第一部 嵐を呼ぶ少女(5)プリンセスホーリーパワー?
宴会を他所にセバスチャンは見張りの魚介水兵と話し込んでいた。
魚介水兵の彼は聞き上手のセバスチャンに、気が付けば生い立ちから最近の悩みまで身の上相談をしていた。
故郷に残した幼馴染。喧嘩別れしてしまった老いた母。給金が良いという事で乗り込んだ武装商船カプリコルヌ。幼馴染に婚約指輪を買うために、一旗揚げて故郷に凱旋するんだと若者は話した。
乗組員の腕も悪くなく、パロ国籍の船で比較的安全な航路を行く筈だった。しかし今は魚介水兵となり人間の頭の代わりにメバルがのっかっている。
アクアパッツァの具になりそうな頭である。
戦闘要員にもなれず、新米だった彼はこうして見張りをさせられているが大きな夢が…と愚痴から世間話まで一晩中話を聞いた。
セバスチャンは彼に同情しながら、きっと呪いは解けると勇気づけた。
(5)プリンセスホーリーパワー?
ラマンチャは捕まった。
生け捕りにしろという命令を受けた魚介水兵は抵抗さえしなければ優しかった。
丁重にと言い含められていたのだろう。
姫様扱いは少しむずかゆい。
フードを目深にかぶって男だとばれない様にしなくては。
太い眉と挑み系の顔をしている。
好事家には需要があると思うが考えただけでもゾッとする。
それよりデニは無事だろうか?
ラマンチャは通りの斜面を見渡すと、坂の上でも馬車が囲まれていた。
まあ無事ではないな。
ラマンチャは大人しく後ろ手に縛られると相棒の安否がわかって、ほっとしたように笑った。
十分にかく乱された市街地部隊はサメ頭の副長が指揮する伏兵部隊を残して船へと集まってきた。
魚介水兵達が船長の方を見ると
遠くで船長とピンクの少女がもみ合っている様に見える。
本当は間合いを詰められコテンパンにやられているのだがまさか船長があんなちっこいのに押されているとは思えない。
街道に陣取っていた海老頭の水兵長も任務終了と集合を告げた。
ラマンチャを捕らえた魚介水兵達はとりあえずもう一人の姫様らしき少女を捕らえた部隊と合流する。
「よう、ラマンチャ、無事だったか」
デニは白い歯を見せてニッと笑う。
意外と美少女になる所が笑えるが表情は悪戯っぽい。
いつものデニだった。
「お前も無事か、こいつら意外と親切でさ」
ラマンチャはそう言うと魚介水兵に笑って見せた。
「姫様、二人いる?」
「ピンクのスカートが二人、ピンクのブラウスが一人」
魚介水兵たちはヒソヒソと首をかしげている。
「船長が取り押さえている姫様はスカートはいてないぞ?」
「じゃああっちが偽物か? 白いズボン穿いてる」
「いや、でもこっちも二人いるぞ?」
「金髪か?」
変装用のかつらを見て指さす。
「両方、金髪」
「可愛い方では?」
「オレはこいつが可愛いと思う」
「おいらはこっちのほうが可愛い」とそれぞれ指さす。
「多数決じゃね?」
「多数決、いいね」
「イイワケナイダロ?」
頭を突き合わせて悩む魚介水兵。
「水兵長~っ! どっちが可愛いですかぁあああああっ!?」
大声で手を振る魚介水兵達。
勘弁してほしい。ラマンチャは何の羞恥だと身をもぞもぞさせる。
騒ぐ魚介水兵を遠目に海老頭の水兵長はため息をついた。
「はああ、お前ら、なに騒いでるんだーーーー!? 集合だバカ野郎」
大きな声で叫ぼうにも海老の口は小さい。
遠くの彼らには伝わらないのか身振り手振りで戻って来いと伝えた。
「ええーーー? 可愛いの、こっちですか?」とラマンチャを指差す。
「ええ? こいつ!?」
「いやなんか便所行きたいとか言ってる感じだべ?」
ハンドサインで伝えるも、もともと国が違うカプリコルヌの元船員には通じなかった。
「ああもう、何やってるんだアイツら?」と再びハンドサイン。
「いやわからないって、誰か水兵長んとこ行って伝わらないって言って来いよ」
「ええ?この坂上がるの? 疲れるなぁ」
「誰か元ロウィーナ号の乗組員いないのかよ?」
「オレたちはカプリコルヌから一緒のなじみだろうが、顔見ればわかるべ?」
いや魚介の区別なんかつかねえよというツッコミをラマンチャは我慢した。
「顔みりゃって言ってもよう、みんな魚じゃね?」
「つうかマグロ?」
「いやカツオだろ?」
「オレ、なんか黄色の縞々あるからわかりやすいだろ?」
「元からあんのカヨ、その縞々!」
「いやねえけど」
「元の顔わかんねで、わかるかボケ」
「ボケって言い方ないだろマグロ頭」
「お、おれマグロ頭なの?」
「俺たちあれから鏡見てないから自分の姿、わからないなあ」
「たまには鏡ぐらい見ろよ」
「見ても意味なくね?」
「まあ魚だし」
「結構、この身体怪我の治りも良いし、悪くは無いんだけど、女の子にモテなさそうだよね」
「あああ確かに、あのお姫様に刺身にされたとこ、ホレ、もう治ってる」
「ホントだスゲエ、見して、見して!」
「確かに疲れにくいし怪我もすぐ治るんだけっどもよぅ」
「まあ女の子、この姿見たら悲鳴上げるよね」
「まあ、元々モテないから関係ないけどね」
「女の子っていやぁ、前の港に居たアンジャリーナだっけ、ホレ、すげえお前にアタックしてた」
「アンジェリーナな、あの女はもう忘れた」
「ウォーサイトで稼いだ金を全部巻き上げて行きやがった、ネックレスに指輪、ブレスレット迄贈ったのによー」
「出航前になったらドロンってやつか?」
「ああああ、港町の女あるあるダネ」
っと無駄話をしていたら大股で海老の水兵長がのしのし歩いてくる。
7フィル(約210cm)もある海老の頭の大男がのしのし歩いてくるのだ。
ちょっと怖い。
「お前ら何やってる! 集合しろ集合!」巨体が怒り交じりにジェスチャする。
巨体に似合わず案外小声だ。
「あれ? 港に向かうのでは?」
「ハンドサインをしただろうがハ・ン・ド・サ・イ・ン!」
ぶんぶん手を振ってハンドサインを出す。
「いや俺たち国が違うんで…そのハンドサイン、おれたちの国では『トイレ休憩入ります』なんっスよ」
「あああ、お前目ぇ良いな、あれ、やっぱトイレなの? そうかなーとは思っでたが、緊急事態にそれはねえと…」
バカばっかりだ。
「ほかの連中さ港に行きますたぁ。船長が捕まえだらぁ港に連れてこい言うてたで」
おっとり声の魚介水兵が言う。
「あ、でも二人いまして」
「どっちが可愛いか決めてもらわないと」
何を言ってるコイツ? 可愛いとか可愛くないとか今関係なだろ? と水兵長はあきれ返った。
「水兵長、どっちが可愛いですか? 可愛い方が本物かと」
「可愛いのどっちだと思います? 俺は絶対こっちだと思いますがね?」
「いや、あんな勇ましい姫さんだこっちの眉が太い方でね?」
「水兵長! どっちだと思います?」
うおおおおおおおお、全然話が見えない。
「バカかお前ら! 姫様の特徴を教えただろ?」
魚介水兵どもがラマンチャとデニを見比べる。
「金髪でー」
「ピンクのスカートをはいたー」
「可愛い女の子」
「どっちもそうですね」
二人とも男の娘なんだが、見分けはついていないようだった。
「あとなんだっけ?」
「金髪で、ピンクのスカート、女の子しか聞いてねえだ」
魚介水兵どもが一斉に海老頭水兵長を見る。
答えを待ち、固唾を呑んだ。
「まあどっちもそうだな…」
海老頭の水兵長は首をかしげながら顎に手を当てて考え込んだ。
「どっちが可愛いかで決めません?」
ちがう、ちがう、そうじゃない。
「可愛いって誰か言ってなかったっけぇ?」
「多数決にしましょうよ」
「なんか夏のミス港コンテストみてぇだべ?」
「眉毛太い方じゃね?」
「いや可愛らしい方だっぺ」
「ねえ、水兵長ぅ、どっちか決めてください!」
水兵長は考えたが甲殻類になってからこっち、複雑なことを考えるのは苦手になっている気がする。
こいつらも元々バカだが…いや完全にバカか、あんまり変わらんな。
「とにかく、こいつらの処分は船長に聞こう」
困った際には上官に相談、報告連絡相談、ほうれんそう!大事だ。
海老頭の水兵長は、そう結論を出すとニッと笑った。
甲殻類の笑みは解りづらいのか、その不気味さに魚介水兵どもは平常運転に戻った。
遠目になんだか揉めている。
海老の水兵長は良いやつなんだが少し頭の柔軟性に欠ける。
海老頭になってから顕著になった気もするが、頭が海老なもので仕方がない。
ヴォーティー船長はそんなこと気にする余裕はなかったが勝利は確信していた。
慢心はダメだが、あとは適度に間合いを保って時間を稼ぐだけだった。
アナは重心を落としサーベルの柄に手をかける。
「おっと危ない」
ヴォーティーは半歩下がった。
ドルシアーナ姫の戦い方は東にある国の剣士が使う其れに似ている、
長い海賊討伐の中で一度だけ見たことがある。
そのサーベルは切れ味が鋭く、丈夫で折れず曲がらず。剣技は恐ろしく速い。
同じタイミングで技を出してもその剣士の方が一歩速かった。
助けた船に居た用心棒で、瞬く間に賊を切り捨てていた。
若かりし頃のヴォーティーは敵でなくてよかったと安堵した覚えがある。
あのサーベルにも見覚えがあった。柄の形は違えど、あの美しい刀身はあの東の剣士のものと酷似している。
確か、タエト国王に献上した東の宝物にドルシアーナ姫が持つ、反りのあるサーベルが含まれていたような。
姫の持つサーベルの柄の部分はタエト式の装飾だが、刀身は確かにあの東の剣士ものである 魚介水兵が使うカットラスよりも細く、美しい。
東の国の剣士はあの体制から遠くまで切り込む技がある。遠い昔に見た記憶がよみがえってゾッとした。
下手に重心をずらすとまた飛び込まれる。
ヴォティーは注意深く真下に重心を落とした。
前後に動かすと初動が遅れるからだ。
成長しきっていない小娘のくせに大人の瞬発力を超えてくる。
ヴォティーも戦場で磨いた腕だが、なにか次元の違うものを感じていた。
アナの速さの秘密は脚を抜くことでステップ時に生じるワンテンポを省略しているのだ。
踏み込む、大地を蹴るの2ステップではなく脚を抜くの1動作。
ヴォーティーが習った剣技にはない歩法だった。若かりし頃の自分には理解すらできなかったが今、目の前で実践されて初めて解った。
歩法、運足、術理、占有する位置。
すべてにおいて自分の知るものとかけ離れていると。
アナはヴォーティーの隙を窺っていたが彼もまた歴戦の勇者なのであろう。短時間に戦力を分析し、現在最善手と思われる戦術で戦っている。
とにかくタフだ。デニとの約束があり致命傷を与えない様に戦ったが、人であれば即死級のダメージを何回か与えている。
呪いの効果が強いのか彼の強靭な精神で持ちこたえているのか?
しかしこのまま時間を稼がれても困る。
石弓魚兵の射程に入ればかなり面倒なことになりそうだ。
アナはヴォーティーの呼吸のリズムを読み、自身に静かな深呼吸を行うと剣気を飛ばした。
剣気で牽制を行う高等技術である。
若干十四歳でその域に達していることに驚くが、今までの戦いぶりを見るに不思議な事ではない。
対人戦だけなら金騎士級の戦力かもしれぬ。
タエト王国で授与される武勲の最高位。
小型の竜なら単体で倒すとも言われる騎士の称号だ。
残念ながらその細いサーベルではドラゴンの皮膚は裂けまいが…。
何かが来ると悟ったヴォーティー船長はさらに身構えた。
しかしその刹那、後ろの愛船からものすごい爆発音が鳴り響いた。
「なっ!?」
火薬庫か? そう思わせるほどの爆音と炎の熱が背中を撫でる。
爆発は甲板で起きたのか? 派手に吹き上がる炎は帆を舐めるように立ち上がった。
振り向きたいところだが振り向けない。
ヴォーティーは視線を外さずアナを見据えた。
しかし一瞬の意識の途切れがあればアナには十分だった。
「セバスチャン、グッドですわ」
そうつぶやくと同時にアナは一気に間合いを詰めるのだった。
少し時間は戻って昨晩のロウィーナ号船内ーー
セバスチャンのターン。
隣の宴会を他所にセバスチャンは見張りの魚介水兵と話し込んでいた。
「なんだ、君もコレかね? 燕麦のオートミールなんぞ最貧民か家畜の餌だ」
と食事をとる見張りの魚介水兵に話しかける。
最初は警戒していた魚介水兵の彼も聞き上手のセバスチャンに、気が付けば生い立ちから最近の悩み、上官の愚痴に至るまでの身の上相談をしていた。
故郷に残した幼馴染。喧嘩別れしてしまった老いた母。給金が良いという事で乗り込んだ武装商船カプリコルヌ。幼馴染に婚約指輪を買うために、一旗揚げて故郷に凱旋するんだと若者は話した。
カプリコルヌは乗組員の腕も悪くなく、帝国製の船だがパロ国籍の船で、比較的安全な航路を行く筈だった。
しかし今は魚介水兵となり人間の頭の代わりにメバルがのっかっている。
アクアパッツァの具になりそうな頭である。
戦闘要員にもなれず、新米で愚図だった彼はこうして見張りをさせられている。
でも僕には大きな夢が…と愚痴から世間話まで、一晩中話を聞いた。
セバスチャンは彼に同情しながら、きっと呪いは解けると勇気づけた。
一通り彼から聞いた話をまとめると船の間取りがどうなっているかセバスチャンには見当がついた。
この船の火薬庫、宝物庫、船長の執務室から何まで。
目的のモノであるカプリコルヌが密かに運んでいた魔導器の位置まで把握できた。
ロウィーナ号の構造は同型艦に乗ったことがあり下見はしなくとも部屋の位置や階段の位置はわかる。
また目隠しをされていたとはいえ、この部屋から階段の位置は把握しており、頭の中の地図は出来上がっていた。
元情報将校のセバスチャンには赤子の手をひねるようのものである。
見張り兵が交代する頃には姫様とタイミングを合わせて作戦を決行するだけになっていた。
姫がメモとしてこちらに寄越した暗号は『明朝、沿岸砲台を占拠して助ける』旨が書いてある。メバル頭君が教えてくれた。
もちろん偽の情報だ。
赤ら顔達にそれとなく誤情報を垂れ流し、「拷問されそうになったら自分の身を大事にせい」と優しく語った。
ワシらの事に巻き込んで悪かったとも。
ノッポの奴は義理堅く、恩義に報いると言っていたが、たぶん赤ら顔は話すだろうと踏んでいた。
セバスチャンはこうなる事を見越して赤ら顔にはわざと重要そうな話を聞かせたのだった。
副長のサメ頭はセバスチャンへの尋問は時間の無駄だと早々に諦め、赤ら顔達に拷問器具を見せて脅したあと、優しく酒で労って口を割らせた。
割らせたというより赤ら顔が勝手に話した感じだった。
「ま、サメ頭のはもう少し人を疑わんとな」と独りごちる。
見張りの彼から副長の人となりや行動原理なども聞いていたので作戦は失敗する要素がなかった。
虐げた部下は上官の事を見ているものである。
「役立たずの観察眼」という奴だ。
自分を正当化するため周りの事をよく観察しているし、よく覚えている。その頭を役に立つ方に使えばよいのだが、それが出来ないのが役立たずの所以であるから致し方なし。愚痴の多い若者は良く見ていたのだ。
セバスチャンは指揮官の出払った船内での味方を得意の話術で増やしながら時を待った。新兵共の食事の質、待遇から不満が見て取れた。
呪いをかけられしぶしぶ従っている様な輩が多い。
昼近くにはカプリコルヌの元船員を呪いから救いに来た「救世主」のようになっていたのである。
「さて魔導器は姫様が来ないと真贋ハッキリせぬが、まあ碌でもないモノには間違いないであろう」
味方にした水兵に手枷を外してもらい、魔道具の所へ案内させる。
呪いが解けるかも? と喜ぶ水兵は鍵を持ち出し、分厚い鉄扉をあけてくれた。
室内から瘴気のようなものが漏れ出す。
がらんとした室内の中央に白い陶器で出来たような牝牛ほどの大きさの魔導器が設置されていた。
セバスチャンは直接魔導器に手を触れぬよう気を付けながら、姿かたちや魔導器の横にある魔法語を丁寧に書き写した。
程なくして先ほどの見張り…メバル頭君がやってきて状況を報告してくれた。
「大砲を使える何人かが味方になってくれましたセバスチャンさん」
役に立てることが嬉しそうだ。よほど褒められたことが無いのかこのアクアパッツァ君。
少し不憫に思うが、嬉しそうに笑う彼にセバスチャンは微笑み返した。
利用してすまないと思うが、助けたい気持ちは本物だった。
「ところでセバスチャンさん」
ふむとアクアパッツァ君に振り返る。
アクアパッツァ君は「絵、上手いっスね」とメバルの顔で微笑んだ。
なかなか愛嬌がある魚介水兵ではないかと、セバスチャンは気持ちを新たにした。
ーーロウィーナ号前
さて時は戻ってヴォーティー船長。
背後での爆発は全くの予想外だった。
鮫の報告では素人3人は酒で懐柔したという。
まあ、もともと仲間でなかったと言うし大それたことは出来ないだろう。
それに戦闘には、全く以って当てにならんだろうし。
ヴォーティー船長は考えを巡らせた。
セバスチャンの奴も特製の手枷で動きを封じている。
機械の街の一流ブランドオベロン工房で作られた脱出不能の手枷だ。
鍵が複雑でピッキング不可能と言われている。
魔石感知の仕掛けと魔石を組み込んだ鍵でできているため鍵を失くしたら最後、一生開けられないとまで言われている手枷だ。
誰かが裏切らない限り絶対に脱出は不可能なのである。
船員たちは魔導器の呪いで船に縛り付けられており自分の命令に従うようにしてある。
また部下の信頼も厚く優秀な副長もおり裏切り行為は考えられなかった。
それはあくまで副長が現場の指揮をとっていればの話だった。
セバスチャンは思う。「まあ、あのサメ頭の副長を現場から引きはがしたのは正解じゃったな」
そう、暗号文を手に入れた時からセバスチャンの手の内だったのだ。
爆発を背に受け一瞬のスキが出来た。
ヴォーティーの脳裏には走馬灯のように情報分析の結果が回る。
まったく理解できない。受け入れがたいがそうも言って居られなかった。
ヴォーティーの眼前にアナが迫る。
抜刀はしていない。
一足で間合いに入る。
滑るように間合いに入り、腰を切って抜刀する。
超接近からの抜刀。
ヴォーティーは近すぎてサーベルが振るえない。
気が付いた時には斜め下から切り上げられていた。
切り上げた刃が手首の返しで袈裟懸けに変わった。
鱗返しと呼ばれる高難度の太刀筋であった。
数本の触手を斬り飛ばし、肋骨を断ち切り、ヴォーティーのサーベルを叩き落して納刀する。
見事な残心だ。
剣の柄がヴォーティーの間合いを押え、制圧する。
「ロウィーナ…私はまだ…」
ヴォーティーは船の名前を呟きながら胸を押えて後ずさった。
人間なら致命傷だ。
抑えた胸から黒い光…放出する闇と言うものか、奇妙な何かが溢れだす。
闇の精霊が実体化したかのような黒い光。
アナは闇が眩しいという奇妙な知覚に襲われた。
「欲望の種子…」
アナはそう呟くと自分の胸元に手を当てた。
ヴォーティーはさらに両手で胸を押えて歯を食いしばる。
「まだ…為すべきことがある。ドルシアーナ姫、私の目的は多分あなたと同じ…邪魔を召さるな」
追いついた魚介水兵たちが心配そうに見つめる中、ヴォーティー船長は青い血を吐いた。
「ヴォーティー船長、いえヴォーティーガン大尉。私が貴方を正気にさせて差し上げますわ」
そう言うと、アナは自分の胸から卵を抱いたようなペンダントを取り出して握りしめた。
赤ら顔が手に入れたそれだ。
卵型の石。
「それは、天使の卵…願いをかなえる神の…加護」
「いいえ大尉。これは貴方の胸にあるものと同じもの。欲望の種子ですわ」
「欲望…違う、私は海の加護を…得た」
苦しそうに胸をかきむしる。
「欲望の種子は願いをかなえる魔導器…ですが人の欲望を吸って成長する悪魔の種なのですわ」
天使の卵と呼ばれる幸運のアイテム。
それは海に沈んだ古代の魔法王国の遺跡から出土した。
ラファロック王家が打倒され衰退した魔導の英知。
失われた魔導の御業。
タエトが古代魔導技術を知りえたのは天使の卵と呼ばれた魔導器をはじめとする出土品のお陰にほかならない。
アナ姫のもつ魔導銃の原理もその一つだ。
「ドルシアーナ姫…邪魔を…」
ヴォーティー船長は天使の卵…欲望の種子に取り込まれた哀れな犠牲者だったのだ。
タエト王都奪還。
奪還の先にある願いが、祈りが、欲望の種子を育ててしまった。
「ロウィーナ…」
そう天を仰ぐと胸の裂け目を解放した。
顔の触手は大きく長くなり、体躯が盛り上がってキャプテンコートを引き裂いた。
「いよいよ時間がありませんわね」
アナは欲望の種子に囚われた人間がどうなるのか知っていた。
今はまだ理性を残しているが次第に理性はなくなり化け物と化す。
化け物になった人間の末路は悲惨で、人に戻れず、目的は果たせず、暴れ狂うだけのものとなる。
スリ師を締め上げたのも、赤ら顔から種子を取り上げたのもこの末路を知っているからであった。
タエト滅亡から七年。
アナはセバスチャンと共にこの種子を回収してきた。
「ちょっと恥ずかしいのですけど、デニさんに頼まれましたので約束は守りませんとね」
とアナは欲望の種子のペンダントを握りしめて叫んだ。
少し躊躇して深呼吸をする。
「プリンセス!ホーリーパワー!」
なんというか心の底から恥ずかしい。羞恥ですわ!と顔を赤らめる。
毎回このセリフを言わなければ発動しないのかしら。
このセリフを誰かが考えたのなら古代の誰かを過去に戻って締め上げたい。
しかし想いと裏腹に大きな声で叫べば叫ぶほど効果があるのだ。
叫び終わると種子を握った手のひらから聖なる光が溢れ出てヴォーティーを包み込んだ。
欲望の種子から漏れ出す黒い光を抑え込む様に光が駆け巡る。
しかし一方で欲望の種子からあふれ出た聖なる光の隙間から何か禍々しいものが覗いていた。
悪夢のような瞳。仄暗い眼差し。種子が発芽するようにその瞳から無数の闇が這う。
無数の闇はやがて触手となってアナの拳からあふれ出す。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
毎回思うが慣れるものではない。
聖なる光と混沌とがせめぎ合う。
アナは負けじと聖なる光で抑え込む。
触手が全身に絡みつき、太腿を這う。
浸食する闇を光で抑え込む。
「ああもう、このセリフ、絶対に言わないと誓ったのに!糞以下ですわ!」
闇は暴れるようにのたうち回りアナの身体を這いまわった。
「プリンセス・ホーリーパワー! ミラクルエンゲージ!」
もっとだ、声が小さい!
「プリンセス・ホーリーパワーぁあああああああ!」
駄目だ、パワーが足りない。
「すううううう」
アナは息を思い切り吸い込んで叫んだ。
「プリンセスぅうううううう、ほおりいいいいいいぱうああああああああ!!!!!」
誰の趣味なのか、だれが得なのか、ドルシアーナはこの恥ずかしいセリフが嫌いだった。
なぜなのか自分でもわからないほど嫌悪していた。
何がプリンセスなのか、なにが聖なるなのか。
自分が何者か。
顔を真っ赤にしてセリフを言い切る。
「シューーートぉおおおおおおおおおおおお!!!!!」
拳から青白く黄金を纏ったような光が放たれ、ヴォーティーの胸を貫いた。
黒い光は抑え込まれるように収縮する。
同時にアナの拳から全身に巻き付いてきた触手も種子に戻っていった。
「まだまだですわ!」
アナはそのままヴォーティーを押し倒すと胸の裂け目に拳を突っ込んだ。
中から掻き回すように種子をえぐり取る。
抵抗した種子から触手が放たれるがお構いなしに抉る。
青い血が噴き出し、返り血がアナを染め上げたが、そんなことは構っていられない。
暴走した古代兵器のように、抉りに抉ってえぐり出す。
「そい、そりゃ、それそれですわあああああああああ!」
雄たけびを上げながら胸から臓物(触手)を引きずり出す。
黒い触手は宙を舞い、地面に叩きつけられアナから放出される光に包まれて蒸発した。
魚介水兵たちは恐怖に足がすくんで誰も動くことはできない。
顔を覆って泣き出す者、その場に崩れ落ちる者、臓物が顔にへばり付いて半狂乱になる者。吐き気で膝から崩れ落ちる者も居た。
阿鼻叫喚だった。
絵面が地獄絵図である。
しかしアナは大真面目だった。切迫した時間の中で欲望の種子を摘出する。
なりふり構っていられなかった。
馬乗りになって鬼の形相で顔を赤く染め歯を食いしばり、臓物引きずり出し、辺りにまき散らす。
蛸から出る青い血が霧雨のように降り注いだ。
ヴォーティの蛸顔は次第に人の其れに替わり、吐血が紅く変わった頃、アナは抉るのをやめた。
種子と触手は取り除かれたのだろう。
息も絶え絶えだが、ヴォーティーガン大尉の呪いは解けたと思われる。
「終わりましてよ、ヴォーティーガン大尉」
やり遂げた安堵から笑みがこぼれた。
ラマンチャ達が港に着くとそこには顎割れのヴォーティー船長に馬乗りになり、青と赤の返り血を浴びてほほ笑むアナの姿があった。
「姫様?」
デニは何が起こったのか、何が起こっていたのか想像もつかなかった。
しかし、その姿は何故か美しかった。
人を助けようと必死になって努力した少女の笑みは宗教画のように神聖だった。
男の娘の格好で暴力的に返り血を浴びるお姫様に微笑まれる。
思春期の少年になにかが生まれた瞬間であった。
デニはふらふらとアナに近寄ると跪いて「おれを家来にしてください」と熱っぽい瞳で訴えた。
「え? あの、デニ?」
恐る恐る振り向くとラマンチャもいる。
アナは二人を交互に見ると顔を真っ赤にしてうろたえた。
「あ、あの見てました?」
「えっと、見ていない」何か察して気を遣うラマンチャ。
「あああ、あのカッコよかったです!おれ、感動しました!、プリンセスホーリーなんとかってやつ!」
「あああうううう」と両手で顔を隠す。
「忘れてください…」
アナは消え入るような声で何度もお願いした。
船長が倒された事で戦意を消失したのか、魚介水兵たちは攻撃してこなかった。
ラマンチャは見ていなかったので分からないが、あの戦いを見た水兵達に戦意なんて持ち合わせる余裕も何も、全て吹き飛んでしまい残っていなかった。
それは竜巻か台風か。
嵐が去ったあとの晴れ間のように静寂が場を支配する。
実際、間近であの惨劇を見た者は魚介水兵でなくとも息を呑んで立ち竦む他ないであろう。
実際のところ、あまりの恐怖におしっこをチビッて立てないほどであった。
当の本人は顔を耳まで紅くして涙目になっている。
素に戻ると十四歳の少女らしい。
天を仰ぎ両手を顔の横でパタパタさせて心を落ち着ける。
「ふくうううううっ!」っと息をつき、気持ちを切り替え、頬を叩いた。
返り血のついた腕をぶるんと振るい、魚介水兵の水分補給用に設置されていた樽から水を汲み頭からかぶる。
残りの返り血を洗い流すとアナは髪を後ろに結んで船上を見上げた。
炎上が続く船の上でセバスチャンが手を振っているのが見える。
「まだ一仕事、残っていましたわ…」
もと情報将校のセバスチャン。癖のあるキャラ大好きなので書いてて楽しいですね。
いよいよ戦いも佳境に入ってきました。
次号をお楽しみに。