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第一部 嵐を呼ぶ少女(1)港町デイビーデレ

嵐を呼ぶお姫の本編です。

今回は舞台となるタエト王国の港町デイビーデレから始まります。



第一部 嵐を呼ぶ少女 

挿絵(By みてみん)


(1) 港町 ディビーデレ


 タエト王国は突き出した半島で、運河から繋がる細長い湾を隔てて東にイシュタル、北側の陸、半島の付け根から向こうがパロ王国、そして西の海岸線がほんの少しアドリアに面している。国境は三国の関所と呼ばれる。

 昔から運河の利用権についてイシュタルと小競り合いがあったが、エルオンド帝国の南下政策以降、反帝国同盟の仲間として矛を収めている。

 タエト滅亡以降、現在はその使用権について後見国を主張するパロ王国とイシュタルで二分されており、先の大戦以降火種となる地域でもある。 


 港町ディビーデレはイシュタルが実効支配する東側に位置している人口約5000人程度の街である。

 街の西側にはデイビーデレを象徴する大きな二つに割れた山がある。

 街の中心からは割れた山の隙間から遠くにタエト王都が見える。

 ディビーデレとはこの地方の言葉で「二つに割れた」事を意味する。

 由来は聖典にある「失望の戦い」で巨人族の神がその山を戦斧で割ったという神話から来ている。

 

 山から続く急な斜面がなだらかになった辺りから建物が生えているように並び、港へと続く。

 この辺りの山から採れる石は白く、朝日を浴びて輝く白い街並みが非常に美しい。

 街の位置は海流がなだらかな場所にあり、古くから港町として栄えている。


 七年前まではタエト海軍が駐留していた街だが、現在は海賊やらイシュタルの武装商船、はては東の国、「猛」の船まで出入りする怪しい街になっていた。

 元タエトの貴族が支配する地域でそれなりに自治は保たれているが治安維持を目的とするイシュタルの部隊も駐留しており領主の悩みの種になっている。 むろん頼んでいないが飯を食わせる必要がある。


 そんな港町の場末、港の盛り場の外れにある酒場「船乗りの胃袋亭」は場末にもかかわらず今日も盛況だった。

 旨い酒に旨い料理、それに『ウォーサイト』と呼ばれる賭け事が人気の店だった。

 トランプのようなこの界隈で人気のカードゲームのいくつかある遊びの一つでポーカーとサイコロ賭博がくっついたような遊びだ。役を作ってサイコロを振って「決戦」する。

 手札を見せながら掛け金を上乗せするのが醍醐味で、カードが出そろっても勝負が分からないところがキモだ。

 大勝負になるとその勝敗自体が賭け事になる。


 「そういやぁお前、タエトの財宝って知ってるか?」

 ()()()の船員がカードを眺めながら切り出した。

 何処の船だか知らないが、三人の船員が一番端の席で昼間からウォーサイトをしている。酒酔いの赤ら顔、やたら背が高いのっぽと、それに小太りの男。

 出航前の息抜きなのだろうが、多少身分不相応な料理と上等のエール、ラム酒など頼んでいる。

 ずいぶんと羽振りが良い。

 「タエトの財宝っていやあ船乗りの与太話だ、いまさら何を言い出すんだヨォ?」

 エールの飲み過ぎででっぷりと出た腹を撫ぜながら小太りの船員が答える。

 テーブルを指で二回叩く仕草でカードを二枚交換した。

 「アレだよなー、タエト滅亡の日に~、テンペスト公が財宝抱えて逃げたって~やつ?」

 こっちは一枚交換だと合図しながらのんびりとした口調で()()()の船員が答えた。

 エール腹は自分のカードが気になるようで話半分に聞いていたが、盃をグイっとやり、酒飲み話に付き合うことにした。


 「テンペスト公は嵐の海に沈んで、お宝はパァってのが定説だ。タエト周辺のどっかの島に財宝を隠したつうてもよ、海賊共も元海軍もイシュタルやらアドリアやら帝国やらが総出で探しとって見つからんちゅう事は、このあたりの島にはないって事だヨな」

 赤ら顔の船員は最後に自分のカードを三枚替えてにんまりと笑った。

 「それがよ、やっぱり在るんじゃねえかって話を小耳に挟んだんだ」

 「それーさ、マジな話? それともぉー与太話ぃー?」

 赤ら顔は景気づけにエールを呷った。

 「お前ら、最近、顎割れ共の顔見てねぇーだろ?」赤ら顔は身を乗り出すと囁くような小声で言った。

 「顎割れヴォーティーの旦那か? そういや見てねえヨなあ」

 「それでー、そのヴォティーの旦那とテンペスト公の財宝ってぇー、なにか関係あるんだ?」

 「まあ、話は最後まで聞けってぇ、ノッポ」

 

 赤ら顔の話はこうだ。

 先月、便所に行った時、顎割れヴォーティーの部下が話しているのを偶然聞いてしまったんだ。

連中は、タエトの船乗りなら知っていることだが元正規軍、精鋭のタエト海軍様だ。

 今は海賊のまねごとをやっているが、タエト再興を夢見ている連中さ。

滅亡して七年も経つが未だに本気な所はご苦労な事だが、ありゃマジだ。

 で、奴らが捜してるのはテンペスト公の公女、ドルシアーナ姫。

姫と財宝、何が関係してるかって? 姫はあの夜、公爵と一緒に財宝を積んだ船に乗ってたんだ。

もうわかるだろ? 船は沈んでいなかった!

そして財宝はどこかにある…。

そうに違いないと赤ら顔は汚い歯を見せて笑った。

 

「探してんのはわかったがヨぉ、知ったところで俺たちが儲かる話じゃねえヨなあ?」

 エール腹は追加のエールを頼むと、「お前のことだ、続きがあんだろ? その先を話せヨ」と赤ら顔に催促した。

 確かに一介の雇われ船員が手を出していい話ではない。

 「で、だ」

 赤ら顔は懐から兎革の袋を取り出すと中からペンダントらしき宝飾を出して見せた。

 中央には卵型の石が嵌められている。

 装飾部分には嵐の海とサーペントの紋章。

 「なんだヨそれ?」エール腹が覗き込む。

 赤ら顔は周りから見えないよう、そうっと隠すように見せるとすぐに懐にしまった。


 綺麗に(なめ)された兎革の小袋には同じ紋章の金の箔押しがありその袋だけでも貴族の物とわかる。

 「き…金だよね~、それって」

 金なんてものはトンと縁がないものだがノッポにでもわかる。

 美しく黄金色に輝く装飾。

 「テンペスト公の紋章が入ったペンダントだ。間違ぇねえ。ちなみに出所はアイツだ」と入口を挟んで反対側の席に居る男を指さした。

 「あいつからウォーサイトで巻き上げた」


 「ヤツはよそ者を狙うスリ師でギャンブル狂のトリアノ。どこでスってきたかわからんが物の価値が分からん奴でな。たった大銀貨十枚の負けでこいつを俺に譲ったのさ。」

 船乗りの平均的な賃金が日に小銀貨3枚というから大銀貨10枚は大金に違いない。しかし中に黄金を使った宝飾品が入ってるとなれば話は別だ。赤ら顔は装飾品その物でも『金貨』で十枚に相当すると踏んでいる。


 「なんでお前がテンペスト公の紋章を知ってんだヨ? 紋章官でも無いくせにヨ」

 「俺は昔、テンペスト公の船に荷を運んだことがあってなぁ」

 「なんでトリアノの奴はそんな金額で譲ったんだヨ? 金の装飾っていやあそんな金額で済まねえだろォがヨ」

 「袋が開かなかったんだと」

 「どういう事だヨ?」

 「オレにもわからねえがこの袋、俺が受け取るまで開かなかったんだと」 

 赤ら顔が手をひらひらさせた。

 「開かねえってヨ、こんな袋が開かねえわけあるかヨォ?」

 エール腹は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 「まあ何か()()()()()()たのかもな、奴にはツキがなかった、それだけの事さ」

 そう言いながら、赤ら顔は手札のうち三枚を場に出した。

 騎士が二枚、魔術師が一枚。騎士が二枚の役に魔術師が付いている。

 中々良い見せ札だ。

 ノッポの方は城壁二枚と騎士を場に晒してちょっと考え込んだ。

 「えーっ? 赤ら顔ぉ、ホントーにツイてるねー」とツマミの干し肉に手を伸ばす。

 城壁の()が揃うと防御の()となり、上乗せ(レイズ)に参加せず様子を見る事が出来る。

 「けっ、ノッポ、まーたお前は日和見か、その役好きだなヨな、どうせ手札にもう一枚城壁あるんだろがヨ?」

 「さぁぁーねぇー?」ノッポは自分のカードを眺めながらにんまりと笑う。

 「しかしヨ、貴族のブローチなんぞ換金したらヨォ後ろに手が回るんじゃねえか?」

 「正規のルートならな、俺には幸運の女神(クイーン)がツイてるんだ」

 赤ら顔は自分の持ち札を指で弾くとにんまりと笑った。

 そして胸にしまった革袋を握りしめる。

 「ああ? 赤ら顔ォ! 自分が()()()()ってぇブラフかまして栄光の騎士団(女王入り騎士団)チラつかせてるんじゃねヨ」

 そういってエール腹が歩兵のカードを三枚場に晒す。ついでに小銀貨2枚を上乗せた。

 とらぬ狸のなんとやらで自分にも儲け話が来る前提、つい財布の紐が緩くなった。

 「さあ俺は隠さねえヨ? 歩兵五枚で「大軍」だ、栄光の騎士団でもサイコロ次第、勝負してやるヨ」

 「お前こそ、リュート弾い(ブラフ)てるんじゃねーか? 場に歩兵二枚捨ててあるんだぜ?」と赤ら顔は笑った。

 「まあそう言うお前は女王のカード持ってるのか? 大軍にただの騎士団じゃぁ勝負になるまいヨ」

 「何を言う? 俺はノリにノッてる男だぜ?」赤ら顔は鼻歌交じりにもう一枚の手札を出す。

 「ホレ、女王様だ」とカードを晒した。


 と同時に「プリンセスだ…」とノッポが驚いたように呟いた。

 「何言ってやがる、俺のカードは女王(クイーン)だろ」と言いながらのっぽを見ると、ノッポはカードではなく入り口の方を見ていた。

 「ああん?」っと、釣られてエール腹も入り口を見る。


 入り口には金髪を横に編上げたロングヘアの少女が立っていた。

 上品なピンク色のロングスカートに編上げのブーツ。

 腰にはその装いに似つかない幅広のベルトがかかっていた。

 美しいく装飾された鞘に収まったサーベルと共に何やら装飾の施された明らかに()()()()()()()()()がぶら下がっている。それが短筒であると分る者は少なかった。

 その美しさに、まるでお忍びのプリンセスの様だとノッポは思った。

 

 いつの間にか喧騒は消え失せ、騒がしかった店内に静寂が訪れていた。

 上等の服を着た少女がこんな場末に来るとは珍しい。

 少女はその薄い唇から吐息を漏らすと、その美しさに周りが息をのんだ。

 普通なら野次やら冷やかしやらがあっても良いところだが有無を言わせない迫力が少女にあった。

 荒くれた海の男が集う酒場で全員が押し黙る。

 「ご歓談のところ失礼いたしますわ、(わたくし)、トリアノと言う人を探していますの。どなたかご存じないかしら?」

 すっと立ったその立ち姿は愛らしく、作法も礼儀も気品さえある。

 しかし武術の心得がある者が見ると印象はまるで違った。

 背筋が伸び、正中線にブレはなく、優しく微笑む笑顔には揺らがぬ自信と何かがあった。

 年の頃は十四、五才だろうか?

 まだ幼さが残るその顔立ちだが、その纏う空気に誰もが何も言えずにいた。


 『船乗りの胃袋亭』のバーテンダー兼マスターのストマッコは奥で飲んだくれている(トリアノ)を視線で教える。

 少女はツカツカとカウンターに向かうとスカートの両端を持ち上げて軽く会釈し踵を返した。

 そのまま酔いつぶれたトリアノの所まで行くと「ごめんあそばせ」というセリフと同時に耳を(つね)り上げた。

 「ごきげんようトリアノさん、今日はあなたの()()()()()()入ってしまった私の持ち物を引き取りに来ましたの」と笑顔で抓る。

 スリ師のトリアノは身長5フィル(約150㎝)もない少女に耳を引っ張られて奥の席から引きずり出されて転がった。

 言葉遣いは丁寧だが全く持って容赦がなかった。

 「痛い、痛い、痛い、いたたたたたたって痛いぞコラッ! 女、離せ!」

 「私の革袋(もちもの)、どこにありまして?」

 「くっそ離せこの野郎」

 とっさに腕を振り回すが、耳を中心に重心をコントロールされ両手は空しく宙を舞うばかり。

 「千切れる、千切れる、血が出てるってば!」

 半泣きのスリ師トリアノ。

 「殿方がこの位でだらしないですわ?」

 トリアノは決して小柄ではない、身長だって5.7フィル(約176㎝)近くある。

 しかし少女は聞き分けの無い弟を叱るように耳を引っ張り上げた。

 「私は返して下さるか、下さらないかを尋ねてましてよ?」

 「だから何をだよ!」

 酔いから覚めてきたスリ師は涙目になり、混乱した頭で考えた。

 ーー数日前、この女、兎の革袋、サーペントの紋章のついた革袋だ。

 デイビーデレの教会近く。

 ウォーサイトで負けた。

 おれの銀貨二十枚、この女の革袋? 

 酔った頭に記憶が駆け巡る。

 「土地勘のなさそうな()()()にスリを働くのは感心しませんが、返してさえいただければ、この耳はお放しいたしますわ」

 物腰はやわらかく、微笑みながら耳を抓り上げる。

 「痛い、痛いって、本当に千切れる! なんて力だこのゴリラ女!」

 「ゴリラを知っているなんて博学ですのね、私も図鑑でしか…」

 明らかに摘まむ指に力がこもる。

 「ホント、頼む、千切れちゃう! お願いします、ご慈悲を! お嬢様、ご慈悲を!」

 鼻水と涎を垂らして懇願する。飛び散る鼻水を流水の如き足さばきで避けるとさらに抓り上げた。

 「ひひひぃ、死ぬ、死んじゃう」

 「人間、耳を引っ張られたくらいでは死にませんわ」

 「頼む、答えようにも耳が痛くて話せないんだって、思い出すから! 思い出したいんです! 思い出したい!」

 「返して頂けますの? 頂けませんの?」ともうひと捻り。

 スリ師トリアノは小刻みに頷いた。

 少女はスパッと耳を離すと指先をハンカチーフで拭った。

 「返して頂けまして?」

 少女は小首をかしげてほほ笑んだ。

 トリアノは周りを見回して息を整える。

 耳を押えて目の前の少女を見た。

ーーよく見るとガキじゃねえか。

 「ええと確か腰の袋に入れてあったんだァーーー」と大げさに身をよじると腰からナイフを抜き放って、天井を見た。

 というより天井を向かされていた。

 トリアノは何をされたのか分からなかった。

 気が付いたら自分の意思とは別に天井を向かされている。

 素早い足払いで後ろから前に引き倒されたのだ。

 ふわりと舞うスカートの陰から華奢な指先が伸びたかと思うとナイフは弾き飛ばされ、後ろの壁に突き刺さった。

 今度も何が起こったのかわからない。

 後頭部をしたたか打ち、気が付けば右手の自由を少女の靴底が奪っていた。

 左手を動かそうとしたが少女の視線がそれを許さない。

 「私が返して頂きたい物は、その数打ちのナイフではありませんことよ?」

 

 あまりの大立ち回りに観客と化した男たちが歓声を上げた。

 スリ師トリアノは観念したように、奥にいる三人組、赤ら顔(譲った相手)を指差した。

 「…あいつが持っている、お、おれはもう持ってねえ!」

 「貴方は持っていないのね…そう、良かった」と少女はホッとした表情で微笑んだ。


 赤ら顔は心底肝が冷えた。

ーーなんだあの暴力の化身みたいな少女は。

 海の上では海賊に襲われることもあった。帝国籍の軍艦に追われることもあった。

 長い船乗り人生で死にかけたこともあるが、カットラスの刃なら運が良ければかわせるし、なんなら適当に戦うふりして逃げればいい。しかしこの少女から逃げられる気がしない。

 剣術なんて習ったことはない赤ら顔だったが、その動きが別物だという事がわかる。まず体の軸がぶれない。上半身が綺麗に回転するのだ。

 動きが不自然に綺麗すぎる。

 逃げたら土地勘のある俺の方が速い…だろうか? 

 この街は普段ベースになる街だ。

 細かい路地まで知っている。

 騒ぎに紛れて逃げようか?


 しかしテラス席に目をやっただけ、それだけで、その瞬間に捕まりそうだった。

 少女の視線が赤ら顔の動きを封じる。

 赤ら顔は肉食獣の間合いに入った小鹿のように震えた。

 少女は微笑みながらこちらを見ている。

 エール腹とノッポは他人を決め込んでテーブルを片付けはじめた。

ーーああ、俺の『栄光の騎士団』が!大勝負になるはずだったのに!

 俺にはツキがある。

 俺にはツキがあるはずだった。

 この革袋の中身はテンペスト公の財宝の手掛かりになる。

 顎割れの旦那の部下に話を通して高く売りつける手筈だった。

 見たこともないが『金貨』!

 『金貨』だぞ?

 一生遊んで暮らせる額を手にする筈だった。

 どこで間違えた?

 少女が一歩足を進める度に考えが廻った。


 「あなたが持っていらっしゃるの? 赤ら顔の船員さん?」

 優しいアルトの音程、物腰の柔らかい態度に何故か汗が出る。

 汗が噴き出る。

 渡すしかないが渡したくない。


ーーだってコレよう、たぶん人生最後のチャンスなんだ。

 嫁でも貰って故郷の小さな港町で酒場をやるんだ。


 赤ら顔は心の中で拒否し続けた。

 しかし抗えない。

 「その中身、あなたが持っていては()()()()()ですの。返して下さらないかしら?」

 心臓の音が聞こえそうなぐらいに脈打つ。

 おかしい、胸にしまった革袋から鼓動が聞こえるようだった。

 赤ら顔は拳を握りしめて恐怖を逃した。

 へらっと笑いながら精一杯に笑顔を保つ。

 「へえ、確かに持っていやす」

 胸元から兎革の袋を取り出す。

 手が汗でぐしょぐしょになる。

 喉が重く、何かが溢れそうになるのを堪えた。

 少女は革袋を見てホッとしたような表情を浮かべながら赤ら顔に渡すよう促した。

 赤ら顔は努めて笑顔で言った。

 「ですがこれは、あっしが奴から正当に買ったもの、正確に言えば借金のカタに譲り受けたものでして」 

 もちろん只とは言わないだろう。これは正当な取引であり、俺の権利だ。

 盗人のトリアノとは訳が違う。

 少女はふうと、ため息をつくともう一度言った。

 「それは貴方には()()()()()()()()なの、貴方は欲望が強すぎる。もう時間がないわ?」

 欲望と言われても何の事か、元は盗品かもしれないが、これは俺が正当に巻き上げた戦利品だ。

 盗んでもいない、拾ったわけでもない。

 息が上がる。

 呼吸が荒くなる。

 体が熱い。

 怒りと手放したくない欲求に浸食されていく。

 手に握る革袋からなにやら黒いモノが沸き上がる。

 「おい、赤ら顔、なんかお前様子がおかしいぞ? 諦めて渡しちめぇヨ」

 横にいるエール腹を睨みつける。


ーーなんてことを言うんだ、これは俺の物だ。

 ノッポもエール腹もおかしいぞ?

 何を怯えているんだ?

 血が燃えそうだ。

 なんだろう汗が出る。

 身体が熱い。


 「まだ間に合いますわ、それを今すぐ手放しなさい、早く!」

 そう少女が叫んだ時、酒場のテラスから初老の男が飛び込んできた。

 「お嬢様、もう時間がありませぬ!」


 初老の男は音もなく少女の傍らに立つと素早く腰のショートソードを抜いた。

 赤ら顔はいきなり抜刀した初老の男を警戒したが、その男が見据えたのは赤ら顔達ではなく、店の入り口だった。

 男は少女を庇う様に立つと逃走経路を確認する。

 テラスの外に気配。

 次の瞬間、入り口の扉が勢いよく開かれる。

 

 現れたのは黒い海賊三角帽に黒い髭、この街でも知られる海賊ヴォーティーらしき()()だった。

 違うのは身体のサイズと人相。

 衣装はそのまま顎割れのヴォーティーだが、顔が蛸のような滑り(ぬめり)のある海洋生物になっている。というより蛸そのものだった。

 長い髪の間から触手が生え、うねっている。

 キャプテンコートがはち切れんばかりの体躯。盛り上がった肩。

 明らかに人ではない。

 この世界の生き物ですら無い様に見える。

 その怪物は背筋を伸ばすと口上を述べた。


「紳士、淑女、それに伊達で酔狂な船乗りの諸君、ご機嫌麗しゅう」

 優雅にお辞儀する。蛸の触手も礼をする左手と一緒に(なび)く。

「私の名はヴォーティー。顎割れのヴォーティーと申します。この日、この場に居合わせた皆様には大変ご迷惑とは存じますが、一人の悪党を追っております。当方、乱暴狼藉は主義とはしませぬが、死にたくない御仁は裏口やテラスから。どうぞ速やかにご退場ください」

 そう言ってまた優雅に頭を下げた。

 その声に周りにいた客たちは硬直する。人間の声帯ではない。

 ひび割れたような耳に残る声。

 それを合図にサイズは小さいが、やはり人ならざる者に変貌した水兵たちが続く。

 顔が魚だ。カツオにマグロ、カラフルな熱帯魚もいる。

 魚介類の水兵。

「ふむ、堅気には手を出すな、目的は天使の卵の回収だ」

 雪崩れ込んだ魚介水兵達は曲刀(カットラス)を抜いて躍り出る。

 パニックになった客たちが慌てふためく中、最初に捕まったのはスリ師のトリアノだった。

 「お前か? 天使の卵を盗んだのは?」

 船長に捕まったトリアノは触手に物凄い力で締め上げられ、衣服を剝ぎ取られた。男の胸に蛸の触手が這う。

 トリアノは声もなく恐怖にただ頷く。

 ヴォーティーの触手が体を這いまわる。心音を聴くように左胸で触手は止まった。

 「ぎゃあああ! ひいい!」と小汚い高音で悲鳴を上げる。

 「どこにある?」とひび割れた声がトリアノに聴く。

 空洞で響く不快な音。逆らえない恐怖が心臓を掴む。


 その様子に少女が身構えた。サーベルの柄に手を添え重心が落ちた。

 「お嬢様…今は」

 と、初老の男が小声で少女を制した。

 まだこちらに気が付いていない。初老の男は()()が先だと言う。

 

 トリアノは震えながら必死に首を振ると、ヴォーティーは興味を失ったように周りを見渡した。蛸の触手も回りを見回すようにうねる。

 そして口髭らしき所から針のようなものを突き出すとトリアノの体に突き刺した。

 悲鳴と共にトリアノは暴れたが恐ろしい力で抑えられて微動だに出来ない。

 「ふむ、侵されてはいないな、もう一度聞くが…どこにある?」


ーー何かが吸われている。俺の何かが吸われているぅ!

 助けて! 助けて!

 恐怖で絶叫したいが声にならない。

 声が出ずに絶叫する。

 恐怖が体を支配し、動けない。

 精いっぱいの気力を振り絞り、トリアノはテラスの方を指差した。

 終わりを覚悟した次の瞬間、急に拘束が解けてトリアノは床に放り出された。

 全身を虚脱感が襲う。

 脚が冷たい。なんだこれ、なんなんだこれ! と床を引っ搔いて逃げ惑う。

 すると急にふわりと体が浮いてトリアノはテラスの方へ投げ出された。

 視界の端にピンクのスカートが舞っている。


ーーなんなの? なんだっての?


 訳も分からずトリアノはヴォーティー船長の方を見た。

 自分の前を少女がスカートを翻して立ちふさがっている。

 少女は腰に差したサーベルに手をかけ、低い姿勢で船長を睨んでいた。

 自分を投げたのはこの少女だったのか。

 「助かったのか?」

 頭が混乱しているが今はとにかく逃げないと。

 トリアノは椅子を抱きかかえてテラスに走った。

 パニックになった客たちがこぞってテラスに殺到する。

 反対側の客たちはカウンターの向こう側へ飛び越え、調理場を抜けて裏口を目指した。

 阿鼻叫喚の地獄絵図である。

 

 急に割り込み対峙した少女を凝視しながら船長は部下に命じた。

 「探せ、まだこの場所にある」と。

 船長の胸の辺りから黒い何かが漏れ出している。

 ノッポとエール腹は初老の男の後ろに居た為、辛うじて難を逃れたが、じりじりと迫る魚介水兵に椅子を振り回し、必死に牽制するのが精一杯だった。

 ヴォーティー船長が胸から漏れ出す黒い何かに問う。

 そこか…と呟いて赤ら顔の方を見た。


 「赤ら顔の、そいつを手放せ!」

 初老の男は後ろを見ずに怒鳴った。

 「それは宝なんかじゃあない、欲望の種子というものだ!」 

 

 すでに人ではなくなったヴォーティー船長は滑りのある口角を上げて笑った。「今日は良き日だ」と少女を見て天を仰ぐ。

 「海の神が欲している供物が二つも手に入るなど、小物の悪党を追ってやってきた甲斐があったというもの。まさに僥倖」

 そうしているうちに魚介水兵がじりじりと間合いを詰めていく。

 初老の男は三人を庇う様に剣で制した。


 「私は荒事が嫌いでして、できれば抵抗しないでいただきたい」

 言葉とは裏腹に腰のサーベル手を伸ばすと一歩、進み出る。

 ヴォーティーが一歩足を出すその刹那、少女は腰のサーベルを抜いてヴォーティーに切りかかった。

 地を滑るような歩法で間合いを詰め、触手を斬って捨てる。

 ほぼ同時に体重を乗せた横蹴りをヴォーティーに喰らわせた。

 少女の体重ではこのサイズの男をよろめかせることもできないだろうが、ヴォーティーは後ろに吹き飛んだ。


 「嘘だろ?」とノッポが呟く。


 嘘でも魔法でもなく重心だ。

 ヴォーティー船長が一歩踏み出す際、片足が浮いた刹那に蹴り込んだのだ。しかも速い。

 つま先が浮いて踏ん張ることも出来ずヴォーティーは倒れた。

 「セバスチャン! 退避!」

 少女が叫ぶと同時にセバスチャンは目の前の魚介水兵に一太刀浴びせ、その呼吸のうちに背中を使って魚介水兵を打倒した。

 打倒する方向には別の魚介水兵。 

 流れるような動作だった。

 ひと動作で二体の魚介水兵を戦闘空間から排除する。

 一瞬だが戦場に空間が生まれた。

 「逃げるぞ」と襟首をつかまれ、赤ら顔がテラスに引っ張られる。

 ノッポとエール腹も椅子を振り回しながらそれに続いた。

 少女は腰に下がった単筒を抜き放つと、起き上がるヴォーティーに()()した。

 派手な音と煙幕が上がり店内の視界は白く濁った。

 蛸頭のヴォーティーが立ち上がった頃には少女の姿はなく、後に残されたのは白煙だけだった。


 蛸頭のヴォーティーは起き上がると上着の汚れを掃い、着衣を正して帽子を被り直す。

 「騒がせた」

 それだけ言うと、怯える店員に金貨を放って踵を返した。

 去り際に魚介水兵達は律義にテーブルを直し、椅子を片付けて立ち去った。

 

この世界の歴史(1)

現在の国家群はその昔「邪悪なるラファロック王国」という圧政を敷く王家を打倒した「聖騎士王」たちが開いた国とされていますが勝った方の歴史なので本当の所はわかりません。

そのリーダーであるエルオンド1世がラファロック王家を倒して建国した国が現在のエルオンド帝国です。このお話に出てくるタエト王国、パロ王国、アドリア王国はかつて聖騎士王と呼ばれた王たちの建国した国で現在は周囲の国を吸収したエルオンド帝国の侵攻に警戒し南方同盟という同盟を形成しています。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 世界観の作り込みがすごい! 麗しくて強いプリンセスが素敵です!
[良い点] しっかりとしたファンタジー冒険小説ですね!! これはじっくりと読まねばなるまい。 今後もマイペースで読んでいくのでよろしくです。
[良い点] いつもお世話になっております。梶一誠でございます。 先ず冒頭で判りやすいファンタジー風の地図があってタエト王国をとりまく周辺国の勢力関係がしっかり描かれていますね。これだけでぐっと世界に興…
感想一覧
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