グラスリア、滅亡
土煙の中に争う人々の姿がある。
剣のぶつかり合う音、盾に弾かれる音、断末魔の悲鳴。
埃っぽい風に血臭が混じって、辺りが鉄臭さに染まっていく。
それを丘の上から赤兎馬に乗って見下ろしながら、わたしはまだ出てこない敵の大将を思った。
「将軍はまだか」
ウィクトル皇太子殿下が隣に並んで感情の乗っていない声で訊いてきた。
「まだのようです。本当に諦めの悪い」
大将首を取るか、または相手の軍を退かせねば勝利とは言えない。
グラスリア軍は我らが帝国軍とサウザン選帝侯国軍に対峙して、数でも質でも負けているというのに一歩も退かなかった。
それを褒めるかどうかは人にもよるだろうが、徴兵した一般兵ばかりがすり減っていく状況では、けしてよく戦っているとは言えない。
「まあこちらとしてはグラスリアの人間がどれだけ死のうと痛くも痒くないが」
「しかしそれでは恨みが我が国に向かうだけです。どれだけ虐げられ、奴隷のように扱われたとしてもグラスリアの民からすれば、我々はしょせん猿が知恵をつけた程度の歴史の他国。だまって自国に従うべき賎民の国ですからね」
「その考えでいけば、グラスリアの民にどれだけ良くしようと報われる事はなさそうだな」
殿下が楽しそうに笑って肩をすくめる。
「ないでしょうね。ですが少なくとも、グラスリア以外の国の尊敬は手に入りますよ。今回の戦では殺しすぎず、生かしすぎずが目標です。他国から見て、グラスリアの民の恨みが不当なものであると映るようにしなければなりません」
サウザン王国は滅亡後、サウザン選帝侯国へと姿を変えた。
王国を討った有力者達+アルファを選帝侯とし、選ばれた選帝が国を治める。
本来なら国名もサウザンから変えるべきなのだろうが、それはサウザン側が強固に拒んだ。
サウザンという国名が残る限り、彼らはサウザン王国の裔であり、その歴史を引き継ぐ。
それに強くこだわったのだ。
王家の人間なんて生き残りは庶子ぐらいのもので残りは全部殺しちゃって、その庶子でさえ選帝侯どころか重職にはつけず国から出しちゃったんだけど、それでも国を愛する気持ちには変わりないとか云々かんぬん。
王家は滅びれど貴族はそのままなので心はサウザンなんである。
国を思う気持ちに民を思う気持ちが重ならなければ、いずれ民によって始末されるだろうという事でそのままになっているわけだが……。
追い出されたその庶子さんは辺境で商売を始め、孤児院も経営している。
サウザンで生きる術を無くした大人達や、親を亡くした子供達を助けているわけだ。
彼らが力をつけてサウザンへと戻っていくとき、それがもしかしたらサウザンという名前の最後になるかもしれない。
そうしてなんとか名前を残そうとするのは、歴史ある大国であるという自負があるからだろうが、グラスリアはこの戦で大陸から完全に姿を消す事が決まっている。
国王と同母でない王族は今は亡き聖獣の生贄となり、ほぼ残っていない。
国王周りの関係者は残念ながら罪のある無しに関わらず一掃予定。
貴族と官僚の皆様もご一緒に。
グラスリアが滅びた後は、その土地も民も帝国が支配する事になる。
一部はサウザン選帝侯国となるが、そこを領土として封じられるのは帝国の人間だ。
帝国はけしてサウザンを許したわけではない。
サウザンとの戦争から3年。
わたし達は打倒グラスリアを合言葉にサウザンと手を結んだが、いつ寝首を掻かれてもおかしくないとその行動を注視している。
毒を持つ生き物を飼うには注意が必要なのだ。
わたしは赤兎馬の背中でため息をついた。
「忠誠心、なんですかねえ、あれ」
「どうだろうな。忠誠心も愛国心も身勝手なものだ。何が本当に民のためになるか、民と国とどちらを守るべきかなど、結局は誰にも分からん」
国を思えば1日でも1秒でも長くこの場に敵軍をとどめておきたい。
だがそのために国は弱まっていくばかり。
民を思えば、さっさと国を滅ぼして痛みを軽くするべきだ。
その結果として民の未来は暗いものとなるだろう。
こうなる前に手を打つべきだったが、上手くいっているうちは手を打とうなどと思いもしない。
これはきっと必然なのだろう。
世界の未来を歪めようとした、闇に溺れ続けた国の。
そこに住む民は、いつも引き摺り回されて傷だらけになるだけなのだ。
「リュート、手柄を立ててくるか」
つまらなそうに戦場を見るわたしに気を遣ったのか、殿下がそんな事を言ってくる。
「いえ、結構ですよ。それに、ほら、私がいかなくても」
わたしは動き出した我が軍の右翼を指した。
そこには長男兄の率いる我が公爵軍がいる。
アスターク公爵を引き継いだ兄には今、子供が2人いる。男の子と女の子だ。そして義姉は妊娠中。
こんな戦争とっとと終わらせて帰りたいのがヤツの本音。
相手がグラスリアじゃなかったら騎士団に任せて領地にいた可能性大だ。
その領地は父が守っている。
次男は現在も各国を転々として交流を続けている。
もちろん無事結婚したアイラを連れて。
三男はと言えば、現在海軍と一緒に海側からグラスリアを攻撃中。
アスターク家は誰1人欠ける事なく今日のこの日を迎えている。
これは主にユニコーン達のおかげだ。
最初はいらんと思っていたユニコーン達だが、公爵家の守護という意味でもとてもいい仕事をしてくれた。
屋敷への攻撃も、次男のときも三男のときも、ユニコーン達が率先して守ってくれた。
本当にありがたい。
いらない子とか思っててごめんね。
そして左翼の辺境軍も同時に動き出した。
辺境軍の最高指揮官はマックスくんだ。
彼は昔の線の細さが嘘のように、我が家で過ごすうちにムキムキになって、スタンピードが起きたさいに元気に辺境へと帰って行った。
この戦争では我が家にもグラスリアにもこれまでのお返しができるとウッキウキだ。
幸せそうで何より。
いつも思うんだが、わたしやっぱり何もしてないよね?
使えない子の烙印を押される前にどうにかせねば。
ちょっぴり焦ったわたしは殿下のほうを見てお願いした。
「やっぱりちょっと行ってきていいですか? 少しは役に立たないと」
すると殿下はニヤリと笑って従者に馬を連れてくるよう合図をした。
「ならば俺も行こう。手柄を立てねば皇太子の座から降ろされてしまうかもしれないからな」
「はあっ!?」
止める間も無く馬に乗って走らせる殿下。
バカなの!? ねえバカなの!?
トップは黙って後ろにいるのがお仕事でしょ!?
「サヴァ! クロ! あの人守って!」
わたしが青くなって叫ぶと、飛び出してきたサヴァとクロが殿下の馬に並んで走る。
「待って、殿下!」
前方からヤツの笑い声が聞こえる。
ああくそっ!!
必死でその後を追いかけながらわたしは心の中で殿下を散々に罵った。
黙って守られてろちくしょうがあっっ!!!
この日から10日後、グラスリアの王都が陥ちた。
開戦から1ヶ月余りの事だった。




