求む、壁職人
「ミューちゃん、この子はクロの弟でエルといいます。きっとお兄ちゃんに会いに来たのですわ。お城では飼えませんから、今回は諦めてはいただけませんか?」
「そんな、でも……」
泣きそうなミューちゃんの頭を撫でて、エルを受け取ろうとしたところ、なんとわたしの手にエルが噛み付いた。
「いたっ!」
本気じゃなかったし、血も出なかったけど噛み跡はつくぐらいの痛さ。
「エルちゃん、ダメ! ミィを噛んじゃ!」
驚いたミュルレイシア皇女が声を上げるが、腕の中の子犬は気にした様子がない。
てめえこのやろう。
一発殴ってやりたいがミュルレイシア皇女の前ではダメだ。
この子がショックを受けるかもしれない。
「大丈夫か?」
クレメンス殿下が近寄ってきてケガの具合を確認した。
「ええ、なんとか」
「治癒師を呼ぼう。ミュルレイシア、その犬は城に置いてはおけん。床に下ろしてお前は部屋に戻りなさい」
「でも、でも、きっとこの子はそんなつもりじゃ……」
のそり、とクロがわたしの隣に並ぶ。
眼光鋭く弟をにらんだ。
それにびくり、とミュルレイシア皇女が反応する。
「クロ、ミューちゃんを脅かしちゃダメよ」
クロはちらりとわたしを見て、目を閉じて大人しくその場に伏せた。
ずいぶん聞き分けがいいな、と思ったら開いていた部屋のドアからサヴァがゆっくりと入ってきた。
やべえ、怒ってらっしゃる。
そして久々の電子音。
『サヴァは抜け出して皇女のそばへ来ようとするエルを監視するため、公爵邸に残りました。今日は弟妹たちを扇動して騒ぎを起こし、その隙をついて皇女の元までたどり着いたようです』
そりゃ怒るわ。
皇女の腕の中のエルがガタガタと震え出した。
怖いならやるなよ、最初から。
サヴァがわたしのそばへやってきて、ケガした手をペロリと舐める。傷はたちまち跡形もなく消えた。
すごいなサヴァ。
殿下も目を大きく見開いてわたしの手とサヴァを見つめている。
そのサヴァがミュルレイシア皇女に近づいた。
「ミューちゃん、大丈夫ですよ。心配しないで、その子はサヴァっていって、エルのパパだから」
「パパなの?」
「きっと心配して探しに来たのだと思います。だからエルを返してあげて?」
思ってもいない事をわたしは口にした。
怒ってるから離れたほうがいい、なんて言えないし。
そっ……、と優しくエルを床に下ろしたミュルレイシア皇女のドレスの裾を、クロが軽く噛んでわたしの隣へと連れてくる。
この間、サヴァは無言だった。ぴくりとも動かなかった。マジこええ。
「ミィ、あのね……」
諦めきれない様子の皇女がわたしに何か言いかけたそのとき、サヴァが前足で『ばちこーーん!』とエルを殴り飛ばす。そしてエルのちっこい体はほんとに壁まで飛んでって、『どごん!』と音を立ててぶつかった。
「エル!」
走っていこうとした皇女をわたしは抱きしめて止める。
大丈夫、あれ普通の犬じゃないから。死なないからあの程度で。多分。
『公爵邸では母のマリリンがサヴァの比ではないほど怒り狂っています。公爵邸から出ることはしばらくないでしょう』
エル、生きろ……!!
サヴァは壁にめり込んだ息子を引き摺り出すと、「がう」とひと声鳴いて部屋を出て行った。
エルはその口に咥えられ、気を失っている。
あとには壊れた壁と震えて泣きそうな皇女。
ふと視線を感じて見上げると、殿下が冷たい目でわたしを見下ろしていた。
「……壁は、公爵家で責任を持って直させていただきます」
「そうしてくれ」
誰かいたかなあ、壁直せる使用人。
今回、クロの弟の名前を出すさい、クロの名前の意味を間違えて記載していた事に気がつきました。
クロの意味は「牙」です。大変失礼致しました。