第41話、ひとりのためだけの世界、ふたりだけのものになって色がつく
SIDE:マーズ
「ぬぅ……成功した、のか? 俺の自室、だよな。 あぁ、でも外は夜みたいだし、とりあえずはうまくいった……か」
はっとなって目を覚まし、がばっと起き上がり辺りを見回すマーズ。
何も起こらずにただ起きたのかと思いきや。
窓から見える外はすっかり夜の帳に覆われていた。
ただ単純に日が暮れるまで寝ていただけであった、なんて可能性は一旦置いておいて。
マーズはそのまま部屋を出て、自らが暮らす小さな……それでも一人で暮らすには大きすぎる父方の生家から出ることにする。
マーズの夢とも、内なる彼女の棲み家ともとれる夢の世界は。
そのままユーライジアのスクール下町そのものであった。
あるいはここが夢ではないのならば。
『夜を駆けるもの』でもあった彼女は今夜も今夜とて、この町のどこかで誰かのために、自分のために冒険を、物語を紡いでいるのかもしれなくて。
(俺の知らないうちに、ハナやミィカ、リアータとも仲良しになっていたみたいだしな。……そう言うのは俺も混ぜて、予め言ってもらわないと)
お兄ちゃんだけが蚊帳の外で、みんなで夜の冒険だなんてけしからん、ではなく心配しちゃうだろうと。
もはや完全に保護者気取りで向かったのは、現【火】教会にして母方の生家でもある、ユーライジアでも一二を争う……それすなわち王城と遜色ない屋敷である。
それは、マーズが昼活動している時は、きっとそのお屋敷などで日々を過ごしているのだろうと、根拠のない確信があったからだ。
元々、生けとし生けるものの魔力を感知することに長けていることもあって。
きっと彼女の存在を、その場所に感じ取ったのもあるだろう。
とにもかくにも本来ならばここ最近近づくこともすくなかったとはいえ、もう一つの実家でもあるのだから。
正しく我が家であるかのように、お邪魔してもよかったのだろうが。
そう言うところは見た目に反してしっかりしている優等生なマーズは。
しっかりきっかりノックを複数回した後、ライオン……ではなく猫がくわえている、来客が訪れたことを知らせるくつわを打ち鳴らし、扉から少々間を取って背筋を伸ばし、しばし待つ。
これでもし当てが外れて留守だったらどうしよう、なんて考える間もなく。
すぐに「は~い」と。
思っていたより快活そうな少女の声が聞こえてきて。
「……やっぱり。来てくれると思っていたよ。さぁ、上がって上がって。マーズ兄様」
「おっ、おぉぅ」
そこには、若い時の母にそっくりな、金、赤、黒の特別な三色を湛えた長い髪を後ろ手にひとつに纏めた、音に響くほどの美少女がいた。
今は、『夜を駆けるもの』ではないからなのか、魔法使い……カムラルの女らしい家着兼用の暖色のローブを身に纏っている。
母の齢ホニャララ才を超えてもまったくもって変わらない背丈と規格外な美しさに耐性がなければ。
その空でも見上げているかのような紅髄玉の瞳の上目遣いにやられてしまって。
脱兎のごとく逃げ出していたかもしれない。
驚きとも感嘆ともつかない声を上げるマーズがおかしかったのか。
くすりと笑みをこぼすさまも、聞いていた『夜を駆けるもの』像とかけ離れすぎていて戸惑いしかなかったが。
立ち話もなんですから兄様、なんて言葉と。
マーズの親指ほどしかないのではないか……そんな手の小ささも。
ハナに負けてないな、しかしそれより何より『兄様』などと呼んでくれるのかと、感極まりつつもマーズは引っ張られるがままに懐かしきもう一つの我が家へと入っていく。
案内されたのは。
かつては王族の者達も幾度となく利用したというセンスの良さげなサロンであった。
何せ、飾られている絵、壺や飾り花、真白なクロスつきのテーブルなどは。
【火】の一族が代々に渡って集め、大事にしてきたであろう魔力込められしマジックアイテムなのである。
ご多分にもれず、色濃く【火】の血を引いていることもあって、本来ならそれら一つ一つに興味津々で目移りすること受け合いではあったのだが。
何せ、何よりも興味深い彼女が部屋の真ん中にあるテーブルにて手づからお茶とお菓子を用意してくれていたからそれどころじゃなく。
借りてきた猫……飛牙猫のように対面に座り込んで慣れた手つきの彼女のことを眺めていると。
ただじっと見つめられているのがあれだったのか、彼女ははにかむように微笑んでみせて。
「ふふふ。夢みたいだな。いや、正しくもこれは夢であるのだけれど。兄様とこんな風に一度、お茶してみたかったんだ」
それが、あんまりにも眩しかったから。
三白眼が潰れそうになりつつも。
兄と呼んでくれる彼女のこと、それこそ名前すら知らないんだって気づいてしまって……。
(第42話につづく)
次回は、8月29日更新予定です。