第91話、喫緊の何かが起きているかと思いきや、伝説のもふもふを求めて虹の泉に
SIDE:マーズ
「……むぅ、何だか残っていた方が役得感があった気がするのは気のせいだろうか」
「だからこうして連れ出したんじゃないですか。……といいますか、兄さまみなさんの前ではけっこう猫かぶってらっしゃいますよね」
「あぁ、最近はそれなりの頻度で朝起きるとかぶっているというかかぶらされてるな、ウィーカのやつに。だからお返しに添え膳食わねばとばかりに『吸って』やるんだ。最高だろう?」
「分かりづらいボケですね。いろいろツッコミどころ満載ですけれど。というか、カムラル家が代々憧れる『猫吸い』ですか。確かにとっても羨ましいですが、当たり前のように寝所に入ってきちゃってる先輩に驚愕するとともにこういう兄さまのノリが私の時だけだと思うと悪くないといった、複雑な感情を私を支配しています」
少しばかり長めではあるが、ツッコミとしてはまぁ合格点であろうと。
とにかく妹に甘い評価を下しつつ、言葉通り二人にしか分からないようなやりとりをしつつ、マーズとマニカは元来た道を引き返していた。
リアータには、いつもの虫の知らせ的なあれだと何とはなしに伝えてはあるが。
さりげなく抜け出したのは、またしても異界からの何者かの気配を、世界同士の境界を破った上ではなく、ここまで来るための足、移動手段として使っていた【虹泉】の方から感じたせいもあっただろう。
「異世界からの侵略者が律儀に【虹泉】を使って正規の方法でやってくるだなんて珍しいな。……いや、もしかして早くも送り返してやった奴らのお礼参りだったりするのか?」
「侵略者ですか? あぁ、いつもの兄さまのお仕事ですね。いえ、でもこれは……とっても懐かしい気配ですよ。先ほども話題に上がっていた、もふもふが叶いそうな予感がします」
「え? もふもふ? それに懐かしいって。マニカってばオレと同じようにお邪魔虫の気配を感じて出てきたわけじゃなかったのか?」
「はい。恐らく間違いないかと。こうして表に出てから会うのは初めてですけど、夢で会う機会は何度もありましたから」
少しばかり嬉しそうにそんな事を言うものだから。
前段のセリフが霞んで『なんだ、と……』とばかりに呆然としかけて。
お兄さんは許しませんよ、どうしてもと言うのならばこの俺を倒してからにしなさいとばかりに。
幸せそうに夢で会っていたという存在の顔を見てやらねばと【虹泉】へと急ぐ。
「あっ、ほら。聴こえてきますよ。彼の登場曲が」
「彼だとぅっ、そう言うことなら然と吟味してやろうじゃぁないか」
そうして、【虹泉】のある部屋へと辿り着いて。
やっぱりそうだとばかりに耳をそば立てる仕草をしてみせるマニカに。
向かってきているのがもう既に何者であるのか気づいていながらも。
頑固親父のようなノリで両腕を組んで小波起こして波紋を生み、何者かがやってくる前兆を見つめる。
サラッと流したが、登場曲というマニカの表現は言い得て妙で、こんな状況でなければ誉めそやしていたことだろう。
そう、それはまさに登場曲。
ユーライジアの世界で暮らす子供たちが、寝る前に読み聞かせられる物語に登場するもの。
良い子にしていないと、『クリッター』がやってきて食べられてしまいますよ。
ありがちなそれは、しかしこの世界にとって特別な命負われし少女のひとりであるマニカにとってみればまったくもって別のものに映る。
時の狭間の世界に棲まう大いなる獣。
確かに実在するそれは、心の弱きもの、邪なるものを喰らい。
悲しみを破壊する英雄の素養のあるものすら喰らい、数多なる世界へ派遣する力を持っている。
故に子供の寝物語に登場する存在としてうってつけではあるのだが。
もう一つの側面として。
世界の中枢、礎として眠る役目を負うこととなる少女たちを人知れず守護する任を負っていた。
マニカ自身、マーズの内なる世界に留まっていることもあって、未だ実際に顔を合わせたことはなかったのだろうが。
夢で会ったことのあるという言葉通り、そうは言ってもマニカ自身彼との邂逅を心待ちにしていたのかもしれない。
最初は小さな足音。
次いで太鼓の音。
岩壁を叩く音。
ウォーハンマーを打ち鳴らす音。
巨人の地団駄。
分発地震。
大気が割られ、壊れる音。
いっそ勇壮なほどに、七色の水の向こうから、何故だかはっきりと聴こえてくる音たち。
マニカでなければ、だんだんと確実の近づいて来る死の気配に竦み縮み上がり震えていたことだろう。
しかしマニカは、いっそこれからやってくるであろう存在に嫉妬してしまうくらいには。
嬉しそうにわくわく、どきどきとしている様子で……。
(第92話につづく)
次回は、4月29日更新予定です。