第94話、背に乗って向かうほど遠くはないけれど、きっとそれは得難き一瞬
SIDE:マーズ
「ギルルルルルゥッ!」
『クリッター』改め、ギルルと名付けられし今代の守り神は吠える。
守るべき兄妹をその背中に乗せて。
いつものように、その存在を誇示する……大仰に過ぎる登場曲たちを引き連れ、そのまま力強く大地を蹴って駆け出していく。
「高いっ、早いですっ! すごいですね兄さまっ!」
「あぁっ、確かに色々と規格外だよなぁっ、まさかまだでかくなるなんてよっ」
ガイアベアーほどの大きさだったギルルの身体は、背中に乗っている兄妹……特にマーズに合わせて、二人で乗っても落ちずにはしゃげるくらいには大きくなっていた。
その大きさときたら、【氷】の神型の魔精霊でもあるフェンリル(マーズは本物を一度だけ見た事がある)くらいはあるだろうか。
あくまで主人はマニカであって。
守るべき対象も彼女だけであるからして、マニカを乗せたギルルに追従する形で走っていく気でいたマーズは。
そんなマーズに合わせるように大きくなって。
『乗りなさい』とばかりに伏せの体勢を取ってくれる、大きくもこもこに過ぎる毛玉に。
不覚にもぐっと来たというか、子供に還る勢いでマニカを前に乗せ、ギルルの気の向くままに任せることにしたわけだが。
そんなギルルがわざわざやって来た、もう一つの理由。
マーズは、何となくではあるが予想がついていた。
こうして、出会って背中に乗せてもらうくらいになる前までは、『クリッター』と言えば時の狭間を(【虹泉】の中の塗れない七色の世界)棲み家にしていて。
そこへいたずらに入り込んだものを、あるいはごく稀に【虹泉】を正規の形で使っていたものを、襲い喰らうおっかないだけの存在だと思っていた。
寝物語で聞かされていたのもあるが。
そもそもが、複数の魂を持つ『レスト族』がその身に危機が陥った時の防衛本能で『剥離』、『分割』などと呼ばれる現象を起こすとわかっていて。
あえて『クリッター』に喰らわれにいったという、父に対しての引くことしかできない母のノロケ話を聞かされていたせいもあるだろう。
だが、実際こうして触れ合ってみれば。
事実は異なるのだとよく分かる。
生と死、などと呼ばれる枠などお構いなしな怪人オヤジはともかくとして。
そもそも『クリッター』が守っているのは、世界の中枢……その楔となる使命を負っている乙女たちであるということ以上に、交わってはならない生と死の境そのものなのだろう。
どちらからでも、いたずらに入り込んでくるものを、回収し還して。
時には、他の次元からやってくるものをつまみ食いして。
今までの世界に合わない存在であるならば、合っている世界へと運んでいるのだ。
強者を喰らい、救いを必要としている世界へと導くという、代々伝わっている話も。
きっとそこから来ているはずで。
故に『クリッター』、ギルルがわざわざ生の世界にあって死を司ると言われている『ガイアット王国』へと足を踏み入れたのは。
交わってはいけない……この場合、死んでしまった存在が、生ある世界へやってきてしまったことにあるのだろう。
偶然か必然か。
マーズにすら気取られぬように連れてきてしまったのだから。
きっと確信犯。
一体どういうことなのかきっちり聞かせてもらおうじゃないかと。
ナンパ師匠……ガイアット王のおわすであろう【闇】宮へとギルルとマニカとともに向かわんとしていたわけだが。
「まっ、待ちたまえ! もう少しだけ、もう少しだけなのだっ! 頼むっ!!」
「ギルッ!?」
「わ、わわっ」
そこへ続く通りの入口を塞ぐようにして、両の手をつくような形で蹲っているイリィアの姿。
ギルルにしてみれば、あまりにも矮小すぎて進路を妨害するにはあまりにも脆すぎて。
なればこそ、背中のマニカが勢い余って吹き飛ばされそうになって何とかマーズにぎりぎりで捕まえられるほどの急制動をかけたことにより、黒いもふもふが僅かにイリィアに触れよといった所で止まった。
「いけないことだとは、きっと分かっているはずなのだ! だがしかしっ、もう、ほんの少しだけでいいから! 待ってはくれぬだろうか!」
顔を上げて半ばモフモフに埋もれつつもそう叫ぶイリィアは震えていた。
それも、仕方のないことではあるのだろう。
悪いことをしたら、喰らい攫いにやってくるという怪物が目と鼻の先にいるのだ。
でもだからこそ、マーズもマニカもイリィアはすごいとかっこいいと思うのだ。
死の気配がすぐそこにあってなお、皆を置いて一人で先行し、立ちはだかっている。
物凄い勢いでイリィアの名を呼び、こちらへ駆けてこようとしているトリエたちの顔を見てもそれが伺えて。
「やるなぁ、ガイアットの姫様は。改めて惚れ直しちゃうね。ギルルもマニカもそう思うだろ?」
「ぎるっ」
「はい、そうですね。とってもかっこいいですっ」
「…………えっ? ま、マーズ? マニカさんもっ!? な、なんで? どういうことっ?」
「あ、はい。こちら『クリッター』のギルルさんです。いつもは私たちを守ってくれていて、今日は背中に乗せてもらえたんですよ」
「ぎるるるぅ……」
「えっ、えっ? えええぇぇーっ!?」
われの決死の覚悟は一体なんだったのかと言わんばかりに。
そのまま香箱座りで先に進む気配すらなくすっかり落ち着いてしまったギルルを目の当たりにして。
その場にはある意味で悲痛? な、だけど勇敢なる少女の叫びが響いたという……。
(第95話につづく)
次回は、5月16日更新予定です。