人生諦めが肝心
「あなたリュートっていうの? わたしはフィリアよ。これからみんなで川へ魚釣りに行くの。一緒にこない?」
それがヒロインからのわたしへの最初の言葉だった。
今わたしは辺境伯の領地へとやってきている。
アイラが養父母と会って面接を受けている間、他にする事もないので辺境伯夫妻を訪ねてきたのだ。
もちろん、あわよくばヒロインに会って息の根を止めてやろうという下心があったためだが、まさか到着したその日に顔を合わせるとは思わなかった。
フィリアはエルリシアの姪にあたる。
辺境伯の最初の夫人との間にできた長女が、幼馴染の騎士に嫁いで生まれたのがフィリアだ。
エルリシア義姉様は今、世間的に生死不明、というかお亡くなりなったと噂されている。
辺境伯夫妻は義姉様が元気で幸せに暮らしている事を知っているが、夫妻とごく一部の信頼できる家臣しかその事を知らない。
フィリアとその家族は情報を与えられていないうちに入る。
そのため嫁いだ長女は、辺境伯の慰めになればと、エルリシアとそっくりなフィリアを連れ、母子で城へやってくる事が最近増えているらしい。
ちなみに2人がそっくりなのは、エルリシアとフィリアの曽祖母にあたる、絶世の美女と評判だった先代辺境伯夫人にそっくりだからである。
そして今日、辺境のお城でわたくしと彼女は出会ってしまったのです。
ああなんという運命!
「あなたお祖父様のお客さまなの? お城は退屈でしょう? 一緒に行きましょうよ」
言われて思ったのは、『なんかこの子ムカつくわー』だった。
子供なんだから確かに自由で無邪気でいいのかもしれない。
でもなんかこう、わたしの言うことを聞きなさい、的なイラッとくる感じがするんである。
けしてフィリアが初めから一考の余地なく嫌いだからではない。
「僕は辺境伯にお会いするためにここへやってきたので、結構です。どうぞお構いなく」
忙しいんだよね、子供と違ってね。
そんな気持ちを込めたのがしっかり伝わったのか、彼女は目を吊り上げて怒り出した。
「何よ! わたしがせっかく誘ってあげてるのに! あとで遊んでほしいって言っても知らないんだからね!」
そう言って廊下を走って行ってしまう。
落ち着きのない子だなあ。
「申し訳ありません。あの子は最近、城に出入りする事が増えて、城内の子供達の中では1番立場が強いため、少しわがままになってしまっておりまして」
「いいえ、小さい子供の事ですから」
わたしが言うと、案内の執事さんは恐縮してしまった。
まあよく考えたら同い年だしね、わたしとあの子。
にしても、なんだかものすごく小さい子の感じがするのはなぜなのだろう。
中身は転生前、20歳前後くらいの女性だったはずなのだけれど。
フィリアが走って行った廊下の先を見ながら、わたしは不思議に思ったのだった。
その晩、神がわたしの夢の中に現れた。
いろいろ疑問のあったわたしは、ヒロイン抹殺作戦は一旦保留していたので、正直助かった。
「いやあ、とうとう会っちゃったね、ヒロインと。どうだった? 会ってみてどんな感じ?」
「うーーん、あの子なんか、ずいぶん幼い感じがするんだよね。ほんとに転生してる?」
「してるよ。でも中身はまだ7才」
「んん?」
わたしが首をひねると神は説明した。
「この世界で彼女は恋愛とか乙女ゲームとかを楽しみたいんだよね。だから、ゲームの始まる時までは記憶が戻らないようにしてる。めんどくさいんだってさ」
「え、でもスタートは早いほうがいいよね」
「でも開始までずっと不便な生活するのって耐えられないでしょ? 帝都でもなく、公爵家の屋敷でもなく、辺境の騎士家だよ?」
「まあ確かに……」
いくら乙女ゲーム世界基準でいろいろ文化が発展しているとはいえ、21世紀の日本とは比べるべくもない。
「でもさ、そうすると今のあの子は自分が匣の中で何をしたか覚えてないって事?」
「全く」
「マジか……くっそ」
わたしは片手で顔を覆った。
「明日サクッと殺しちゃう?」
それはダメだ。
「いや、殺さない。というか殺したくない」
ただの子供だからとかそういう事じゃない。
今あの子を殺しても、あの子はなぜ自分がそうなったのかが分からない。
ミリアムを散々苦しめて壊しておいて、自分が何をしたのか理解もしないまま簡単に死なせてしまうなんて、絶対に許せない。
「今は、殺さない」
わたしは息を細く吐き出しながら宣言した。
「もうこの世界はゲームじゃない。でもあの子はきっとまだゲームだと思ってる。失敗して、やり直しができないことを知って、未来に絶望させてからじゃないと、殺せない」
神はそんなわたしの醜い、残酷な言葉に輝くような笑みで答える。
「さすがは僕が選んだ勇者」
あんたもほんと大概だよね。
わたしが言うのもなんだけどさ。
そしてわたしは目を覚ました。
辺境伯の城の、豪華なベッドの上で。
窓から射し込む朝日の輝きに目を細めて、わたしはため息をついた。
「人生ってほんと、上手くいかない」