第89話、その名に違わぬ軋轢のようなものはなく、ただ広く寂しく
SIDE:???
―――ガイアット王国、十二月輝【闇】宮。
本来ならば、その名の通り【闇】、その根源の管轄にある、生き物たちの生き死に諸々を司り、管理するための場所。
しかし、公然の秘密として【闇】の根源が現世に座しており。
その仕事、命を請け負うことで現状必要なしとみなされ、空席となっている宮のひとつである。
(最も、たったひとつを除き、その他の宮もあくまでもガイアットやイシュテイルの一族……『死神』としての仕事場であるので、日が暮れる頃には大抵の宮は誰もいなくなるわけだが)
しかし、そんな【闇】宮に一人の男……壮年の姿があった。
この国と言うより企業めいたガイアット国の長、ガイアット王その人である。
「……しかして、うむ。我ながら良く良く機転が効いたものよ。あの剣馬鹿や人たらしの我が弟子に気取られぬようにするのは苦労したぞ」
最早ホール中に広がり、充満するほどの闇色。
その魔力の奔流に弄ばれ、中空に磔されたかのごときとなり、闇から顕になっているのが顔だけとなっていようとも。
ガイアット王は実に自然体で、余裕ぶって笑顔すら浮かべていた。
「自身の身の内に人を棲まわせると言うのは、このような感覚であったか。成る程、参考になった」
今回、ガイアット王が目どころかそれこそ心内に入れても痛くない……
これを参考に、次回からは懐に仕舞っておけば良いではないかと決心した、大事な一人娘を置いてまで異世界へと足を運んでいたのは。
常に人材不足な『死神』業、ガイアット国で奥さん娘さん(一応建前)をこなしてくれる人を探し求めて遊楽していたのもあるが。
一番の理由としては、厳つい見た目に似合わず(あのカムラルの至宝の息子なのだからそれだけのはずはないのだが)、人と……女の子と仲良くなるための術をご教授願いたいと言うので、弟子として扱うようになったマーズに。
またいつかのようにガイアット国が『呪い』、闇の力によるものに侵食されている可能性を示唆されたからだろう。
ガイアット王が現役の頃、未知なる世界からの『呪い』から始まる様々な事件、被害に頭を悩ませていたからこそ、今となっては悪戯に解呪するよりも、根本から断つと言うのを基本にしていたわけだが。
「それじゃあ早速、面接を始めようではないか。……あぁ、いやね。一昔前ならばオレ様の嫁に、家族にならないかって勢いで行けたんだがねぇ。よいしょ……っと」
まるで、独り言の一人芝居のごとく。
朗々に謳うガイアット王に対する返事は一見すると聞こえてこない。
その代わりに。
オオオオォォォォ……と怨嗟めいた響きが聞こえてくるばかり。
囚われし闇の拘束から、無理矢理に片手だけを取り出し、親指と人差し指で円を作ると。
【魂見】と呼ばれる、ガイアットの一族、とりわけ『死神』の任を負うものが主に扱う魔法を発動する。
「……あぁ、やはりか。これぞ正に偶然ではなく運命だったのだろう。何処へ行ってしまったのかと思ったら、そんな所にいたとはね」
【魂見】はその名の通り、その人……意志ある者の在り方、人となりから始まって、来歴や真なる性別、得意属性までをも詳らかにしてしまう魔法で。
案の定、闇の奔流の最中には一人の少女が囚われていた。
橙色の毛並み、ふかふかの垂れ耳と、縞々の鍵尻尾。
【月】に愛されし獣王の一族、『ラク』に連なる少女が。
今は囚われながらもその二つくらいしかない猫目石、その瞳を向けてくれず、漏れる声を必死に抑えんとしているのは。
そんな彼女に人目惚れして、どこまでも落ちて行ってしまいそうなガイアット王に対して。
死して尚これ以上迷惑をかけたくないと言ういじらしい気持ちの表れで。
「待っていろ、ハニー。今すぐそこからこのオレ様が助け出してやるからなッ」
こうして、世界と時空を超えて。
大仰なる夫婦喧嘩……あるいは仲直りのための、密やかに派手な戦いが始まるのであった……。
※
SIDE:マーズ
そんな犬も食わぬ夫婦喧嘩が、今回のあれこれの肝であることなど気づきようもなく。
そう言えば、犬っ娘にはこれまで出会っていないな、なんて益体もない事を考えている間に。
マーズたちは、問題なく稼働していた【虹泉】を使い、ガイアット王国に辿り着いた。
「うぅっ、ぞわぞわしますっ。水こわいっ」
「……何なのでしょう。仮面がないせいですかね。ナイトさん……いえ、マニカさんってこんな感じでしたっけ」
「かわいいぞぅ。ボクはいまのマニカのほうが好きかな」
「にっ。こーはいめ。ここぞとばかりにあまえよって」
「【火】の一族だからやっぱり水が苦手なのかしら」
だが、マニカは生身での【虹泉】初体験だったらしく。
濡れもしないし、息もできるが水の流れに翻弄されることに恐怖を覚えたらしい。
代々の種族的なものだって分かっていたから、複雑な思いはありつつも抱きついて離れようとしないマニカにされるがままになっていると。
一番に飛び出していたイリィアの侍女さん、トリエを呼ぶ声がして。
片手で乗っけて持ち上げる状態のままイリィアが駆け出していった方に向かうと。
「くっ、なんということだっ。もうほとんど結晶化を終えているではないかっ」
それは、アーヴァイン宮と呼ばれるイリィアの私室前。
ドアの近くに寄りかかるようにして、トリエが太ももにある輝石と同じ色に全身を染め、文字通り結晶化しているのが分かって。
「うーん、あれかな。勇者がつかうかっちかちになって守る魔法?」
「そうですねぇ。でも動けないのだから解けるのを待っていればいいって思ってしまいますね」
「いや、それじゃダメなんだ。結晶化は血流、生命活動まで止まってしまうから、あまり長い間維持できるものでもないんだ。マーズっ、頼むっ。何とか解除できないものだろうか」
「任せろ、と言いたい所だが。ここは本職に任せよう。女性の身体にみだりに触れるものじゃないしな」
「……あっ、ご、ごめんなさい兄さまっ」
「にゃうん、リア呼ばれてるにょ」
「私? 状態異常からの回復でいいのかしら。というか、この結晶化? 解除しちゃってもいいの?」
「あぁ、頼むっ。思い切ってやってくれ!」
なんでもするから的な勢いでそう言われてしまえば。
リアータとしても、それじゃあオレがとマーズに言われる前にとばかりに。
得意魔法の一つでもある、【ウルガ・ディクアリィ】の魔法を発動することにして……。
(第90話につづく)
次回は、4月18日更新予定です。