儀式2週間前に
「はぁ…」
また1日と時はたち、遙がまた一歩、儀式に向かって足を進めていくのだ。
そしてもちろん、巫女としての仕事を果たすために、舞の練習は毎日欠かさなかった。
簡易の巫女装束を纏い、遙は神社の裏にある池に向かう。
*
池は静まり返っていた。
もうすぐ日は完全に空からいなくなる、赤い光が池の水を不可思議な色に染めていた。
シャン
榊の葉につけられた小鈴が音を出す。
舞はすぐに覚えてしまった、でも、自分の心を落ち着かせるため、こうして彼女は毎日練習をしていた。
右足、左足、そして両足で。
軽やかに、水しぶきを立てないように。すばやく、美しく跳ねる。
左手に持つ扇が、池の水をさっと引き上げ、それが小さなしずくとなりあたりで光に反射する。
儀式の日ではない、でも、遙は真剣に舞っていた。
――《儀式じゃないのに、その舞を見せるのか、小娘。》
「!」
誰かの声と気配に、遙は目をすっと細め、あたりをにらみつけた。舞はもちろんやめた。
「…誰っ?」
「おーおー、勇ましい娘だな。おい、名はなんという」
「雨宮、遙」
茂みからでてきた誰かは、木陰からようやく姿を現す。
男だった。そして彼は、優雅な身のこなしで池のほとりまで歩いてくる。
「…貴方、まさか」
遙はとっさにわかっていた。
いや、心臓の高鳴りで、彼の正体など容易に見破っていた。
銀色の長い髪が、風で揺れ、その瞳の奥にたたえられた金色の色は強い意志の光を秘めている。しなやかな体つき、それでも筋肉質なそのバランスの取れた体格。そして、人とは思えない、その美しさ。
老若男女みなが惚れるというそれ…
「からすま、さま…」
「ほぉ、わかるのか」
切れ長の目を細め、口の端に微笑を浮かべ、色気を撒き散らす男。
遙はすぐに巫女装束であるのもかまわず池の中で跪いた。
「烏摩さま!儀式の前だというのに、なんというご無礼を」
遙は高鳴る心臓をおさえるために、なんとか謝罪という言葉で自分の心を押さえつけようとした。しかし、男は妖艶に笑ったまま、そんな遙の腕を持ち上げる。
「遙、といったな。あの巫女の、孫か」
「は、はい」
「…陽は勇ましい巫女だったが、お前はまだまだ、青臭い小娘だな」
腕を持ち上げまま、遙はなすすべもなくその彼を見つめていた。
ふと。神は口を開いてたずねた。
「神に会って、どうだ?」
「…えっ?」
「ただの男だと思い安心したか?」
「っ…!?いいえ、そうではなく…」
遙は祖母と母の言った言葉を思い出していた。しかし瞬時にその考えはやめ、ゆっくりと慎重に言葉をつむいだ。
とはいえど、彼女の気は既に動転しており、まともなことが言えるはずもなかったのだが。
「ただ、かっこ…」
「かっこ?」
「…かっこいいなぁ、って思っただけで…」
ぶっと吹き出す音と同時に、遙は腕の力から解放される。
神であるという男はただ笑い声を上げている。
「面白い、ほんと、変な女だ」
「あ、娘から女に昇格した」
遙のツッコミがますますつぼにはまったのか、神の威厳も忘れ、男はただしばらく笑っていた。
そして…
「お前が巫女だな」
真顔に戻った男は、遙を上から見るかっこうでそのまま口を開いた。
遙が無言で頷くと、くしゃりと遙の髪の毛を手で触った。
「お前の中の、とてつもない力を感じた。で、昼寝してたが中断して下に下りてきてみればこれだ。儀式はまだ2週間先だと言うのに」
「私は…ただ練習をしていただけで…」
「まぁ、いい」
男は空を見上げてふっと笑った。
「退屈していたんだ。儀式が無事に終わり上に帰らねばならなくなる日まで、ここでしばらく滞在することにしよう」
春の嵐を予感させる風が、2人を襲う。
「しばらく、部屋を借りれるかな?巫女」
「…は。」
「礼は、これでいいか」
「は?え?な…」
池の上で、遙は暗い影が自分の頭上を覆うのを見た。
2つだった影が、一瞬だけ1つになって。
遙がわなわなと震えるその目の前で、そっと笑ったのは、神様だった。
「神様だといえど、最悪です!!!」
怒りをあらわにしつつも、ないがしろにはできない神に対し、仕方なく遙は彼を連れて神社に戻る。
あの後腰が抜けてしまった遙は、しっかり池の中につかり、水に濡れた身体は春の風によって冷やされていった。涙目になってわなわなとふるえていた遙を、神は笑みを浮かべながら見下ろしていた。
「う~…さむっ…」
「寒いのか」
「…誰のせいだと、思ってるんですか?」
「ならば俺の横で歩けばいい。少しはあったまる」
「いやです」
プライドが、それだけは許さない。
遙は神社に着くと、父親に神を預け、私室に閉じこもった。
「ちょっと、遙!いったいどうしたのよ」
しばらくすると、姉の優が遙の部屋の扉を外からたたいている。
「巫女のくせに、神様儀式よりもさきに降臨させちゃったんでしょ!どうすんのよ」
「…勝手におりてきた」
「はぁ?そ、そうなの…」
優はしばらく沈黙すると、中に入るよ?と優しい声色で言葉をつむいだ。
「遙、キスされたんでしょ?」