第一部 嵐を呼ぶ少女(2)アナ姫?
酒場「船乗りの胃袋亭」で顎割れのヴォーティー船長たちに襲われたドルシアーナ達は隙を見て逃げ出した。
素人3人を連れて逃げるも限界がある。
アナは途中で護衛兼執事のセバスチャンと別れるが。
複雑な街の袋小路で魚介水兵に追い詰められてしまう。
(2)アナ姫?
「じいさん、なんなんだよアレー?」
ノッポは『明らかに様子がおかしい赤ら顔』を背負い坂を上った。
なんとなく海の方へ逃げてはダメだと魂が伝えている。
体格が良く若いノッポは力持ちではあるが半狂乱になっている同僚を背負って逃げるのはかなりしんどかった。
セバスチャンと呼ばれた初老の男が赤ら顔に腹パンし、革袋を取り上げてから大人しくなったものの、ノッポの体力は限界に近い。
あの可愛らしいお嬢ちゃんとは右に左にと街を迷走している内にはぐれてしまったが、あれだけ強いのでは心配要らないだろう、とノッポは勝手に思い込んだ。
追撃の気配がなくなった頃にようやくセバスチャンはノッポの質問に答えた。
「そこの赤ら顔のような欲をかいた奴のなれの果てだ」
「それってー、さっきお嬢さんに渡した革袋のせい…ってこと?」
セバスチャンが言うには聖典にある「悪魔」が作った魔道具の一つで人間の欲望を食べて育つという。
それを持つと幸運に見舞われ一時的に幸せになるのだが最後は破滅に至るのだと。
なぜそんなものを探しているのか聞きたい衝動に駆られたが、関わらない方が良いと思い、ノッポは聞くのをやめた。
そんなことより、息も絶え絶えのエール腹を介抱しなければと腰に吊っていた水袋を渡して背中をさする。
赤ら顔を見るとセバスチャンの当身が相当効いたのか仰向けになって気絶している。
ノッポはとりあえず、助かった? と周りを見回すと追っ手の気配は無い様だった。
一方、少女はと言うと迷路のような旧市街を迷うことなく駆け抜けていた。
三人の非戦闘員を抱えたセバスチャンの負担を減らすべく隙を見て分かれたのだ。
編上げブーツは持久走には向かないですわねと心の中で舌打ちしながら走る。
少女の予想より追っ手の魚介水兵は数が多かった。
顎割れ一味の人数を考えると数が合わない。
「拿捕したカプリコルヌの船員も取り込んだのかしら?」
なんとか捲いて合流したい所だが要所要所に魚介水兵が湧く。
「キリがないですわ」
一応名目上、街の治安を担っているイシュタル兵の兵舎に向かうことも考えたが、あの顎割れの戦闘力を考えると被害が増える一方だろう。
機先を制して戦局を有利にしたが、蹴り脚に残る感触が異常を告げていた。人の重さではない。
少女はこの街に入る時にある程度の地理は履修していた。
土地勘のない者ならとっくに少女見失っている筈だが、この魚介共は執拗に追跡してくる。おそらくは自分の持つ「種子」に反応しているに違いないと少女は分析した。
ーーああもう、執拗いですわね。
魚介水兵を蹴散らしてもいいが、数体と戦闘している間に囲まれでもしたら詰みだ。
顎割れの戦闘力はもとより、銃弾を受けても平気なタフネスが厄介だ、
ウォーアックスで両断するぐらいしないと死にませんわね、きっと。
糞くらえですわ。と少女は自嘲気味に吐き捨てた。
少女は街の南端にある砲台に目をやり魚介水兵達が居ないことを確認した。町の自衛のために設置された湾岸砲台である。
火薬樽くらいはありそうだ。
戦闘プランを練りながら迷路のように複雑な街路を駆け抜けた。
砲台が見えてくる。
砲台方面に今のところ魚介なし。
少女は速度を上げると一気に引き離しにかかった。
あの角を曲がると確か砲台への近道の筈。
そう思った矢先、運が悪いことに曲がり角に馬車が立ち往生していた。
荷を満載にした幌馬車だ。何やら揉めている。
拙いですわね。
駆け上がる選択肢も頭をよぎったが、ホロの上は不安定で脆そうだ。
何より無関係な者を巻き込みたくなかった。
「きゃあ」っと小さく気合を入れて抜刀。
追いすがってきた魚介を刺身にして納刀。
壁を蹴って急転換し横道へと飛び込む。
ーー行き止まり?
「あら」と漏らすがもう遅い、路地は行き止まりで雑多なガラクタが道を塞いでいた。
失敗!
少女は「地図には無い行き止まりですわ」と毒づくとサーベルを抜いて身構える。
事態が悪化する前に切り抜ける必要がある。
あれだけの魚介共に人海戦術されては詰む。
少女は追ってきた先頭の魚介にサーベルを突き出した。
刀身が深く刺さらぬよう注意しながら体制を崩すと、後続の魚介に向かって蹴り飛ばした。
セバスチャンも見せた多対一での常套だ。
魚介共は互いに絡まり、数の優位性を失って後退する。
少女に数秒の余裕が生まれる。
少女は猫のように飛んで、ガラクタを足場に駆け上がり、魚介共の頭上を飛び越えた。
が、突然現れた壁に阻まれる。
ーーえ?…壁?
とっさに壁を蹴ってトンボを切り再び路地奥に着地したが強かその可愛らしいお尻を打ってしまった。
見ると大型の魚介水兵が壁のように立ちふさがっている。
それは海老のような頭の巨漢であった。
「甲殻類は苦手ですのに…」
7フィル(約210cm)はある巨大な海老男が逃走経路を塞ぐ。
わらわらと集まる魚介水兵。
ーーイシュタル兵舎と逆の旧市街に逃げ込んだのは間違いでしたわね。
海老男の甲殻は硬そうだ。
甲殻の部分に手持ちの細いサーベルでは通りそうもなく、少女はふうと深呼吸をすると腰に吊るした二丁の単筒を引き抜き、あらん限りの弾をばら撒いた。
障害物を駆け上って屋根に出る! と飛び上がろうとした瞬間、少女は何者かに口を押えられ後ろに引っ張られた。
「こっち!」
と聞きなれない少年の声に戸惑うも、どうやら敵ではないらしい。
訳も分からず薄暗い路地を駆け抜けると少年が隠れ家だという家に案内された。
「あああ、死ぬかと思った!」と少年は伸びをした。
外からは外壁と同化して解らないような入り口から中に入ると少年は瓶から水を汲んで少女に渡した。
「ああ、遅れちゃったけどオレ、ラマンチャ」
と手を伸ばす。
いろいろと聞きたいことはあれど、ひとまず礼をする。
「ありがとうございます、ラマンチャさん」
スカートの端を摘まむと優雅に礼をした。
「ラマンチャでいいよ、君は?」
「私は…アーナ。アナでよろしくてよ」本名は拙いと言い淀む。
「アナ姫?」ラマンチャはアナの格好を見て言った。
それはちょっとと遠慮する。
「で、アナ。さっきの怪物たち何?」
アナは簡単に襲われていた事への感謝を述べ、怪物に関しては白を切った。
簡単には説明できないし、初対面の相手に自分の生い立ちから説明するような複雑な状況を話すわけにもいかなかった。
「まあでもアナが助かってよかった」とラマンチャ。
追及されないことはありがたい。
「どうして私を?」との問いにも。
「まあ、女の子は助けるって昔からそういう事になってるだろ?」
と笑う。
「死んだ親父にもそう言われた」とラマンチャは屈託なく笑った。
「しかしアナ、足、速いね、オレ手加減しないで走ったの久しぶりだよ」
年の頃は同じくらいだろうか?
ラマンチャは労働階級の者が纏う質素なチェニックを着ていたが清潔な身なりだった。
腰には作業用のナイフと細いロープ。それにポーチを付けている。
どこかの徒弟なのかしら?と疑問が頭をよぎったが長距離走の疲労がどっと出て考えるのをやめた。
ーーセバスチャンは大丈夫だったかしら?
差し出された水をスッと飲み干すと小型の樽に板を敷いただけの簡易な椅子に腰を下ろし目を閉じた。
ーータエトの元情報将校であるセバスチャンの事は単独ならそうは心配ないのだけれど。
とりあえず無事を確認しなくてはいけませんわね。
瞬時にぐるっと思考を一回りさせると「私、昔からかけっこは負けたことありませんのに、貴方の方が速いなんて驚いていますわ?」
と小鳥のように首をかしげ、はにかむ様にほほ笑んだ。
徐々に役者がそろってきました。
昔から海洋冒険ものを書きたかったので楽しくてしょうがないです。
2022/09/02誤字修正