挿話 SIDE:ボー
今日は2話投稿です。1話3000字超えています。
いつもとは全く毛色が違うのでご注意ください。
辺境のその後です。
完全な番外編なので、読まなくても特に問題はありません。
マックス様が体を治すのに帝都へ行くという噂が流れた。
それを聞いたときは、へえ、という気分だった。
マックス様は普段、お城の中の自分の部屋か図書室にいる事が多くて、体を鍛えるために訓練場へやってくる事があっても、俺たちみたいな見習いの近くへはやってこないから。
皇帝陛下の孫にあたるマックス様は、体を動かすのがあまり好きではなくて、兵士や見習いのやるような事は泥臭くて好きではないのだと聞いた。
そもそも辺境みたいな田舎は嫌いで、学園に通う年齢になったら帝都へ出て辺境には戻らないんじゃないかとフィリアは心配していた。
実際、マックス様は俺たちとは一緒に遊んだりしないし、森へ行くのも川へ行くのも、それどころか城下の街へ行くのすら嫌がって断った。
鼻もちならない、本当に嫌なヤツで、なんでこんなヤツが次の領主なんだろうと俺たちはみんなで話し合っていた。
年長の子供の中で1番体格がよくて強いのはデンだ。
俺たちはみんな、あだ名で呼び合っている。
それは仲間の証で、仲間でないヤツにはけして呼ばせない、大事な名前だ。
フィリアにもあだ名を考えてやろうと言ったら、断られた。
少し腹が立ったけど、「特別な名前は大人になって、特別な人にだけって決めてるの」とまっすぐに目を見て言われて、ならしょうがないな、と考え直した。
他のみんなもいる前で言っていたので、デンもセイもラグもチェイも、みんな自分の事だって勘違いしたみたいだ。
でも、俺の目を見たときフィリアは他のヤツより少しだけ長く目を合わせていたし、その視線の中に俺は言葉にしないメッセージを感じた。
きっと、『大人になるまで待ってて』というメッセージなんだと思う。
だからまあいいか、と思った。
噂が流れてすぐ、俺たちが兵士の訓練場で雑用をしていると、最近この城にやってきた子供がケンカをふっかけてきた。
「君たちは主家の後継ぎであるマックス様への敬意が足りない」
そう言って。
他の兵士たちのいる前でそんな事を言われて、俺たちは黙ってなんかいられなかった。
侮辱されて黙っていたら辺境の名折れだ。
決闘だ、とセイが叫んだが、相手は「まとめてかかって来い」と言った。
バカにしやがって、とデンが飛びかかったが軽くかわされて転がされた。
最近、見たような動きだった。
あれ、と思ったが、次々とみんな襲いかかっていく。
後から考えたら、ひと目で年下と分かる相手に5人がかりとか、勝ったとして何の自慢にもならない。
むしろ、他の兵士たちに出入り禁止にされてもおかしくない。
だけど誰も止めなかった。
誰も。
みんな、ただ遠巻きにして冷たい目で俺たちを見ていた。
俺たちは、もっとよく考えるべきだったんだと思う。
たった1人の年下の子供にいいようにあしらわれて、俺たちは全員、訓練場の床に転がった。
デンだけは、それでもその子をにらみつけていたせいか、徹底的に殴られ蹴られて最後には鼻血と鼻水にまみれて泣いて謝罪をさせられていた。
「言葉を教えるところからとか、ほんと勘弁だよ」
と悪魔のように笑う整った顔を、俺は忘れられない。
いまだに思い出すと寒気がするほどだ。
そうして俺たちは全員、その子供の支配下に置かれることになった。
具体的に何か契約をしたわけではない。
ただ、最大で5年、様子を見ると言われた。
5年後には解放してくれるそうだが、その間なにをされるのかもわからない。5年後の俺たち次第では覚悟をしておけと言い捨てて訓練場を出て行った。
周りの兵士たちは、いつも通りの訓練を始める。
俺たちはみんな大したケガもしていなかったし、あまりにいつも通りだったので何がなんだかさっぱり分からなかった。
ただ、子供相手に完敗して自信を無くしたせいなのか、それから何をやるのも気力が湧かなくなって、朝もまともに起きられないし、訓練場にも行きたくないし、遊びに誘われても部屋の中でじっとしている事が増えた。
外に出ないせいか体もすっかり弱り、風邪をひいたり、疲れやすくなったような気もする。
心配したマックス様から本が届いたが、お礼を言おうにももう帝都へ出た後だった。
それを聞いて最初に思ったのは、お礼を言うのに外へ出ずに済んで良かった、人と会わずに済んで助かった、だった。
そう思った自分があまりに惨めだったが、それでも部屋でベッドの上でじっとしていたかった。
マックス様からは度々本や手紙が届くようになり、俺は他にできることもないのでそれを読むようになった。
返事は書かなかったけど、マックス様からはなぜか定期的に荷が届く。
俺は、それが少しだけ楽しみで、そして申し訳なくて、いつか見捨てられるんじゃないかと思っていた。
こんなダメな自分は見捨てられて当然だから、だから返事を書かなかった。
毎日苦しくて、辛くて、どうにもならなくて、誰かに助けて欲しかった。
そんな自分を、自分が1番見捨てていた。
ある日、帝都の学園に護衛を兼ねて通っている兄達が休暇で帰ってきた。
大好きな兄だ。嬉しくて、でも情けなくて、部屋にこもっていた。
兄なら様子を見に来てくれるんじゃないかという思いもあった。
だが、声をかけられる事はなかった。
怖くて怖くて、でも体が重たいのを押して俺はキッチンへ降りていった。
そこで聞いたのは、冷たい兄の声だ。
「俺には関係ないよ、母さん」
「でもあなたの弟でしょう、顔を見るだけでもきっと喜ぶわ」
「お断りだね!」
そう言ってキッチンから出てきた兄とぶつかりそうになった俺は、怯えて何もいえずに兄を見つめた。
兄は以前よりもずっと逞しくなっていて、俺を忌々しげに見下ろす。
「いたのか」
「に、兄さん」
「やめろ、お前達のせいで俺たちが帝都でどんな目にあっているか……」
「どういう、事」
「体の弱いマックス様をバカにするような一族だと言われているんだ、俺たちは!」
俺はその怒声にびくりと体をすくめた。兄の怒鳴り声が全身に響き、体が痛み、心臓が苦しい。
言葉の内容を理解するよりも、自分の体を守る方が先だった。何を言われたのかはよく分からなかった。
「ハルティアは婚約の話が1つもこない。それどころかお茶会に誘ってくれる友人さえほとんどいないそうだ。男の俺たちはまだいい、実力で信頼を勝ち取れる。だが女は身内の悪い噂ひとつが命取りなんだぞ!」
ハルティアというのはデンの姉で、やはり帝都の学園に通っている。
キッチンから出てきた母さんが兄をとめた。
兄は少しだけ語気を落ち着けて言う。
「いいか、自分たちがしてきた事をよく考えろ。マックス様は次の領主というだけじゃない。この国の、帝国の皇帝の孫なんだ。騎士家の資格も剥奪されておかしくないんだぞ」
「俺、俺……」
「5年だ。5年、ちゃんと考えろ。もっとしっかり考えて、自分を大事にしろ……!」
兄は苦しそうに俺の肩をつかんで揺さぶった。
俺は、言われたことの重大さよりも、体に響く衝撃で、まだ頭がよく回っていなかった。
それから、俺はマックス様が送ってくれる本をしっかり読むようになった。
手紙の返事も書いた。
そうしたらマックス様は、返事はいいからゆっくり体を休めてくれ、と書いてきた。
体が辛い時は、何をする気力も湧かない、人と関わることすら無理だろうから、と。
どうして分かるんだろう、と考えて、マックス様もそうだったのかな、と考えた。
マックス様もこんなふうに苦しかったのかな、と。
そうしたら涙があふれて、嗚咽が止まらなくなった。
ようやく、俺は考えた。
マックス様の気持ちを。
マックス様がどんな人なのかを。ようやく。