コレが北方の常識かよ
翌日起きると緊迫した空気があたりに充満していた。
これまで非常に牧歌的だったそれが全くない。
「一体何が起きているんでしょう?」
一緒に居るミツヨシ様にそう問うてみたが、当然というか、僕と同じだった。
「分からん。ゴブリンが襲ってきたのかもしれんな」
なるほど、それならあり得る。
そして、エイナルさんが起きて来た。
「二人とも、どうした?」
彼は全く変わらずいつもの調子だ。
そこで、空気が違うと話と笑われた。
「ハハハ、ここはそう言う所ですぞ。我々の姿に警戒した小鬼たちであっても、我らが宿に居るなら話は違ってくる」
どこか暢気にそんな事を言う。
いや、何と言うか、全く事態が把握できないんだけど。
「早いわね。今日の出発は遅れるわよ」
と、イナリも顔を見せるなりそんな事を言うほどだ。
「これが普通の事?」
そう聞くと、「何言ってんの?」という顔をする。
ヤーナが来なかったが、どうやら集落の指揮を執っているとの事らしい。
まあ、何と言うか、全くここは森とは別世界だ。
「なるほどのう」
ミツヨシ様はどこか納得した様子だった。
森の民にとっての弓と言うのは狩猟や討伐の実戦技ではあるが、それはより以上に精神修行の性格が強い。
言ってしまえば、僕らが狩猟を行うのは修行の一環であって、全く狩猟を止めてしまったとしても何も困りはしない。
畑もあるし家畜も居る。
そして、矢竹や材木は大きな収入源でもある。その収入で外から食料を買う事も問題ない。
討伐についても森には魔物は多く生息しておらず、森の人口から言って、冒険者や狩人の様な職に就く者など本来ならばごく少数でかまわない。
その様な環境のため、実戦が得てして実戦になっていない。
もちろん、森の獣が大人しい訳ではなく、鈍重な訳ではなので、技の修練も必要だし身の危険はある。
が、ここであったり忘れの海ほどの事はない。
ミツヨシ様は僕がそんな事を考えている間に身支度を整え、宿を出て行こうとする。
「ミツヨシ様、どちらへ?」
そうとうと、口元だけ笑った顔で
「決まっておろう?」
獰猛な目をしてそう言った。
なるほど、前の長でありながら、長らしくないと言われ続けたのはこういう戦闘的な姿だったのかと、改めて思った。
そして、シースルーを倒した僕も、その気持ちがよく分かった。
「そうですね」
僕もすぐさま装備を整えてミツヨシ様を追いかける。
「カーマネンの事に関わらなくても良いのに」
というイナリの呆れた眼に見送られらながら、ヤーナの姿を探した。
宿を出て、集落の外へ向かう道を進んでいくと、村人と出くわした。
その村人は革鎧と先に槍先が付いた独特な弓を持っていた。
「何やってんだ?『森』の奴らが」
と、胡散臭そうに見てくる。
「ヤーナはどこかな」
その村人の皮肉をスルーしてミツヨシ様がそう尋ねた。
村人は少し驚いた顔をしたが、それ以上気にするでもなく答えた。
「櫓に居る」
そう言って指した先には確かい櫓があった。
僕らが村人に礼を言うとそこへ向かう。
「ヤーナ。手伝おう」
櫓に着くと、ヤーナの姿を見たミツヨシ様がそう言った。
ヤーナもどこかそれを予想していたらしく、仕方ないと言った風な顔をしている。
「ミツヨシ殿、それにヨイチもか。本来ならば帰れと言う所だが、『森の民』がどれ程のものか、ここの連中に知らしめるのも良いだろう。頼む」
そう言って周りの村人にも指示を出す。
櫓まで来ると外がどうなっているのか分かった。
この辺りの村では柵の中に畑がある。
それが何故なのかあまり考えて来なかったが、なるほどと思った。
「連中にとっても、草原や森で獲物を探すより、目の前のメシに手を出した方が手っ取り早く、それでいて長く食い物を得続けられるからな。我らもその対策をしている訳だ」
僕の視線でその思考に気が付いたヤーナがそう言う。
メシ?
ここの主食はメシって言うのか。
ちょっと記憶が突っ込みたそうにしているが、それはまあ良い。
現在、この集落は多くの小鬼の群に狙われていることが分かった。
集落の人数より多いだろうか?
そして気が付く。
「一頭、大きいのが居ないですか?」
随分後方、普通の弓では届かないであろう場所に居るソイツ。
そう言うと、ヤーナもその姿を探している。
「ほう、良く見つけたな。アレは偽王ほどではないが、統率力のある鬼だな」
と言って獰猛に笑った。
「という事は、どこかに鬼の巣もあるか。が、それは良い。ヨイチ、お前のあの弓でアレを仕留められるか?」
ヤーナがそう聞いて来た。
もちろん、コンパウンドボウならば余裕で射程内だ。ミツヨシ様やエイナルさんの弓でも届く距離ではあるが、魔力矢でなければ致命傷にはならない。
だが、それ以前に気になる事がある。
「あのサイズの鬼の巣がある?それも討伐しに行くのかな?」
そう、それが気になるところだ。
それに対し、ヤーナは首を横に振った。
「その必要はない。この群自体が、我々の腕試しだ。力量を図るために送り込んだとみて良い。鬼は存外に頭が良いからな」
という。
「そうすると、あの鬼を倒せば他の小鬼は逃げ出すって事?」
そういうと、僕を見て笑う。
「それはそれで困るが、それに近い事になるだろうな」
周辺の村人は、まさか僕が射程外の鬼を狙撃可能だとは考えていないらしい。
大ぼら吹きがといった感じでこちらを見るだけだ。
まあ、そんな彼らへのパフォーマンスでもあるだろうな。これ。
そう思って、僕はコンパウンドボウを手にして矢を一本取り出した。
それは魔力矢に使う金属矢ではなく、矢竹に鋭い甲殻矢じりを備えた谷製の対魔物仕様の矢だ。
谷に限らず、森の矢竹を軸としてそこに羽根と金属や魔石の矢じりを備えるのは南方では一般的だ。
谷にでもそうした需要のために甲殻矢じりを生産している。
プレート・マンティスの鎌などは最良の材料なので、それを買い込んだ。
「これで十分可能だと思いますよ」
もちろん、普通の矢ではなく、僕の弓専用にセルゲイさんとヨシフさんによって調整された矢。
「おいおい、『森の民』だからって」
そう笑う村人を余所に、僕はその矢を番えて構える。