皮肉な記憶力
4月中旬の今、まだまだ新入生として不慣れな高校生活を送る遙らは、学校に着くとすぐに教室の中で緊張気味に会話を始める。
しかしながら3人は運が良かったのか同じクラスで、基本的には行動を共にしている。
「今日の1限目の授業、数学だった!」
数学が苦手な琴美が青ざめる。予習を忘れていたようだ。
遙は自分のノートと問題集を取り出し、青ざめている彼女の机の上に置く。
「もう終わったから、今日は使っていいよ」
「ほんと、うらやましいよな、遙は」
けっと口をとがらせて健一が文句を口にする。
「まじでさ、一回勉強しちゃえば簡単に頭の中に入っちゃって。勉強なんてぜんぜんしてねぇくせにさ」
「そんないいことばかりじゃ、ないけどね」
遙は、2人に気づかれないくらいの本当にわずかな時間の中で、表情をゆがめた。
---1度見聞きしたことを、絶対忘れられない。
そして、それこそが、今さら、遙を苦しめている。
祖母が死に際に残した、あの言葉が、遙が巫女になることへの恐怖心を与えているものである。
しかし遙はすぐに表情を元の飄々としたものへと変化させ、2人に、トイレへ行くと告げて教室を出た。
「でも、もう予鈴なっちゃって…」
「いいのよ、すぐ戻ってくるから」
遙は教室の扉を閉め、そして生徒も誰もいない、本鈴数分前の学校の廊下に座り込んだ。
あと、2週間。
そうしたら自分は巫女になり…おばあさまがいっていたとおりになるのなら…
---叶わぬ、恋をして、しまう。
「ただいまー」
夕方、帰宅した妹に、姉は大声で責めたて始めた。
「遙!あんたがきょうの朝私にいたずらしたせいでねー…」
「別に、私じゃないよ。あれ」
「へ…?」
目を丸くする姉に、遙は静かにさとした。
「恭介さん。今日の朝神社からそそくさと出て行くのが見えたから」
恭介、それは遙の義理の兄、つまり姉の結婚相手である。姉の優は眉間に青筋をたててつぶやいている。
「許すまじ、恭介…まじで墓に埋めてやる」
「神社の人がそれ言うとまじで恐いからやめてくれ」
そんな優の背後には、例の恭介。
「きょぉぉぉぉすうぅぅぅぅけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
こんな感じで彼ら夫婦の痴話げんかは毎日続く。
追いかけられ追いかけの2人の姿が消えるのを見てから、遙は1つため息をつき、私室に向かった。
畳のその部屋は、巫女としての禊の道具が飾られていた。
母が嫁入り道具として持ってきたらしい桐の箪笥にしまってある手紙を取り出し、遙は読み返す。
それは、母からのもので、15歳になったある日、父親から手渡されたものだった。
―――
遙へ
私はもう、あなたがこれを読むころには過去の人になっているんでしょうね。
もうすぐね、儀式。
これからも今以上に、お姉ちゃんを、助けてあげてください。
そしてあなたには、それ以上に大切な、巫女としての大役があります。
1つだけ、きっとあなたは守れないでしょうけど、お願いします。
…どうか、神様にだけには、お慕いしないで…
彼を好きになって、苦労するのはきっと、あなただけなのよ。
彼よりも、あなたが、大きな罪を背負うことになる。
母より
―――
決して内容は良いものではないし、そして読み返さなくても遙がこの手紙の内容を忘れることはない。
でも特に最近は、遙は何度もこの紙を開き、読み返していた。
不安がずっと、体の中を駆け巡るのだ。
神は、もうすぐ降臨する。そしてそんな"彼"を助けるのが自分の役目だとはよくしっている。
しかし、私は、母や祖母が見た未来と同じように…道を進んでいくのだろうか。
神様を、好きになって、しまうのだろうか。
一時はそれを恐れて、幼馴染である健一に思いを寄せようとした。
しかし、願っても、無理に人へ気持ちを向けることはできない。
どんな男子も、遙の心の中に入り込んでこないのだ。