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死ぬ恐怖

作者: taiga

5歳くらいの頃だった。リビングルームにあるソファーで、ある日母親に泣きついていた自分を鮮明に覚えている。僕はいつか自分が死ぬことが怖くて母の腕の中で泣いていた。それ以降、6歳から始めたバスケットボールが死について考えることを止めさせてくれた。12年間必死にバスケに向き合い、大学生活も終わる今、17年越しに死について考えている。


1年前、日本中がコロナウィルスで厳格な自粛生活をしている中で僕は初めて身内が死んだ。祖母の死だった。祖母の訃報を受けた僕は母からのLINEに目を疑った。それと同時に今後解消することができない心残りもできた。小さい頃祖母が持ってきた料理が不味そうで、それでも食べろっていうもんだから兄弟揃って「いらない!」と怒っていた。食卓では祖母一人が自分の料理を食べていた。心残り、それは「ばあちゃん、小さい頃に作ってくれた料理食べなくてごめんね。」なぜ言えなかったのだろうかと。祖母は何を考えていたのだろうか。僕は祖母のことをあまり知らない。僕のひいおばあちゃんである、祖母の母の名前も、祖母が若い時に何を考え、何を経験してきたのか。今の僕は何も知らない。知ることもできない。


人は死ぬんだ。だから自分もいずれ死ぬ。

なぜ死ぬのに生まれてきたのだろうかと考えてしまう。

生きることに意味はない、自分で意味付けし豊かで楽しい人生を創作するだけだと自分に言い聞かせている。なのに意味を求めてしまう。自分が死んだら自分はどうなるのか。僕は何が一番怖いか、自分が焼かれてこの世から一切消滅してしまうこと。


最近実家に帰省すると、祖父がいる。もう80歳を過ぎて身長は縮み、足取りは重々しい。現実的に僕の身内で次に亡くなってしまうのは祖父か、母方の祖母だろう。その次は両親。両親との時間も長くて40年程度だろう。僕は40年以内に身内を失ってしまうだろう。辛い。悲しい。苦しみが約束された人生に何の意味があるのだろう。


家族と一緒に過ごす時間1秒1秒が愛おしい。

今年の年末は早めに帰って家族とまったり過ごしたい。祖母の墓参りも行かなくちゃ。祖父に戦争時代のことも聞いとかなきゃ。父ちゃんは若い時なにやってたんだろう。母ちゃんはどんな恋愛してきたんだろう。

死は僕に、大切な人と過ごす時間を貴重にすることを教えてくれた。家族も友達も、同僚も、今後1回しか会わないであろう誰かとも、大切に時間を過ごしたい。

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