第110話、死の世界の鬼灯は、潜みあるばしょを選ばないようでいて
SIDE:マーズ
そんなわけで。
何だかんだでにっちもさっちもいかなくなっているマーズのために一計案じようとばかりに。
聖おっさん師匠に連れられてやってきたのは。
物見台よりも蟻地獄めいた『時の扉』に、砦の岩壁挟んでほど近いとも言える、ひんやり涼しい地下の一室であった。
「……失礼するよ」
恐らくは、ラルシータにあるライジア病院と同じように。
普段は休んでいるセザール近衛兵団の彼女たちが詰めている場所なのだろう。
ラルシータの王にして父である彼は、そのうちの最奥にある部屋へと迷いなく向かい。
しかし年頃の娘の部屋へ訪れることに少なからず葛藤のありそうな雰囲気で静かにノックする。
きっと、それは彼にとってのけじめというか決まりのようなものなのだろう。
しばらくしても反応はなかったが。
もしかしたら長い眠りから目覚めて出てきてくれるかもしれないからと。
少しの間だけ声を潜め耳をそばたてるようにして待ってから、部屋へとお邪魔する。
「かぁっ」
「……あぁ、リオと良く似てはいるがね。本来ならばマリアが希い、モデルに志願し成ったのは彼女のはずだったんだ」
ひとの……しかも女性の私室へお邪魔することに躊躇ってはいたが。
恐る恐る入室しても、その部屋の主が目を覚ますことはなかった。
ごくごく薄い蚊帳のごとき天蓋の向こうには、リアータたちラルシータ王家の女性たちに非常に良く似た少女がいる。
思わず声をあげただけでそこまで理解してくれる聖おっさん師匠はさすがだとは思いつつも。
言われてみればあの、天真爛漫な【月】の魔精霊(ラルシータには、昔から何故か彼女らがついて回っていたと言う)のごときおねーさんだけ、ラルシータの女性たちの中でも髪色が違うことに気づかされる。
「かぁ?」
かつての双つ星の魔導人形の片割れである、ガイゼル家のタクトたちとも違っていて。
一体どう言うことだってばよと一声首かしげて鳴くと。
聖おっさん師匠は、絶妙に似合ってはいない、口元に人差し指をもってくる、静かに秘密の仕草をしてみせて。
「それは乙女心な秘密、らしいぞ。私から言えることは、そもそもが二人は表裏一体であったことだけだ」
ラルシータスクールにつきものとも言える、ふわふわ竹箒を持って常日頃見回りをしている【月】の魔精霊になりきっているからなのか。
マリアと呼ばれる、どう見てもリアータよりも幼く見える金髪おさげの少女には、マーズには知り得ようもない謎があるらしい。
その辺りのことは、後で解くことができたのならばマニカに聞いてみようかと思い立って。
そのまま、聖おっさん師匠に未だ少しばかり嫌な顔をされつつも出てきなさいと言われたので素直に従って。
何とはなしに徐々にではあるが慣れては来ていたクロの身体からふわりと抜け出すことに成功する。
「おっとっと、うぉこわっ。冗談でなく鬼火じゃないの。しかも地獄とかにいそうな」
『くぅっ、やっぱりそうなのですかっ。道理でこの姿の時は魔物にすら避けられてるわけだっ』
「……かっ、かぁ?」
実に黒々とした、おどろおどろしい死の世界の炎を纏ったかのごとき魂。
抜け出たことで、ふっと力が抜けて。
実は少しづつぱんぱんになっていたクロの体がしぼみつつ螺旋描いて落ちていくのを聖おっさん師匠はうまくキャッチしつつ。
実際マーズの本体……と言うか魂がそんな感じだったのか思ってなかったようで。
驚きついでに毒……と言うよりも本音が漏れ出たようだ。
思わずしどいぃとツッコミ返すも声は届いているのかいないのか。
少ない衝撃と、かかっていた身体への負担からの解放によるものなのか。
クロはすぐに目を覚まし、知らないおじさんの両手のひらに収まってしまっていることに気づいて。
そのまま慌てふためきつつ逃げるように飛び回って、茫洋と浮いているマーズに気づいたのか、中空にてこれからどうしましょうとばかりにダンスをするが如く飛び回っていて。
「ふむ。君が本来のクロさんだね。……確かに契約はひとつのようだ。正常だね。はてさて申し訳ないが、うちの母さんは分かるだろうか。今はきっと、君の主であるムロガさんとともにいるはずだから、少しばかりそちらへ御翼労いただけないだろうか。それだけで彼女ならば察してくれるはずだからね」
『働かせっぱなしでごめんな。あとはムロガんとこに戻っていてくれればいいから。身体の借り賃じゃぁないけれど、何か望みがあれば言ってくれ』
「かぁっ!」
はい、了解しました。
報酬は一旦預かりまして考えておきます。
と言っているかどうかは分からなかったけれど。
確かに自分の時とはまったくもって違う、とっても良い鳴き声ひとつ上げて。
クロは翼をはためかせて部屋を出て行って。
「何でもするって言ったね。ならばよろしい。今後うちの女性陣には金輪際近づかない……いや、『アリオ』として在り続けてくれるのならば側にいることを許そうか」
『言ってない、言ってないですって! 聖おっさん師匠にはそんなことひとっことも言ってねぇわこらぁぁっ!!』
それでも、大分変速的ながらも『俺ってば息子が欲しかったんだよなぁ』的なことを言われてしまえば。
やいのやいの言いつつも、師匠の言葉に弟子が従うのはまぁ、ある意味で必然的ではあって……。
(第111話につづく)
次回は、8月5日更新予定です。