は(つこいとは)ち(がいます)
私は少女漫画を描き、仕事として認められるクオリティのものを作り上げることができる人間だが、自分はまだ恋をしたことがないと思っている。
だって、恋って楽しい物のはずだ。毎日がキラキラして、胸がドキドキして、一挙一動に一喜一憂しながら、愛し愛され暖かい世界で過ごせる。そんな楽しいものだから、みんな欲しがるはずなのだ。
赤崎への私の感情は、そのどれも当てはまらない。
物心ついたときにはもう、母のお気に入りの男の子の1人で、出会ったときから失恋していたようなものだ。
今はもうぼんやりとしか覚えていないが、最初は全く興味を示さなかった私を、振り向かせようとしたのは赤崎の方だった。
母の執着を手に入れ、自社の利益に繋げるための、いわゆるハニートラップか枕営業の一環でしかなかったと分かったのはそれから間もない時だったが、彼自身、私の何かを気に入ったのか、それとも才能を見抜いていたのか。今現在、一番仕事を一緒にしている相手であることを考えると、彼の策略は成功だろう。
そんな彼だったが、母が亡くなって少し経った後に、大学時代からの彼女とゴールインした。
母の事があって、式を行うか躊躇ったそうだが、私が後押ししたことで、2人に感謝されながら、神の前で永遠を誓い合うのをぼんやりと見ていた記憶がある。
なぜそんなに急に式を急いだのかは、彼女のお腹を見れば一目瞭然だった。
彼は私と母を使って、世界で一番幸せな人間になれたのだ。
そして私も、彼の幸せに自分の仕事が助けになっていることに、何の不満もなく、今まで通りにスケジュールを消化しているが、最近の彼の陰りを見せる表情が気がかりだったところはあった。
私が制服姿で、この時間にこのお店にいることは、周りの人間からしたら異質なようで、視線を送られてくるが、入店拒否をできる規約もないので、店員は困った顔で私にヨーグルトスムージーを差し出し、私はサンドイッチと一緒にそれを受け取って、席に着いた。
昼間はちょっと意識の高いパスタとパンのカフェだが、夜はスポーツバーとして営業しているらしい。大型モニターは、専門チャンネルが海外リーグを中継しており、興奮気味に話す客もちらほらいる。
「スポーツバーに未成年がいるなんて。いっけないんだー。」
気の抜けた声に、私は振り返りも何も反応せずに、無視していたら、向かい合う座席のはずなのに、彼は私の隣にぴったりと腰かけ、慣れた手つきで肩を抱いた。
「制服姿の女の子に手を出す成人男性のほうが、よほどどうかと思う。」
なんとか抵抗を示す言葉を吐いて、手を払いのけると、それ以上触ろうとはしないが、隣から移動する気配もない。
「君が欲しい男は、俺より年上だよ?」
表情は見えないが、ねっとりと低い声で耳元でささやくとびおの言葉に、私は顔を顰めた。
そう、彼は、私が殺人を成功させた暁には、赤崎の妻を寝取ってくれると、信じられないことを提案してきたのだ。
「慶事を控える空気を打ち破ってまで結婚した相手を、そんなに簡単には捨てるひとじゃないわよ。」
第一、奥さんが妊娠したまま他の男のところに行く可能性のほうが低いわ。
私の言葉に、とびおは、いつものようににやりと笑い、それの何が問題なのか分かっていないとでも言いたげに言葉を紡ぐ。
「関係ないよ。それに、幸せを手に入れたいまだからこそ、不安な気持ちも一番大きいはずだ。」
初めてのお産への恐怖もあるだろうしね。
とびおの言葉は、まるで経験した事実を言っているようで、気にはなったが追及したほうが負けな気がして私は視線をモニターに向けた。
点差は大きく開き、前半がちょうど終わったらしい、人の入れ替わりが起きている様子を見ていると、私の手に、とびおの手が静かに絡んで、驚いて放そうとしたが、今度は力が強かった。
「どうする?今が最後のチャンスだ。生まれてからだと、情が移って離れない確率のほうがぐっと上がる。罪のない子供を巻き込むことになるのは、君だっていやなはずだ。」
とびおは暗に、子供が生まれてからでも自分は寝取れると、そう示している。しかしそこで家庭が崩壊したら、何も悪くない子供が傷を負うだろう。
この男は本物の悪魔なのだろうか、耐え切れず彼を見ると、
「やーーっと見てくれたよー!」
と、テレビで見る人外テンションキャラで話出して、くしゃりと笑うから、油断しそうになってしまう。
私はこの男からは、逃げられないのだろうか。
「・・・・それでも、すぐにはできないわ。」
私の言葉に、とびおは笑って応えた
「もちろんすぐにとは言わないけど、前向きになってくれたことで、俺は満足だよ。」
そう言って、私の手を取り、ポケットから鎖のようなものを出すと、私の許可もなく、無言で手首に巻き付けて、そして、仕事があるからと言って、席を立った。
抗議しようとしたが、
「仲間の証みたいなものだから気にしないで」
と、静かに、しかし反対意見を言わせない笑顔で言うと、お店から出て行った。
残されたのは、サンドイッチの食べ終えた皿と、右側にほんのり残る人の気配と、右手に付けられたブレスレットだけ。
太めの鎖で、数回重ねられたようなデザインに、大ぶりのロゴの造詣が付いているデザインは、彼のような美しい男なら様になるが、ジャンパースカートの女子高生には、手錠のように不釣り合いでしかない。
彼は仲間の証と話していたが、これはきっと、逃さないという意味の拘束だろう。
手に力が入らないまま、なんとか食器を戻し、後半戦に盛り上がる店から退席すると、夜の街の空気を吸いながら私も帰途に就くしかできなかった。