鍛え直し
魔術師は無傷で捕らえられた。
お城の結界で幻術の馬車が消えたのをきっかけに、捜索を始めていた公爵家の護衛と騎士と一部の使用人達がそう時間をおかずに到着したのだ。
おかげで義姉とアイラの目を盗んでこっそり9割殺す作戦は決行されなかった。
無念。
こんなとき舌打ちひとつできないのよ、いやあね公爵令嬢って。
さてその魔術師だが、体に傷はなかったが心にはなんらかのトラウマを抱えたらしい。
なんかよく分からんが「地獄の番犬が」とふるえていて、兄が試しにサヴァをけしかけようとするとペラペラ喋ってくれたらしい。
正直者が長生きするってこういう事ね。
それによると、どこからの依頼かは魔術師自身も知らなかったが、彼は帝国の北部で暗躍する組織の一員なのだそうだ。
帝都の暗殺組織が壊滅したため、北部から手を伸ばしてきたという。
いやね、帝国っていうくらいだからね、複数の国がひとつになって人種も多種多様なわけさ。国土もそりゃめっちゃ広い。
でも一体いくつの暗殺組織があるんだって話だよ。
今回は神のファインプレイでどうにかなった。
だけどいつまで続くんだこれ。
我が家の魔術師は屋敷内に結界を張り、即死や魅了などの無効化を付与したアクセサリーをわたし達家族に渡してくれたが、さすがに屋敷の外で使用人を狙われてはどうにもならない。
御者の娘が買い物のお供で外出した隙を狙って誘拐、探しにきた親を捕まえたらしい。
別に御者でなくても誰でもよかったそうだが、ゲームと同じ状況になりそうだった辺りに運命の強制力を感じる。
それはおそらく絶対ではないが、少しずつ形を変えてわたし達を襲ってくる。
何ひとつ油断してはならないのだ。
そして今回、可愛い孫の命が狙われたという事で皇帝陛下もご立腹。
各地の貴族と領主達に暗殺組織の徹底排除を命じた。
それはそれで、暗殺者がサウザン王国に流れていきそうなので問題だが、やらないよりはやるほうがいいのは間違いない。
北部の暗殺組織?
うちの父と兄が美味しく料理しましたよ? 何か?
我が家の使用人もまた増えた。
せっかくなのでおうちを増築するそうです。
帝都の屋敷のお隣は先日失脚したお貴族様のもの。
皇帝陛下からしっかりゲットしておりました。
半分は使用人たちの住まいにして、もう半分は公園にするんだってさ。
完成したら皇孫殿下の名前をつけてプレゼントするらしい。
うん、なんかそういうの大事だね、って思った。
御者はというと、申し訳ないと仕事を辞めて出て行った。
納得いかない、と思っていたら、2番目の兄のオーリオが帝都にある自前の家で雇っていた。
もともとグランド・ツアーの後はアスターク邸を出て家を持つ予定だったので、腕のいい御者が手に入ってちょうど良かったと言っていた。
こんな事で不幸になる人間などいて欲しくない。
わたしは兄に感謝した。
ん? 暗殺組織の関係者は不幸じゃないのかって?
そこは気にしちゃダメなとこよ。
1番大事なのは、毎日を平凡に、忍耐強く、小さな幸せを探して生きている人たちが幸福に恵まれる事。
人を不幸にする人間はその中にいれちゃいかんのですよ。
だからこれは大事の前の小事。ひとつそういう事で。
そういう感じでこの事件は片付いていった。
わたしはそれにほとんど関わっていない。
まだ子供だからね。
やらせてもらえんわけさ。
子供は子供らしく、幸せでいてほしい。それがうちの教育方針だ。
そしてその子供のわたしは、大事な場面で油断してみんなで不幸になりかけた。
神が保険をかけてなかったら。
サヴァがいなかったら。
反省点は数多い。
せめてわたしがあの魔術師よりも強かったらなんとかなっていただろうに。
まだヒロインを片付けるという目的は果たせていない。
だがわたしはあの世界に戻ることにした。
神とわたしと、NPCしかいない世界。
閉ざされた匣の中。
多分、神は分かっていた。
わたしが1人ではあの匣の中で正気を失うこと。
たくさんの気を紛らわせるものが無ければ狂ってしまうだろうこと。
少しでも長くここにいたいと思っていること。
でも、わたしが強くなければ誰も助けられないし、救えない。
わたしはいつもそばにいてくれるサヴァの背中を撫でた。
「サヴァ、ちょっと出かけてくるね」
サヴァがこてん、と首を傾げる。
きっと『一緒に行くよ?』と言ってくれているに違いない。
「ちょっとだけ。ちょっとだけだから、すぐに戻るからね」
わたしはサヴァの首にしがみついた。
今夜からまた14年間、わたしは自分を鍛える。
どんな強い相手が来ても勝てるように。
勝利しなければ、不幸と死が待っている。
勝利、それだけが幸福へと繋がる道なのだ。
そう、これはゲームではないのだから。