第57話、泣かない赤オニは、狭間の悍しき怪物に空目される
SIDE:マーズ
「……っ、きゃぁぁっ!?」
息も絶え絶えになんとか辿り着いたその先は、足場がなくて。
それまでの疲労も相まってか、止まることもできずにまろび落ちてくる……そんな少女の悲鳴。
「予想通り、どんとこーい!」
そうなることは分かっていましたよ、とばかりに。
その巌のような体躯で受け止めんとするも。
まさしくその時その瞬間、マーズは自身の肉体を一時的に失っていていることを失念していて。
「……あああぁっ!? ぐぅっ、あれはっ!?」
「うぇっ!? ま、マジかっ! なんたる柔軟な機動っ!」
くだんの少女は。
青みがかった翠緑の長い髪と、エメラルドの輝石を秘めし瞳持ちし、よくよく見ればマーズにとって知己の人物であった。
マーズの親世代、英雄跋扈する時代において、万魔のハレム王とまで呼ばれた召喚術師……従霊道士が、
一番目にテイムし契約した(双子の姉も一緒ではあるが)と言われている、【水】の魔精霊の尖兵たるスライム……のふりをした、実のところ神型の魔精霊にも届きうる希少種族『フェアブリッズ』にして、ユーライジアスクールの理事長のひとり、スイ・フェアブリッズ。
万魔のハレム王(そう口にすると、とても彼にしては珍しい苦い顔をする)にしてハナの父からの優しくも厳しい修行の日々の際、率先してその修行のサポートをしてくれて、去年のユーライジアスクールへの編入の際にも心を砕いてくれた親……と言うより、お姉さんのような存在で。
そんな相手を抱きとめるのもなんだかなぁと、小っ恥ずかしさが隙を生んだのか。
スイはその柔軟なる身体を生かし、ぬるりとマーズのハグを回避して氷山の前へ転がっていってしまう。
「おおぃっ、大丈夫ですかっ!? そんな、あからまさに避けなくてもっ」
邪なる部分がまったくもって無かったかと言われれば無いわけがなかったが。
周りに水の癒しを、大いなる成長を促す力を持つことであらゆる邪な悪しきモノに狙われ続けてきた彼女にとってみれば、無意識ながらもニヤついていたかもしれないマーズを避けるのは当然だと言えて。
少しばかり調子に乗りすぎましたね、と。
申し訳ありません理事長先生などと、笑って誤魔化しつつ一歩踏み出し近づいたつもりのマーズであったが。
「……くっ、こんな。神聖なる場所で強大な、邪なる存在が、どうしてっ?」
強がりつつもその怯えは隠しきれず。
マーズが近づくたびに座ったまま下がって、やがて氷山に背をつけてしまって。
「いやいや、冗談きついですよスイさん。よこしまなところが出ちゃってるのは否定できませんけども。僕です、マーズですよ。知らない子扱いされますと、結構かなり凹んで傷ついちゃいますよ」
「まさか、クリッターが出てきた? ……いや、しかし。これは正しく地獄に仏ですか。すみません、クリッターさん! 実は異界からの侵入者に追われているのです、どうか力を貸していただけないでしょうかっ!」
「……あっ」
ただでさえ身体が大きくて対したものを萎縮させてしまうのだから気をつけなさいと母に言われていたから。
常日頃護るべきかわい子ちゃんとの距離感には気をつけていたのに。
どうも、それ以前の問題らしいことに気付かされたのはまさしくその瞬間であった。
まず、どう足掻いても下手に出てゴマすって土下座でもしそうな勢いのマーズ自身の身体どころか、その声すら聞こえていないらしい。
畏怖に震えつつも、決死の思いで紡がれるスイの言葉によると。
どうも今の魂だけのマーズは、異界と現世を繋ぐ狭間に棲まうと言われる『クリッター』と遜色ない悍ましい存在に見えているようだ。
狭間の世界に棲息している、魔物なのか魔精霊なのかもよく分かっていないその存在は。
力なく狭間に迷い込まんとするものを喰らい、英雄となりうる強者をも喰らい、選別し、然るべき世界へ送り込むと言われている。
当然、マーズも話に聞くばかりで遭ったことはなかったが。
思えば母さんとの馴れ初めというか大事な思い出の登場人物の一人なんだよね、なんて父に惚気けられていたから。
それほど重大で、神型の魔精霊にすら畏怖されるほどの存在であるとはいまいちピンとこなかったが。
それより何より、続くスイの言葉にマーズははっとなる。
「異界からの侵入者だって? いつぞやのアクマみたいな奴のことですかね。いつの間にそんな、次から次へと。……いや、俺のかわい子ちゃんがピンチになるかもしれない厄介事センサーが反応してたのは、それか」
「わたしはどうなろうとも構いません! ですが姉をも彼らは狙うことでしょう、どうか姉をお助けくださいませんかっ」
「おおぅ。やっぱり聞こえてへん。助けるのは吝かではないけども、どうすんべか」
自分では喋っているつもりなのだけど、やっぱりスイには通じていないようだ。
マニカに対してはそんなことなかったのになぁ、なんて思いつつ。
言葉が通じないのならば、通じるように。
案内も兼ねて、こちらから勝手にその侵入者をぶっ倒してしまえばいいのだと判断して。
「……はい。どうぞ。この身体、いかようにもお使いください」
「いや、なんだかなぁ。言葉ヅラが悪いよぉ。あーもう。どうとでもなれだっ!」
もう後戻りはできないかもしれない。
そんな風により一層決死の覚悟を強めたスイに。
処置なしとばかりに敢えてため息をついてみせて。
マーズはするりと。
スイの身体の中へと入り込むのであった……。
SIDEOUT
(第58話につづく)
次回は、11月11日更新予定です。