ファイル001 花を植える
一九七〇年代、六月。アメリカ合衆国はニューヨーク州。
サンタがソリに乗ってやって来た。
クリスマスから半年も経った、見当違いなシーズンに。
その名は、破綻の配達人・サイコクロース。
花を植える。
ひたすら、花を植える。
赤と白のサンタクロース色をした男が、花を植える。
解体現場と見紛う有様のサウスブロンクスのスラム街に、ひたすら花を植える。
花を植える男の顔はサンタ帽をモチーフとしたメットに覆われており、動きのない口許しか窺い知れない。ただ、肌の色は白人のそれであった。
だからか、
「よう、クリスマスにはまだ早いぜ」
地元民と思われる若い黒人の青年三人が、ゆらりと近付いて来た。
「あるいは、クリスマスに遅れてきたのかい? ソリからおっこちて?」
ゲラゲラ笑いかながら自分を取り囲む若者に、サンタはまるで意に介さない。静かに、狂ったように花を植える。
若者の一人が表情を消し、拳銃を取り出してサンタに向けた。
コルトmkⅣシリーズ70型。艶のない漆黒の銃身が、陽の光すら飲み込んでいるようだ。
若者の持ち物としては、掛け値なしの切り札なのだろう。他の二人が、軽々な口笛を吹いて囃し立てた。
「なあサンタさん。ボクらいい子だからさ、プレゼントくれよ」
「やっぱ、一番いいのは現ナマだよな」
ここに至って、サンタはようやく手を止めた。
「もう半年待ち給え」
「何、待てば額上がるの? 投資ってやつ?」
「クレオメ、デザートサンフラワー、ワスレナグサ、イングリッシュラベンダー……他にも希望があれば聞こう」
耳を刺す銃声。火花が爆ぜた。マズルフラッシュが照らした。
「ひゅー、マジでやっちまった」
取り巻きの一人が、ややヒステリックに囃した。初めての光景では無いのだろう。
しかし。
サイコクロースは、何事も無かったかのように立ち上がった。
「え?」
発砲した男は、理解が追い付いていない様子で、サイコクロースの大腿を見た。
無傷。
そんなバカな、この距離から外すわけがない。
「脚を撃てば致命傷を与えずに済む、とは浅知恵だ。大腿動脈が破損すれば、失血死も有り得る。殺人犯になりたく無ければ、覚えて置く事だ」
よくよく見れば、ズボンに焼き付いたような痕があった。
つまり、銃弾そのものは命中したと言う事だ。
つまり、この男には銃が効かない。
「ア、アァ、アahhHhhH!?」
銃が効かないモンスターなど、この世にあってはならない。
その恐慌に陥った青年は、サイコクロースを何度も何度も何度も何度も何度も撃った。
半年が経った。
「センセイの言ったとおりだぜ。こりゃ、すげープレゼントだよ!」
半年前のこの場所でサイコクロースを滅多撃ちにした青年が、諸手を広げて言った。
サイコクロースに対して、だ。
彼らの眼前には、花畑が広がっていた。
元々あった廃墟紛いの地形に沿って繁茂する、色とりどりの花畑が。
クレオメの緋、ワスレナグサの蒼、デザートサンフラワーの黄金色、イングリッシュラベンダーの紫紺、濃淡様々な碧色の茎。
それらの色が無秩序に、互いに競うように咲き乱れた光景。
「花が、こんなにいいモンだったなんて……」
青年達は、いずれも感極まるあまり、目頭を押さえてしまった。
どうやら、銃の効かないモンスターは実在する。
半年前、それを思い知らされた青年達は、今度は自分が殺される番だとおののいた。
必死に弁明し、命乞いをした彼らに対し、サイコクロースは一つだけ条件を示した。
花を植える事を手伝って欲しい、と。
サウスブロンクスのスラム街が丸ごと花に埋没した姿を見た彼らは、これまでに無い心変わりを覚えた。
こんな綺麗な世界が作れるのだ、と。
青年達ではなく他の住人達も、皆、顔付きが変わった。
花を植えるだけで、誰も傷付けずに平和を作れる。何と、尊い事か。
「センセイ、オレ、このままソーホーまで花まみれにしたいよ」
サイコクロースの口許が、情感薄く動いた。
「……それは、善い考えだ」
更に、半年。青年達がサイコクロースと出会ってから、はや一年が経とうとしていた。
だが。
燃えていた。
彼らの築いた、花畑が。
オレンジの花弁じみた炎が、咲き誇っていた本当の花弁を呑み込んでは散り消える。緋と黄金と紫紺と碧と、オレンジ色の炎と。
全ての色彩が入り乱れ、真っ黒に朽ちてゆく。
「どうして、どうしてこうなるんだよ、センセイ!」
青年の一人が、半狂乱となってすがり付く。
茶色いフード付きガウンに全身を包んだ、サイコクロースだった男に。
いや、彼は今も正義の配達人であるサイコクロースだ。
ただし、皆が知る所のサンタとは違う姿の。
クネヒト・ループレヒト。
ドイツに伝わる、黒いサンタクロース。
「結局、差別かよ! オレ達みたいなのが植えた花は気に食わねえって、白人の奴らが!」
青年が、わめきたてるが。
「自分で得た結論に責任を持ち、大切にする事だ」
茶色のサイコクロースは、それだけを言い残して去って行く。
青年達は、神にもすがる思いで追いかけ――ようとして、あきらめた。
捕まえた所で、サイコクロースは自分達の思い通りにならない事をわかっている。
「オレ、うちから銃を持ってくるぜ!」
「そ、そうだ、オレらで戦うんだ!」
出火の原因は、依然として知れない。