ただの杞憂
「…っっっっ!!!?何でわかるの…」
優は自分は姉だといい、胸を張る。
「だって烏摩さま、すごく遙を気に入ってたみたいだし。まぁあんな手の早そうな雰囲気かもし出してる男だし。そうかなって」
さすが恋愛経験者は違うな、と遙が思っていると、優は妹の頭にそっと手を置いた。
「でもまぁ、よく張り倒さなかったわね、えらいえらい」
「…だって、腰が抜けて動けなかったの」
「だからあんな水浸しで帰ってきたのか。えらいよ」
急におねえちゃんぶった表情の優に、遙は少しだけ気持ちを慰められた。まぁね!と嬉しそうに立ち上がって、着替えを始める。
彼女は、着替えの為にと服を探していたため、姉の表情を見ることは叶わなかった。
――悲しそうな、そしてもどかしさをかかえているような、そんな表情を。
「お父様。入ります」
客間のふすまを開け、きちんと服を着替えた遙は頭を下げたまま中に入る。
父親は、優と彼女の夫の恭介を横に座らせ、烏摩となにやら話していた。
「おう、着替えてきたか」
「はい。先ほどは申し訳ございませんでした、お父様」
いつもなら言わない言葉遣いだが、一応礼儀だと思って遙が続けた。
「少しわたくしの不手際があったようで、烏摩さまはこうして早めの降臨をされました。お父様、いったいどうされますか」
「そうそう、それを今言ってたんだ」
父は遙を手招きで近くまで寄せると、娘の遙です、と烏摩に紹介した。
「知ってる。さっき名乗ってくれたからね」
穏やかな表情は、先ほどの妖艶な雰囲気の笑みとは正反対のものだった。
こんの、猫かぶり。と心の中で悪態つきながら、遙は愛想笑いでなんとか切り抜けた。
「烏摩さまは当分ここで生活すると仰せだ」
「…は?」
「烏摩さまもこの地界の生活を体験なさりたいようだ。儀式まで、ちゃんとお世話しなさい。遙」
「わ。私!?」
「巫女のお前がやらなくてどうする」
ただでさえ、さっきのことがあるのに。
とは決して父にはいえない遙は、為す術もなく、お世話係として神と同じ場所で生活することに決まった。
「ほれ、遙。烏摩様に何かあってもいかんからな、お前の部屋で泊めてさしあげなさい。本当は一部屋用意する手はずだったが、なんせまだ準備が整っていないから」
「……はぁい……」
「遙、寝たか」
夜。
寝付けないらしい烏摩が窓のところで座っているのを横目で見ながら、遙もこれからのことを考えていた。
返事の返さない遙が寝ているとおもったらしく、烏摩はふっと笑みをこぼす。
冷静になった今、思い浮かぶのはあの祖母の死に際の言葉。
もしも本当なのなら。
巫女である私は、神であるこの男に、心惹かれるのだろうか。
さっきの胸の高鳴りといい、これは偶然ではすまされない。
だからといって、そういう気持ちを、引きずってはならない、許されないと知っている。
神職者である巫女と神の恋愛だなんて、前代未聞だ。そもそも…
(私みたいな小娘、神様が相手にするはずもなし、ってね)
考えれば考えるほど、祖母の心配は杞憂だったようだ。
安心した遙は、再び床につき、寝息を立て始めた神を一瞥し、そして夢の世界へと入っていった。
その夜、彼女は、嵐の中で泣いている自分の夢を見た。