女子高生からの依頼
03
胸ぐらをつかまれて持ち上げられたのはこれが人生で初めての出来事である。
想像以上に苦しい。息ができず、声が思うように出せない。
「お・・・ろし、て」
何とか声を絞り出す。
「えっ?あ、ご、ごめんね。私、気が動転しちゃって。」
そういうと、桃色女子高生はスッと僕の身体を地面におろし、照れくさそうに少しうつむいた。
・・・この力、気が動転したとかいうレベルの話ではなさそうだけれど。
「ゴホッ、ゴホッ。君って、すごい力持ちなんだね。」
「あ、はは、恥ずかしいところ見られちゃったね。別に力持ちなわけじゃないの、上手くは言えないんだけど、これにはコツがあるの。」
コツだとかいうレベルの話でもないと思うけれど、実際にヒョイと持ち上げられてしまった僕は、彼女の言うテコの原理的な何かを信じるしかないようだ。
それにしても、美少女という生き物はこんなことで恥じらうものなのか。もっと恥ずかしい場面を僕に見られたことも知らずに・・・なんだろう、この地味な快感は。
しばらく女子という生き物と接していなかったため、彼女の一つ一つの仕草に目を奪われる。
照れくさそうにややうつむき、絶妙な角度で首をかしげながら、上目遣いで僕へ視線を送る。それと同時に、右手で髪をかき上げ左耳へ掛ける。その右手は滑らかな輪郭をなぞるようにそのままゆっくりと下へ移動し、左腕の中程で静止した。自然と胸が強調される。
計算されつくしたような男心をくすぐる仕草であるが、自然な流れでそれを行える彼女は天性の小悪魔なのだろう。
「って、悠長にしている場合じゃないんだった。ねえ、君って2年A組の張間君だよね。お願い、今すぐ力を貸して!」
思い出したようにそう言うと、桃色女子高生はまたしても僕の胸ぐらをつかみ詰め寄った。
女子ってこんなにいい匂いがするものなのか。シャンプーの匂いだろうか、清潔感のある甘い香りが漂う。
視覚、嗅覚、聴覚、触覚、ほぼすべての感覚神経からインプットされる萌えを処理するのに必死で、会話どころではない。いわんや手助けをや。
それに彼女ほどの怪力があれば僕なんかの手助けはいらないはずである。
「ど、どうして僕の力なんかを?君ほどの力があれば―」
「もう!つべこべ言わない!か弱い女の子からのお願い、聞いてくれるよね?」
なんとか抵抗しようとしたが、その声もあっけなくかき消され、僕はコクリと頷くことしかできなかった。さらば、僕の平凡な日常よ。きっとこれから悲劇が始まるに違いない。
「良かった!」
先ほどまでの緊張感が緩み、天使のような笑顔へと変わる。桃色女子高生は本当に嬉しそうに胸をなでおろした。
半ば強制的に彼女に協力することになったが、依頼を受ける僕にだっていくつか知る権利はある。まずは・・・
「どうして僕の名前を?」
僕は彼女のことを知らない。高校に入学してからの1年間、綺麗な子は避けるようにしてきた。それどころか、なるべく目立たないように一人で過ごすようにしてきたはずである。それなのにどうして?
「え?ああ、ええとね、それはその…入学式で名前呼ばれていたでしょ。」
そう答えると、桃色女子高生は少しはにかんだ。
ああ、なるほど。うちの高校の入学式って、新入生の生徒一人ひとりの名前呼んでたんだっけ。あんまり覚えていないけれど。
・・・ん?この子、1年前の入学式で呼ばれた僕の名前を覚えていたのか?
いやいや、それってどう考えても普通じゃないよな。それこそ、好きな男子の名前なら覚えていてもおかしくはないけれど・・・ってことは・・・この状況って、もしかしてデートのお誘いとかだったりするんじゃないか?
いや、待て待て。浮かれるのはまだ早いぞ、落ち着くんだ僕。喜ぶのは詳しい話を聞いてからでも遅くはないだろう。とりあえず、ここはクールに決めておこう。
「そ、そそそれで、ぼ、僕にききき協力してほしいことって?」
くっそ!僕のヘタレ!くっそ!動揺しすぎだろ!なんでこう、格好良く受け答えができないんだよ!「あーくそくそくそくそくそ・・・」
「えーっと、張間君、大丈夫?なんだか心の声が、くそくそと漏れ出ているけれど・・・。あ、あのね、協力してほしいっていうのはね、あれのことなの。見える?」
そういうと、桃色女子高生は急に真剣な面持ちになって校舎の屋上を指さした。僕は何とか気を持ち直し、指さされた方角を見る。指の先は校舎の屋上で、そこには一人の男子高校生が立っていた。確か屋上は立ち入り禁止のはずである。
「彼はね、張間君と同じクラスの黒金一丸君。彼の顔をよく見て。あれって、これから命を絶とうと考えている人間のする表情なの。私ね、思い出したんだ。何度も何度も同じような表情見たことあるから、間違いない。だから、同じクラスメイトとして張間君に彼を説得してほしいの。」
突拍子もない話である。普通の人なら、ここでもっと詳しく話を聞いたり、彼女の不思議な言動に疑問を投げかけたりするのだろうけれど、僕はそうしなかった。
黒金の表情を確認した僕は、考えるよりも先に「わかった、行こう。」と口走ってしまっていた。何か良くないことが起こる予感のする、心がざわつくような切ない表情だった。
彼女の言う通り、黒金をこのまま放っておけば死んでしまうのではないかと思えた。
「やっぱり、そう言ってくれるって信じてた。本当はね、私も一緒に説得に行けたらよかったんだけど、私、昔っからあの表情が苦手で。ここから黒金君の表情を見るだけでも、その悲しさと苦しさで押しつぶされてしまいそうなの。だから、説得なんてとてもできそうになくって。」
そう言っている彼女の目は潤んでいるように見えた。過去に何かあったのだろうか。
「そういうことなら、ここは僕に任せてもらおう。」
いつもの冷静な僕ならばこんな厄介ごとに首を突っ込むようなことはしない。職員室へ直行し、誰かに解決してもらおうとするだろう。それなのに、気付けば僕は、自殺しようとしている黒金一丸を一人で説得しに行くと、そう口走ってしまっていた。
これはもう完全に感情に支配された言動である。こうなったら、さっさとこのミッションを終わらせてしまおう。でもその前に・・・
「説得に行く前に、君の名前を教えてくれないか?ほら、僕だけ名前を覚えてもらっているのも、なんだか悪いし。」
成功報酬とかそんなものはないのだろうけれど、人の命を救いに行くわけだし、美人女子高生一人の名前くらい聞いても罰は当たらないだろう。適当な理由をつけてそれとなく名前を確認する。
「張間君って、優しいんだね。私の名前は蝶野麗、張間君と同じ高校二年生だよ。あ、そうそう、確か屋上は立ち入り禁止で、扉にはカギが掛かっているはずだから、屋上へ上がるには3階の理科室の窓から壁を伝って上がるのが正攻法だよ。黒金君もきっとそうやって屋上に上がったんだと思う。それじゃあ、健闘を祈ってるね。」
僕に屋上へのルートを伝えると、蝶野さんは再び屋上の方を向いて、不安そうな表情を浮かべた。
蝶野さん、蝶野麗さん。素敵な名前である。
屋上へ向かって走り出すのと同時に鼓動が激しくなっていることに気付く。そういえば、喜怒哀楽、どの感情に従って行動するときも同じように胸が熱くなっていたような…。随分と懐かしい感覚だ。
胸の熱さが拍動と共に全身へ伝わっていくのを感じる。
人生で初めて自殺しようとしている人間に対面するのだ。どんな風に声をかければいいのだろう。正直なところ、成功しているビジョンが全く見えない。
もし、失敗してしまったら…想像するだけで手が震える。
緊張が頂点に達し、僕はまたしても激しい頭痛に襲われ、あの不快な声が頭に響いた。
――どうじゃ、この緊張感は?感情に身を任せるのも――たまの刺激には良いじゃろう。どれ、ここはひとつ儂と一緒に―――カウンセリングを始めようか――