表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/47

嵐を呼ぶお姫 第二部 (33)矢の行方

ヘンリエッタの放った矢を合図に戦況が、状況が変わる。

大天使の卵は人を蝕む欲望の種子へと変わってしまった。

獣か、それとも宗教画で見た悪魔か。

混迷の第二部 33幕 始まります。

 ――矢の行方


 一条の矢が夜明けの空を貫いた。

 美しい弧を描き、死を振り払う。

 矢は今にも剣を振り下ろそうとしたキャリバンの頬を掠めた。

 正確に言えば半歩足を引いて矢を避けたのが正解だ。

 1000フィル(約300m強)はあろうか小高い丘の上から正確にキャリバンの額を狙ったのである。


 矢がキャリバンの頬を掠めると同時に東の空から雷鳴が轟く。

 それはヘンリエッタの矢が合図のように戦場に響き渡った。

 戦場に居るものすべてが異変を感じた。

 大気が鳴動し、悪寒が頬を撫でる。


「ヘンリエッタ?」 


 タッソは丘にいる妻を見た。

 ヘンリエッタの顔には迷いが無い。

 ヘンリエッタ放った矢は思いを全うしたのだ。 


 キャリバンも丘を仰ぎ見た。

 美しい残心の姿勢。


「あれが弓の魔女か」


 二の矢はない。

 後ろに迫るセバスチャン老がそれをさせぬだろう。

 其れよりも東の空から伝わる邪悪な気配だ。

 速めに目の前の騎士を片付けてアナやラマンチャの方向へ向かう。

 キャリバンの判断は同時に剣に宿った。  


 大気は震え、邪悪な何かが地中からあふれ出してくる。

 時間が無い。

 恐らく「大天使の卵」が羽化し「欲望の種子」となって「誰か」を呑み込んだのだろう。

 方角はアナがパンチョスと対峙している方角である。

 アナか、パンチョスか、それとも卵をこの戦場に運んだ誰かか。


 豚肉が腐ったような匂いを風が運んでくる。

 時間が無い。


「出て来るな」


 キャリバンは肩を抱くように腕を交差すると鎖帷子を掴んでうち震えた。



 ―― 堕天と異形


 大天使の卵は岩肌に当たってひび割れたのか、エドアールの心を吸って孵化したのか。

 地底から何かが沸き上がり卵とエドアールを吞み込んでいった。


 獣か、それとも地獄の死者か?

 嵐のような闇の狂乱の後、巨大な何かが立っていた。おそらくはエドアールであったモノであろう。

 アナとパンチョスはすっかり変わり果てたエドアールを見上げる。12フィル(約3.6m)はあろうか、羊の角、燃えるような赤く光る瞳、獣のような口、蝙蝠の翼。宗教画にある悪魔の姿である。

 口の端から炎が見え隠れしている。


「ヤバいンじゃねえか? 姫さん!」


 パンチョスは咄嗟に盾を掲げると、そのなれ果てが吐いた炎からアナを守った。アナもまたその動きを察知して楯を死角に位置取る。

 周囲を焼き尽くす炎を吸収しきれずパンチョスの盾がギピギピと悲鳴を上げる。

「あちち、なんという奴だ」

 バスンと光が走り魔導吸収盾は魔力を放出させた。

 観念にキャパオーバーだ。

 熱風が渦を巻く。


「あの魚君、煮えちまうンじゃあねえか?」


 荒れ狂うエドアールを見上げるアナの目は厳しく、悔しそうに唇を噛む。

 大天使の暴走は流石のパンチョスにも予想外であった。


「ああ、ああ、ちょいと交渉材料と臨時ボーナスに使うつもりだったんだが」

 胸のざわめきを抑える様に胸を抑える。


「姫さんよ!」

「なんですの?」

「一時休戦にしないか?」


 パンチョスはアナを庇う様に盾をかざす。

  

「奇遇ですわね、私もそう思っていたところですわ」

 答えと同時に炎が再び二人を包む。

 魔導吸収盾が無かったら二人は丸焦げだったであろう。

「流石に丸焦げじゃあ、王位は継がせられねェ、黒焦げゾンビじゃあ外交も無理だろうさ」

 アナは大真面目にのたまうパンチョスにクスりと笑う。


「そういう事なら感謝は致しませんわ」


 アナは右手を差し出すとパンチョスも白い歯を見せた。



 ――ヘンリエッタ


 一方、時は戻って弓を放った直後のヘンリエッタは死を覚悟していた。

 夫である騎士タッソを救うため、セバスチャンに背を向けてしまったのだ。

 崩れた態勢を立て直し、剣を突き入れるに十分な時間だった。

 こんな隙を見逃す男ではない。

 相対した時から肌で感じていた。

 この男は強敵であると。

 罠を張り、射かけ、体勢を崩してみたが、すぐさま態勢を立て直し、重心を安定させる。

 なんと素早い事か。

 体幹のブレが命取りになる弓兵だからこそ判る。

 下半身、体幹の強さ、避ける際の重心の移動。

 初老の見た目とは裏腹に武人として完成された動きであった。

 勝負の機微を感じ取らねば、此方が危うい。

 先ほどの必勝の攻撃ですら態勢の崩れは最小限に、飛来する石弓を避けたのだ。


 最善を尽くす男だ。

 並み大抵の者なら慌てて石弓を避けてしまう場面だ。

 冷静に取捨選択をする。

 

 死。


 ヘンリエッタの脳内で景色がゆっくりと流れる。

 人は死を悟った際、脳の処理能力が飛躍的に上がる。

 全身が死に抗うのである。


 矢を放った事に後悔はない。


 矢が突き立つ瞬間に雷鳴が鳴り響いた。

 当たると確信していたが、かの騎士は避けて見せた。

 僅かだが体勢を崩し夫の死を防いだ。

 残心姿勢で見守る。

 二の矢は必要か?

 いや間に合わぬ。

 背中に死が迫っている。

 この姿勢から反撃。

 不可能だ一手遅い。

 タッソは無事。

 動け。

 残心のため両の腕は開いている。

 拳も弓と同じ引き絞らねばならぬ。

 両腕を開ききった態勢で何が出来ようか。


 足掻け。


 拳を闇雲に振るう。

 見ても居ない相手に当たる道理はない。


 だが足掻け。

 

 背中の殺気がするりと心の臓を貫いた。


 「タッソ…」


 

 しかし刃はヘンリエッタに届かなかった。

 セバスチャンはその刃を途中で止めたのだ。


 必殺のタイミングであった筈。


「貴様、情けをかけるか?」


「ヘンリエッタ、今はそれどころではない」


 自分の名前を呼ばれたことに驚くより、セバスチャンの険しい眼差しに驚いた。

 セバスチャンは東を指差した。

 白む空に歪な巨影。

 遠近感がおかしくなったのではない。


「あれは人か?」

 ヘンリエッタはセバスチャンに問うた。

 あの眼差しは何かを知っている人間の目だと思ったからだ。

 人型ではあるが人ではない。

 背中に蝙蝠のような翼がある。


「人だ」

 セバスチャンは更に険しい顔で答えた。

「悪意が作り出した人のなれ果てだ」


 

ピスケースの孵卵器とは羽化を待つ大天使の魂を汚し、人を悪魔に変える欲望の種子とするものなのか?

誰が何のために作ったのか。

生身の人間であるアナ達に、この危機を乗り越える事が出来るのか?

待て次号。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 卵が、こんな事になるとは……! エドアール……貴様は何をする……? アナは、セバスチャンは、敵対していた者たちと共に、この危機をどう乗り越えるのか。 緊迫回が続き、胸が痛いです。そして、楽…
[良い点] 戦場でいくつもの思惑が交差するのがよいですね。しかも、各キャラが立っているから、各人各様であってもスイスイと読める筆力が良いところ。 [気になる点] ピスケースの孵卵器とは羽化を待つ大天使…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ