださるとは」
女装ですとは今更言えない雰囲気に、二人はアナの真似をして「ごきげんよう」と答える。
運ばれて来た料理は陸の補給を得てなのか肉料理が中心だった。
塩漬け肉ではない、新鮮な肉だ。
それに新鮮な野菜のサラダ。
洋上では決して食べられないものだった。
香辛料も惜しみなく使われている。
おそらくこれは接待の料理だろう。
しかし初めて船の中で食べた料理にデニは「海賊になったら毎日こんなにウメエ…じゃなかった美味しい料理が食べられるのですます?」と聞いてエドアールを苦笑させた。
メインは鶏肉と豆をトマトで煮たもの。
それと焼いた牛肉を薄く切ったものにバルサミコソースをかけて食べる料理が出てきた。
付け合わせのルッコラと削ったチーズとの相性が良い。
レアに焼かれた牛肉の旨味が嚙んでも嚙んでも口に広がる。
ソースの旨味が旨いを引き立たせ、チーズとルッコラが飽きさせない。
酒飲みならワインが欲しいという逸品だ。
どの料理も生まれて初めて食べる料理だった。
ラマンチャ達は肉自体、殆ど口に入る代物ではない。
白いパンも初めて見る。
大きく切り分けられ皿代わりに目の前に置かれた。
ガッツくなと言われても無理な相談である。
「ウメエ、ウメエ」とデニは頬張った。
ラマンチャは辛うじて理性を保ち、気色悪い声で「美味しいですわ」と演技を続けた。
「そういえばエドアール様」
食事が落ち着いたころアナは切り出した。
「なんですかレディー・アナ」
「私がここに来た理由…もうお察しの事と思います」
「まあ、それなりにお察しします」
テンペスト公の目的と言えばおそらくタエトの奪還だろう。
そのためには王家の証である王冠と王笏が必要になる。
王位継承があるタエト公が嵐の中、旗艦ロシナンテで逃げ出したのは滅亡すると予見したからに違いない。
実際にタエトは一夜にして滅亡した。
魔導器を貸してほしい、または他の魔導器と連結実験?
エドアールの胸は躍る。
「まず、その魔導器の出所が知りたいのです」
少し予想外の質問にエドアールは驚いたが。
「それはパロの魔導院の機密でして…ははは」と濁した。
アナは丁寧に頭を下げると「出土した場所によって起動に必要な鍵が必要ですわね? その魔導器の解析にお力になれればと思いまして」
とエドアールの心を弾ませた。
最後に「ダメでしょうか?」とエドアールの瞳をじっと見つめると手を取ってもう一度お願いした。
鍵が必要?
やっぱり! やっぱり鍵があるんだ魔導器には。
出土した場所? この魔導器のを制作した文明が違うという事か?
ああ、もっと知りたい。
暴走したのは鍵がないせいなのか?
魚介人間。
暴走。
魔導器。
欲望の種子。
天使の卵?
タエトの滅亡と魔導器。
テンペスト公の娘。
鍵?
蛸人間。
欲望の種子がなくとも変化。
やはり暴走?
ピスケースの孵卵器。
法則。
術式の圧縮と魔導期の連結。
ピスケース?
対になる魔導器があるのか?
鍵は連結に使う。
いや起動?
知りたいことが溢れてくる。
「あの、エドアール様?」
アナの問いかけはエドアールに届かない。
数秒間、フリーズする。
頭の回転が止まらない。
研究の手帳を見て確かめたい事が一気に増えた。
アナと言う少女は自分のインスピレーションを起爆させる。
あああああ、古文書、今、古文書の閲覧が出来ないのがもどかしい。
パロの王都に戻って研究したい。
確かラファロック王時代の大魔術師が残した貴重な研究書にヒントになるものが。教会か、閲覧の許されていない教会の外典に秘密がある可能性も。
神や悪魔に関する研究は教会によって表向き禁止されている。
この魔導器の禍々しさ、悪魔の研究に近道があるかも。
帝国の魔導院にはその外典がある。
帝国の隣国モスク公国を襲った際の戦利品だ。
抵抗した教会勢力をエルオンド正教会は異端とみなして焼き討ちした。
魔導器。
悪魔。
研究。
外典。
モスクの教会襲撃。
繋がる。
繋がっていく。
繋がっていくぞ!
竜人戦争の魔導器も繋がっているのか?
想像の域だが私の直感は当たるのだ。
このピスケースの孵卵器を手に入れた時も。
カプリコルヌ号の出航に嫌な予感がしたのも。
「あのう、エドアール様?」
長い長いフリーズの後我に返る。
「あ、お食事、お口に合いましたかな?」
「はい、とても」
アナはエドワールの様子をうかがった。
目まぐるしく動く視線。
「何か思いつきまして?」
と尋ねた。
不意を突かれたエドアールは「ええまあ」と返事を濁す。
エドアールは仮定と探求の旅から帰る。
いかんいかん。
いやしかし。
機密事項に触れるが真実を解き明かすには代償も必要か?
奪われた魔導器が暴走し今は手が付けられない。
コントロールの方法が分かれば実験を中止し本国に持ち帰る可能性もある。
こんなイルカ頭で、莫大な予算を投じた魔導器の紛失などギロチン待ったなしである。
エドアール少し考えると機密よりも自身の研究と身の安全を優先することにした。
エドアールによると出土先というか出所はタエトであった。
出土先は国家機密でわからないが、滅亡前、セルバンデスという海賊から入手した。
セルバンデスという海賊に心当たりはあるかとセバスチャンに尋ねると。
海賊ではなく、タエト海軍の大佐であり、騎士の称号を持つ男だという。
それにしては耳にしたことのない名前だった。
アナは海軍提督である父の関係者には一通り心当たりがある。
社交界もデビューしていないのだが兄たちから聞かされた話、父の土産話を楽しそうに聞いた。
聞き上手のアナに父と兄たちは喜んで仕事の話を聞かせた。
そしてアナはそのすべてを記憶していた。
しかしながらセルバンデスという個人名に心当たりはない。
セバスチャンは符号を使ってセルバンデスが王の直属だとアナに知らせた。
隠密という事だ。
そんな男がなぜタエトの滅亡前に?
「セルバンデスという海賊はどこでそれを手に入れたのでしょう?」
「それになぜ?」
目線をセバスチャンに送ると首を横に振った。
理由はわからない。
元情報将校のセバスチャンにも触れられない機密だったようだ。
エドアールによればセルバンデスに金貨で重さ四百パンド(六十四億円)を超える金額を支払ったという。武装商船二隻分の金額だ。
当時、研究は進んでおらず、野の物とも山の物ともつかない古代の発掘品にその値段は異常だった。
「確かに当時、金喰らい部署でしたからね。批判はされましたが、研究が進むにつれ安い買い物だと思いましたよ」
そう言ってイルカ頭にワインを流し込んだ。
「そのセルバンデスさんと言う海賊さんにはお会いする事が出来ますか?」とアナが問うても分からない様子だった。
「難しいでしょうね、タエト王都が滅亡…失礼、魔法障壁に分断された日から彼とはコンタクトが取れずでして」
残念そうに溜息をつく。
本来なら数種類の魔導器を購入する予定だったという。
もしかしたら竜人戦争の切り札、魔法障壁の研究資料ごと輸入してたのかもしれない。
技術供与にしては魔導器だけ輸入というのも謎だった。
元情報将校のセバスチャンも知らない機密…?
お父様は何か知っていた? とにかく情報が足りないとアナは思った。
タエト王家とパロ王家はラファロック王朝を打倒した盟友でもある。
魔法障壁の技術供与の線も探ってみたい。
お父様の行方と同時にセルバンデスの消息も当たることにした。
「すっかりご馳走になってしまいまして、ありがとうございますわ」
アナは優雅にお辞儀するとエドアールに微笑んだ。
デニは満足そうに腹をさする。
「いやあ食った食った! すげえ旨かったよオジサン!」
仕立ての良い服装が台無しである。
「いや、ちょっとは役に寄せようぜ…ましょう?」とラマンチャがデニに耳打ちをする。
律義な男である。
一番女装を嫌がっていたのに最後まで偽ドルシアーナで頑張る所存だ。
「それではお腹も膨れた事ですし、魔導器の部屋にご案内いただけます?」
「ええ、もちろんです」
嬉しそうにアナを案内する。
「ラマンチャ、デニ、危ないので甲板に居てね、あと危険を感じたらヴォーティーガン大尉…あの船長を船から遠ざけてね」とアナは二人に耳打ちした。
瀕死のヴォーティー船長は『船の上で死にたい』など喚いていて操舵輪の所に虫の息で座り込んでいる。
全く迷惑な事だが彼の矜持なのだろう。
「さて行きますか」とアナは拳を鳴らした。
んんん?とエドアールの頭に?マークが浮かび上がる。
なにか不穏な空気を感じてアナを呼び止めた。
「あの、魔導器をこれからお見せするのですが…」
「はい」
「貴重なものなので…くれぐれも丁重にお願いしますね」
美しく可愛らしい顔立ちと物腰にすっかり忘れていたが少女の腰には物騒なものがぶら下がってるのだった。
急に心配になってくる。
「あの、くれぐれも…」
「わかりましてよ? エドアール様」と可愛らしく笑う。
少しホッとしてヘラっと力弱く笑い返す。
魔導器の格納されている船倉の奥は分厚い鉄板の隔壁に閉ざされていた。
茶や絹の表示がある積み荷の隙間にその扉はあった。
頑丈な隔壁は何のためなのか。
「これは最初から、この目的で設計されていますわね」と独り言を言う。
セバスチャンも頷いた。
「なるほど、対海賊用の宝物庫にしてはいささか頑丈かと思っておりましたが」そう言って隔壁を撫でる。
よく見れば所々に極小さな見たこともない文字が並ぶ。古代エルフ語?
文字をなぞりながらアナが分析する。
「専門家でなくては翻訳できませんが恐らく力場を…」
「ふむ、気が付きませなんだ」
「私も、力場が見えなければ気が付けませんでしたわ」とセバスチャンにしか聞こえぬ声で会話した。
この船はタエト海軍の元戦闘艦だ。同型艦にも同じ設備があるのだろうか?
エドアールに尋ねると彼も驚いていた。
「これ、鉄の隔壁に後から埋め込まれたような、ほら文字のある所、別ですよね? タイルみたいな」
「これほど巨大な鉄板は今の技術では作れないんですが、なるほど」
興奮気味に隔壁を触る。
「ここにも、これは魔導器に貼られている術式に似ていますわ」
「なるほど」
エドアールは夢中で隔壁を調べ始めていた。
滅亡前のタエトはなにを目指していたのだろう?
七年の旅で初めて核心に迫るための情報を得たようだ。
セバスチャンは退路や積み荷の位置を確認するように周りを眺める。
奪い取った絹はまだ手付かずで荷下ろしされていない。
おそらく別の港で取引されるのだろう。
船の備蓄から補給に寄るのが主目的ではないとセバスチャンは分析していた。
どこで情報を仕入れたのか、我々、もしくは欲望の種子を狙って停泊していたのだろう。
「エドアールさん、そろそろ」とアナが促す。
しばらく壁と遊んでいたいところだがエドアードは我に返って懐から鍵を取り出した。
エドアードは慎重に錠前を外すと重い鉄扉を開いた。
「誰か…最近中に入った形跡が?」
思ったより空気が澱んでいない。
「まあ、気のせいではございませんこと? 鍵はエドアールさんしか持っていらっしゃらないのでしょう?」
アナがしれっとごまかすと。
「まあ、そうですね」と納得した。
中に入ると魔導器からあふれ出る瘴気のようなものが微かに漂っている。魔力を感知できるものにしか感じないが確かにそれは存在した。
中は案外広くなっており、室内の中央に大きさは牝牛ほど、横に広い楕円形の陶器のような物が設置されている。
セバスチャンのスケッチ通りだ。
大きさから陶器ではないと思われるが、いったいどうやってこの大きさの継ぎ目のないモノを作りだしたのか見当もつかないとエドアールが興奮気味に語った。
滑らかな表面から薄っすらと光を発している。
アナは近づいて表面を覗き込むと細かに記された古代エルフ語が数か所消されている事に気が付く。
消されているというより消えている?
削ったようなあとは無いが確かに消えているのだ。
誰が?
一体何のために?
暴走の理由の一つなのか。
悪意…ではなさそうだ?
なにか意志を感じる。
「読めるんですか?」
熱心に文字を眺めるアナの後ろから覗き込む。
「多少心得がありますの」
「その歳ですごいですね」と感心する。
「基礎言語だけですわ、術式はさっぱり」
単語の意味は解っても術式の効果は複雑に隠されていて、エドアールなどの研究者でも数年かかる場合もある。
複雑な数学知識と言語センス、難解なパズルのような効果を混合するコードがこの魔導器に施されていた。
目的は封印なのだろうと予想はつく。
封印の下には未解読の文字列があり、製作者の国の言語なのだろうというのが魔導院の見解だった。
「あのう、エドアールさん、ほらここ、文字が消えている箇所があるんですけど?」
「どれどれ?」と笑顔で覗き込む。
良いところを見せたいのがわかる。
エドアールは胸ポケットから拡大鏡を取り出すとその部分を調べた。
「封印のコードの一部ですね、魔導器の機能を調べるために封印を一部解いたのでしょう、これは魔導器本体のものではありません」と説明する。
違和感は拭えないが、そんな生易しいモノではない気がする。
一通り眺めたアナは、魔導器に手をかざすと、手のひらから青白い光を発して魔導器にあてた。
セバスチャンは魔導器から離れた位置で身構える。
「何かわかりましたかレディー・アナ?」
自分の知らないアプローチで魔導器を調べるアンにワクワクしながら尋ねた。
「ええ」
「本当ですか?」
「手遅れです」
「はい?」
「この魔導器は人の欲望を吸い込み過ぎました。暴走してから時間も経っていますし…」
「時間も経っているとは?」
エドワールは恐る恐る尋ねる。
「単刀直入に申しますと、残念ながら…ちょっと下品な言い方ですが」
「単刀直入ってあの…」
「ぶち壊しますわ。ごめんあそばせエドアール様」
そういうや否や魔導銃を構えた。
「わわわ、何するんですか?何するんですか?」
船長を撃った時とは比べ物にならないエネルギーの収束。
青い光と周りの魔素収束していくのが肉眼でも確認できる。
「失礼」
セバスチャンは慌てて止め様とするエドワードの襟首を掴むと部屋の外に放り出した。
同時に魔道銃から恐ろしい程のエネルギーが発射される。
先ほどの戦いでコレをぶっ放していればヴォーティーは救えなかっただろうがあっという間に決着がついただろう。
ものすごい衝撃が空気を震わせ轟音と共に眩しい光を発した。
両手でしっかりと構えてぶっ放したのにも関わらず反動で後ろに吹き飛ばされる。
セバスチャンがアナを受け止めるとアナは苦い顔で笑った。
「結構丈夫ですわねこれ」
アナはセバスチャンの支えを借り矢継ぎ早に銃弾を撃ち込んでいった。
甲板では物凄い轟音にデニがひっくり返った。
瀕死のヴォーティー船長を抱きしめながら震えあがる。
続けてガオン!ガオン!と連続で響く。
「なになになに? なんなのラマンチャ!」
「わからない、なんか嫌な予感がする、オレちょっと見てくる!」
そう言うとラマンチャは船倉に消えた。
「オイ、船長どうすんだよ!」
「魚に頼め、魚!」
周りでオロオロする魚介水兵に向かってデニは叫んだ!
「誰か船長を引っ張って!」
海老頭の巨漢水兵が操舵輪に絡まる船長を引っ張り上げる。
船長は瀕死であるはずなのにすごい力でしがみついていた。
「ヤバい!なんかすごい揺れる!」
下で何が起こっているのかわからなかったが連続で揺れる船上でデニは自分にできる事を探した。
ラマンチャが船倉に降りると、立ち込める水蒸気の中からアナとセバスチャンが走ってくる。
「ラマンチャ!」
「アナ!無事か?」
階段から身を乗り出して手を伸ばす。
「ラマンチャ、エドアールさんをお願い!」
「わかった、アナは?」
ラマンチャは腰を抜かし、へたり込むエドアールを引っ張り上げた。
「私はコイツを何とかする!」
余裕が無いのかアナの口調が荒くなっている。
ラマンチャがアナの指差す方を見ると、巨大な人…ではないモノの影が見えた。コイツって…アナはこいつを相手にすんのかよ…。
水蒸気の先に現れた巨人。
10フィル(約3m)いやそれ以上の巨人。
頭部は大型の魚のような、首から下は人間の半魚半人が見えた。
身体は鱗に囲まれて銀色に光っている。
「なんだアレ!」見たこともない化け物にラマンチャは息をのんだ。
「ピスケースの魔神とでも呼ぼうかしら、孵卵器壊したら生まれました!」
ネーミングはどうでもよいが大きすぎる、太すぎる。
神話で聞く英雄のような筋肉、身長はアナの二倍以上ある圧倒的な体躯。
固い鱗、サメのような牙。手には三又の鉾を持つ人型の怪物だ。
アナは魔導銃を連射して牽制する。
セバスチャンは腰のショートソードを抜いて切りかかっていた。
「そんな小さな武器で大丈夫かよ…」
加勢したいところだが護身用のナイフしか持っていない自分が恨めしい。多分あの鱗に刃は通らない。
「とにかくオッサン、邪魔にならないところまで行こうぜ!」
ラマンチャに引っ張られエドアードは這うように階段を昇って行った。
アナは魔導銃のチャージのため間合いを測る。
セバスチャンはショートソードで巧みに三又の鉾をさばきながら
「いやはや、けっこう育ってましたな」と苦笑した。
ラマンチャの心配をよそにセバスチャンは体格差を物ともしなかった。
流れるような体捌きでピスケースの魔人をアナから引きはがす。
二人が連携し、魔神の注意を分散させる。
厄介なのは時折、三又になった穂先で武器を絡め獲ろうと狙ってくる事だ。
ただでさえ体格差がありリーチ差がある相手に武器を取られては敵わない。
「あと十秒下さいセバス!」
アナが下がって魔法力を魔導銃に込めなおす。
人間相手に連射するのは訳が違う。
牽制とて1発にかかる魔力量はマシマシだ。
昨日、たっぷり寝てフルチャージした魔法力だったが孵卵器を壊すのと、今の戦いでほとんど使いきってしまった。
セバスチャンが牽制をしながら時間を稼ぐ。
「セバス、OKですわ」
「お嬢様!右!」と叫ぶと同時にセバスチャンの足元を魔神が振り回した三又の鉾が床板を破壊する。
間一髪かセバスチャンは右に飛ぶ。
右と言ったのは射線を確保するための合図だったのだ。
空振りした魔神の身体が体勢を崩して前のめりになる。
同時にセバスチャンが射線から外れる。
「相変わらず…ドンピシャですこと」
アナは左足を後ろに踏ん張り魔導銃を構えた。
「セバス、最大火力!」
そう叫ぶと魔導銃を文字通りぶっぱなした。
エネルギーの収束が魔神を貫く。
アナはゴロゴロと後ろに転がり発射の反動を逃がした。
手ごたえありだ。
しかしアナはそのエネルギーの収束を見守ると吐き捨てた。
「糞くらえですわね…」
魔導銃から放たれた光は魔神の胃の部分を貫通し風穴を開けた。わずかに背骨を外す。
しかし状況はなにも変わらなかった。
目の前の魔神はそれがどうしたとばかり元気いっぱいに攻撃してくる。
痛覚が無いのかまるで動じない。
「あれで倒せないとは…」
どうやら人間が怪物になったのとは訳が違う。
その理不尽さはまさに魔神だった。
さらに事態は悪化した。最悪と言っても良い。
孵卵器から新たな魔神が生まれようとしているのだ。
「セバス、魔神が!」
アナの視線の先には孵卵器がある。
セバスチャンは振り返ることなく理解した。
今度の魔神は生成に時間がかかるのか、身体がまだ出来上がっていないようだった。ゼリーのような身体が孵卵器から湧き出してくる。
アナ達は孵卵器の外殻だけを破壊したに過ぎなかったのだ。
一刻も早く、目の前の魔神を倒さなくては。
今のペースでは、この怪物と二対二になる事は時間の問題であった。
しかも最悪な事に三又の鉾を持つ魔神は突きを主体にする戦いから叩きつける戦法に切り替えてきた。
セバスチャンが突きを避ける事を学習し始めたのだ。
体捌きとショートソードの受け流しで突きを避ける。
このルーチンを修正し、質量に勝る三又の鉾をしなりを利用して叩きに来たのだ。
「結構、頭が良いですな、防御勘も上がっております」
緒戦の余裕は消え、セバスチャンは寸で避ける事も、受け流すことも出来ず、間合いに入れない。
突きを躱して懐に入る、死角に回る動作を封じられた。
「お嬢様、拙いですぞ」
「わかっていますわ!」
せっかく溜めた魔力を小出しにして牽制に使わないと話にもならない。
バンバンと目を狙い、出し惜しみはなしだった。
牽制が途切れればセバスチャンが死ぬ。
セバスチャンはそれほど魔神に肉薄していた。
援護が入り、意識を散らすとなんとか戦えた。
セバスチャンは意識のスイッチに合わせて攻撃を繰り返した。
ショートソードを選んで戦うのは情報将校時代からの流儀だった。
小太刀には小太刀の術理がある。
また狭い室内や街中での戦闘に便利でもあった。
旅の商人にも許された装備で目立ちにくく任務に最適だった。
愛剣はドワーフ作の業物で希少な金属を使用している。
用途に合わせ見た目は地味で装飾もないが騎士剣を切り飛ばしたこともある。
火力不足と侮るなかれ、セバスチャンの攻撃は魔神を的確に追い詰めていた。
魔導銃の継続的な援護と時間があればこのまま勝利することも可能であろう。
もう一体の魔神が居なければの話である。
おそらく、セバスチャンの攻撃の方が嫌だったのだろう。
攻撃の中心をセバスチャン寄りに振り分け始めた。
魔力の切れかけた魔導銃の牽制頻度が落ちる。
「お嬢さま手が足りませぬ、少しお任せしても?」
「孵卵器ね?」
「左様で」
魔導銃に込めた魔力が尽きる前に決断しないとこのままではジリ貧だ。
孵卵器を完全に停止させなければ新たな魔神が生成されてしまう。
セバスチャンは飛び道具で牽制しながら戦えるうちに孵卵器をどうにかする事にしたのだ。
まだ肉が柔らかいゼリーのような魔神が次第に形になっていく。
手には笏。魔法タイプの魔神がバックアップに入ると考えるとゾッとした。
アナは魔神を引き受けるため危険覚悟で踏み込むと片手で抜刀し、鉾の持ち手を切りつけた。
ガチンと音がして硬い骨に阻まれるがガンガン攻める。
片手で滑らすように内側の腱を斬りつけたが、魔神もそうはさせぬと手首を回して回避した。
腕の内側、付け根と弾丸を撃ち込む。
怯んだ隙にまた手首を攻撃する。
一旦、攻撃を大人しくさせねばと一気に切り込んだ。
手首の外側の太い静脈が断ち切れる。
どす黒い血がドクドクと流れ出し攻撃の圧力が弱まった。
アナ気迫の連続攻撃に魔神は少し怯んで一歩下がった。
効果あり!
数舜だったがセバスチャンに余裕を与える事が出来た。
しかし逆にアナの方の状況は最悪に近かった。
二丁ある魔導銃の一丁は弾切れ。
もう一丁はいつ魔力切れを起こしてもおかしくなかった。
せめて魔力を再充填する時間があれば…。
アナは銃を腰のベルトに戻すとサーベルを両手に持ち替えた。
「洒落臭いですわね」
そう言って片方の口角を上げて笑うと重心を落とした。
魔神は手首の傷を舐めると片手で鉾を振り上げた。
狂ったように鉾を振り回す。
自分の周囲の床板を打ち砕き、突きを交えて暴れ狂う。
せめてセバスチャン程度の体格があれば受け流せなくもないのだが体重40㎏に満たないアナには酷だった。
相手はどう見ても十倍の質量がある。
あの質量差を受け止めれば刀は折れずとも、簡単に手首が逝ってしまうだろう。
さりとて魔導銃が使えないまま距離を取ればジリ貧だ。
内側の死角をキープして斬撃を見舞わす。
魔神の鉾が当たれば即、死だ。
不意に連続する嵐の中で足を取られる。
床板だ。
魔神が床板を叩き割っている理由を理解して背筋が凍る。
魔神が攻撃していたのはアナの機動力。足場だ。
気が付いた時にはもう遅く、途端に追い詰められる。
アナの運足は基本摺り足。
これほど足場が悪い場所では制限を受ける。
魔神はどんどんと学習しているのだ。
追い詰められたアナは心を落ち着けるため、いったん間合いを取った。
足場の悪い魔神の懐で戦うには限界がある。
先ほどのように足を取られるのは致命的だ。
アナは魔神を見据え身構え、防御の姿勢で時間を作る。
冷静になれ。
冷静に。
自分の中にある暴れる殺気と恐怖心と向き合う。
時間にして刹那ともいえる間、意識の奥に沈み込んだ。
脳が、感覚が、意識が研ぎ澄まされ時間がゆっくりと感じられる。
再びあの嵐の中へ戻る前に考えろ。
勝機とすればこの魔神は力任せという事だ。
質量の差を活かしてはいるが技が無い。
素早い移動も、足さばきも皆無だ。
防御勘が鋭く、タフネスなのは閉口するつけ入るスキはある。
タフネス?
思考に疑問が、疑問に違和感が、違和感に光明が見えてくる。
もう少しで何かがつかめる。
そう感じた瞬間、アナは穂先を躱していた。
初動が見える。
起こり。
兆し。
半魚の魔神が槍を滑らせ、引き戻す拍子に合わせてアナは飛び込んだ。
間合いを一気に詰めて白刃を滑らせる。
鋭い、沈み込むような運足。
ヴォーティーを制圧した時より早く、鋭く。
魔神は突進してくるアナを狙って鉾を突き出した。
否、突かされたのだ。
アナの神速の切り込みに魔神は振りかぶる暇もなく、突く行動を強制させられたのだ。
薄皮も触れぬわずかの見切りで左側を抜け、アナは鉾の根元をサーベルで制する。
魔神にはアナの身体を『貫いた』かに見えた。
見えていたというべきか。
消えた。
消えたアナは魔神の知覚の外側に居た。
運足による攻防一体の型。
敵の知覚をすり抜ける『転化の太刀』と言われるアナの奥義だった。
鉾のやや内側にいた筈のアナが外側にいる。
何が起こったか魔神には理解できなかった。
アナはそのまま地面を転がると魔神の死角から腎臓を突き刺す。
アナの刃は腎臓を串刺しにして心の臓までするりと貫いた。
アナの業物のサーベルは魔神の肋骨をすり抜け、抵抗なく入った。
人間同士なら勝負ありであろう。
心の臓を貫かれて生きている人間はいない。
即死だ。
しかし勝負とは残酷なものだ。
相手は人間ではなく、ピスケースの孵卵器から生まれた得体のしれない魔神だった。
これまでの旅で味わってきた理不尽の塊ではないか。
アナは違和感の正体が理解できた。
魔神は生物の理の外側にいる。臓器はあるが必要としてい無い。
膨れ上がる危険な兆し。
しかしアナには抗う術はなかった。
刃を深く差し過ぎた。硬直した魔神の筋肉が刃を引く数舜を奪う。
後悔が反応を超えてやってくる。
加速した思考に身体が付いていかなかった。
魔神はアナのサーベルが刺さったまま強引に振り向き、アナを跳ね上げた。辛うじてサーベルを取り落とさなかったのは幸いだったが、状況は加速的に悪化した。
強烈な痛みに加え魔神の手から飛び散った大量に血がアナの目を襲う。
跳ね上げられながらも素早く積み荷を蹴り体制を立て直して着地出来たのはアナの持つ空間把握能力のなせる業であった。
視界が赤黒く閉ざされている。
ドロリとした返り血がアナの目を奪い、戦況を一変させた。
激痛が体を硬直させ初動を遅らせる。
勝機が霧散し、手が詰まる。
アナが習い覚えた剣術は、相手の初動、兆しを読んで相手を制する。
重心、呼吸、筋肉の動き、力の流れ。
情報の殆どを遮断されてしまった今、全てのアドバンテージを失ってしまった。
視界を奪われたアナは目を瞑り殺気を読んだ。
今、選択できる行動といえばそれだけだった。
アナの剣技の師匠はタエトで保護した東の国の剣士だった。
師匠の教えの奥に『相手の兆しの奥にある決断の意を読む』というものがある。
極めれば目で見た情報はその補助に過ぎなくなると。
アナは実に優秀な生徒であったがその域に達するには若過ぎた。
師のミフネをして辿り着けぬ領域であった。
流れる空気を産毛で感知するほど研ぎ澄まされる感覚。
死。
強烈な死を感じ、アナは深く意識を沈めた。
恐れるな、心を水面とし殺気を読め!
師の言葉がアナに勇気を与える。
全身に冷たい死の予感が駆け巡る。
「控えめに言って最高ですわ」
奪われた視界の先で死が猛り狂っていた。
万策尽きかけたドルシアーナことアナ姫。
さあ、次回決着なるか? 待て次号!